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宮古島方言マガジン「くまから・かまから」
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くまから・かまから vol. 182

2021 5/05
メールマガジン
2008年10月16日2021年5月5日

こんにちは〜。くま・かま発行日でございますよ〜。
2週間は、まーんてぃぴゃーむぬや〜(早いですね)
きょうも、いろいろな話、お楽しみくださいね〜。

目次

まじる商店

かい(伊良部佐和田出身)

本土の友人に送りたいと思い、シーサー探しに出かけた。

行き先は那覇の壷屋にある「やちむん通り」。私はこの通りが大好き。ゆっくり散策しても小一時間位。車の往来があまり無いので、道路を右に左に何回も渡りながら、あの店この店ととことん覗いてみる。

桜坂劇場でいい映画を観た後は、必ずふらっと立ち寄りたくなるから不思議だ。そのせいか、行く度に私は気に入ったシーサーを見つけ、つい買ってしまう癖がついてしまった。

普段はあまり衝動買いはしない性質だが、シーサーに関してはほとほと夫に飽きられてしまっている。いつのまにか、面シーサーも入れると10種類のシーサーが我家に鎮座している状態になってしまっている。

シーサーは、口を開けたものと閉じたもので一対になっているものが多い。さて、どっちがオスでどっちがメスかわかるだろうか。

本土の金剛力士像などのように阿吽で一対になっているようで、口を開けているほうがオス、閉じたほうがメスとなっているという。が、この逆の見方もあるようだ。「阿吽」とは梵語で物事の始まりと終わりを表しているそうで、つまりシーサーはその体全体で世界、全宇宙を表現しているらしい。

「阿吽」を扁額に書くと、右から左に書く。という法に則ると、置き方は右がオス左がメスになるのだが、先に書いたように、雌雄の見方が違うとこれまた違ってくる。だから私は自分が置きたい様に自由に置いている。家に幸運を呼び込み、呼び込んだ幸運を逃がさないように、我家のシーサーたちは活躍中だ。

話が戻る。友人に送るシーサーが見つかった店は、これまではそこにたどり着く前に買い求めてしまったため足を伸ばしていなかった店だった。会計をしてもらいながら、さっきから気になっていたことを質問する。

「店の名前のまじるって何ですか?」
「まじるって、方言で髪の癖毛の強い人のことですよ。主人がそうだから」
「えっ、そうなんですか?宮古とはまったく違うんですね」

宮古では天然パーマの人を「がぐ」という(宮古のどこでもそういうかはわからないが)。ちなみに私の実家の屋号も「がぐやぁ」だ。ところが未だかつて、私は「がぐ」と呼ばれたことがない。けんか早かった次女姉は「がぐ○○」と渾名で呼ばれていたのに。末っ子の弟が子どもの頃は、確かにパーマしたようにくるくるして可愛かったことを思い出す。

田舎では分家の方が今でも「がぐやぁ」と呼ばれていて、分家のおばあが「うわどぅがど、まあんてぃぬ がぐ やいば(あんたたちが、本当のがぐだからね)」と あだぁ(抗議)しに来たこともある。

髪の毛ばかりではなく、道が曲がっていることなども「がぐがぐっとしている」と表現したりする。

私が会話の中で宮古出身だとわかると、ちょうど外から帰ってきた店のご主人を交えて宮古談義が始まった。Nさんというそのご夫婦は、池間島を第二の故郷というくらい好きだという。今でも年に1、2回は行くらしい。

池間大橋が架かる前から何度も訪れているようで、橋が架かってからの池間島を嘆いていた。宮古は今観光化されすぎた他の島と同じ過ちをおかそうとしている。他の島が失ってもまだ宮古島には残っている純粋なもの、無くしてはならないものに宮古の人は何故に気がつかない。早く手を打たないと、宮古は本当に大事なものを失ってしまうぞと警告を発していた。

ご主人は、池間島の北にある八重干瀬で1797年に座礁したイギリスの探検船プロビデンス号の引き上げ事業(1997年に行われた「プロビデンス号来航200周年記念事業」)にも関わったという(残念ながら引き上げは出来なかったらしいが)。

奥様は宮古上布に関わった逸話を話してくれた。
あるデパートで器を扱うお店を出していたことがあった。隣には沖縄の織物を扱うお店があり、隣同士なので仲良くなり沖縄の織物について色々教えてもらっていた。それなりに織物を見る目を養うことが出来た頃、宮古上布に出会い衝撃を受けたという。こんな素晴らしい織物が沖縄にはあったんだ!

