くまから・かまから vol. 159

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 こんにちは〜。
 日がだんだんとまるふなり(短くなって)秋ですねー。読書の秋にも心のエクササイズにもぴったりのくまかまです。
 じっくり、たっぷりと味わってくださいね〜。

いんぶりシリーズ

神童(平良市出身)

(いんぶり)
 
 海が好きだ!宮古に住んでいて海になじまない奴は、飛ぶための羽を持っていながら海の中だけで使用するペンギンの人生を理解できない動物愛護精神のない人間と思う。
 
 マリンレジャー数々あれど、つりの一語に尽きる!ま、俺の場合はな。つりも船釣りじゃなく陸釣りに限る。限りたい。限りたいの、俺は!
 
 宮古では海を愛してやまない人たちを「いんぶり」と呼称する。失礼な話だ。いんぶりとは海に気が触れている人という意味である。いんぶりの行動は常人に理解しがたい部分が多々ある。これから記す宮古いんぶりの行動記録は飽くまでも伝聞によるもので事実関係が確認されたものでない。また、登場人物については全て仮名を用いている。
 
 
(中指)
 
 宮古近海の釣りポイントでもっとも人気の高い場所は防波堤である。防波堤でも渡船による防波堤が魚影が濃い。
 
 いんぶり5〜6人が防波堤に渡りイラブチャー(ブダイ)を狙う算段だ。下船した一行は早速つりの準備にとりかかる。釣り竿にリールを装着し釣り糸に針を結んでいざ勝負!
 
 しかし、どの世界にもドジな奴はいるもので結んだ釣り針を中指深く刺しこんでしまった。釣り針は返しが着いているため突き刺さると容易に抜けない構造となっている。
 
 一行は右手中指に釣り針をつけたまま、苦痛に耐える敏行の周囲に集まる。こうなると携帯電話の普及していなかった当時のこと、岸に向かって大声を張り上げ渡船の船長に連絡を取る以外に方法がない。船で病院向け、搬送するのである。搬送する場合は、メンバーの誰かが敏行に付き添って病院に向かうこととなる。
 
 メンバーは折角の釣行なのに「つかーいん んまり ぷり敏行がま!やーんかい ぴらし(使えない奴だなー、ドジ敏行よ!うちへ帰せ)」うむい うりゃーまい ふぅつんにゃ いださいん(思ってても口にだせない)いんぶりんみ!(いんぶりたち!)
 
 思案に暮れるメンバー。結論は早い。メンバーは敏行を取り囲むと弁当箱のゴムを外し、敏行の中指に巻き付けていく。瞬く間に、敏行の中指は紫色に鬱血し始める。痛みを感じるかどうかを容疑者敏行に確認した後、手際よく敏行を取り押さえ、ラジオペンチで釣り針を無理矢理引き抜く。その後は、平静さを取り戻し普段通りの釣りが行われる。うむやす!うむやす!(安堵!安堵!)
 
 
(親指)
 
 イベントの関係者である。開催のお知らせを手作りチラシで各戸に呼びかけることになった。各自、所用部数のチラシを割り当てられ、3人1組でチラシ配布に出発する。仲間、儀保、上地の三人は腰原方面が割り当て区域。しかし、イベントにあまり協力的でない。
 
 チラシは付近の一軒の郵便受けにまとめて配布され、チラシ配りは瞬時に終了した。事務所に速攻で戻ると、別の区域のチラシ配布を指示されるに違いない。三人は共謀して真謝漁港へドライブすることにした。西原地区の漁業従事者が利用する真謝漁港は腰原から距離があり、作業をさぼっていることが発覚しにくい。
 
 真謝漁港に到着すると、いんぶりがガーラ狙いで釣り竿を出している。ガーラは英語名でジャイアント・トリバリャーという名前をもっている、とぼけた魚だ。すごいおおきな無口な人と言う意味だ。違うね!ジャイアント・トレバリーだ。和名は浪人鰺。方言名はプン-ガーラ!
 
