くまから・かまから vol. 117

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 こんにちは〜。 がんずぅやしーうらまずなー(お元気ですかー)。
 2月になりましたねー。
 宮古では、んなま ぶーき゜なぎの最盛期ですね。 きゅうや この時季に見られた昔のこんな風景から。

きびトラック

ワタリマリ(上野村出身)

 旧正月が過ぎて、ぶーぎ゜なき゜(キビ倒し)が慌しく始まる頃、巷では がき゜ふぁす゜だまー(悪がき)どもがおやつを求めて陣とっていた。リーダー格の2つ年上の子は手下どもにあれこれと指示を出している様子。

「うわあ、ぴゃーぬやーば、とらっく、う、ういよお。かまぬ、ぴいっちゃ、んにんかいなりゅう、とぅくらぬどぅ、とらっくお、ぬかあぬかなす゜ば、うぬとぅきんかかりよ。(お前は足が速いからトラックを追うんだ。あそこの少しだけ上り坂になっているところあたりで、トラックはゆっくりになるので、そのときにかかるんだ。)」

「うぱあさとぅらばん、じょうぶん?(たくさんとってもいいかな)」

「あんちいなや、うぱあさあ、とぅす゜なよ。まーきいぬ、ぶーき゜ぬゆるぎっかあ、だいずあーば(あんまりたくさんとったらだめ!結わいたサトウキビが緩んだらたいへんじゃん)」

 2人の指名された走者は俄然張り切っている。のこった年少組たちのしごとは・・・

「うわたあやさあ、うちきいたあ むぬうう、さあちい、ぴすいよお。ぴすいっち、門ぬ なかんかい、なぎるよお。(おまえたちは、あいつらが落としたものをひろうんだぞ!拾ったら門の中に投げろよ。)」

 いったい何の作戦やら・・子供たちは真剣そのもの。後はうまく行動に移すのみ。と、それぞれの位置についてまもなく、サトウキビを空高く積んだトラックがやってきた。

「きゅうぬ、運転手や、うとぅるすきぴとぅ、みつかい゜なよう」
(きょうの運転手はちとこわそうだぞ!みつからないようにな)

 慎重に慎重に。どきどき、いや、わくわくの方が強くなってきた。トラックが通り過ぎるまで、石ころで遊ぶふりをしていた子供たちは、リーダーの合図で首尾よく配置転換した。

 おおーなんという、すばしっこい子供たちだろう。どうやらトラックに積んだサトウキビをゲットしようとしているらしい。

「根いぬ、とぅくらう、んざ゜みい、わいちい、ぴき゜(根のところをつかみエイッと引け)」

「かやあ、かまぬ、すうらぬうとぅくらぬ、ながあなが、いじゅうさ(ほら、むこうの先端のところが長く出ているでしょ)」

 スピードを落としたトラックに必死にしがみつく実行犯。無数に散らばったものを陣地の中に入れる共犯者。

「はーい!、かふぃる、ちびから、んにゃ、一台、きす゜っさ(おーい、隠れろ!もう一台来たぞ)」

 おっと大変。続いてもうもう一台きたようだ。忍者のように畑の中に身を隠し、次の一台ももちろん狙うのだ。もういいだろう、とリーダーが判断すると、後は獲物の山分け。自分たちの力でゲットしたんだもの、それはそれはおいしいだろう。どの子も満足気にさとうきびをしゃぶっている。おやつはさとうきびでした、の印に頬には墨で書いたような太い線が引かれている。

 スリル満点だったなあ。たくましかったようなあ。いききとしていたよなあの頃は。最高の子供の世界だったよな。

よなくに島2

神童(平良市出身)</p

 昭和60年ころ、仕事で与那国島にいた。
 
 ふみ(1)
 
 与那国島の久部良小学校屋内運動場(体育館だ!)建築現場での職人仲間に「ふみ」という愛すべき先輩がいた。与那国島に来る以前に、那覇の建築現場で左官見習いをしていた頃のふみのはなし。
 
