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宮古島方言マガジン「くまから・かまから」
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くまから・かまから vol. 188

2021 5/05
メールマガジン
2009年1月15日2021年5月5日

こんにちは〜。
ぴしーぴしの(寒い)毎日が続いていますが、ぱだーぱだうらまずなー(お元気ですかー)?あったかいーい、ちゃーがまぬんがつな(お茶でも飲みながら)くま・かまぁいかがでしょう?
vol.188お楽しみください。

目次

ヤーズミ(ヤモリ)撃退作戦

アモイ(平良宮原出身)

去年7月から宮古島の実家に住んでいますが、其の時に今更ながらびっくりしたことがあった。家の中にヤーズミ(ヤモリの事以下「ヤーズミ」とします)が多い事です。

暗い部屋に戻って電気をつけるとヤーズミがシュルシュルシュルっと逃げていったり、サッと陰に隠れたりします。台所やふろ場の窓ガラスの外側に張り付いて虫を捕ろうと動き回っています。腹側が丸見えで、4つある足には小さい指が4本です。その姿は大きさは全然ちがいますが、美ら海水族館にいる鮫を下から見上げた時と似たものを感じてしまいました。

夜中に寝ようとすると、「キュッキュッキュッ」と聞こえてきます。友人曰く、「うちのヤーズミは俺がギターを弾くと決まってキュッキュッと鳴き出すんだよ、あいつはギターの音が好きなんじゃないかなー」へえー、リズムでも取ってるつもりかもなー?

しかしねー、部屋の隅や棚の上、机の上、押入れの中などにもヤーズミのフン(マッチの軸の大きさほど)とそのフンにくっついている白い尿(直径1ミリ位)がよく落ちてるんです。

ヤモリは人畜無害、家に入ってくる害虫を食べてくれて「家守」といって家の守り神のような事も聞きます。うちの母曰く、近所に遊びにいってかなりでかいヤーズミがいたので、その辺にあるもので追い払おうとすると、「あがい うりゃー ばんたが 家―んどぅ つかない ゆーば あんちゅーき」(あの、これはうちで飼っているからそのままにしておいて)と言っていたそうです。

ある日、上側の小窓の動きが悪いので、サッシ戸の溝を覗くと、何という事、愕然としてしまいました。虫の死骸とヤモリのフンや尿、卵の抜け殻がつみあがるほど溜まっていました。

これはいくらなんでもひどいなー、掃除が結構やりにくいんですよ。いくら害虫をたべて家を守ると言っても、虫も依然として入って来るし、見えにくい隙間に排泄物をまき散らすし、かなりいやだなー。

守り神というのも迷信なんだろうから、トイレのしつけができる訳もないし、この際家を汚さない為には元を断つ事が必要だろう。よし、ヤーズミ撃退作戦を進める事にしよう、と決め実行に移しました。

作戦1、ゴキブリホイホイ仕掛け。

6か所以上仕掛けて、ゴキブリはかなりひっかるもののヤモリはたまーにひっかかる程度でなかなか思うようにひっかってくれません。

作戦2、蠅叩きによる殴打法。

天井を我がもの顔で這っていったり、一瞬のうちに小さな隙間に入り込み隠れたりで、壁をたたくばかりで、からかわれるが如く、思うように退治できません。

それでもしつこく追いかけ、数うちゃ当たるでやっていましたが、やったと思ったら、尻尾が切れて、クネクネして気持ち悪い。あとから尻尾のないヤモリがうろつくことになります。一度追いかけられたヤーズみは、おーみざか(用心深い)です。人の顔を見ただけですぐに逃げだします。

たまには赤ちゃんヤーズミがいて、動きも遅くか弱くてほんのちょっと叩いただけでコロリです。赤ちゃんヤーズミはちっちゃくて可愛いいんで、退治するのはちょっと可哀そうな気もします。しかし、赤ちゃんであろうが何れ大人になるのだし、容赦できないなー。

次の作戦の前にいい退治方法があるか調べてみよう。

「ヤモリ退治方法」でネットで検索、するといきなり「ヤモリは退治しちゃだめですよ。家守ですから」そして「ヤモリの飼育法」などが出てきてしまいます。どうやら退治方法載ってないようです。

