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宮古島方言マガジン「くまから・かまから」
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くまから・かまから vol. 112

2021 10/15
メールマガジン
2005年11月17日2021年10月15日

みなさん、こんにちは〜。東京や ぴしーぴしどー。んにゃ冬がま。
ぬふーぬふぬみやーくぅうむぅーがつな vol.112 うくらっとー。
(東京は、寒いですー。もう冬。暖かい宮古を想いながら、vol.112送りますねー)

目次

宮古島 いたよね あんな人 こんな人

みしん(池間出身

◎午前6時から遊びに来て家族一員のように あさむぬゆ ふぁいゆ〜い(朝ごはんをたべる)隣のおばあ。

◎たたみを上げて、その下に制服のスカートのひだを整え、たたみ押しアイロンをしたことがある。

◎やーずみぁ(ヤモリ)の卵を冷蔵庫の裏で温めてふかさせたひと。

◎髪の毛をビールであらうと あかぎー(金髪)になるときいて、ほんとにやったことがあるひと。 

◎小、中学生の頃、スカートをはくときは必ず黒の体育用ブルーマーをはいた。

◎まゆげを剃り過ぎてあおぞりと色ぐる〜のコントラストがすごかったひと。

◎サンタが置いていったクリスマスのプレゼントは市販のお菓子入り赤ブーツ。高学年になると、さすがのサンタは面倒になり、まくらもとに現金が。

◎さやふ(大工)が着るようなハイウエストしりゆるゆる足首ぎゅの学生ズボンをきることが不良のあかしであった。

◎レストランで食後にだれが支払いをするかでもめる。まわりのひとが喧嘩?と勘違いするほど。「いいよ〜私がはらう〜〜」「おごえ!はらうよ!」がえんえんと続き、しまいにはお金を捨てるように置いてひんぎる(逃げる)

◎サトウキビ畑か、護岸がデートの場所。

◎遠足で東平安名崎へ。マムヤの墓にもたれて、弁当をたべる。(墓石にもたれて食べてたようなもんですね。ひえ〜)

◎宮古出身でない人までも宮古イントネーションにしてしまう。

◎まだ、ケンタッキーフライドチキンがなかった頃、沖縄本島からのお土産はそれでした。

◎空とぶ飛行機に向かって、「おみやげかってこいね〜」とさけんだことがある。

◎大さんご礁がうきでる八重干瀬の話をしたところ、大うそつきと思われた。

◎宮古のタクシー運転手さんたちはお世辞がうまい!そうでもなければ乗らないか?声をかけられないですよね。

写真家 金子進さん

松谷初美(下地町出身)

東京で購読している新聞(朝日新聞)に宮古の記事が載ると、パッと目がいく。

「窓ガラスが割れ管制塔?無残?」の見出しで出たのは、2年前の台風14号の記事。管制塔の窓ガラスが割れ、機器がめちゃくちゃになっている様子がカラー写真で第一社会面に載った。つい最近では、「お祭りだけど・・・涙」という見出しで、パーントゥに泥を塗られ泣き叫ぶ やらびたち(子供たち)の写真が紹介された。

これら宮古の情報を朝日新聞に送っているのが、東京出身宮古在10年になる写真家の金子進さんだ。

金子さんが宮古に移り住むことになった経緯が面白い。

1995年、朝日新聞で「いつか見た青い鳥」と題して、118年前に宮古島でたった一羽だけ捕獲された幻の鳥「ミヤコショウビン」の特集がされた。その時、金子さんは、取材班のひとりとして宮古入りをした。15日間のバードウオッチングの結果、ミヤコショウビンは見つからなかったが、宮古島とミヤコショウビンに魅せられた金子さんは、奥さんと一緒に移り住むことにしたのだった。

金子さんは昭和24年東京生まれ。子供のころから鳥が大好きだった。「高さがあるでしょ。スケールの大きさが違いますよね」。1984年から写真家として「アサヒグラフ」の仕事をする。「ここでの仕事は厳しかったですよー。でもおかげで鍛えられましたね。」

