くまから・かまから vol. 169

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 こんにちは〜。んにゃ4月やー(もう4月になりましたねー)
 新年度です。くま・かまも8年目に入ります。張り切っていきますよ〜。

サウジアラビヤやー、ぴしかりって、あつむぬ(サウジアラビアは、寒くて、暑い) (投稿)

山雀タヌキさんより(下地上地出身)

 9月から3月ぬ ぱずみがみ サウジアラビアんかい いきぅたず。
 (9月から3月の初めまでサウジアラビアに行ってきました)
 
 くとっすぬ 冬ぬサウジアラビヤまい、うかーす ぴしむぬやたい。
 (今年の冬のサウジアラビヤも、ものすごく寒かったですよ)
 
 すとむてぃ4℃ばかーいがみ さがりうたい。(朝は4℃くらいまで下がっていました)かじまい ちゆーかり、ぱたらき うい インドじんたーや、つんだかーりむにゅやたん。(風も強く、働いているインド人たちは、かわいそうでした)
 
 ばんまい防寒衣・手袋しーうたいが、ぴしむぬ やたんむ。(私も、防寒衣・手袋をしていたが、寒かった)3月かい ぱいり、あつふなりきしゅう。(3月になって、暑くなってきています)
 
 4月にないっか、40℃ばかーいがみ、気温ぬゅ あがいさーい。(4月になると、40℃くらいまで気温が上がるんですよ)んなまから あつふなり、7月んにゃ50℃くいきすだら、うかーす あつむぬ。(今から暑くなり、7月には50℃を超えて、ものすごく暑くなります)
 
 きーぬ かぎがまん うりゃまい、うかーす あつーぬ かじがまにどゆ、ふききすだら。(木陰にいても、ものすごい熱風がふいてきます)みゃーくぬ8月まい、あつむぬやたっすが、サウジぬ5〜9月ぬあつさや、くらびむぬな、ならんばかーい あつむぬ。(宮古の8月も暑かったが、サウジの5〜9月の暑さは、比べものにならない暑さです)
 
 2月ん、あみがぬふい、ふさがまぬ ぱいきすだら。(2月に雨が降り、草が生えてきます)しぜんぬ、ぱながま まい さきしうい。(自然の花も咲いてきています)
 
 あんすが、ふさ・ぱながままい、3月しー かりどすったら。(だけど、草・花も3月で枯れてしまうんですよ)サウジぬ自然や、うかーす きびすむぬ。(サウジの自然は、ものすごく厳しいものです)
 
 みゃーくや、かぎすまがま やいば てぃーど、うまーり。
 (宮古は、美しい島ですね)

一行詩

naichar-shima(下地出身)

★すとぅむてぃぬ うすぬふさかい゜ ばたふさり
 (早朝の 牛の草刈り 腹たちて)
 
 ※小学生ぬぱだ(の頃)から学校に行く前には必ず草刈をしなければいけなかった。ホントにイヤだったなぁ。
 
★ハイビスカス やらびぱだんな ぴんざぬふさ
 (ハイビスカス 子どものころは ヤギの草(エサ))
 
 ※ハイビスカスは、ヤギのエサにしか見えんかった。そんなハイカラな名前があるとも思わんかった。ばんたー、「ぱなぎー」としか言わんかったよ。
 
★二日酔い ウコンゆずざきき゜ おとうがぴとくい
 (二日酔い ウコンより効く お父の一声)
 
 ※おとうの声はツルの一声。どんな小さな声で○坊と呼ばれても飛び起きるおいらだった。アガイ!しまい!
 
★すとぅむてぃぬ うまつぬまいん かぁちゃんとぅ
 (早朝の 炊き火の前に 母ちゃんと)
 
 ※母は毎日大きなかまどで芋を煮ていた。火をくべる母のそばでジッと火を見ているのが好きだった。
 
★んっつぁき゜かり あんなにーといって こんなにーと
 (道訊かれ あんなふうに行って こんなふうに)
 
 ※道を訊かれたら、こんな説明だね。宮古ひとは。して、訊いた本人も、いいー、あんなにーとなー。
 
★五反田を ばやーかんちどぅゆんたー “ごはんだ”てぃ
 (五反田を おいらはこう読んだ ごはんだと)
 
※東京に来て間もないころ。ごはんだ、ごはんだと読んでいた。東京は、ぴんなぎ(変な)名前をつけるところだねーと思っておった。
 
★ぴょうすんな みぁーくーうむい 天ゆおおぎみー
 (たまには 宮古を想い 空仰ぐ)
 
※せせこましい東京の中で、空を見るということは少ないが時には、立ち止まって空を仰ぐ。

そうだ、宮古へ行こう。ずーずー宮古んかい!