 約25年前の桜坂社交街で友人数人としこたま飲んで宿舎へ帰ると後輩が宿舎の前に2人、ふみあざ(兄)の帰りを待っていた。聞くと4、5人のグループに因縁を付けられ袋叩きにあったとのこと。人一倍、正義感と血の気の溢れるふみあざ。放っておくはずがない。
 
 仲間を引き連れ急ぎ現場付近を捜索。因縁グループのサーチに成功。まずは大将と思しき青年めがけてふみが飛びかかり右正拳を顔面にたたき込む。衝撃でふみの右拳は裂傷を負い血しぶきあげる始末。その夜は、勝利の美酒をたらふく飲んで泥のような眠りについたのであった。
 
 翌日、二日酔いの鈍い頭痛と右手の激痛で飛び起きたふみ。みると右手の拳が血だらけ!水道水でこびりついた血を洗い流すと、あろうことか、裂傷の間から白い物が。ぎゃーーっ。骨がはみ出てる。手近のタオルで右手をぐるぐる巻きにして現場へ出勤する。右手がほぼ使えないため左手のみで行う作業のまどろっこしいこと。
「まーだ ぬびゃがらん しゃくぅ!(ほんとに、はかどらない!)」
 
 帰宅しておそるおそるタオルをほどいてみると、傷の間の骨は乾いた音をたてて畳に落ちたのだった。「ばが ぷにぬ ぷにぬ(俺の骨が!骨が!)」といいながら急いで取り上げ、裂傷の間に骨を押し込む哀れな青年。脂汗を垂らしながらこの世の痛みと思えない激痛と格闘すること数分。ばいんぎ ばいんぎ んくみ んくみ!(押し込み押し込み 呻く呻く!)
 骨は所定の位置に納められた。
 
 最早、一刻の猶予もならない。友人から保険手帳を借りて救急病院へ駆けつける。とりあえずレントゲンだ。消毒だ。説教だ。と怒濤のスケジュールをこなし医師の前で説明を受けるふみ。激痛に耐えかねるふみの前で人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべて、医師が切り出した。医師はレントゲン写真をふみの目前にひらひらさせながら、
 
 「なんで あんたの右手には、歯がはえてるの?」
 
 そうです。最初の一撃で顔面パンチを見舞った相手の前歯が右手に刺さっていたのでした。あてぃどぅ、ぷりかー! (全くの阿呆だ!) 
 
 ふみ(2)
 
 前回(vol.85)の話のコウモリ打ちの名人は成川出身の上里という先輩だった。ふみは、電気潜りの名人でもあった。とにかく夜中に電灯をもって出歩き朝方、近所の家屋から飯場に戻ったりしていた。
 
 ふみと与那国のウラブ岳に登った。標高約230m与那国で一番高い場所だ。てっぺんまで登ると頂上には旧電電公社の電波塔が建っていた。電波塔の高さ約60m!ふみが登ると言い出した。しかし、足下は忍び返し付きの鉄製フェンス。よく見ると1本の足がフェンスからはみ出ている。そこは約5mほどの岩である。
 
 まず5mの岩をよじ登る。そして突き出た1本の足に取り付きボルトを手がかりに地上10mまで登る。そして幅25cmくらいの鉄骨を水平移動するとテラスとなる。そこからは梯子とも階段ともつかない段々が天に向かってのびている。とにかく急だ。ここまできたら引き返せない。とにかく登る。
 
 頂上はこれまたテラスになっているものの手すりが横1本だけ。間は何もない。まちがっても横一本の手すりで逆上がりをしようなどと思っちゃいけん。足の裏が、びごーびごー!(足の裏が、むず痒い!)