ミヤコショウビンが縁で、宮古に移り住んだ金子さんは、鳥の宝庫である、宮古島にますます魅せられていく。「日本には、550種類の鳥がいますが、宮古で300種類確認されているんですよ。渡り鳥にとって中継地点となる宮古は、どんな鳥が飛来してもおかしくない島ですね。まさに宮古は渡り鳥のエイドステーションです。ミヤコショウビンが見つかる可能性はあるでしょう。宮古は本当にすごい島ですよ」

と、宮古の良さを述べる一方で、宮古の自然が年々失われていくのを しわ(心配)している。「宮古諸島は、八重干瀬も含めて宝の島です。住んでいる人たちがそれにもっと気づいて、これからのことを考えていかなくては、だめでしょう」とも。

金子さんは時間さえあれば、野鳥の観察にでかける。なるべく鳥に負担をかけないように、巣を撮る場合も親鳥が30分以上戻ってこない場合は引き上げるようにしているそうだ。これは、人間に気づいた親鳥が巣を見捨てることがあるからだ。そして、もちろんどこかにミヤコショウビンがいないか、探し続けている。

もうひとつ、危惧しているのは、最近、宮古の鳥をカメラに収めようと島外からやってくるアマチュアカメラマンが増え、短いスケジュールの中で、良い写真を撮ろうと粘ることが多いこと。親鳥が巣を放棄してしまうので、長時間の撮影はやめてほしいと話していた。

来年には、写真展を開きたいと構想中。これまで撮った写真の中から100点ほどを展示できたらと考えている。きっと金子さんの鳥たちを見つめる優しいまなざしの写真が飾られることでしょう。

金子さんの幻の鳥を求める日々は、これからも続く。いつか「ミヤコショウビン」がカメラに収められる日まで・・・。

※「ミヤコショウビン」:カワセミ科の鳥でアカショウビンに似ている。 明治20年、宮古、八重山諸島を調査していた博物学者の田代安定氏が宮古で捕獲したと言われている。その標本は、世界に一体しかなく、山階鳥類研究所に保管されている。

偶然

神童(平良市出身)

(その1)

学生時代、トラックの運転手をしていた。
横浜市磯子にある運送会社。引っ越しが主な会社だ。アー○引越センターより先の創業で、完全パックの先駆者。引っ越しは、ドライバー(4トンロングボディーの運転手)パッカー(荷物を梱包していく職人(2から3名))ポーター(荷物運び人(運転免許のない若造3〜4名))のチームで行う。ポーターの多くは夜間、バイクで神奈川県の鎌倉へ至る朝比奈峠を無茶苦茶なスピードでかっとんで行く にしぇーぬきゃー(青年たち)だ。いわゆる暴走族!

この会社は、長距離のシステムがあって大抵はワンマンでいく。たまにナビゲータが付いたりする。大阪までの引っ越し荷物をポーターの前田君と運んだ。前田君は根っからのオートバイ好き。しかし、トラックの運転ができない。大阪で荷物を下ろして、会社へ連絡をいれる。どうか何事もありませんように。

上司が冷たく答える。吹田で荷物を取って群馬まで走ってくれ。おいおい、横浜を過ぎるじゃねーか。やめてくれよ!城山さんなんか、名古屋に走らされて、一週間も帰ってこないぞ。函館を走ってるとか言ってたぞ。仕方ない。仕事なのだ。

前田と一緒に荷物を引き取る。前田君は身長185cm体重100kgの19才の青年だ。高速に飛び乗って群馬県高崎市を目指す。目的地に着いたのは明け方の5時半。ナビゲータの前田は道路地図を広げたまま爆睡。目的地を10kmくらいオーバーしてる。どうすんだ、前田!仕方なく田んぼの中に前田を捨てる。どぅーしぃ とぅみどぅ ます(自分で探したほうがましだ)。しかし、鬼ではないので前田を取りに戻る。以来、前田は当方とのコンビをことごとく断る成年に成長した。

ドライバー仲間にナカノという先輩がいた。長野県出身だ。○○君、出身はどこ?沖縄です。沖縄のドコ?宮古島です。宮古島の島尻って知ってる?ナーカノさん、なぜあなたが知ってるの。