作戦3、外のヤーズミを竹ぼうきと物干し竿で殴打

夕方になると外の壁や外の天井にわんさかいます。これがアルミサッシの戸を閉めていても戸の隙間から簡単に中に入り込めるので出入りは自由なんです。だから外の天井や壁を這っているのを撃退しようという事で、竹ぼうきや物干し竿で追いかけます。

壁のは竹ぼうきで払い落してから・・・、ウワッ、自分の頭の上にもろに落ちてきてギョッ、天井のを物干し竿で叩いて命中した時などはハラワタまで出てきてしまい気持ち悪いです。命中率は極めて悪くほとんど逃げられる。                               

作戦4、蠅たたきに延長棒を付ける

蠅たたきを長めの板に紙テープやビニールテープで固定します。外用はかなりの長めの棒をつける。家の中用は天井まで届くくらいの板棒をつけます。できるだけ早く振れるれるように軽い棒にします。すると天井に這って行っても手を伸ばせば簡単に届いて命中率がかなり高い、これだ!これで退治してから、我が家からヤーズミがほとんど居なくなりました。

この撃退作戦はきっちり分けたわけではなく、かなり重複して進める事もありました。

そして撃退しながらヤーズミの動きを観察を観察しましたが、面白いです。自分が狙われている時、こちらをじっと見ています。そして、ちょっと動くと、こちらの位置を確認しながら、サッと裏にまわりこみます。サッシ戸に居るときは戸の上側の隙間にサッと隠れます。そしてちょっと顔をだしてこちらがまだみているとさっと顔を引っ込めます。ヤーズミは人の視線を感じ取ることができ、死角になる場所にさっと隠れます。なかなかの隠れ上手なんです。

隠れ上手か、なるほどねー、方言で、隠れるは「カフィ」か、それに「ヤーズミ」をくっつけて「カフィヤーズミ」となるのか、何だかわかりますか??「かくれんぼ」の事ですよ。かくれんぼはヤーズミが隠れるような仕草に似ているんですね。

昔の宮古の人はよく観察していたんですね。しかし、与那覇ユヌス著の《ミャーク方言辞典》に載ってないので、うちの地域だけなのかなー?他の地域ではどうだろう?

最近ヤモリが天井や壁を這うことからヒントを得てロボットに壁を登らせようと、技術研究が進められているというテレビニュースがありました。実際にロボットが壁を登って行く映像もありました。人畜無害だけでなく、研究開発にも寄与しています。そんなヤーズミをいじめ過ぎてしまいました。ゴキブリを撃退した時のような、爽快感はありません。

作戦4、で7匹程退治した時にはさすが罪悪感を感じ、穴をほって埋めて手を合わせて供養してあげました。

宮古島といえども冬場は、ヤーズミも活動しにくいようで、冬場は問題ありません。今年の夏場に、作戦4、で行くのもちょっと気が引けるし、どうしようかなー?

守り神として共存し、見えない隙間なども小まめに掃除をするかなー、それも大変だしなー、家の周りにシンナーや薬を撒くと寄り付かないと聞いたことがあるなー。

みなさんの家ではどうですか?

合唱で宮古民謡

松谷初美(下地町高千穂出身)

先日(10日)、東京の同じ市内に住む知りあいから、その人が所属しているコーラスグループの演奏会を聴きに来ませんか?とお誘いを受け、宮古出身の友人と行ってきた。

女性だけの「コーロ・アミーチ」という地元のコーラスグループの演奏会で、幕開けがなんと「宮古島からのたより」と題して「仲屋マブナリヤのアヤグ」と「なり山あやぐ」だった。

宮古民謡が東京のコーラスグループで歌われるとは!おごえー、びっくり。三線で聴くそれとはまた別物で、ハーモニーがなんとも美しい。とても気持ちのよい音楽と歌だった。まーつき(一緒に)行った友人も「いいねー!」と。二人して感動。

そもそも先の二つの曲は、このグループが参加しているという「舫(もやい)の会」の指揮の方が作曲家:瑞慶覧尚子さん(1966年那覇市生れ、桐朋学園大学作曲科卒業。混声合唱組曲「うっさ くわったい」などの作品がある)に委嘱した4曲からなる組曲の二つだそうである。上記のほかに「多良間よ」「平安名のマチガマのアヤグ」がある。(インターネットで「宮古島からのたより」で検索すると、カワイ出版から楽譜が発売されていた)