 釣り方は2種類。餌で釣る方法と擬餌針(ルアー)の2種類。真謝のいんぶりは、欲をかいて2種類のタックルを装備している。まず、餌づりはロッド(竿)は並継ぎの100号、リールはペンの太鼓リール十二まるレバーブレーキ付き、ライン100号、ハリスはケプラーというとんでもなさだ。ひょっこりひょうたん島が釣れそうだな?
 
 ちなみにケプラーは防弾チョッキに使用する素材でとても高価な糸だ!餌は鰹の一匹掛け。つづいて、此方のタックルはルアー仕掛け!でも、ルアーを投げてない。自家用車のそばに腰掛けて仕掛けを造っている様子。ルアーとラインを連結するリーダーでもこしらえているんだろう。近寄って、話をしよう。
 
 いんぶりはギャラリーが近寄ったのも気付かず、無心に仕掛けを作成している。しかし、様子がおかしい。呻いている。そっと覗いてみる。
 
 あざ、のーしぃりゃー?(お兄さん、どぎゃんしたと?)と問いかける3人の目に飛び込んできたのは、右手に握りしめたカッターナイフで己の左手親指の爪の付け根を削る、あかつだいだいの(血だらけの)いんぶりの手元であった。
 
 左手親指にはルアーがぶら下がっている。深く刺さったルアーの針は、その先端が親指の爪の中央から突き出すような刺さり方!引き抜こうにも針の曲線が災いして真下に引けない。仕方なく真下方向に抜けるよう刺さった傷口をカッターナイフで切開して通路を確保しようという作業だ。馬鹿だ!ふぅすぅぐどぅん!さすが いんぶりだ!
 
 そりゃー生身の人間を削ったら痛いわ!血もでるよ。んみきるさー あしぃ(呻くよ、そりゃー!)。
 
 「どうしたの」と言えずに固まっている3人にいんぶりがお願いする。「すまんすぅが 宮古びょーいんかい さーりいきぃ ふぃーじゃんな?」(すみませんが宮古病院へ釣れて、違う。連れて行ってもらえませんか?)
 
 3人は、いんぶりの釣り道具一式を片づけ、ルアーをぶら下げたままいんぶりを宮古病院に搬送する。いんぶりの担当運転手は儀保。いんぶりが運転できないため代行だ。儀保は一刻も早く患者を搬送したいことから結構なスピードで走行する。しかし、道路の段差を通過するたびにいんぶりが呻く。振動で手にぶら下げたルアーが揺れ親指に激痛が走るらしい。仕方なく患者の要望でのろのろ運転に切り替える儀保。
 
 宮古病院に到着するも、本人に代わって家に連絡をとり、いんぶり妻に保険手帳を持参するよう電話する。待合室で妻と目があったいんぶり。妻の冷たい視線に耐えきれずつぶやく。
 
「自分を釣っちゃった!」うぬ なまぶりむぬ!(この大馬鹿者!)
 
 
(脚)
 
 釣り大好き。しげるくん。フィールドは平良港北防波堤港口白灯台。防波堤は外波から港内を守るため、外側に消波ブロックのテトラポッドが敷設されている。テトラは魚にとって絶好な隠れ家で、故に魚影が濃い。特に堤頭部は内海側にテトラが巻き込み敷設されており絶好のポイント。今日のターゲットは石垣鯛。石鯛の親戚。
 
 一日挑戦するも惨敗!渡船の綱取り場所まで移動するも船が来ない。渡船の船長に忘れられた。やはり、携帯の無い当時のこと。防波堤を荷物を担いで800m移動。いんぶりの荷物は多い。裕福な難民くらいはある。列挙する。竿ケース(ゴルフバック程)クーラーボックス、こませバケツ(15リットル)、道具いれ。(昔の高校生がもっていたマディソン・スクエア・ガーデンと書かれたバック程)息も絶え絶えに漁協の建物まで50mの位置にたどり着く。間は漁港の海ね。大声をあげて船長を呼ぶ。
 
