ゴールデンウィーク、終わりましたねー。
みなさん、いかがお過ごしでしたかー?楽しい時間を過ごされたことでしょうね。
5月最初の木曜日、vol.195お届けですよー。
高千穂幼稚園
naichar-shima(下地高千穂出身)
おぉーっ!! 言葉の響きが内地っぽい!カザンミ幼稚園でも、ツンフグ幼稚園でも、ましてやガーラバリ幼稚園でもない。高千穂幼稚園なのだ。
仄かにアカデミックなものを感じるのは僕だけだろうか?この、タ・カ・チ・ホという響きがすきだ。
高千穂は元々は川満部落の一部だったらしい。子供の頃たまに、お父宛にくる郵便物をみると下地町字川満○○○番地って書かれてて、何で高千穂なのに川満な訳?とずっと思ってたよ。
自分で手紙とかハガキとか出す時の差出人住所は必ず下地町高千穂(もちろん字はつけない)と高千穂に力をいれて書いてだしてた。
4才頃から高千穂幼稚園に通ってたと思う。
すぐ上の兄と近所の子らと一緒に通園してた。もちろん子供どうしでね。今の時代考えられないね。歩いて30分くらいだろうか。色々しゃべったりふざけたりしながら通うのには適度な距離だった。さすが高千穂幼稚園だよ。
高千穂幼稚園に通う道すがら、馬糞が落ちてて(ていうか、当たり前のようにあちこちにあったけどね)兄が「かつぼー、踏みみーる(踏んでごらん)」て言うんだよ。「へ、何で?」「だいず足が速くなるよ!」「まーんてぃなー(本当な)、ひやっほー!」かつぼーも、ひこぼーも、たかぼーも、興奮して馬糞をこれでもかというくらい踏んで(靴じゃなくサバでね!)、馬糞の臭いをひきずりつつアカデミックな高千穂幼稚園に通ってました。
あと、通園時の一番の難所、子供らが一番緊張するところであります。髪の毛がボサボサで汚いなりをした浮浪者風の変なおじさん(プリセイコーと呼ばれてた)がいて、その人を見つけると兄が皆に「すとーむき!」(下を向け!)と小さな声で叫ぶと皆一斉に下を向き、目を合わせないようにしながら心臓バクバクさせて通りすぎるまで冷や汗たらたらもんでした。(そのおじさんは別に何をする訳でもなくただ道端に座ってただけだけどね)
高千穂幼稚園にはマツ子先生がいて、ひらがなの読み書きの勉強したり、園庭一周ぐるぐる競争とかした。あと、建物の壁にエンピツ大の穴が開いてて、そこにその辺にある草の葉をちぎってきて棒で葉をぐりぐり押し込んで葉の汁が垂れるのを見て面白がったり(今思うとそれの何が面白かったのかちっとも分からん。)ん〜、子供の遊びは謎だ。
マツ子先生には娘さんがいて(名前はのりこ、当時高校生)学校が早く終わったり、マツ子先生の都合が悪くて来れない時は代わりにのり子先生が来て教えたり、一緒に遊んでくれたりした。
すごく綺麗で可愛くて、かつぼーは会った瞬間目がハートになり、イチコロでのり子先生にノックアウトされ、あろうことか大胆にも「今日、のりこ先生家に泊まってもい〜い?」などとのたまうのであった。(お前幾つかよ〜、4つだよ、まだたったの4才!)
「いいわよ、かつぼー」おっと、のりこ先生軽くねー?