この組曲は2007年に他のグループと合同演奏で初演され、大好評だったとのこと。

好評を得て、今回の演奏会にも取り上げられたそうだ。上の曲以外にも、沖縄の遊び歌や「花」「花ぬ風車」「芭蕉布」(中村透作編曲)も披露された。

今や内地のいろいろなところで、沖縄の歌を耳にする機会は多くなっているが、自分の住んでいる街でしかもそこに住んでいる人たちが合唱で歌っているとはよもや うむいやつーん みーったん(思いもしなかった)

誘ってくれた彼女は、「なり山あやぐ」が一番好きなのだそうだ。そして、この3月には宮古に行って本場の民謡を聴くことができたらいいなーと計画中だそうである。なんとも ぷからすくと(うれしいことだ)

それにしても、なぜ宮古の民謡だったのだろう。(沖縄には数々の民謡がある中で)そして、選曲がまた、だいずコアだ。「なりやまあやぐ」は宮古の人ならほとんどの人が知っていても、「仲屋マブナリャのアヤグ」や「多良間よ」「平安名のマチガマのアヤグ」は、そうそう知られた歌ではない。(私は「多良間よ」は残念ながら知らないし、他の2曲もここ数年で知った歌である)この曲が選ばれた理由をいつか知ることができればなーと思う。

舞台では、何の違和感もなく、みゃーくふつの歌が響く。南の小さな島で歌われていた歌が、違う息吹を与えられ、内地の人々の心に届けられる。満席の会場に、宮古の風がサーっと吹いたような気がした。

※資料参考:「コーロ・アミーチ演奏会」パンフレット

あっぱれ!婆っちゃん!

菜の花(伊良部町仲地出身)

婆っちゃんが脳梗塞になった!
前日まではヒャ〜ッ!と あやぐいゆ いだし(声をあげ)、車いすをこぎながらピュッと唾を吐いたりと、いつもの婆っちゃんだったはず・・・。

その日の すとぅむてぃ(朝)、夜勤者が婆っちゃんを起こすと、右手には たやぬにーだ(力がなく)ダラリと垂れていた。おしめまい とぅらん(オムツもはずそうとしない)。くうぃまい いださん(声もださない)。

これは大事件!婆っちゃん一大事!と、病院に行くことになった。

ストレッチャーに乗せられ神妙な みぱなしーぬ(顔つきの)婆っちゃん。なんだか複雑な気持ちになった。

施設で うむぅがにゃーん(自由に在るがままを)生き通している婆っちゃんが、点滴や検査を まなーいーまない(おとなしく)受けるわけはない。しかも、これまで一度も病院に入院したことなどないのだ。治療のためには鎮静も強いられると思うだけで、たうきー(一人きりで)病院のベッドに寝ている婆っちゃんを想像しては つむぬどぅ やん(切なくて胸が痛んだ)。

婆っちゃんを乗せた施設の車を見送ったあとも、時計をみては、「婆っちゃん、今頃どうしているんだろうね」と、気にする職員たち。

婆っちゃんはだされた食事は んーな ふぁい(すべて食し)、うりしーまいたらーだ(それでも足りず)・・・あらん(いや)、ふぉーたーくとぅ(食べたことを) ばっしー(忘れて)配膳のワゴンに残っているものを欲しがって指をさす。

何度オムツをはかせてもすぐに脱いでは放り投げる。あとの始末に追われる職員のことなど てんてぃまい っさん(まるでお構いなし)。

青森の生まれらしいが、言葉を ばっしたー(忘れた)婆っちゃんの話は奇声か宇宙語にしか聞こえない。それでも職員は奇声を聞きわけて婆っちゃんの要求に応え、ちゃんとコミュニケーションをとるのだから、人間は言葉が通じなくても意思疎通は可能だと確信したりする。

一人息子は数年前に病気で亡くなったが、婆っちゃんは うりまい っさん(それも知らない)。嫁も高齢でいつしか来なくなり、職員と過ごすことが婆っちゃんの毎日の生活になった。