 なんとか陸にたどり着いた。実は、船を待っている間に、海上保安庁の巡視船に助けられそうになった。しかし、船長が保安庁に厳しく叱責されること考え、白を切って防波堤を移動してきた。
 
 船長が平謝りに謝り、渡船代金を返還することを申し出たため溜飲を下げたしげるくんであった。
 
 翌日、渡船代金が返ってきたことから釣行を決定。またもや北防波堤の住人となるしげるくん。ポイントのテトラポッドで釣り開始。こませだ、こませ!こませ用さじで盛大に撒き餌。勢いあまってさじを投げてしまった。沖波に押されテトラポッドの中までさじが戻ってきたところで、手を伸ばしてさじを掴む。いや。掴むはずだったんだ。ところがぎっちょん!まあるいテトラポッドに滑って落水。右足を骨折!もちろん、釣りは、ぱぎぃ!(坊主!(何も釣れないこと))釣りに ぱぎぃて坊主になって、ばぎぃのぷにを折って。 
 
 
(背中)
 
 アイゴ釣りに出かけたしげるくん。目指すは先週爆釣だった平良港北防波堤。ポイントと潮の時間を合わせての釣行!今日も大漁間違いなし。しかーし、BUT、あっすがどぅ、獲物を入れるクーラーボックスを忘れてきた。
 
 バックを探すとありがたいことに魚をいれる魚籠(びく)が出てきた。うり、あしぇっ!(やった!)これさえあれば大丈夫。魚籠に長いロープをつけて海水につけておけば魚が死なないため鮮度抜群で夕方まで、よーーんなぁ(ゆっくり)釣りができる。
 
 今日も案の定、入れ食い!っふぁし(釣り)まくりのしげるくん。みるみるうちに魚籠に魚が満ちてくる。伊良部島に日が傾く頃にはアイゴで うだぱんぱん(太く丸々と)となった魚籠!
 
 釣り道具を片づけて、渡船の綱取り場所へ移動。魚籠を引き揚げる両手に力がはいる。引き揚げてみて、アイゴが予想以上に多いことに一人前歯を うさいかにる(押さえることが難しい)しげるくん。
 
 さあ、移動だ。しかし、注意、注意!アイゴはとげに毒がある。その上、まだ生きているため、そのトゲを ぱたがらして(広げて)さらに要注意だ。そっと持ち上げなければ。
 
 でもさ、丸くふくらんだ魚籠のそこいら中からつきだしたアイゴのとげ。がに股で運ぶのに骨がおれる。50mも移動すると汗が噴き出し息も絶え絶え。ここらでちょいと一休み。たばこに火をつける。一服後、移動開始。
 
 くにひゃー!(この野郎)おもむろにアイゴの入った魚籠を背負ったしげるくん。背中に無数のトゲが刺さる。
 
 えげーーーっ、しげるー ぷりむぬかよ、まず!
 
 
(暗号)
 
 しげるくんの友達ゆきおくん。やはり釣り大好き!

 アイゴを爆釣して夕ご飯。台所から素っ頓狂な声。
「ゆきおー!お前が釣ってきた魚に字が書かれている!」

 家族全員台所に集合して鳩首会議!直線の筋が数本。同心円状の数本のカーブに沿ってアルファベット。ぴるます んまり。うりゃー ふぁーいん!(不思議な奴だ。これ食えん!)

 大騒ぎの結果、事実が判明した。
 アイゴを釣り上げて、棘に刺されないように靴で踏んづけて。靴の裏の模様がアイゴの皮膚にコピーされた。保護色のアイゴ。何かの拍子に圧力のかかった部分の皮膚が変色したらしい。
 
 いんぶりは、案外楽しい!