宮国優子(平良市出身)

 ずーずー宮古んかい。ある年代には懐かしの宮古ふつではないでしょうか?「ずーずー丸勝んかい」や子どもが木の上に乗って「ミスターQ!」とか子ども心にグッときていた私。宮古テレビのCMは名作が数多くありました。80年代宮古カルチャーが骨の髄まで入っています。
 
 あ、ずーずーという意味は「行こう、行こう」という意味です。語気をあらげて使う時はあからさまに「自分は行くから、あんたも行くんだよ」ぐらいの強い勧誘です。ちなみに発音は英語の「zoo」です。「zoo zoo」なんとも強そうです。
 
 で、今回は宮古へ行こうと呼びかけたりなんかします。GWや夏休みに向け、「宮古に行こうキャンペーン」を勝手に実施中です。
 
 どれくらいの読者の方が宮古在住か すっさいんすーが(わからないのですが)私が子ども関係の友達家族を連れて行ってあげたら、どんなかねぇと考えてみました。たまに「連れてって!」という好奇心旺盛な方もいるので。ばっしらいん宮古(忘れられない宮古)をテーマに あんちーかんちー(いろいろと)考えてみました。だいず妄想だけど。
 
 まずはリサーチ。宮古に行きたい家族はできるだけ宮古の話をしてほしいし、図書館やインターネットで宮古の情報をあつめてもらいたい。もちろんくま・かまも強制登録だ!あがい、だいずひと。
 
 旅は行く前が一番楽しい、と誰かが言った。んーだはずねー(同感)。で、CDも貸します。むりやり。セレクトは下地勇さんをはじめ宮古のミュージシャン。クイチャーフェスティバルの時期にはパニパニガールズのクイチャーマンも忘れずに。宮古の言葉を徐々になれてもらおうという魂胆さー。なれるわけないさいがよ!という声も聞こえますが。
 
 宮古に上陸したら、まずは宮古島市地下ダム資料館。私自身も行った事がないので興味津々です。最近はエコの取り組みで注目度アップな宮古島。ここは観光課に電話してエコガイドの人も紹介してもらおう。きっと次世代の子どもたちには良い経験になるにちがいない。夜は民謡酒場?で地元の音楽を堪能してもらおう。んっむしだはず。
 
 一番のおすすめは宮古をただグルッと回るドライブ。けだるい空気に囲まれて宮古訛りバリバリの島ラジオを聴きながら、ただただドライブする。海を見て、橋を渡って、城を見て。「ゲンキの子」を ちゃー飲み(何回も飲む)しながら「うずまきパン」を食べる。泳ぎたくなったら泳げるように着替えも ばっしなよ〜(忘れるなよ)。
 
 あーそうだ。初宮古上陸を祝して島サバをプレゼントしよう。宮古をあとにするころには足の指(特に親指と人差し指の間)がだいず強くなっていること間違いなし。土踏まずも復活だ!
 
 宮古は観光スポット満載ではないからこそ、家族向けの観光地だと思う。家族でゆったりとした自然を満喫できる。島人の知り合いを作るのは難しくないし、仲良くなれば親戚同然になれることも多い。(うちの母は数人と手紙のやりとりをしていて、東京に来たらお茶などしてます)
 
 私の勝手な意見だけど、沖縄の他の場所に比べ宮古への移住者はどっしりと宮古に根付くような人が多いように思う。彼らの頑張りが「第二の故郷化」に重要な役割を果たしていると思うのです。人こそ観光の要なのだから。ネイティブ宮古人も負けないように頑張るさー。
 
 宮古に縁もゆかりもない人たちの第二の故郷になれる、そんな土地はなかなかない。ずーずー宮古んかい!もちろん、久しぶりに帰省をする宮古人にも呼びかけてます。ずーずー宮古んかい。友達もつれてまわれねー。

宮古ふつへの再会と、ブログ『あっがいたんでぃ!』

Motoca(平良出身)

 やらびぱだ(子供の頃)、うちではよく、おばあちゃんたちが むぬゆん(おしゃべり)をしていた。ほぼ毎日、ひとりかふたり、誰かしらがうちにやってきていた。2、3時間お茶を飲みながら むぬゆんをして、帰って行くのだ。私たち孫の帰りを待たなければならなかったから、祖母自身が外に出ることはあまりなかった。
 