 景色を眺める以外することがないのでとりあえず寝転がる。しかし、雲がやたら近く、雲が流れてるのに鉄塔が傾いているような気になる。うっかり寝返りをうとうものなら、60m下へ激突。118%くらいの確率で命の危険が危ない。帰りはもっと怖かった。
 
 二度と登りたくない!というか、もうしません。ごめんなさい。
 ゆるし ふぃーさまちNTT様。

ミャークフツ講座 標準語のようで方言のようで編

松谷初美(下地町出身)

 宮古の人にとって、言葉は、始めにみゃーくふつありきだったから、(んなまの若い人は、違うと思うけど)、標準語を使いましょうという事になったとき、方言から標準語へと変換したものが多かったようだ。しかも、自分たちでは気がつかず、そのまま使っていることがやまかさある。そんなあれこれ。

・「へなる」→ものが減ること。みゃーくふつで減ることを「ぴなず」ということから「減なる」になった模様。<用法>「このお菓子、へなってないか?」

・「行ってない」→まるっきり日本語のように読めるが、行ってはいないという否定の意味ではない。行ってしまった。という過去完了。
 <用法>「あれは、アメリカに行ってないよ」(あの人は、アメリカに行ってしまったよ)

・「○○となー?」→日本語でも「○○とな?」と、聞いた話に念を押す意味があるが、今では時代劇にしか出てこない?宮古では、普通に「○○だって?」というカジュアルな感じで使われている。もっと略して「と?」とも言う。
 <用法>「帰っておいで となー?」 「結婚している と?」

・「すてておけ」→捨てておけという意味ではなく、放っておけという意。方言で「すてぃうき」
 <用法>「いくら言っても聞かないからすてておけ!」

・「死のうとしている」→自らの意思で死のうとしているという意味ではなく、死にかかっているという意味。方言では「すなってぃどぅ うー」
 <用法>「猫が死のうとしている」などと使う。

カレーライス

宮国勉(城辺町出身)

 昔の情景は荷馬車がサトウキビ畑を背景に馬の蹄を、かっぽん、かっぽん、後からは車輪がガラガラ、ギーコギーコと音を立てながら、白い なうさんつ(石が朽ちたような石粉を敷いた道)をゆっくりと進んでいく。私はそんな悠久の時代に生まれ育ったのだ。

 荷馬車の車輪が木製の骨組みに鉄の輪を嵌めた車輪だった頃のはなし。馬車の要である車軸部と車輪との取り合わせ部分がやけに太く、グリスで真っ黒く目立っていた。トラブルなども殆どがそこら当たりであり、ブレーキさえ無い馬車だった。少しの下り坂でも馬が走り出し、車軸のピンが取れたりして脱輪転倒する。まいにゃー(前の家)の馬車が自宅前で転倒し、乗っていたそこの家のお姉ちゃんは振り落とされた。翌日あたり綺麗な額にガーゼが貼ってあったが、大した事は無かったようだ。

 与並武(ゆなんだき)周辺の畑は岩盤を表土が被り、至る処に根石がある いすぱり(石だらけの畑)であった。根石は農耕の邪魔になるので砕いて畑の境や原っぱなどに投げ捨ててあるのだ。それを玄翁で更に小さく砕き、竹バーキ(竹の籠)に入れて、砕石を買ってくれる人を待つのである。当時はバラスと言って砕石を買ってくれる人がおり、馬車で引き取りに来た。

 隣近所の子供は女の子も男の子も集まって玄翁を振り、手豆を作りながら頑張っていたのを想い出す。だが辛いはずの作業は一つのレジャーだったような気がする。学校での出来事やいろいろな話をしながら暗くなるまで飽きずに玄翁を振っていた。それは子供時代の初めてのアルバイトでもあった。その砂利の代金は ばりまず(屑米)を買う足しにされた。運動会の時、流される曲も ばりまずゆ ふぁい ばりまずゆ ふぁい(屑米を食べろ)と繰り返しているように聞こえた。

 そんなある日のこと、私のむずあんが(子守を任せられた姉さん)である九つ上の従姉が腕によりを込めてカレーライスを作り昼時に沢山持ってきてくれた。しかも、しーすわー(脂身の無い豚肉)が贅沢に入り、米もビルマ産の米などではない高級米のカレーライスである。