昔のでんわ工事

宮国勉(城辺町出身)

 学校と郵便局、役場にしか置いてなかった電話が、近所の ともずまっちゃ(友利商店)に部落第1号電話機が引かれた。
 
 それは今から約45年前で、部落が文明の恩恵を受け始めたと思える出来事であった。その時の電話工事は今とは大きく違い、大変おお掛かりであった。それは道を切り開き、木製の電信柱を建てることから始まった。因みにグラハム・ベルが1876年に有線電話を発明してから約85年後のことになる。
 
 電話は既に学校には引き込まれているので、学校からの延長で真っ直ぐに西々部落を通り、我が家の裏を廻って引き込まれた。その電話工事に伴う道造りのお陰で通学路は広くて明るい近道になり利用する私達にとっては更なる喜びとなった。
 
 初夏の頃の工事だったように思う。炎天下で火を焚きアスファルトを溶かして丸太に塗りつける作業が行われていた。すぐ裏の ぬー(野原)が電信柱の材料置き場になり防腐処理の作業もそこで行っていた。そこから建てる場所まで人力で運び、穴掘りや建て方も人力であった。
 
 近くの我が家に飲み水を貰いに来た工事のオジサンが黒い顔に日焼け止めの白粉を塗り、汗で流れ落ちて肌が見え、頬被りした格好で現れた。田舎の純な子供が初めて見るオカマかパーント、笑いを必死に堪えた。しかし、天日に曝され身を守るにはしかたのない対策であり反省すること頻りである。
 
 毎日アスファルトを溶かす匂いが続いたがその内に慣れて、かばすーかばす(良い匂い)と感じるようになっていった。学校の帰りには夏の熱さで軟らかくなった電信柱のコールタールを爪で引っ掻き匂いを確かめたりした。
 
 黒色に塗られた電信柱に張られた線は裸の銅線で、暫くの間は太陽光を反射して眩しいくらい黄金色にひかり輝いていた。時には黒い電信柱に黒いカラスが留まりモノクロな配色は異様なものだった。太陽に向かって見る、とんべん(リュウゼツラン)、きみがよらん(君が代蘭)の花茎は電信柱によく似ている。最近、新宿御苑に行き、君が代蘭の花茎が秋空に向かって直立した光景でそう感じた。今頃は純白の花を咲かせていると思う。
 
 当時の電信柱の上は電話線だけが張られ軽快な感じだったが、今はコンクリート製でいろいろな物が載せられ電信柱は重たそうだ。更には地下埋設して電信柱のない街を築くことが流行っている。電信柱のない街では犬も困ることに・・・いや、街灯の支柱が代役になるから心配ない。
 
 コールタールで思い出すのは、修学旅行で新城海岸に行き、砂浜に ふきゃぎ(餅の表面に小豆をまぶした宮古風ぼたもち)のような大小の丸いタールが浜に沢山打ち上げられていた。表面に砂がまぶされた状態で、踏みつけるまで判らないのだ。固まらないその物体を踏みつけ靴の裏にべったり付いて往生したものである。そこには浜辺の雑然とした漂着物とは対照的に自生した夾竹桃(キョウチクトウ)が一面にピンクや白の綺麗な花を咲かせていた。
 
 昨今では携帯電話、ひかり電話、IP電話などが普及して、以前の引き込み電話は固定電話と呼ばれるようになった。昭和50年ごろは宮古島まで至急で180円/1分間、普通は90円/1分間の高額な電話料金だったが帰省するより安いこともあり正月などには家族の声を聞いて郷里への思いを馳せた。電報が緊急時の手段だった頃、文字数を気にしながら電文を頼んだのもそう遠くはない。
 
 現在では携帯電話の普及により公衆電話の設置数が減少した。利用するためのテレホンカードも消えつつあり、かつては贈答用や名刺代わりとしてオリジナルのテレホンカードを配る事が頻繁に行われていた。そのとき貰った未使用のテレホンカードが何枚も引出しに置き去りにされ、価値が無くなる日も近いようだ。
 
 最近は電話よりもメールの方に比重が大きくなっている方も多いのではないかとさえ思える。相手が留守でも連絡が取れることが重宝する。特に図面などの添付ファイルを送るときなどはメールの方が優れていることを実感する。情報化社会の移り変わりは急速で、移りゆく時代に乗り遅れないよう日々努力を重ねるのみである。
 