 私は学校から帰ると、そのテーブルの傍らに座って、彼女たちの むぬゆんを聞きながら ちょうき(おやつ)を食べるのが常だった。聞きながら、とは言っても、当時の私は方言の意味はほとんど分からない。知っている語彙や、時々挟まる共通語から意味を推測するようなことはしたが、ほとんどの場合は、まるでBGMのように聞いていた。宮古ふつの発音、抑揚、リズム。それらが作り出す雰囲気が、何とも心地よかった。
 
 その頃私は、自分が「みゃーくぴとぅ(宮古人)らしさ」というものを何ひとつも持っていないと思っていた。平良の市街地の中で生まれ育ったので、集落の伝統行事とは無縁、宮古民謡もふたつかみっつぐらいしか知らない、方言もほとんど理解できない、宮古の歴史も文化も、小学校の地域学習で習った程度のわずかな知識しかない。色白の肌色に小さな目、という南方人らしからぬ外見も、私の体に流れる血が宮古のものであることを証明してくれそうにはなかった。
 
 ところが、宮古を離れて沖縄本島の高校に進学してすぐ「ああ、私は『みゃーくぴとぅ』だ」と思った。初めて、自分のことをそう思った。
 
 県内各地から生徒が集まる高校で、校内はいわば沖縄の縮小版のような感じだった。そこで真っ先に、「言葉の違い」に遭遇したのだった。もちろん、もっと上の世代のように「言葉(方言)が通じない」ということではない。お互いに、ほぼ共通語なのだ。
 
 イントネーションや、語中語尾に時々混じる方言に違いがあると言うことぐらいは、以前からある程度は知ってはいた。しかしそれ以上に戸惑ったのは、会話のテンポやリズムの違いだった。同じことを表現するにも使われる語彙が違い、同じ物事に対する反応の仕方が違い、間合いの取り方が違う。それが新鮮で、興味深かった。
 
 同じ沖縄県の中なのに、こんなにも違うのか。島によって方言が違う、同じ島の中でも地域によっては方言が通じない、というのはよく言われていたが、それが、それぞれの出身者が繰る共通語にも影響を与えているのだった。
 
 そして、その中でも私たち宮古出身者勢は一段と「濃い」のだった。7人中5人が市内ふつスピーカー(私も含む)だったせいもあるとは思うが、明らかに異彩を放っていた。
 
 語尾の「〜さいが(〜じゃん)」や「〜どうや(〜だよ)」、本島の「でーじ(very)」の意味で使っていた「だいず」など、よくクラスメイトに面白がって真似をされた。そんな私ら宮古勢が、本島の皆さんに真っ先に教えた宮古ふつは、「みどぅんすかしゃー(女ったらし)」でした。高校一年生はまだまだ ぼうちらやらび(やんちゃっ子)。
 
 他の地域の方言やイントネーションに対して、最初は対抗意識丸出しだった。けれどやがて、本島の(特に那覇辺りの)人の言葉の、柔らかい言い回しに対して、いつまでも くぱーくぱ(強い)宮古ふつの調子で返しているのは気が引けてきて、ちょっとずつ沖縄本島の話し方を身につけようと試みるようになった。
 
 けれど結局、何となく自然に合わせられるようになったのは高校3年の半ば頃。そのまますぐに大学進学で、沖縄自体からも離れることになった。高校時代のことがあったから、大学で首都圏に住むようになっても、言葉の違いも、合わせるのに時間がかかるだろうと言うこともあらかじめ覚悟していられたので、東京の話し方に慣れるのには、沖縄の時ほどキツイとは思わなかった。
 
 大学も卒業し、社会人になって、いつしかそんなことも考えなくなり、たまに実家に帰っても宮古イントネーションに戻ることさえあまりなくなっていた。方言も完全に忘れてしまったものだと思っていた。
 
 そんな私の言葉への興味が再びわき起こったのは、2002年のゴールデンウィークに宮古に帰省したときのこと。立ち寄った本屋で、ある本に出会った。発売されたばかりの『読めば宮古』という本だった。
 
 その本の表紙を見たとたん、高校生の頃好きだったものを思い出した。郷土出版の本が多くある沖縄で、私が好きだったのは「現在の沖縄」を若い人たちの目線で書いた雑誌や本。「沖縄ポップカルチャー」というのだったっけ。何よりも沖縄という土地、そこにある歴史や文化、人々に、愛着がないと書けないその内容に、いたく感動していたのだ。いつか宮古の人もこういう本を出してくれないかな、と、読みながら思っていた。あわよくば、いつか自分も大人になったらそういうのに関わってみたい、という欲望も。
 
 あのときの私が思っていたことを、現実にしてくれた人たちがいる。『読めば宮古』を書店で見つけたとき、飛び上がるぐらい喜んだのだ。だいず(凄い!)、これは、歴史的なことだと思った。いや、大げさではなく、本気で。すぐにレジに持って行って、買って帰った。
 