なんでも、ナーカノさんのアパートの近くに宮古の知り合いが住んでて話を聞くと音信不通になっている当方の同級生らしい。大船のアパートの住所を頼りに訪ねてみた。島尻の同級生が集まって酒を飲んでいた。

(その2)

仕事で福岡に出かけた。平成5年頃。池間島の老人約15名を連れて何故か添乗員。目的地は福岡県にある国営「海の中道」

福岡空港から博多港へ移動し、旅客船で海の中道公園へ向かう。福岡空港でタクシーを拾い高速経由で博多港へ移動する。運転手がしゃべり出す。「お客さん どちらから 来られたとですか?」「沖縄です」「私も沖縄に行ったことありますよ。本島北部の何だったかな」「海洋博が開催された場所ですか」「そうそう」「でもね、運転手さん。私たちはそんなメジャーなところからじゃないのです。沖縄のもっと南の宮古島と言うところから来ました。老人の方達は宮古島の北の池間島の人たちです。どうです。解らないでしょう?」運転手が答えた。「私の妻の出身地です。池間の浜○という名前です」大騒ぎになった。博多港では池間婿の運転手を見るため老人達がタクシーを取り囲んでいた。

(その3)

平成15年、先輩と那覇に出向いた。設計の打ち合わせで宜野湾の設計事務所に向かう。土木及び建築の設計打ち合わせだ。土木の担当は○田美和という20代の女の子。ドリカムの吉田美和と一字違い。地元の国立大学を出た彼女は聡明で説明もよどみない。

打ち合わせ終了後、慰労会と称して先輩と彼女を含めた3名で居酒屋へ。午後7時から飲み始め、最早日付が変わろうとする時刻。宮古島へは、何回か行ってますか?なにげに尋ねる。彼女が答える。彼が宮古で勤務しているので、しょっちゅう行ってます。ふむふむ。

宮古の海はどの辺りが好きですか?島尻です。あれ?なんで島尻?栽培漁業センターの狩俣寄りの海がいいですね。彼女は続ける。あまたある宮古の海で吉野海岸でも新城海岸でも前浜でもなく、島尻が好きだと言い張る彼女。先月も泳いできましたよ。真っ黒に焼けた彼女。

おかしい!何故か、島尻の事情に詳しい。今、彼氏は宮古島から仕事で那覇に来ているらしい。彼女に提案した。彼氏も混ぜて一緒に呑みましょう。30分後、実家のあがんにゃーの長男が現れた。去年めでたく結婚。結婚後も○田美和。○の部分が変わっただけ。

偶然とはおそろしい! 

第4回クイチャーフェスティバルを振り返って

クイチャーマン(下地町出身)

今年10月1日に宮古の5市町村が合併し新生宮古島市が発足し、11月6日(日曜日)には、平良のカママ嶺公園で第4回クイチャーフェスティバルが「宮古島市誕生〜宮古ぴてぃーつ(宮古はひとつ)〜」をテーマに開催され、大きく成功した。初回からフェスティバル実行委員長を務めている下地暁(さとる)さんをはじめ、実行委員、多くのボランティア、参加団体、関係各位に敬意を表する。

円陣をつくって、互いに声を掛け合いながら手を打ち鳴らし、飛び跳ねたりしてクイチャーを踊ると自然に心が一つになる。元気が出て、連帯感がうまれる。不思議な魅力をもつ楽しい踊りである。合併には加わらなかったものの、多良間村から多良間のクイチャーがフェスティバルに参加したことは、今回のテーマに照らして、大きな意義があった。かくして、伝統クイチャーの部に宮古の旧6市町村すべての地域から11団体、創作クイチャーに9団体、合計1,200人、これまでで最高の出演者と3,000人の観客で盛り上がった。

3年あまり前に下地暁さんが「温故知新」「大切なものは身近にある」と、このフェスティバルの開催を呼びかけ、その実現のために東奔西走していたときに、私は彼と出会い意気投合した。音楽活動の拠点を東京からふるさとの宮古に移した暁さんはクイチャーの魅力にとりつかれ、その継承、発展のために一大決心をしたのである。