 #参考文献:広辞苑第4版

再会

松谷初美(下地町出身)

 先月14日に東京上野で行われた「関東宮古ふるさとまつり」でのことだった。
 
 舞台は、フィナーレのクイチャーで盛り上がっている頃、私たちくまかまのメンバーは場内から出口のところに移動をし「くま・かま本」の販売をしていた。
 
 盛り上がる中、会は終了。外はすっかり ふふぁーふぁん(暗く)なり、お客さんが次々と帰っていく。本やCDなどの呼び込みで賑やかな出口。
 
 そんなとき、突然「初美」と声をかけられた。背の高い女の人が立っている。「はい?」と一瞬間が開いたが、懐かしい面影に「T子ねぇねぇ!」と叫んだ。なんとその人は、兄の前の奥さんだった。
 
 「30年ぶりじゃない?」T子ねぇねぇは言う。あまりの突然のことに、あまりのうれしさに、思わず抱きついてしまった。かなまず(頭)は少しパニック状態。
 
「びっくりしたよー、T子ねぇねぇ、何も変わらないねー」
「初美も変わってないね。初美がいろいろやっていることは聞いていたよ」
 
 まさかまさかの再会に、目頭が熱くなる。
 
 「3年前になるかな、A美ちゃん(兄とT子ねぇねぇの子ども。私にとっては姪っ子)のところに行って、赤ちゃん見てきたよ」と私。
 「聞いてる、聞いている。A美は今年の初めここ(内地)にも来ていたよ」
・・・・・・話は、つきない。
 
 一緒に来ていた夫に「なんて言って紹介したらいいんだろ」とT子ねぇねぇと笑いながら顔を見合わせ、兄の前の奥さんであることを話した。
 
 兄夫婦は、私が高校生のころ、宮古の実家で1年半ほど まーつき(一緒に)暮らしたことがある。背が高くて、あぱらぎ(美人)で、おしゃれなねぇねぇは、憧れの人だった。洋服を縫ってもらったり、お下がりももらったりした。姉のいない私は、まーんてぃ ぷからすむぬだった(本当にうれしかった)
 
 一番の思い出は、私の18歳の誕生日会のとき。(後にも先にも誕生会をしたのはこのときだけだった気がする)高校の友人、数人が遊びに来てT子ねぇねぇがいろいろな料理を作ってくれた。
 
 中でも、スイカを半分に切って中をくりぬき、いろいろな果物が入ったフルーツポンチは印象的だった。回りにぎざぎざに切り込みをいれ、おしゃれな仕上がり。今までそんなものは見たこともなかったし、手間隙をかけてくれたことがことさらにうれしかった。
 
 姪っ子のA美は、0歳から1歳すぎまで我家にいて、家族のアイドルだった。姪っ子の顔を見れば嫌なことを忘れ、ずーっと抱っこしていたいほどかわいかった。天井にいる やーずみ(ヤモリ)を見つけては指差し「あった、あった」と叫ぶのもかわいく、それまで やーずみは好きではなかったけれど、姪っ子のためならいっぱい住んでもかまわないと思ったほどだった。
 
 兄夫婦が実家を出たのは、私が高校を卒業する前だったろうか。ぴさらん(平良に)アパートを借りて住むことになった。
 
 それからほどなくして、兄夫婦は別れることとなった。そのショックは大きく、さりとて、私がとりなすことができるわけもなく、それきりT子ねぇねぇと会うこともなくなった。
 
 風の便りにT子ねぇねぇが再婚したこと、のちに、内地に移ったことなどを聞いた。
 
 兄もその後再婚して男の子がふたりできた。姪っ子は両親が別れた後はT子ねぇねぇの元で暮らしたが、兄ともずっと仲良しで、兄の結婚式にも出席した。
 
 小さかった姪っ子もいつしか大人になり結婚した。3年前、姪っ子A美の沖縄本島にある新居に行ったとき、彼女の結婚式の写真を見せてもらった。そこには、幸せいっぱいの花嫁とそのお婿さんがいて、傍らにはT子ねぇねぇが着物を着て、ぷからすきなり(うれしそうに)微笑んでいた。ご主人も一緒だった。そこに兄がいない寂しさは、そっと胸にしまった。
 
