くまから・かまから vol. 204

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 こんにちは〜。
 残暑の厳しさもなく、秋の風がまが吹いている東京です。
 今回も宮古への想いを込めて、vol.204 お届けしま〜す。

ばんたが おじい

松谷初美(下地町高千穂出身)

 ばんたがおじいは明治37年生まれ(たぶん)、今生きていれば105歳だが、残念ながら、33年前に72歳で亡くなった。
 
 おじいは、小柄ながら(155センチくらい)、骨太で、働きものだった。頭は短髪の白髪。さなき゜(ふんどし)を締め、明治の男と言う感じだった。梅酒や さるか酒(サルカケミカンの実を泡盛に漬けたもの)が大好きで毎晩飲んでいたっけ。
 
 おじいは、高千穂のカザンミで生まれ育ち、そこで きない(家庭)を持った。次男だったので、結婚をしたら家を出なければならず、子沢山(7名)の貧乏暮らしは大変だったようだ。
 
 若いころは、中国のカイナン島まで出稼ぎに行った。カイナン島からおばあ宛にみゃーくふつの手紙が時々送られてきたそうで、おばあもみゃーくふつで返したよと話していた。
 
 最初は元気に働いていたが、そのうち、脚気(かっけ)にかかってしまい、おばあに手紙を出す。おばあは、驚いて、ぬぅず(イシクラゲ)と あかまみ(赤豆)を送ったら、1回食べただけで、他の人に盗まれてしまったそうだ。みんなも大変だったのである。
 
 同じ集落のカザンミから4名一緒に出稼ぎに行ったが、そのうちの1人は、地元のお酒を買って飲み、逮捕された。闇のお酒だったかもしれない。との ぱなす(話)。
 
 おじいは病気が良くならず、皆より早く帰ってきた。でも、いくばくかのお金は持って帰ったので、そのお金に、おばあの父親が貸してくれたお金を足して、昭和初期に20円の むやい(頼母子講)を起し、しみんがーらやー(セメント瓦の家)を作った。
 
 私はこの しみんがーらやーで生まれ、6歳まで育った。んたのかざ(土の匂い)のする広い土間。ぐるりと回ることができた縁側。今でもありありと思いだす。その頃は、この家にまつわるそんな話は少しも知らなかった。しみんがーらやーは、私が6歳(昭和41年)の時、コラ台風で倒れてしまった。おじいはどんな気持ちで、骨組みだけになった家を見ていたのだろう。
 
 おじいは、若いころ、破傷風にかかったことがあり、左の人差し指は、第二関節から上はなかった。それでも器用になんでもこなした。
 
 昭和2年ごろ、カザンミの人みんなで、井戸も掘ったそうである。その井戸は、今は使われていないが、集落の真ん中にあり、しつ(節)の時はお供えをし、線香を焚き、拝むカザンミの人の姿がある。
 
 おじいは、芝居や歌・踊りも大好きで、まいなみ劇場に沖縄芝居を見によく連れていってくれた。フォーシスターズのステージを見に連れて行っくれたのもおじいだった。
 
 「若いときの苦労は買ってでもやれ」おじいは酔っ払うとよくそう話していた。子どものころは、ピンとこなかったけれど、今ならおじいの言いたかったことがよく分かる。
 
 おじいは、72歳のお祝いをした翌年、二度目の脳卒中で帰らぬ人となった。我家で人が亡くなるのは初めてのことで、棺に納められ、蓋に釘が打たれたときの悲しみは今でも忘れない。(その頃は、埋葬だった)
 
 宮古に帰り、カザンミの地を踏むと、うまかまん(そこかしこに)、おじいやおばあ、先人たちの気配を感じることがある。それは、畑の周りに植えられた木であったり、積まれた石であったり、井戸であったり・・・。
 
 おじいが亡くなってから33年。今度は、両親がおじい、おばあと言われる年代になった。

旅にいる人〜飛行場の思い出つらつら〜

宮国優子(平良下里出身)

 東京は、すだーす(涼しい)秋になりました。
 
 今日、私は宮古島の友人を羽田空港まで見送りました。職業で「人に会う」というのがあったらどんなにいいかねぇ(ついでに「くだらない話をする」というのも付け加えたい)。搭乗口のギリギリの場所まで友人について行っておしゃべりをしました。一時間しか会えなかったけど顔を見ただけで ぷからすむぬ(うれしい)。