今年100歳になった婆っちゃんは、何をしても「婆っちゃん」であるが故に「婆っちゃんならしょうがないな〜」と許せてしまう。そんなふうに職員から大切にされていた。 

昼も過ぎ、やがて日勤の仕事が終わりかけたころ、病院から電話が入った。

「点滴をしたら元気になり奇声をあげだした。梗塞もそれほどひどくはない。病院には対応できる部屋が空いてないので一旦施設へ戻します」と。

治療の必要あり、と病院へ搬送した婆っちゃんが帰ってくる・・・。なんだか腑に落ちないような、それでもいいような、何と言っていいのか自分でも表わし難い気持ちになった。

施設の車が病院まで迎えに行き、婆っちゃんは ゆさらびにーか(夕方遅く)帰ってきた。婆っちゃんの みぱな(顔)を見てから帰ると、待っていた職員たちが「おかえり」と迎えた。

ストレッチャーから婆っちゃんをベッドに休ませながら「みんないるからね。大丈夫だよ。婆っちゃんのベッドだよ。」と声をかけると、わかっているのかいないのか、婆っちゃんはウンウンと頷いた。

体の右半分が麻痺のため力が抜けていて、みぱなまい(顔まで)いつもの婆っちゃんとは違って見える。なんといっても、まないーまない(おとなしく)静かすぎることが気になる。

てぃーゆ なでぃがすな(手をさすりながら)血圧を測ったり、脈を測ったりして婆っちゃんの存在を確かめた。

例え今晩婆っちゃんに のーぬどぅ あらばんまい(何があろうとも)、後悔したり嘆いたりはしない。んなみたーき(今まで)婆っちゃんを見てきた職員の思いや関わりになんの濁りもない。

私たちは婆っちゃんの きない(家族)にはなれなくても、婆っちゃんを愛することができる。婆っちゃんが施設に戻ってきて、また私たちが婆っちゃんと関われることを幸せだと思おう。心からそう思った。

夜勤職員と緊急の連絡経路を確認してから帰路についたが、重度認知症の(超)高齢者の医療問題が かなまずかーぱなりん(頭から離れなかった)。

次の日、出勤して真っ先に婆っちゃんに会いに行った。

夜間の状態を聞きながら見たものは、なんと!車いすに乗り必死でいつもの自分の指定席を目指して移動しようとする婆っちゃんの姿だった。

起こしてほしいのか落ち着かなく、寝かせておくことは安静どころか逆効果とのことで車いすに乗せてみたとのことであった。

麻痺で利かない右手を持ち上げようと力を入れ、人差し指を突き出して自分がいつも居る場所を ういびざす(指さす)婆っちゃん。そこに連れていけというのだ。麻痺のない左手で懸命に車いすを動かし、前に前に進めようとする婆っちゃん。

100歳の婆っちゃんが渾身の たやをいだし(力を振り絞って)、生きることにこんなにも必死で生きている。

その姿に「婆っちゃん、あっぱれ!すごい!」と拍手しながら なだぬどぅいでぃ(涙があふれてきた)。

人は生まれた瞬間に死を約束される。生だけの人生もなければ、死だけの人生もない。生と死は一対のものとして生まれる者に与えられるのであろう。

大学病院の臨床で働いていたころ、私は10代から同年代、そして高齢者に至るまでと、多くの患者を看取ってきた。闘病の日々を看護し最期を看取るということは、時として虚無感に襲われ、白衣を着ることをためらう日もあった。

しかしこの施設で、 ぬつぬ(命の)最後の ぴとぅたりがみまい(一滴までを)生き抜こうとする うぃぴとぅぬ(老人たちの)姿をみることで、病院と同じ白衣を着ながらにして思うことは、「人生のご卒業おめでとうございます」と最期を見送れる境地に至ったことである。

生きることを全うして逝く老人の姿には、晴れやかさや誇らしさすら感じると言ったら不謹慎だろうか。

あれから、婆っちゃんは少しずつだが回復しつつある。100歳という年齢を思えば、寝たきりでないというだけでも恐れ入ることだ。

介護職員はといえば、奇声か宇宙語か判読不明な声だが、うぷぐぅいぬ(大きな声が)出るようになったと だいず ぷからすぎむぬ(大騒ぎで喜んでいる)。

そして、「早くオムツをはずして放り投げられるようになればいいのにね」と言う・・・。それも病院に入院できなかった理由なのに・・・。

アガイ〜!いてぃやー まーんてぃ のーしーぬぴとぅぬきが(まったく あなた達ってばさ)!婆っちゃんをまるごと受け止めるって、そういうことだよね!