 そんなやや上から目線で読み始めたのだが(本当にすみません)、ぱらぱらとページをめくるうちに、久しぶりに、「あがい、やっぱり私は『みゃーくぴとぅ』だ」と思った。もともとの宮古方言はほとんど知らないけれど、若者宮古ふつなら、ばりばり知っている。いや、これまで忘れていたことがおかしなぐらい、間違いなく私の言葉たちだ。
 
 このときに私は、宮古ふつに再会したんだ、と思う。とても久しぶりに。
 
 それから、若者方言を知っていて、もともとの方言を知らないのが、やっぱり悔しくなった。そして、宮古に住んでいた子供の頃に、同じように考えたことがあるのを思い出した。
 
 沖縄本島の高校に行って、あちらと宮古の方言差・言葉の差に驚いていたけれど、よくよく考えたら、宮古の中であっても、かままい くままい(あちらもこちらも)方言が違う。
 
 それどころか、私たちの世代と親世代の方言も違う。私たちは「とっても」という強調の意味で「だいず」って使うけれど、親は使わない。だいずを強調してその前に「うわり」ってつけることがあるけれど、それも若者方言らしい。
 
 「黒い」って意味の「っふぉーっふぉ」は、その強い発音が苦手な私たちは、一拍の呼気の溜めを省略して「ふぉっふぉ」と言う。
 
 それから、私たちは「無視する」の意味で「みっふあ」という言葉を使うけれど、いちど家の中でその言葉を使ったら、「それは本当はとても悪い意味の言葉だから、使うな」と両親と祖母に揃って叱られた。憎むとか、見放すというのがもとの意味らしい。以来、特に家族の前ではなるべく使わないようにしている。
 
 どうして私たちは方言を、もともとの通りに使わなくなってしまったのだろう。読みながらそんなことを思い出していた。そしてこの本で、「くまから・かまから」というこのメルマガのことを知り、読者になった。それからもうひとつ、「下地勇さん」という人の存在も、この本で初めて知って、CDを買ってみた。
 
 相変わらず方言の意味はほとんど分からなかったけれど、そこに書いてあったものを音読してみたら、それは完璧な宮古ふつになった。私の口から、宮古ふつが出た。勇さんの歌の歌詞を、なぞったときも・・・。
 
 ああ、この言葉の雰囲気を、私は知っている。ふわっと、記憶がよみがえってきた。私が宮古ふつといちばん近かった席で、見ていた風景。
 
 おばあちゃん達の笑い声、表情、まなざしが脳裏に次々と浮かんできては消えてゆく。今はもう会うことができない、祖母の とぅんからた(女友達たち)・・・。
 
 あの心地よい雰囲気は、私の原風景。その感覚を知っているから、できるような気がした。知りたい、あの言葉が分かるようになりたい。
 
 その言葉を、自然に身につけることはできなかったけれど、音感みたいなものは自分の中にあると思った。それで、自分なりに方言を習得しようと思い立った。
 
 まずは言語学の本をさがして読んでみた。それから、方言研究についての本やホームページをさがしては読むようになった。都内の大学で沖縄関連の内容の公開講座があることを知って、受講してみたりもした。
 
 それから、くまかまや、勇さんの歌詞帳を見て、宮古ふつのつくりをいろいろ考えてみた。高校時代、古典の授業で先生が「琉球方言は日本古語の名残がある」と話していたのを思い出して、古語辞典も買ってみた。宮古方言と古語との類似性や沖縄本島の方言との対応関係について考えてみたりもしていた。気がつけば3〜4年、そんなことをしていた。
 
 独学で進度は遅いものの、それはとても楽しい作業で、ひとつでも発見があると嬉しくて、誰かに言ってみたくなるのだ。それで、その頃流行しだしていたブログを私もつくってみようかと思った。
 
 本来は、日記として使われることが多いブログサービスだが、特定のテーマのデータをまとめて置いておくには便利だ。別に毎日更新する義務なんかないのだ。それは、私がこれまで考えたことをストックさせておくデータベースだ。
 
 ブログの名前は「あっがいたんでぃ!」にした。ドジな私がよく口走る感嘆詞だ。宮古ふつについて調べるようになってから、いつしか私の頭の中も、完全にみゃーくぴとぅモードになっていて、一時は言わなくなっていた(ような気がする)方言の、特に感嘆詞のたぐいが、日常的に口をついてでるようになっていた。わざと、のつもりはないのだけれど、もしかしたら、自分が宮古人でいたいことの表れなのかもしれない。
 