 でも彼女の姿が見えなくなった瞬間に自分のまわりから色がなくなる気がした。ニュースで見る映像みたいに無味乾燥になる。あがい、涙が出そうになる。目をつぶると、彼女の着ていた宮古上布の濃い藍色が目に浮かぶ。まじで、なだ、だだだだ、だ。
 
 宮古の知り合いに会うとき、私の気分は「逢瀬」に近い。同性の友人でもなんだか胸にこみ上げる。変態か。羽田で宮古島に帰る友人を見送るとき、宮古島で親や友人に見送られたとき、都内に住んでいながらもなかなか会えない人と駅で別れるとき。泣きそうになる。だいず なきゅーさだ。宮古人は飛行機ものは弱いのだ。きっと一昔前、島に住む子どもたちは飛行機に乗り込むたくさんの背中を見ながら「今度はいつ会えるのかねー」と思っていたはず。残される方は寂しいと相場が決まっている。
 
 宮古では島以外にすんでいる島人のことを「旅にいる人」と言う。子どもの私にとって飛行機に乗って島を出た親戚のねぇねぇやにぃにぃは「旅にいる人」だった。「旅にいる人はいつか島に帰ってくるんだはず。だって旅にいるんだから。学校で習った旅行はちゃんと元の場所に戻ってくるものらしいし」。島が世界の中心だった小学生の私はそう思っていた。叫んだりはしてないけど。
 
 子どもにとって飛行場は別れの場所だった。ほとんどがコンクリートの地のままの灰色で素朴というか簡素というか今に比べればみすぼらしい飛行場。もちろん見送るほうが多かった。でも本島に用事があったりすると飛行機に乗った。いつも乗るまではかなりウキウキした。でも飛行場に着いて、いざタラップを上がるときにはうれしい気持ちより物悲しい気分の方が上回った。アルミっぽい色の壊れそうな頼りないタラップを親に手を引かれて上っていくとき、この世の終わりのような気持ちになった。もしかしたら宮古に戻ってこれんかもしれん、と思っていたよーな気がする。
 
 年に数回、本島から来る祖父母は南西航空のキャンディーをハンカチに包んでやってきた。私たち兄弟は毎日大事にひとつずつ食べて、なくなる頃にはおじぃもおばぁもまた本島に帰っていった。ガタガタと震えるような小さな飛行機が空向こうにいなくなるまで見送った。子どものころはあんな重そうなものがなんで空に浮くのか、不思議だったし、いや、今も不思議だけど。もしかしたら重いから墜落して会えなくなるかもしれないと本気で思っていた。
 
 祖父母とは一緒に暮らしていなかったけど祖父母の空気はいつもまわりにあった。それは母から伝えられる朝の たちょー(神様にお茶を供えること)や昔話や宮古のことわざや親しい人らとの ちょーき(おやつ)を食べながらのおしゃべりの作法?や生活のこまごまとした場面からだったと思う。自然すぎてよくわからなかったけど、今も刷り込まれているんだなぁと感じることも多い。達筆な手紙もよく届いた。その度にうれしいけど遠いところに住む人たちだと思い知らされた。祖父母も私から見れば「旅にいる人」だった。
 
 花笠空港になってもさびしかった。名前も飛行場から空港と呼ばれるようになっていった。私はといえば島で ぷーきて遊んでいるうちに、なんとなく花笠空港に慣れた。高校を卒業した頃はまだ花笠空港で一足先に島を出る私たちをたくさんの友達が見送ってくれた。卒業式から2週間は毎日毎日空港はにぎわった。ガラス越しに手紙書くからねと合図をした(もちろんメールではありません)。だいず青春。
 
 大人になったらいつの間にかサシバ空港になっていた。前の飛行場も花笠空港も1階から歩いて飛行機に向かった。でもサシバ空港になってからは四角い箱のような通路から飛行機に乗る。あの頼りなさげだったタラップも、コンバースで歩いた飛行機までのアスファルトも今はない。暑くてだりた覚えもあるけど、小さくて狭かった覚えもあるけど、なんだかだいず懐かしくなる。もう一度歩いてみたいなぁと思う。
 
 今や自分が「旅にいる人」だ。だからめったに会えない島の人に会うのは逢瀬みたいだと思う。それが日常ではないんだなぁと思う。だから宮古に帰ったときは寝る間を惜しんで人に会いに行く。なので、母よ、宮古の夜遊びは大目に見てください。こんなおばさんでも宮古に帰るとつい子どもに戻ってしまうのであった・・・。どぅ〜っぐり!