暁さんの視点の優れた面は、伝統クイチャーと創作クイチャーの「融合」を当初から目指し、自ら創作クイチャーのための音楽CDを制作して提供しながら取り組みを進めたことである。彼の音楽は、保育園児から児童生徒の若い世代の心と体に吸い込まれるように入り、指導者の創作意欲もかき立て、躍動感あふれる踊りを生み出し、今日に引き継がれている。

一方、伝統クイチャーは、2002年度から始まった文化庁の記録保存のための調査も大詰めを迎えているようだ。このフェスティバルにも調査員が毎回参加しており、その結果にも期待したい。伝統クイチャーの中に、まだ一部ではあるが年配者と一緒に児童生徒も参加している団体があったのを心強く感じた。関係者が若者に継承させるための意識的な努力を重ねていることは教訓的である。創作クイチャーは毎回審査して表彰しているが、隊形、衣装、振り付けなどに創意工夫と懸命に練習したあとが見られた。初回から関わってきた者の一人として喜んでいる。

11月13日の選挙で初の宮古島市長と市議会議員が決まった。これから本格的な行政と議会活動が始まる。私は、合併記念事業として「クイチャー記念館」を建設し、要員を配置してクイチャーの保存、継承、普及、研究等の拠点施設とすることと「クイチャーの日」の創設を以前から提案してきた。

「みゃーくてぃーあーっかー、くいちゃーだら」(宮古といえばクイチャーだよね)を合い言葉に、みんなで機運を盛り立てて実現させたいものである。

第4回クイチャーフェスティバルに感動 (投稿)

カニさんより(平良出身)

カニはこの大会と宮古方言大会の2つは、何が何でもみることにしています。最も宮古民族の原点に触れることができ、感動を味わうことができるからです。

新しい宮古島市になってから 「みゃ−くぉ− ぴてぃ−つ」というテ−マを掲げた今回の大会は、盛りだくさんの伝統クイチャ−と創作クイチャ−の参加があり、各地域での「老いも若きも一緒になり 伝えていこう 守っていこう」という熱心な取り組みがひしひしと伝わってきて、嬉しい限りでした。

伝統クイチャ−は
「漲水のクイチャ−」「友利のクイチャ−」「荷川取のクイチャ−」「福里のクイチャ−」「佐良浜ミャ−クヅツクイチャ−」「西原のクイチャ−」「池間のクイチャ−」「実世のクイチャ−」「新城のクイチャ−」「うるかのクイチャ−」「多良間のクイチャ−」でした。

今回はカニは「佐良浜ミャ−クヅツクイチャ−」「池間のクイチャ−」「多良間のクイチャ−」に焦点をあて、耳を傍立ててクイチャ−ア−グに聞き入っていました。大概のクイチャ−の意味は聞き取れました。同じ意味合いの言葉でも、地域によりメロディ、節回し、が異なりこの多様性に宮古クイチャ−の豊かさ、深さを感じました。

特に多良間のクイチャ−は初めてでしたので感激もひとしおでした。一生にそう何度も出会うことが出来るとは思えないので、カニは今回のクイチャ−との「出会い」には実行委員会の皆さん、そうして「出会いの神様」に感謝しました。

伝統クイチャ−の中で、特に池間島のクイチャ−(カニは2回目)は、やはり滑稽で、ユ−モア溢れたクイチャ−踊りに観客全員大笑いでした。「すがりが−りた むまたちの(おめかしして自慢げなおばぁさんたちの)可愛らしく(処女んぎなりに)腕を振り振り小走りに前に後ろに走る姿は、笑顔に溢れ、もう最高でした」

伝統クイチャ−以外に伝統芸能のひとつ「比嘉の獅子舞」も出場しました。この踊りもカニは始めてでしたので、始まる前からドキドキしていました。 「比嘉の獅子舞」そのものよりもカニはどのようなア−グが歌われているのかの方に興味がいきましたので、このア−グも耳を傍立てて聞いていました。比嘉の青年達の勇壮な元気溢れる踊りには 比嘉の伝統がお年寄りから若者達にきちんと伝承されていることを感じました。本当に素晴らしい「獅子舞」でした。