「マ、マジッすかのりこ先生!?ひやっほー!」
「あー君達、先に帰ってていいよ。僕はのりこ先生ん家に泊まるから」
何と、かつぼーは兄とその他の子供たちを先に帰してしまったのであった。
のりこ先生いいのかそれで〜!?台湾パギで んーぱな垂れ(はなたれ)のちっとも可愛いくないかつぼーにナンパされちゃったのか〜?(その当時、かつぼーは台湾パギで頭には ぷてぃがいっぱいあった)
普通、4才ったらまだまだ母ちゃんに甘えたくてしょうがない頃だと思うけど、かつぼーはあっさり母ちゃん卒業なのか?(母ちゃんの立場も考えようよ、かつぼー。)
それからというもの、かつぼーは連日連夜、のりこ先生ん家に泊り込み(ヒモか、君は)ちっとも家に帰ってくる様子もないので、かあちゃん、おとう、おじー、おばー、兄達、おじさんおばさんたちも少し心配になり、入れ替わり立ち代りかつぼーを説得し連れ帰ろうとした。
が、かつぼーは頑として「んば!(嫌だ)家にはじぇったい帰らん!」と吼え、それどころか、ますますかつぼーの気持ちはかたくなになり「ふふ・・・これくらいで僕ののりこ先生への気持ちは変わらん!」などと又もや垂れてる んーぱなを拭おうともせず、まるで自分とのりこ先生の将来でもみるかのようにじっと遠くの方をみつめていた。(かつぼーは何かを決意するたび んーぱなが垂れてたみたいだ)
いよいよかつぼーとのりこ先生は障害があればあるほど燃え上がり、固い絆で結ばれるのであった。(もちろんそう思っているのはかつぼーだけである。は〜っ・・・書いてて頭が痛くなってきた。なんちゅー子供かよー)
最後の刺客は、やはりおとうだった。泣き叫ぶかつぼーを抱きかかえて帰り、のりこ先生との仲を切り裂くのだった。その時ののりこ先生の顔がぷからすきなり(嬉しそうに)みえたのは気のせいだろうか?
義父の入院
松谷初美(下地町高千穂出身)
同居している義父が1月末、脳梗塞で倒れ入院した。
義父(83歳)は、だいず がんずぅ(すごく元気)な人で、日ごろから健康には気を使い、風邪を引くこともめったになかった。
いきなり左半身不随になり、本人はもとより、家族もとまどうことが多い日々を過ごしている。
命はとりとめたものの、なにぶん高齢のため一週間はいつでも連絡がとれる状態にしておいてくださいと言われるほど、最初は危険な状態だった。
それがだんだんと意識が戻り、話すことに返事をするようになり回復が目に見えてきたときにはホッとした。熱が下がったと言っては喜び、HCUから一般病棟に移れたといっては喜び、食事(ペースト状だけど)ができるようになったと喜び・・・安心材料が増えてきた。
しかし、だんだんと自分のおかれている状況がわかってくると、義父は「家に帰りたい」と言うようになってきた。でも、点滴は続き、トイレに行くことも歩くこともできず、とても家に帰れるような状況ではない。
それでも帰りたい気持ちは抑えることができず、元気な右手と右足を使って、ふとんを蹴飛ばしベッドを乗り越えようとする。「まだ帰れないよ」と言っても聞かず「なんで帰れないだよ。このままじゃ、何もできないじゃないか。車で来ているんだろ、ほら帰ろ」と うぷぐいしー(大声で)わめく。
こんな興奮状態になるのは初めてのことで、どうしたらいいのかオロオロするばかり。様子を見にきた看護師さんに状況を話し、その日は逃げるように帰った。
翌日、きょうは大丈夫かなーと思いつつ病室をのぞくと、いきなり うぷぐいで「うそつき!昨日家に連れて帰ると言ったのに、黙って帰ってうそついたな!」と言う。あまりのことにびっくりして声も出ない。「皆して僕のことをバカにして」といろいろ悪態をつく。怖いやら悲しいやら。「そんなこと言ってないでしょう」と小声で言うのがやっと。いたたまれなくなりまた早々に退散した。
帰りの車の中で気持ちが落ち着いてくると、怒りがこみあげてきた。「なんでそんなこと言われなきゃいけないわけ。毎日、心配で通っているのによ。まーったく、おじいちゃんめー、ふがましゃ(わがまま)が出てきたなー」私も興奮状態。