婆っちゃんもあっぱれだけど、あなた達もあっぱれだぁ〜!

お便りコーナー

前号(vol.187)への感想・お便りを紹介します。

funasokoさん(埼玉在住)

■元日の朝に・・・

元日の朝に「くま・かま」が届く嬉しさ、読める嬉しさに感謝します。「くま・かま」が届くたびに継続のすばらしさを感じずにはいられません。

内容は異なりますが、1年前、自社の代表就任を機に毎月1回社内報を作成、発行してきました。「くま・かま」を見習い今後も継続していきたいと思っています。

今号の”宮古島の図書館応援ブログ「島の図書館に行こう!」ご案内”は、松谷さんらとともにやった図書支援活動を久しぶりに思い出しました。

あの時の子どもたちも島の図書館をつかってるのかな〜、新図書館ができるのを楽しみにしているのかな〜なんて考えると、なんとなく心はずむお知らせでした。

昨年、暮れに「すごい本屋!」という素敵な本を読みました。和歌山の山の中、100人ほどの集落にあるたった1軒の本屋さんの奮闘記です。このちっちゃな本屋で絵本の原画展がひらかれ、著者たちのお話会、読み聞かせ会が開催される、それを奇跡という人もいるかもしれないけれども、本好きの人たちの連鎖がつくる幸せはきっとあるんだろうと私は信じています。

山の中と島、本屋さんと図書館と規模の差や性質の違いはあるかもしれませんが、島の図書館と図書館応援ブログ、そしてそれに接した島の子供たちが今後大きく育つことを陰ながら願っています。

普段はズボラで無反応な読者ですが、年頭にあたり、感謝のシルシと生存連絡の気持ちをこめて書初め代わりにメールさせていただきました。

松谷さんと「くま・かま」読者の皆様にとりまして素晴らしい年となりますことをご祈念申し上げます。

編集後記

松谷初美(下地町高千穂出身)

宮古も ぴしーぴしの(寒い)日が続いているようですね。ぶーき゜(キビ)の収穫も始まって、農家は、ぱんたーぱんたしていることでしょうね。

して、今熱いのは市長選挙びゃー。宮古島市は、市長選への候補が7名も出て熱戦がくり広げられそうですね。先日(11日)東京の新宿で関東城辺郷友会の総会&新年会が行われましたが、そこでも、話題になっていました。やはり、こちらでも相当高い関心事です。

城辺郷友会の総会&新年会では、やまかさの人が集まって、ふるさとの話に花が咲き、民謡を歌ったり、クイチャーを踊ったり賑やかでしたよ。今年の東京での各郷友会の活動も開始です。


さて、今回の、くま・かまぁ のーしがやたーがらやー?

アモイさんのヤーズミとの奮闘記、面白かったですね〜。やはり、人間と長い間、共存しているので敵もよく見ているんですね。守り神としておくべきか、退治すべきかで悩むのも分かりますー。「カフィヤーズミ」とはかくれんぼのことだとは!ちなみにうちらのところでは、「かっふぃみゃー」と言います。アモイさん発、宮古の生活ならではのお話し、今後もご期待くださいね〜。

「宮古島からのたより」の組曲は、もしかしたらこれからいろいろなところで、演奏されるかもしれませんね。機会がありましたら、ぜひ、聴いてみてください。

菜の花の「施設物語」は、いつも心が ぬふーぬふ(温かく)なりますね。大変なことも多いはずなのに、ここまで思い、寄り添えるとは。菜の花は普段でも、施設の話をすると止まらない。お婆ちゃんたちが愛おしくてたまらないのだそう。ホントに天職なんだなーとしみじみ思う。また、どんな話が聞けるか、どうぞお楽しみに〜。

お便りコーナーで紹介したfunasokoさんのメールは、元旦早々に届きました。こうやって、楽しみに読んでくださっている方がいると思うとホントにうれしく、励みになります。funasokoさん、いつも宮古のこと気にかけて下さりたんでぃがーたんでぃ〜。今年もまたよろしくお願いしますね。

あなたの感想もぜひお聞かせくださいね。

次号は、三週間後の2月5日(木)の予定です。
その時まで、かんずぅやしー うらあちよー(お元気で〜)あつかー、また!

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