たますーゆ ぴんがすたー ぱなす(魂を逃がした話)

ビートルズ世代のサラリーマン(平良下里出身)

 子供の頃、たますをぴんがした(魂を逃がしてしまった)事がある。
 
 学校の帰り、平一小学校の裏門の所でトラックに ふぁーされ(轢かれ)そうになったのだ。緩んでしまった運動靴のひもを結び直そうと、モクマオウ木の下にしゃがみ込んでいるところに突然トラックがバックしてきた。しゃがみ込んでいるので、運転手も気付かなかったのだろう。すんでの所で身をかわし轢かれるのは免れたが、トラックの荷台でしたたか頭を打った。
 
 幸いたんこぶをこしらえた程度で大事には至らなかったが、やー(家)に帰って やーでぃ(家族)に報告するとると、おばぁーが真剣な顔で「うう゛ぁー たまっす ぴんがし きしゅーば ぴすーが いかだかーならん(あんたは、魂を逃がしてしまったので、拾いにいかないと)」という。
 
 逃げた魂をどうやって捕獲するのかも心配だったが、それよりもなによりも、魂が逃げてしまうということにすっかり動揺してしまった。魂が逃げていくとはどういうことだろう。もしもこのまま魂が戻らなかったらどうなってしまうんだろうと心配で夜も眠れなかった。
 
 翌日、昆虫採取用の網でも持たされ魂を捕獲に行くのかなと思っていると、おばぁは「き°ぬぬ とぅくまんいき いっすぅ みーつ ぴすいくーよー(昨日の現場に行って、石を三つ拾ってきなさい)」という。何故、三つなのかよく分からないが、いわれるままに石を拾いに行く。どうも人間の身体には魂が三つ宿っているからというのがその理由らしい。地域によっては七つというところもあるようだ。
 
 宮古では、たますを「ぴんがす」と表現するが、沖縄本島では、まぶいを「落とす」という。また、元に戻す行為は、宮古では 「ぴすいむどす」(拾って戻す)だが、沖縄本島では「まぶいぐみ」(魂込め)という。
 
 この魂を戻す行為は、各地方によっても微妙に異なるようだ。だいたいは家族の者が執り行い、それでも魂が戻らないような重症患者の場合に、とぅき°や 神かかりゃ(ユタ)のような専門家の登場となるのである。
 
 『沖縄文化史辞典』によると、まぶい込めは、まぶいを落とした場所がはっきりしている時と、はっきりしない時とで方法が違い、はっきりしている時には現地で御願をし、しない場合は現地にいかず豚便所で御願をすると書いてある。沖縄では、屋敷のあちこちに神様がいると信じられていて大切に奉られているが、中でも ふどぅ神(便所神)は、人間の身体を離れ彷徨っている魂を連れ戻す際には強力な力を発揮するらしい。
 
 さて、私の場合だが急遽、すくばりのおばぁを呼び寄せ、祖母と二人でたますを戻す うがん(御願)をすることになった。
 
 すくばりのおばぁは、祖母の姉に当たり、昔からなにかあるとは、かんにごう(神願い)をしてもらったりしてお世話になっているおばぁである。かんだかぴと(霊力の強い者)で、節毎の きざす°(祭事)や にがす°(願い)の他にも やらび(子供)のがくぎょう(学業)や がんずー(健康)のうがん(御願)までこなすいわばかかりつけの神かかりゃだ。
 
 まず、祖母とすくばりのおばぁは、私が たますをぴんがした現場から拾ってきた石を、うかまがん(御竈神)に挙げ祈祷をした後、いす(石)とせんこう(線香)を持って一旦玄関を出た。それから屋敷の隅に奉ってある とくるがん(屋敷神)へ廻り、さき(酒)、まーす(塩)、あらいぐみ(洗米)をお供えしてなにやら長々と御願、祈祷を捧げた。その後、家の中に戻り、うかまがん、神棚に線香を戻し、この儀式の主役である私を筆頭にみんなで手を合わせ、深々と頭を下げて無事 たます戻しの儀式は終了したのである。
 