そんな頃、宮古に行く機会があって宮古織物事業組合を見学に行き、更なる衝撃を受ける。蛍光灯があちこち切れているから暗い!くもの巣が張っていて汚い!宮古上布の反物は乱雑に積み重ねられ、品質管理もなされていない! 何たる現実。

池間島出身の著名人に知り合いがいたので、すぐさま直談判する。宮古上布は庶民には高価で簡単に買えるものではないこと、だから貴方たちのような経済的に裕福な方たちが買って保存しておかないと、このままではきっと廃れて消えてしまう。一刻も早くどうにかしないとならないことを訴えた。そのかいあってか、宮古上布の保存継承は粛々と受け継がれ、いまや織り手の育成事業にも力を入れるようになっている。

「まじる商店」のこのご夫婦、只者でなない。 やちむん通りに行ったら立ち寄ってみるべし。

ばんたがやーぬ あず(我が家の味)【ワーブニ】

神童(平良市島尻出身)

ライブハウスわおん。コミックバンド?トゥービッグの小太郎と重ちゃんを3枚に下ろして、橋本はガリだから無視!

違う違う!

その昔、宮古が日本じゃなかった頃、ワーブニは日常食じゃなかったんだね。冷蔵庫もないからね。

なので、ワーブニは豚を焼いてその後の二日程度で喰いきってしまわんといけんさーね。200斤以上もある豚を二日で喰いきる。サバンナのライオン並みの食欲!

1家族では到底喰いきれないので地域の共同体で豚を購入し焼くんだな。豚の焼き方については、「神童の公開してはいけないブログ」2008年2月上旬「密殺仕事人」に詳細を記しているので参照頂きたい。血ぃだだだだの類が苦手な人は止めるよろし!

地域の共同体とは親戚・知人・隣組・行きずりの他人などだね。

豚を焼く!イベントは滅多になくて、通常は盆と正月。若しくは家屋の新築等の祝事。または、不幸にして事故であの世に旅立たれた御霊の鎮魂のためにユタの託宣により、死亡した場所で生け贄として潰される場合がある。

美味しいワーブニは解体時に味が左右される。出来るだけ切れない包丁で行うのがよい。これはですな、切り口が みんじゃみんじゃとしてると味が良く染み込むからさーね。(ま、俺が勝手に思ってるだけなんだけどね)豚は、潰した時点で皮を含む三枚肉と臓物及び骨に大分される。あと、血ね!

お祝いの引き出物として、大きめに切った三枚肉と臓物を血であえて煮込んだ あかつ煮ぃ。で宴会の場で食されるのがワーブニ。

ワーブニの主な食材は、足及び背骨ならびに肋骨である。ここで三枚肉や棒肉を切り分けるときに骨に肉を多めに付けると美味しいワーブニができる。今や、その道のプロが解体をするので骨に肉が付いていることは希である。

現在で言うワーブニはスーパーで豚の ソーキブニ(肋骨)のみさーね。でも、これで作るワーブニはまず美味しくない。本当の意味からしてワーブニじゃないし、肉から出汁は出ないんだよ。

でも、中華料理でもソーキは美味しい位置にあるらしく中国人はよくソーキを食べる。中華料理でパイコーなんたらの名前がが付いているのは、ソーキって意味さーね。・・・・多分よ!

ワーブニは豚骨のガラで出汁をとって作るワーブニがベストだ。

さて、作り方なんだけど、ここは1家族分4から5人前を目安にしよう。

■ワーブニの作り方

まず200円/袋の豚骨2袋及び所用のソーキブニをおもむろに鍋に入れてひたすら煮詰める。予め塩を入れておくと良い。煮立ってきたら500cc程の冷水を入れて灰汁が出やすくする。

灰汁が出始めたら最初の脂を適当に取る。続いて網じゃくしで灰汁をとるんだけど、この灰汁の大部分は血なのでそんな神経質に取る必要はない。

ここで注意したいのは最初に出てきた脂を取り除いた後は、その後の脂分を一切取らないこと。最初の脂は豚特有の臭いがするんだけどその後の脂はあっさりしてるんだ。脂を執拗にとり続けると全くあじけのないワーブニになるさーね。

水うちした後、昆布・ダシの素・宮古味噌・醤油少々を入れて3時間煮詰め、食べる30分くらい前に冬瓜を入れると完成だ。

あ、ソーキは鍋に入れる前にフライパンで塩振って軽く醤油でソテーしとくと尚いいんだな。てびちも同様ですな!