 T子ねぇねぇと話しながら、いろいろなことが蘇る。涙はとめどなく流れ、長いこと会わなかったのに、そんなこと何でもなかったかのように心が触れあう。
 
 「その本、買うよ」
 「あげるから持っていって」
 「ダメダメ、買うよ。せっかくだのに」
 T子ねぇねぇは、そう言って、くま・かまの本を買ってくれた。
 
 「A美がこっちに来たら連絡させていい?」と姉。
 「もちろん!」と私。
 「そしたらまたね」
 「うん。T子ねぇねぇも元気でね」
 
 T子ねぇねぇは友達と会場を後にした。
 
 思いがけない再会に、私の心はうれしさでいっぱいだった。こんなことってあるもんなんだ。
 
 T子ねぇねぇに今度会えるのはいつになるだろうか。携帯の番号も交わさなかった。うつーうつの(親しい)気持ちはあるけれど、ちょっと遠くなった関係。
 
 こんな再会が用意されているとはあの頃は想像だにしなかったけれど、「ふるさとまつり」は、素敵な場面をプレゼントしてくれた。

兄を想って書いた詩(11)

ワタリマリ(上野村出身)

 この詩は、脳性マヒの あざ(兄)を想って書いたものです。

 〜 秋の空 〜
  
 くざしき(奥座敷)にすわって秋の空を見ている
 高く澄み切った秋の空
 今年もサシバは来てくれるだろうか?
 サシバが舞う秋の空がボクは好きだ
 ボクの気持ちを強くしてくれるから
  
 サシバが来るころは妹たちの学芸会
 ボクは願う
 妹たちの学芸会をボクも観にいくことができますようにと
 そう願いながら ボクは 昔のことを思い出している
  
 ボクがまだ幼くて
 母ちゃんの背中におんぶされていたころ
 ボクは公民館まで芝居を観にいった
 母ちゃんのボクにも芝居を観せたいという強い思いからだ
  
 ちい うわんまい 芝居ちぬ むぬう みしみゅうっちゃあ
 あっすが いきっちゃあ すなあきしい みいるんに
 (さあ お前にも 芝居とやらを 観せてあげよう
 だけどそこでは静かにしてなくちゃいけないよ)
 ボクは約束させられて公民館に連れて行ってもらった
  
 すこしおめかしした村の人々が集まってくる
 母ちゃんもあいさつに忙しい
 ボクが背中にいるのを見て
 物珍しそうになぜボクも一緒なのか聞いてくる人たちがいる
  
 母ちゃんは想いを話す
 まあんち ゆぬ やらびがみどぅあー 
 ぷからっさあ すむだから
 (そうだね ほかの子供たちとかわらないんだから楽しいこともさせなくっちゃあ)
  
 想いを解かってくれたことに母ちゃんの緊張もほぐれる
 だがいろんな人がいる
 見世物を見ているような子供もいる
  
 ありー いずふっふぁうな さありまありゅう 
 うりゃあ いみゅうばあ っしいなうう?
 (あらまあ 奇形な子もつれてきたの その子は意味分かっているのかね?)
  