夫に電話をする。「こんなこと言うんだよ、ひどくない?」「じゃ、明日は行かないほうがいいんじゃない?」と さぶたりゃ(のん気な)夫は言う。「えー、そんな簡単なことなのか?」
義父との同居は20年余り。その間、凪の日ばかりではなく、大波小波も吹いた。最初おとなしかった嫁も時とともに つーばーに(強く)なるのである。
明日病院に行くのはどうしよう。行かないわけにもいかないよなー。またうそつき呼ばわりされたら・・・でもこのままだと私もやってられないよなー。明日も言われたら今度は言い返そう。負けてなんかいられない。
翌日、ドキドキしながら病室をのぞくと、ふとんを顔近くまであげ、すなーしがま(おとなしーく)横になっている。あれ?どうしたんだ?と思いながら近づくと、ふとんから手がのびてきた。
ん?何?と思って近づくと私の手をしっかりと握り「ありがとう」と言う。「世話かけて申し訳ないね」とも。へ?どうしたの?おじいちゃん、調子狂うさいがよ。
私にも怒らせてよ。きょうは言うぞーと思って覚悟してきたんだよー。そんな殊勝なことを言われたら何も言い返せないじゃないかー。そう思いつつ涙は勝手にぼろぼろとこぼれる。
んなまぎー(今まで)一度もそんなこと言われたことなかったし、言われるとも思っていなかった。硬かった氷の岩がお湯をかけられたように、私の心はゆるゆると溶けていく。「そんなことないよ、おじいちゃんのほうが大変なんだからね」私のほうもなんだがおかしい。
それから義父は、「家に帰る」とは言わなくなった。今の自分の状況を受け入れたのかもしれない。考えてみたらどんなにつらい日々だっただろう。錯乱するのも無理はないのだ。それを受け入れる器が私になくて動揺してしまった。
義父が病気になって、今まっすぐ素直に義父と向き合っている気がする。こんな感情になるとは自分自身思ってもいなかったので、だいず不思議な気持ちがしている。良い嫁でなかったことへの罪ほろぼしなのかもしれない。看病できること、させてもらえることがなぜかうれしいのである。
しかーし、「家に帰る」は言わなくなったものの、「なんでもっと早く来ないんだよ!」「まーったく、言っていることも分からないんだから!」時に言いたい放題。およよ。
現実はめでたしめでたしとは終らないようだ。ま、ぬかーぬか(ゆーっくり)つきあうとしよう。
仏壇のお引越し
かい(伊良部佐和田出身)
結婚式の余興のため、いとこやおばが練習に集まった。
うちの親戚の余興といえば、毎回Tおばさんが中心と決まっている。曲の選定から振り付けまで全てお任せ。Tおばは誰の意見も聞かないし、何やかんや議論したって結局はTおばさんの言う通りにならないと収まらないから、いつの間にか誰も意見をいう無駄をしなくなったというのが本当のところ。親戚の芸能班長と誰もが認める踊りの名手ではある。
ところが、Tおばさんときたら、踊るたびに「あそこはこうしよう、ああしよう」と勝手に変更するものだから、私たちはなかなか覚えられずに振り回される。だからというか、これまで数やった余興できれいにぴしっと合ったためしがない。
前回など、私は皆がまだ踊っているのに、一番後ろで一人だけ退場してしまったこともある。袖で待っている次に踊る人たちから、「んめいっかい むどり(もう一回戻れば)」と笑われた。「じゃうぶん、あいぬむぬまい また うむっし(いいさあ、それもまたおもしろい)」と、Tおばさんは私たちの抗議など相手にしない。
この余興の練習の合間にするTおばさんの話がまた面白い。いつもゆがいなばなす(愉快な話)で皆を笑いの渦に巻き込んでいく。Tおばさんは笑いの種を持ち歩いて、行くところには必ず笑いの花を咲かせているのだ。
さて、今回はこんな話だった。