もう一つ、知り合いの下地家の作り方も書いておこう。

ソーキやその他の骨を温水で丁寧に洗い、塩・鰹だしで4時間以上ことことと煮詰めるという超シンプルなワーブニ。これは美味いよ、はっきり言って。入れるのは昆布だけ。宮古味噌はいれない!

行ってきました。沖縄ドキュメンタリー映画祭

宮国優子(平良下里出身)

先週の土曜日(11日)に法政大学で行われた「沖縄ドキュメンタリー映画祭」。行って参りました。やってきました、シンポジウム。

恥ずかしいけど末席パネリストの私。「だいずどぅぐりー」という一言さいが。宮国優子、パフォーマンス悪過ぎ。だりた。

すぴし(耳が遠い)私は、何故かパネリストの皆さんの声が聞こえなくて、話を聞き逃さずにいるだけでやっとさぁ、もー。反省点が多すぎてだいずモヤモヤしていますけど。あがいー、まじで、だーいずっモヤモヤ。いつも新しい事に挑戦するぞと鼻息荒いわりには、ただの ぴーぷしゃ(すかしっ屁)あがい〜。

シンポジウムは「変わりゆく島−祭祀の記録から」がテーマ。

いわゆる祭祀研究家や祭祀番組のデイレクターの方々が熱いトークバトルを繰り広げました。若輩者の私はあんまりしゃべれんかった。残念でした。やっぱり油ノリノリのおじさんたちには負ける。

でも、何が面白いって、みなさん自分の言いたい事がある。一人で15分くらい語り続けるという流れが象徴的だった。それもやたら自己完結されていて口を挟めるわけないさいが!おーみまゆ(臆病猫)になってしまいました。これこそ借りてきた猫でした。たぶん、ガングルユマタ出身の野良猫風情であったでしょう。カママミネに向かって全力疾走した頃には誰にもいなかったさー。

さて、映像の話をしましょう。
人のパンツを見るような、いや、それよりも難しいと思われる祭祀の現場。(注:あくまで個人的解釈です)あますところなく扱った映像もありますが、逆にそっと見守るようなものもあり、また今の現状を淡々と物語るものあり、と、非常にバラエティ豊かでした。

この映画祭のテーマは「世(ユー)を繋ぐ」。

ちなみに上映作品は6点。おなかいっぱい。それなのにシンポまで。来てくださった皆さんはお尻が やんーやん(非常に痛い)だったはず。

『ナナムイー第2章 ユークイ編』
『竹富島の種子取祭』
『石垣川平のマユンガナシ』
『ユークイ 〜祈りの島 宮古・池間島〜』
『島語り 島の声 〜ユークイの島2001〜』
『島語り 島の声 〜狩俣の祭祀は今〜』

ユーとは何か。私は幸せの発露だと思う。人や天や地や、その大きなつながり。うまく言葉にはできないが、人の情けや愛情や助け合いもすべてをひっくるめたユーを人間は今も昔も求め続けている。

数日前、娘に「幸せってどういう意味か知ってる?」と聞いたら「今、とっても気持ちいいってこと」と答えた。さすが5歳児、将来とかまったく考えてない。真夜中にふと目が覚めて「そうなのかもしれない」と私はつぶやいた。いろいろ大変なことがあっても祈らずにはいられない、人間独特の幸せに向かう姿勢かもしれない。

そして、はたして私は繋いでいるかね〜?と考えさせられました。で、そこはかとなく繋いでいる気にもなりました。祭祀をハレとして考え、ケとして自分の周りの神事を考えると、うっすらは繋いでいる。

宮古だって地域民が一斉に祭祀という大きなまとまりが減少の一途をたどっていても、個人は繋いでいると思える。要は個人の中に自然や祖先へ畏敬の念があるかないか、たったそれだけじゃないかなぁ。

ない人にはない生き方があり、私のように根っからの恐がり屋は畏敬の念に押しつぶされる。子どもの頃から線香や習字紙を折り畳み、卵ボーロを盗み食う生活をすると(ユタのばあちゃんの手伝い)宗教というものはわからなくても、神らしきものがいるらしい気にもなる。身近に亡くなった人がいれば、彼らはいつもどこからか私を見守り、支え、時には罰を与えるのではないかとおびえる。