 子供の頃、私は「宮古らしさ」を何も持っていないと思っていた。けれど、自分の口から発する言葉が「宮古らしいもの」だということに気づいた。子供の頃毎日聞いていた祖母たちの むぬゆんが、何よりも自分の中で心地よい思い出として残っていることに気がついた。「言葉の違い」を、昔からいろいろなところで気にしていた自分に気がついた。「言葉」なら、私が「宮古のもの」として受け継ぐことのできる唯一のものになるのではないかと思えた。
 
 あのブログを始めて以来、自分でも驚くぐらいたくさんの反響をいただいた。けれど私はまだまだ、方言のことを「分かる」って言い切れるほどのレベルじゃないと思っている。私なりの考え方を受け入れてくださる方がいることは、率直に嬉しい。まーんてぃ、たんでぃがーたんでぃ(本当に、ありがとうございます)。
 
 それなのに私は、昨年秋にPCが壊れてから、更新を止めてしまったままだ。PCは買い換えたのに、そのまま遠ざかってしまっている。あれも書きたい、こんなことも考えてみたい、と言う構想をめぐらしつつ、だるー(怠け者)な性格ゆえ、なかなか作業をせずにいる。新年度が始まって少し落ち着いた頃に、また少しずつ書いていこうと思う。それまでしばらくお待ちください。
 
 いつか歳をとっておばぁになるころ、私はどれぐらい方言を使っているだろう。私も、祖母のように とぅんからやーん うがなーり ちゃーゆぬみがつな とぅんからむぬゆんぅどぅ しーぶすむぬ(女友達の家に集まって、お茶を飲みながら、おしゃべりをしたいものだ)。
 
 誰よりもみやーくみゃーく(宮古らしく)したおばぁになってから、ね。

編集後記

松谷初美(下地町出身)

 先にも書きましたが、くま・かまは、今号から8年目に入ります。あがい、まーんてぃ ぴゃーむぬやー。(本当に早いものですね)毎回、ゆみふぃーさまい たんでぃがーたんでぃ〜。(読んでくださりありがとうございます)んなまからまい たかさーしーふぃーさまちよー(これからもご愛顧のほどよろしくお願いしますね)
 
 さて、169回目のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
 
 山雀タヌキさんの ういずふつ(上地方言)よる、投稿は、いつも和みますね〜。前回は、メキシコの ぱなす(話し)でしたが、今回はこれまで6回も行っているというサウジアラビアから。2月に咲いた花が3月には暑さで枯れてしまうとはびっくりですね。今回一時帰国された時に投稿してくださいました。お忙しい中、たんでぃがーたんでぃ〜。
 
 naichar-shimaは久しぶりの登場でした。山雀さんもnaichar-shimaも同じ下地ですが、上地と高千穂では、イントネーションから言い方まで違ったりします。高千穂はどちらかというと平良方言に近い感じかな。一行詩の中には、かつての びきやらび(男の子)は、ゆぬ経験あり!という方、いたのでは?
 
 優子さんの「ずーずー宮古んかい!」キャンペーン、いいですね〜。思わず「私も乗った!」と声をあげたくなります。島サバプレゼントも上等だよね。島サバにそんな効用があるとは!島サバはいて、宮古を闊歩して、宮古の大地を感じてもらい第二のふるさとへ〜、あがい、私も妄想が膨らんできたさいが。優子さんマジック!?さぁ、ずーずー宮古んかい!
 
 そして「さいが族」酋長・宮国優子さんの編集した本『読めば宮古』との出合いが、宮古方言のブログを作るきっかけになったというMotocaさん。Motocaさんのブログが素晴らしいので、そのいきさつを書いてもらえませんかと、お願いしました。Motocaさんの にー(根っこ)にあるものがすごく伝わってきましたね。ブログもぜひごらんください。

 くま・かまは、この7年の間に やまかさぬ(たくさんの)人に出会い、支えられ、続けてくることができました。き゜むぬ すくから(心から)たんでぃがーたんでぃ〜。人の縁とは不思議なものでもあり、まーんてぃぞうむぬやー(本当に良いものですね)そんな縁を大事にしながら、市井の人たちが書く豊かな世界をこれからも届けていきたいなと思っています。今後ともどうぞよろしくお願いします。
 
 皆さんの感想が何よりのエネルギー。今回の感想もお待ちしていますよ。投稿もぜひ!
 
 
 次号は、4月17日(木)の発行予定です。
 宮古では今度の日曜日6日に「海開き」つぁ(だって)!ぞうわーつき゜(良い天気)になるといいですね。
 あつかー、また!