ある家で仏壇の引っ越しがあり、Tおばさんも呼ばれて参加していた。大和に(島では沖縄県以外をこう言う)住んでいる長男が、もう島に戻ることはないからと仏壇を移しに帰って来ていた。その姉妹、親戚、むぬすぅんまが儀式を執り行う為に揃っていた。
むぬすぅんまとは、直訳すると物知りおばあさんだが、沖縄本島でいうユタのようなもので、島で家々の神願うなどを頼まれてやっている。
むぬすぅんま がど、ぱすらを かったきぃ(ユタが柱を抱いて)「うわどぅが うやたぁ んまあ いかじゃあんってぃど あっじぃうりば」ってぃ あっじば。(「あんたたちの親は嫌だ行かない」といっているよ、と告げた)
あいやすたあ、うぬ長女が うくぐいしい泣きぃ、どんどんてぃ 床をどぅんみきゃしぃ たたきぃ(そしたら、長女が大声で泣き、床をどんどんとたたきながら)
「あがい、なってぃが いかじゃあん。かいやしぃ、長男が大和からんかいがきてぃ じゃうとぅん あしぃとぅらさってぃ あしゅうばまいうわどぅ なってぃが いかじゃあん。ってぃがあ うわどぅや たるうまい みいじゃあん。じゃあぶん うんちゃあゆばあ 捨てぃうき。んーなしぃ 捨てぃぱり」
(「なんで行かんか?こんなに長男が本土からわざわざ迎えにきて上等にしてあげようとしているのに、なんで行かないという。だったら、あんたたちをば誰もみないよ。分かった、これなんかをば捨てれ、皆で捨てて行け」)
長女が まあだ泣きぃ あぃずたいば、むぬすぅんま うどぅるきぃ ぴぃちゃがま すてぃから(長女がとっても泣きながらそういったものだから、ユタはびっくりして しばらくしてから)
「ってぃがあ いかでぃつぁ」と いみぐいやしぃ あっじば うかすむぬどぅ あたりど。(「だったら行くといっているよ」と小さい声でいったものだからおかしかったよ)
ばんちゃあ、んーな すたをむきぃ ばらうまい あしらいんすば ぴんなぎむぬ あたいば まあんてぃ むぬすぅまい かって(うちたちは誰もかも下をむいて、笑うこともできず変な気持だったよ。本当にユタも勝手なことをいうからね)
島から沖縄本島に仏壇を引っ越した話は、私の身近にもあった。
位牌を持って、佐良浜の桟橋にきたら「さあ、これから船にのるからね」と うがん(願い)をし、平良に着いたら「平良に着いた」と知らせ、飛行機に乗るときは「飛行機に乗るから」と、新しく仏壇を置く家まで道案内するらしい。
私は、「何で、神様なんだから、飛行機に乗らなくてもひとっ飛びに沖縄本島までは来れるんじゃない?お盆だって、あんなに沢山の迎え火の中を、ちゃんと間違えずに自分の家まで来れるくらいだから」と発言し、「くぬ ぴんな やらびゃあ(まったく 変なことをいう子なんだから)」とたしなめられた。
お便りコーナー
前号(vol.194)へのお便りを紹介します。
めいさん(埼玉出身)
■ほのぼのと優しい気持ちに
194号も楽しく読ませていただきました!
Motocaさんの「我らの余興に愛を込めて」
沖縄の披露宴は演芸大会みたいだと聞いてはいましたが、実際に体験した人の話を聞くと、本当にすごいですね〜。でもそれは、そこにいる人みーーんなが新郎新婦の門出を心から祝福し喜んでいるという証ですものね。さらにMotocaさんのように、何年ぶりかに同級生に会えたり、学生時代のように一緒に何かをやったりできる、素晴らしい機会の一つになっている。うらやましい位です。バルーンアート、私もちょっとやったことあるんですけど、難しいですよね!まず、あの風船をグイグイッとねじるのが、割れそうでなかなか出来ないんですよね〜。でも夜中まで練習を続けたMotocaさん、えらいっ!
初美さんの「下地勇さんの曲、岩崎宏美さんが歌う!」
この曲の裏側にこんなストーリーがあったんですね!感動しました。初美さん、たんでぃが〜たんでぃ♪うちにはラジオがなく、まだ聴けてないんですが、CDは予約して買います(笑)!勇さんの才能、どんどん花開いていきますね〜。ファンとしてはうれしい限りです!!