個人的な視点からは文化は有機物。個人が100パーセント手中におさめることは至難の業。だからこそ、集合体としての世代が担う。ピッチャーが下手でも、キャッチャーが下手でも、ボールは渡す事ができない。

でも今の世の中、難しいはずさー。こんなに情報や価値観があふれているからよー。でも、でもよ。個人だったらいけるかもしれんさいが。おじーおばーや父ちゃん母ちゃんの気持ちを受け止める。受け止めたくなくても知らないうちに受け止めている。受け止めたその世代が時代の空気を加味して次の世代に送る。

誰も誰の人生も背負えないからこそ、同じ境遇や価値観がないからこそ、その個人や祭祀を記録したり言葉で残したりする事が大事なんだよなと思ったりして。

願わくば、私のひひひひひ孫くらいが私を思い出してくれれば。イマイチなばあちゃんだなと思ってくれて結構。でも私のDNAは明らかに継がれて行くはずだ。それだけで、子孫には勝ちな気がする。だいたいこんなこと言っている時点で負けてるかもしれないけれど。

なんだか相変わらずまとまりがないさいが。へこんで、だりた、けど負きゃーならん(まけてはいけない)いろいろ見えてきたことも多かった。次に何をすべきか、うっすら見えて来た。

次の日、書道家の先生方との一席があった。彼らがまるで ぷりむん(惚れもの)のように書道文化を熱く語っていた。まるで恋するおじさんたちだった。

祭祀はまるっきり口承文化。その口承文化から、次は書という文化が出来たはず。現代は映像表現に繋がって行くのかもしれない。

一人で山手線でワクワクしたのだ。この流れに。きっと古代、いや、現代でも口承の文化を繋いできた人間が文字を残そうとワクワクしている。これは私であり、くま・かまライターであり、読んでくださる皆さんだ。そう思えてならない。

だからきっと宮古から映像作家が生まれることを確信!えー、妄想です、妄想。でも、その下支えをする世代として、頑張らんとなーと思ったのでした。

ワイドー by myselfのお話でした。(だからよ←心の声)

おしらせ

■市民による人権啓発劇『この空を飛べたら』

松谷初美(下地町高千穂出身)

平成20年度地域人権啓発活動活性化事業の一環として、来る26日にハンセン病をテーマにした劇が上演されます。制作から出演まで全て市民の手によるものだそうです。ぜひ足をお運びください。

『この空を飛べたら』 作・演出 砂川健次

【あらすじ】
昭和10年、小学校に通う三郎(12歳)は学校の健康診断で「らい病」(ハンセン病)に感染していることが判明する。15歳のある日、三郎は療養所に強制収容されるが、4年後、三郎の前に16歳のトヨが現れ、二人は恋に落ちる。しかし、「所内結婚は断種・堕胎」という厳しい現実が待ち受けていた。二人は子供を産むことを決意し、療養所を抜け出すが・・・。

この空を飛べたら・・・
もっと自由に生きられたのにね

人間とは何か!?生きるとは何か?
ハンセン病患者の実体験を元に制作した
ノンフィクション劇

日 時2008年10月26日(日)午後5時開演
場 所マティダ市民劇場
入 場無料
主 催宮古島市/宮古地区人権啓発活動地域ネットワーク協議会
共 催宮古テレビ株式会社
協 力宮古南静園自治会/宮古島市教育委員会/宮古島市立東小学校

■第35回 関東宮古ふるさとまつり

すっかり秋めいてきた関東ですが、皆様には、ますますお元気でお過ごしのことと思います。

今年も、関東宮古ふるさとまつりを下記のように開催しますので、ぜひ、郷里のみなさん、友人、知人、お誘いあわせのうえお越しください。お待ちしています!