 当時、しーす(赤身)は滅多に食べられなかった上級な部位であった。ところが、口に運びながらカレーの嫌な匂いが鼻につき、口に入れると、んば んにゃ ふぁーだーん(もう結構もう食べたくない)、んにゃ ふぁーいん(いやもう食べられない)。とうとうカレーを退かして肉とご飯だけで、んまーんま(美味しい)と云いつつたいらげた。その味は今でも異質な味覚の一つとして脳裏に刻まれている。

 だが、歳月が過ぎてあの二度と食べたくないと思ったあのカレーライスがやけに恋しくなるのである。あの嫌な味、鼻につく嫌な匂い、それらが記憶の隅に残り懐かしさなのか無性に口にしたくなるのだ。あのときはカレーの色が付いてない飯だけを集めて口に入れたのに不思議である。

 今では何時あの時のカレーライスに巡り会うことが出来るのか探し続けている。かっちむぬ やーば! まーだぐとぅ(くいしんぼう なんだから! 全く以て)。

 ※西中部落は、与並武(ゆなんだき)、東底原(あがずすくばり)、中底原(なかすくばり)、西底原(いずすくばり)の4つの集落から成る。

 ※むずあんがとは:親戚や隣近所の女の子に子守を任せ母親は働きに出る仕組みで、むずあんがと子どもは、後々まで深い関係で繋っている。

おしらせコーナー

松谷初美(下地町出身)

 ◆下地勇さんの本「下地勇/心のうた」発売!

 いまや、勇さんの歌は、日本全国をかけめぐっていますね。多くの人から支持される唯一無二のアーティスト下地勇の魅力満載の本が2月上旬にボーダーインクより発売になります。
 
 ロングインタビューによる宮古島での少年時代の話や、アーティストとしてのこれまでの軌跡、勇さんの珠玉のエッセイが満載。垂見健吾さん撮影の秘蔵の写真もだう(いっぱい)!
 これは、ゆまだからーならんならん!(読まないといけないんじゃない!)

 宮古では2月12日(日)に先行発売予定。なんと、ブックボックス宮古店にて、サイン会が行われるそうです。

 沖縄県内の書店は、13日頃には配本されている予定だそうです。

 詳細は、ホームページをご覧くださいねー。

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編集後記

松谷初美(下地町出身)

 雨降りが続いていた東京ですが、きょうは、ぞうわーつき゜になりそうです。宮古も んなまずぶん(今ごろ)は、雨が多いですが、きゅうやのーしーがらー?

 オリックスが31日に、宮古入りをしたんですね、こっちの新聞、テレビでも、宮古の様子が伝えられ、思わず見入ってしまいます。歓迎ムードいっぱいですね。

 さて、vol.117は、のーしがやたーがらー?

 ワタリマリが書いた風景は、今から30数年前のぱなす。うん、うん、まーんてぃ エキサイティングな毎日が多かった〜。子どもでも真剣さが半端じゃなかった気がする。読者の方の中にも同じ経験をした人が多いはずねー。

 子どもの頃の冒険心をそのまま持っているのが、神童の「よなくに島」に出てくるうむっし人たち。笑いすぎて、ばたやみーうらんな(お腹が痛くありませんか)?「よなくに島3」は、次号で!

 「ミャークフツ講座」では、これまでも何度か、方言か標準語かというのをやりましたが、今回は、『宮古古諺音義』新里博著に掲載されていた国民学校で「言語訓練」されたといういくつかの言葉を読んで、自分なり
のを書いてみました。宮古標準語最高だなーと思います。

 宮国勉さんの「カレーライス」、食べられなかったあの頃の味を食べてみたいというのは、分かる気がしますね。子どもたちがみんな集まって、こづかいかせぎに石を割っている姿は、1950年代は、あちこちで見られた光景のようです。賑やかな楽しそうな声まで聞こえてきそう。

 前号のvol.116では、トップと最後に広告が載り、見えにくくて申し訳ありませんでした。

 vol.117のご意見、ご感想、ぜひお寄せくださいね。まちうんどー。
 「ばんたがやーぬつかふ」「初めて物語」などの投稿も募集中〜。

 あつぁー 節分やー やかまさぬ 福が 来てほしいですね。

 次号は、2月16日(木)発行予定です。あつかーまたいら〜。