菜の花さんの「伊良部高校と春高バレーと」
いやぁ〜、ほんと、熱いです!!(笑)読んでるだけで、こちらも熱くなってしまいました〜。私の母がママさんバレーを20年くらいやっていた影響で、オリンピックやワールドカップなどTVでバレーの試合があると、母と私と妹できゃーきゃー言いながら応援したことを思い出しました。会場で菜の花さんが、知人や同級生に会って喜ぶ姿も読んでて微笑ましかったです。Motocaさんの、同級生の披露宴出席のように、伊良部高校生が東京での皆さんの再会をもたらしてくれたんですね〜。遠く東京まで遠征し、力いっぱい闘って、その上、故郷の先輩方にも出会いの場を提供してくれた、伊良部高校バレー部、ばんざーい!!これからもワイドー♪
優子さんの「宮古の風が吹いている。〜生活雑記、もろもろ〜」
優子さんの、熱い文章、いつも楽しく読ませていただいてます!娘さん、小学校に入学されたんですね、おめでとうございます!私の娘もこの4月から1年生!同じ学年なんですね〜。加えて、学童にも行ってますから、4月1日から2週間くらいはお弁当作りでした!保育園時代は、年2回(遠足と運動会)くらいしが弁当作りがなかったので、私も慣れない弁当作りにはブルーでした(笑)
<親の無償の愛をこのタイミングで知ること、まわりのたくさんの人に支えられて娘が健やかに育っていること、瞬時にいろんな思いが頭を駆け巡った。「子どものありのままを認める、応援して行く」未熟な私にはまだまだ出来そうで出来ない・・・大きな反省点。今思い出しても涙が出そうになる、あのご父兄の声はしっかりと子どもたちを見続けてきた声だった。いつか私も彼らのようになれるのだろうか?>の所には、思わず私も涙が出ちゃいました。。。子供のありのままを認めて、応援する。本当にそうありたいと思います。
優子さんだけでなく、くまかまライターの皆さんの文章を読んでいると、故郷宮古島に対する熱い思い、愛情、つのる郷愁、、、、などなどを感じます。それから、なにより、家族や友人に対する愛情でしょうか。。。だからいつも読んだあとは、ほのぼのとやさしい気持ちになれるんですね。忘れてはいけない、大切なことを思い出させてくれる、ライターのみなさん、ま〜んてぃ、たんでぃが〜たんでぃ!!
編集後記
松谷初美(下地町高千穂出身)
この季節になると、宮古ではユリの花やグラジオラス、月見草などが咲いていたのを思い出します〜。それから、野いちごも んなまずぶん(今の時季)ですよねー。あの小さくて赤いかわいい形と甘酸っぱさは、大人になった今でも ばっしらいんさー。
先日(5月1日)に、「一粒の種」を歌っている砂川恵理歌さんのライブが東京の代官山であり行ってきました。生の歌を聞くのは初めてでしたが声量のあるのびやかな歌声に惹き込まれました。「一粒の種」の歌の前にはこの歌ができるまでの経緯が語られ、菜の花の作った詩を朗読。歌へと続きました。朗読を聞いたあとの「一粒の種」は、感慨深いものがあり、格別な感動がありましたよ。砂川恵理歌さんのライブは、この後も続くそうです。お近くの方はぜひ足をお運びくださいね〜。
5月10日 | 沖縄「リザンシーパークホテル谷茶ベイ」 |
5月17日 | 長崎市 水辺の森公園一帯 |
5月20日〜21日 | 三越名古屋栄店 沖縄フェスティバル |
5月29日〜31日 | 美ぎ島ミュージック コンベンション イン宮古島2009 |
詳細は砂川恵理歌さんのオフィシャルサイトで!
さて、今回の くま・かまぁ のーしがやたーがらやー?
naichar-shimaの幼稚園の思い出は、強烈でしたねー。どんな4歳児かさーまず(笑)。当時(1960年代)の幼稚園は、各集落の公民館でした。のんびりとした時代の良さや幼稚園の雰囲気を懐かしく思い出した方もいたのでは?
今、介護の問題がいろいろニュースになりますが、身近な問題として見るようになりました。なってみなければ分からないこと、たくさんありますね。
かいの「仏壇のお引越し」は、沖縄の風習がユーモラスに描かれていましたねー。思わず笑ってしまいました。芸能班長のおばさんも、ずみ!ですね。どこにでも笑いの種を持って行って花咲かせるとは素晴らしい〜。
感想メールまい ぷからすむぬどー。めいさん、いつもていねいに読んでくださり、たんでぃがーたんでぃ〜。だいず励みになりました。みんなも喜んでいましたよ〜。
きゅうまい、しまいがみ(最後まで)お付き合いいただいて、ぷからすむぬやたん。
感想もぜひ、お寄せくださいね。まちうんどー(待ってます)
次号は5月21日(木)の発行予定です。どうぞお楽しみに。
きゅうまい かぎぴかず(今日も佳き日)でありますように!