創作クイチャ−は
「みつばアンジェラス−踊ろう」「ママ−キッズ−クイチャ−マン」「てぃだっ子隊−アイラブミヤコ」「平良ネ−ネ−ズ−アイラブミヤコ」「かぎ花−ばっしらいん宮古島」「ぶどぅれサンガ−クイチャ−パレ−ド」「宮古高校−豊年のあやぐ」「新羅−ウプユ〜」「フィトネス・ヨナミネ−ワイド−PEKORI NIGHT」など、本当に盛りだくさんの創作クイチャ−が演出されておりました。

クイチャ−のリズムは、いろんな形でアレンジされいろいろな人たちに踊り歌い、そして広がっていくのだなーといつものように感銘して見ていました。

編集後記

松谷初美(下地町出身)

vol.112 のうしがやたーがらー? 

みしんさん、くま・かま初登場です。みしんさんの話を読みながら、そうそうそう、あるあるあると思わず口にした人も だういるはずねー。私も幼い頃飛行機に手を振りましたよ。本当におみやげを買ってきてくれると思っていた。飛行機がよ(笑)
さて、みしんさんは、今回から、新しくライターになってくださることになりました。掲示板のほうには、時々顔をだしてくださっていたので、ご存知の方も多いと思います。池間島の話や、現在お住まいのアメリカ カンザス州でのことなど、書いていただく予定です。どうぞよろしくお願いしますねぇー。
みしんさんプロフィール
1967年池間島生まれ。現住所はアメリカ カンザス州

いまや、宮古に移り住む島外の人は、たくさんいますが、幻の鳥、ミヤコショウビンを求めて移り住んだというのは、金子進さんだけではないでしょうか。初対面にも関わらず、気さくにいろいろな話をしてくださいました。宮古の良さを教えてもらい、とっても ぷからすーぷからすの気持ちになりました。いつか朗報が伝えられることを期待しています。たんでぃがーたんでぃでしたー。

神童の「偶然」は、一瞬、まーんてぃな?と思ってしまいますが、神童の行くところ、何が起こるかわからないから、ありえますねー。どこかに出かけるのも楽しいはずね。さ、今度は、のうしぬ いでぁいぬが あーがまたがらー(どんな出会いがあるでしょうか)、乞うご期待!

私も、クイチャーフェスティバル見てきましたよ〜。なつんぎぬ(夏のような)陽射しが照るなかで、クイチャーフェスティバルは行われていました。クイチャーマンさんとカニさんが、書いてくださっているように、素晴らしいフェスティバルでした。

初めて見ましたが、クイチャーと一言で言っても、地域によってこんなにも違うものなんだとびっくりしました。そして、みなさん、自分たちのクイチャーに誇りと自信を持っていることが伝わってきました。くいゆちゃーしー ぶどぅず(声を合わせ、踊る)みなさんの かぎさ(きれいなこと)。創作クイチャーも小さい子供たちのかわいいものから、エネルギーあふれる大人たちのものまで工夫されているなーと思いました。

実行委員長の下地暁さんはじめ、事務局長の粟国和申さん、スタッフのみなさん、そして、素晴らしいクイチャーを見せてくれた皆さん、たんでぃがーたんでぃでした。今後もずっと繋がっていくことを期待しています。それにしても翌日、本当に雨が降ったのにはびっくりでした。クイチャーの効果は、すごいですね。

クイチャーマンさんとカニさんのお話から、「クイチャーフェスティバル」のことがよく伝わったのではないかと思います。カニさんのは、掲示板に投稿されたのをこちらでも紹介させていただきました。たんでぃがーたんでぃ〜。

さ、今号のご意見、ご感想もお待ちしていますよー。
どんないお寄せくださいね。よろしくお願いします。

次号は、12月1日(木)発行予定です。あつかー、またいらー。
感冒んな 気をつけてー。

追記:このメールマガジンは、今朝も発行しましたが、届かないという読者の方が多かったため、改めて発送いたしました。届かなかった方、また二回届くことになった方、ご迷惑をおかけしました。深くお詫び申し上げます。原因はまだ調査中です。
また、今朝発送分の もくじで「フリーカメラマン 金子進さん」とあったのは、「写真家 金子進さん」に訂正させていただきました。重ねてお詫びいたします。

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