 心無いことばを投げかける人に母ちゃんは何も返さない
 子供たちは 子供たちで 
 何でこんなきちがいが一緒に来たかとか 
 そのこは人間か?とか さんざんだ
  
 母ちゃんは気丈に振舞う
 くりゃあ のうゆまい っしいどぅうう 
 うわたあとぅ のおまいかあらん と
 (この子は何でも理解しているしあなたたちとちっともかわりませんよ)
  
 そうだよ ボクは話せない 歩けない
 出来ないことがいっぱいあるけれども
 出来ることだってある
 見えるし 聞こえるし 笑えるし 涙も出せるさ
 そして悲しみも君たちの何十倍もあるんだよ
 君たちがボクのことを人間じゃないといったときが一番悲しいよ
 母ちゃんの背中でボクはつぶやいていた
  
 そろそろ芝居が始まりみんなの目はボクから芝居に移った
 観衆は大いに笑い 拍手している
 ボクを背負って会場の一番後ろに立った母ちゃんも
 もう気持ちを切り替えているようだ
  
 みいらりいなうう うむっしいら
 (観られるか おもしろいねえ?)
 どんなときでもボクを気遣っている母ちゃん
  
 芝居が終わって母ちゃんの声はすこし弾んでいる
 芝居が面白かったのもそうだが
 何よりもボクを思い切って連れ出して
 家以外の場所でボクも一緒に楽しい時間を過ごすことが出来たこと
 ボクは母ちゃんがそんな想いを喜びとして話してくれることが
 うれしかった
  
 おんぶから開放されたボクは
 ボクにとって世界一立派なのはやっぱりボクの母ちゃんだと
 奇声を出して叫んだ
  
 あのときからボクは
 ボクがボクであることが
 ちっとも恥ずかしいことなんかじゃないと思うようになった
  
 悔しくても 悲しくても 情けなくても
 ボクと母ちゃんはそれを乗り越えて生きてきた 
  
 秋の空にボクの願いは届くだろうか
 たとえ届かなくても
 母ちゃんの気持ちはボクにはちゃんと分かっている
  
 妹は学校から持ち帰った劇の台詞を一生懸命に覚えている
 サシバの群れも現れ
 また来年会いましょう と東へと飛んでいった

編集後記

松谷初美(下地町出身)

 11月になりましたねー。くとぅすまい(今年も)残すところあと二ヶ月。まーんてぃ ぴゃーむぬやー(本当に早いですねー)
 
 来年はどんな特集を組もうかねーとか、ライターになってくれる人が増えるといいなーとか、あんちーかんちー(あんなこんな)のことを考えているこのごろです。
 
 さて、vol.159 のーしが やたーがらやー(いかがでしたかー)?
 
 宮国勉さんの「昔のでんわ工事」は、当時の状況がよく伝わってきましたねー。(当時宮国さんは小学2〜3年生だったそうです)昔は、ホントに電話1本を繋げるにも大変な工事だったんですね。今は携帯電話がふつうに使われているけれど、たかだか40〜50年前はこうだったんですよね。努力をしないと今の時代にはついていけないというのは、私も実感。
 
 宮古は海に囲まれているから「いんぶり」が多いのもうなずける。しかーし、BUT、あすぅがどぅ 神童の書く「いんぶり」は、やはりそんじょそこらの「いんぶり」ではなかった。いんぶり中のいんぶり。“どんだけー”と思いながら笑い転げる。そして、なんだか心がゆるむ。「ぷりむぬかよー、まず」の言葉の裏に愛が見えますね。
 
 身内のことを書くには勇気が要る。どうしようかと思ったけれど、何だか書かずにいられなかった。「再会」。いろいろな想いをこめて。
 
 人気シリーズ、ワタリマリの「兄を想って書いた詩」は今回で11回目の掲載となりました。日々暮らす中で差別を感じることがあると、お兄さんの事を思い出すそうです。今回も胸が熱くなる話でしたね。「まあんち ゆぬ やらびがみどぅあー ぷからっさあ すむだから」というお母さんの言葉に、なだー(涙)さらさらでした。
 
 なんだか今回は、人ってすごいなーという事をいろいろな場面で実感。しまいぎー、ゆみふぃさまい(最後まで読んで下さり)ありがとうございました。
 
 みなさんは、どんなことを感じましたかー?
 ぜひ、ご感想を聞かせくださいね。
 
 きょうも、上等な一日でありますように!
 
 また11月15日(木)んいら。次回もお楽しみに〜。