日 時2008年11月9日(日)
午前11時30分開場 正午スタート
場 所上野水上音楽堂 03−3828−9168
JR上野駅・御徒町駅 徒歩10分
入場料前売り3000円  当日券3500円
内 容・なりやまあやぐ大会
・各郷友会の出し物
獅子舞(東京多良間郷友会)
棚原芳和 唄・三線(関東上野郷友会)
ヨンシー(関東下地郷友会)
クイチャー(関東城辺郷友会)
・方言大会
その他・会場への飲食物への持込自由です。
ピクニック気分でお過ごしください。
・ゴミはお持ち帰りくださるようお願します。
・各郷友会の指定席あり
申 込関東宮古郷友連合会事務局
(クイチャーパラダイス内 03−3982−2446)
各郷友会事務局
主 催関東宮古郷友連合会・宮古市村会

編集後記

松谷初美(下地町高千穂出身)

時々、すとぅむてぃ しゃーか(朝早く)、近くの公園までウォーキングをしている。その公園に今どんぐりがころころと落ちていて、思わず、拾ってしまう。どんぐりの種類によって、形や帽子の部分が違ったりして、なんともかわいいがまだんだよね。

やらびぱだ(子どものころ)、♪どんぐりコロコロの歌はうたっていても、どんぐりというのを実際に見たことがなかった。

内地に来て初めて見たときは、感動したなー。息子が小さいときは、公園で やまかさ(いっぱい)拾ってきて遊んでいたっけ。

息子は、とっくに見向きもしなくなったどんぐりだけど、落ちているのを見るとなぜか拾わずにはいられない。スカートのすそをひろげて(いや実際にはスカートははいていないんだけど)そこに入れて持ち帰りたくなる。(いったい何がしたいんだ?)

やらびぱだから、実のなるものには目がなかったせいか(それがおやつだったからね)大人になった今でも嬉々としてしまうのだ。コロコロ。

さて、今回のくま・かまぁ のーしがやたーがらやー?

壺屋のやちむん通りは、有名ですねー。私も何回か行ったことがあります。かいの思いがけない「まじる商店」のご主人との会話は、いろいろなことを考えさせられますね。あ、ちなみに下地でも髪の毛がぐるぐるしているのは「がぐ」と言います。

掲示板でもいろいろな料理のワザを見せている神童ですが、「ワーブニ」もやはりワザありでしたね。ソーキだけでなく、豚骨も買ってきて出汁をとるのがミソなんですね。下地家のも んまくいぎ(おいしそう)!みなさんも、ぜひ、お試しあれ〜。

優子さんが書いている「沖縄ドキュメンタリー映画祭」私も行ってきました。こんなに一気に祭祀の映像を見るのは初めてで、優子さんのいう、「人のパンツを見るような」、というのはすごく分かる気がします。見てはいけないもの、写真も撮ってはいけないものという感覚がありましたから。でも、見ることができて良かったです。制作者の想いも伝わってきました。

シンポジュームでは時間がなくて優子さんのお話しがあまり聞けなかったのが残念でしたが、今回「誰も誰の人生も背負えないからこそ、同じ境遇や価値観がないからこそ、その個人や祭祀を記録したり言葉で残したりする事が大事」の言葉になるほど!と思いました。優子さん、お疲れさまでした!

会場では、くま・かまにおしらせを書いてくださった、法政大学沖縄文化研究所のもりもとさん方々が一生懸命働いていました。また何か、企画があればぜひ、おしらせをお願いしたいと思います。たんでぃがーたんでぃでした。

秋は、やはり催し物が だう(たくさん)!

『この空を飛べたら』は、このメルマガにも時々登場する宮古テレビの砂川健次さんが、作・演出を手がけています。今、最後の大詰めで大道具の準備や稽古に ぱんたーぱんた(大忙し)のようです。良い作品にしようと制作スタッフ、出演者の皆さん(あなたの知っている人がたくさん出るかも!東小学校の生徒のみなさんも出るそうです)、頑張っています。見応えあると思いますので、ぜひ足を運んでくださいね。

関東宮古ふるさとまつりは、昨年から上野水上音楽堂でやっています。作年も大盛り上がりでしたね。今年は残念ながら、下地勇さんの出演はありませんが、楽しい会にしようと連合会では、張り切っています。どうぞ、みなさん、お友達、近所の方誘いあってお越しくださいね。そして、ばんたがマツカニさんこと、棚原芳和さんも登場ですよ〜。ワイドー!マツカニさん。

今回も しまいがみ ゆみふぃーさまい たんでぃがーたんでぃでした。
(最後までお読みくださり、ありがとうございました)

ぜひ、あなたの感想をお聞かせくださいね。お待ちしています。

次号は、三週間後の11月6日(木)の予定です。お楽しみに〜。
きょうも、かぎぴかず(佳き日)でありますように!

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