 この一連の流れの持つ意味を考えてみる。
 
1.(挨拶)
 うかまがんに私が拾ってきた石を捧げ、これから魂戻しの儀式を執り行う事を報告し無事に終えることが出来るようお願いする。この時点ではまだ魂は何処にいるかすらも分からない。

2.(状況報告)
 とくるがんに魂をぴんがした者の素性、姓名、んまりどぅす(生年月日、干支)等を報告し、現場から拾ってきた三つの石に祈祷して、おばぁの霊力により石に憑依している、たますをぴんがした時の状況、場所、日時を再現する。

3.(魂の呼び戻し)
 “どうかとくるがんの強い御力で天に浮遊してしまったこの子の魂をお戻し下さいと”御願し、一旦離脱した魂を呼び戻す場面である。一連の流れの中のハイライトであり、最もエネルギーを費やすところだ。かんかかりゃとしての力量が問われる場面である。

4.(魂を身体に戻す)
 問題は、呼び戻した魂をどうやって私に戻したかである。一般的には、魂を逃がした者がいつも身につけている下着や衣服などを供えて御願し、それを着ることによって逃げた魂を身体に取り戻すらしいが、私にはそんな記憶は無い。もしかしたら、私の目に触れない所でそのような事が行われ、そっと箪笥に戻して置いたパンツを知らないで履いて寝たのかも知れない。

 以上が私流の解釈であるが、肝心要の魂を身体に戻す部分の記憶が曖昧なのが甚だ不安である。私的には御願した時の線香の きうす(煙)を浴びた時点で私の身体に戻ったのだろうと思うことにしている。
 
 沖縄では様々な所に神様が居る。今回の話に登場した うかまがん(御竈神)は台所の神様で、家の守り神の中心的な存在である。それに対しとくるがん(屋敷神)は家の外に奉ってあり、屋敷内に悪霊や災いが入ってこないようガードしてくれる外の守り神である。
 
 人間の魂は何か恐ろしい目に遭ったり驚いたりした拍子に、簡単に身体から逃げてしまう。そして、一旦身体を離脱した魂を戻すためには、かんかかりゃの御願だけでなくこれら神々の力が絶対に必要なのである。
 
 神々が人々の生活に深く溶け込み、神々と人々が同居する島。長年内地に暮らしているとそんな島の暮らしが堪らなく懐かしくなる。そして、今でも、島では たますをぴんがしたと言っては沢山の人々が真剣な表情で御願を行っているのだろうなと想像するだけで、なんとなく嬉しい気持ちになるのである。
 
 そこには、すきの無い効率的な社会を追い求める現代社会には無い柔らかな生き方のヒントが有るように思う。そして、そういう島で やらびぱだ(子供の頃)を過ごした私は、つくづく幸せだなと思う。
 
 最近、もしかしたら、私は未だ魂を逃がしたままなのではないかと思ったりする時がある。実は最後の魂を戻す段階で失敗したのではないかと。だとしたら、今頃私の魂はどこに ゆらりて(彷徨って)いるのだろうか。ずっと、モクマオウ木に引っかかったまま私が探しに来るのを待っているのだろうか。これは、んな1回(もう一度) たますむどす(魂戻し)をやらないといけないかも知れないと真剣に思う今日この頃である。

おしらせ

D介(平良在住)

第3回 ポストカードアート展 ぴん座 -PINZA- 2009

 2007年に始まった「ポストカードアート展」、今年で3回目を迎ええます。携帯電話や電子メールの発達で、格段に速く便利になった一方、「丁寧さ」「思いやり」「ゆとり」といったものを、慌ただしさの中で、忘れそうになっていませんか?
 
 そんな現代(いま)だからこそ、「手紙」という手段を用いることで、大切にしたい心を見直す機会になるのではないでしょうか。ポストカードという身近で気軽なツールをキャンバスに、手紙の持つ味わいや楽しさを伝えるアート展を今年も開催します。島内外から40名近くの、プロ・アマのアーティストたちが、参加する小さなアート展です。

日 程2009年9月20日(日)〜27日(日)
時 間12:00〜20:00
会 場「ギャラリー うえすやー」@宮古島
入 場無料
主催運営PINZA pro.
http://pinza.ti-da.net/

 ・ぴん座学生部門「若山羊展」も同時開催。
 ・期間中は、期間限定の特設カフェもオープン。
 ・ポストカード作品の販売も行います(若山羊を除く)。
 
 ※都内の「わしたショップ」などにも、ポスターとフライヤーを置いてあります。

■「第八回クイチャーフェスティバル2009」〜声ゅ合し 心ぅ合し 宮古世(くいゅちゃーし きぃむぅちゃーし みゃーくゆー)〜

日 時2009年11月1日(日) 16:00〜(予定)
場 所宮古島市 カママ嶺多目的広場
http://quicha.sakura.ne.jp/

 ※今年はあの「神歌」も出演予定。
 ※新企画の「方言替え歌」も披露されます。
 ※詳しくは ブログで↓

■「宮古島とクイチャー 〜宮古島のアイデンティティとは?〜」

 沖縄の各島々や故郷の魅力を再認識し、同郷の絆を深める場として、情景・ゆかりのある人・ものに触れる場を提供する場として根付いてきた、「島と映像」プロジェクトの第三弾「宮古島とクイチャー」が、てんぶす那覇で開催されます。これは11月1日に宮古島で開催される「クイチャーフェスティバルに先駆けて行われる「クイチャーフォーラム」でもあり、さまざまなプログラムを用意しています。

日 時2009年9月23日(水・祝) 開場14:30 開演15:00
場 所てんぶす那覇 098-868-7810
http://www.tenbusu.jp/
料 金大人1000円 小中高生800円
プログラム・宮古島の映像とクイチャーシンポジュウム
・3分で踊れるクイチャー教室
・アイランダーアーティスト 下地暁 ミニライブ
・宮古島ミニ物産展&写真展

 主催者側では、たくさんのご来場を呼びかけています。みなさん、ぜひ、お越しください。

編集後記

松谷初美(下地町高千穂出身)

 宮古は、運動会日和が続いているようですね。うちの両親も んまが(孫)の運動会を見てきたと、ぷからすきなり(うれしそうに)話していました。
 
 さて、vol.204は のーしが やたーがらやー?
 
 敬老の日が近いということで、おじいのことを思い出して書いてみました。宮古では今年も くまかま(あちこち)の集落で敬老会が行われているようですね。年寄りを敬う島の心は、まーんてぃすごいなと思います。良かったら、あなたの、おじい、おばあの話も聞かせてくださいね。
 
 優子さんの宮古の知り合いに会うとき、「逢瀬」に近いというのは、すごくよく分かりますねー。あたりがふ(ぴったり)な表現だと思います。ばんまい あんちー(私もそうです)。その時間が 楽しくて、あたらすーあたらすで(愛おしくて)・・・。飛行場には、ホントにいろいろな思い出がありますね。優子さんの話を読みながら、「旅にいる人」へ想いを馳せた人も多かったのではないでしょうか。
 
 ビートルズ世代のサラリーマンさんの「たますーゆ ぴんがすたー ぱなす」に経験ありという方、やまかさいたはずね〜。宮古を離れている人は特に懐かしく思われたのではないでしょうか。下地勇さんの「民衆の躍動」のPVを見たのが、この話を書くきっかけだったそう。“勇さんの曲に魂を揺さぶられ、魂と神々との事を考えているうちに、子供の頃の「たますむどぅす」の事を思い出した次第です”と話していました。
 
 D介さん、おしらせたんでぃがーたんでぃ〜。ポストカード展3回目ですね。どんな作品が集まるか楽しみですね。クイチャーフェスティバルも今年は新しい試みもあるようで、ますますの盛り上がりを見せそうですね。「あんちーかんちー」http://akmiyako.ti-da.net/でもレポされますよね。楽しみにしています。お近くの方は、会場までぜひ足をお運びください〜。
 
 今回も、しまいがみ ゆみふぃーさまい ぷからすむぬやたん。
 (最後まで読んでくださり、ありがとうございました)
 
 次号は10月1日(木)の予定です。
 今週末から5連休という方も多いでしょうね。
 上等な日々でありますように!がんずぅかり うらあちよー(お元気でー)あつかー、またや〜。