こんにちは〜。
きょうから10月ですね〜。ぴゃーむぬやーまーんてぃ。
今回もいろいろな話しが、盛りだくさん。新しい方も登場です!ぬかーぬかゆみふぃーさーちよ〜。
狩俣中学校
神童(平良市島尻出身)
さて、1月末に職場を異動になって怒濤の現場をこなし、一息ついたのが6月初旬。
すまびとぅ(島人)の来なくなった熱帯植物園。昔は「平良の なんくる熱帯がらまい っすぁいん亜熱帯植物園」だったはずなんだけど、いつのまにか「むんなぎなー熱帯!の熱帯植物園」に名前が変わっている。(昔は何となく熱帯に近い亜熱帯だったけど、今は全くの熱帯になっている。)昨今の温暖化の影響だな、絶対!
白熊、お前が知らないうちに北極圏に亜熱帯が近づいてるぜ!うふぁまい たやばーき ぴすぅまん てぃらさい っふぅくるーてぃ ないぐまたさいが!!(お前も思いっきり陽に照らされて黒くなるんだぜ!!)
民をおびき寄せるツールとして石釜セットを整備。試し焼きで性能を確認した翌週、異動の内示が発令された。請負業者かよ?まず!
新しい部署は教育施設の整備修繕を行う部門。
出身中学校ぬ あぱらぎやーすぅが いふつがら っすぁいん 校長んぎなり あんがぬ きしってぃ やぐいやしー むぬぅ ゆみってぃ ぴぃーたー。(母校狩俣中学校の妙齢な女性校長が職場に怒鳴り込んで窮状を訴えて帰った。)
翌週、時間が空いたので現場を確認。赤がわらの屋根に飛来物がぶち当たり瓦が すきゃーりて(散らかって)いる。3階建ての狩俣中学校校舎。当方が卒業後に建て替えられている。
一部2階の屋根に出て脚立を利用して3階の屋根に立つ。通常、建物の屋根の勾配はその使用する部材によって決められる。
コンクリートならば水密性抜群なので陸屋根(ロクヤネ)で良い。しかし、瓦となるとそうは行かない。俗に言う五寸勾配。棟の部分にたち現場を確認する。屋根の中腹あたりまで歩くと所々滑って危険。一人では無理なので職場に引き返す。
ながた 臣下ぬ たくみゆ さーり 中学校んかい。(翌日、部下のたっくみぃを伴って現場に舞い戻る。)犯罪者は現場に戻ってくるのね、知らないけど。
高所は好きでないと宣う部下に命綱の端部を預け腰に巻いた安全帯に結わえ付ける。命綱は当方の安全帯に緊結され、棟部分に設置されたシャックルにカラビナを取り付け遊動する仕組みになっている。登山用のザイルが無いので砂川金物店で落下傘用の3分ロープで代用する。土嚢袋に瓦の破片を詰め込んで満杯になり次第、廊下に居るたっくみぃに手渡す。
しかしどんな暑さかよ!少し太陽に近づいてるから無理ないよな。高校の英語の授業を想い出すぜ。いきなり黒板に英語を書き込んだ教師与那城。
“you might think, but today’s this hot fish!”
訳せ!と命令する。誰一人正解者は居ない。答えはこうだ。“言うまいと思えどもきょうの暑さかな”うわぁ しゃくぅ あんちゅーり!
汗を拭きながら部下を見る。俺の命綱が腰に行き着いている。でもね、縛ってあるところがズボンのベルト通し。
おいーーーっ!俺が足を滑らせてあっと叫んだところで命綱がぴんと張ったかと思った瞬間、ぷちっとなって地面に落下。死ぬじゃん、俺!部下を全く信用できないので端部を欄間付きアルミサッシの鴨居部分に縛り付ける。死ぬところだったぜ!
遙か昔、この狩俣中学校はうっそうと茂る原生林だった。そこにダイナマイトを仕掛け岩を吹き飛ばして平地を造り中学校が建設されたのだった。当方らはこの中学校の実質的な一期生。当時は普通教室と職員室のみがあり体育館は建設中。あ、音楽室と理科室はあったね。技術家庭科室は無かったけどね。
詳しくは「神童の公開してはいけないブログ」http://miyakospirits.cocolog-nifty.com/sinndou/を参照されたい。
当時は北の崖側のブロック塀も無くて、大神島がすぐそこに見えてたんだっけ。で、何をするかというと石転がしの勝負。崖の上からいかに遠くまで転がるか?を勝負する。石っつっても約1屯ほどの石ね。岩とも言うね。
崖のあちこちに浮き石となった岩を探しそれを級友数人で転がす。
だいばん いすぅんにゃ あだんぎーや にゃーんとぅぐぅ。がらがらてぃ かいらまきぃ ぶーぎぃぱりゆ ふんたーし っんっつぅ ばたりつぎぬ ぱりがみ。(大きな石は途中のアダンなんて、ものともせずになぎ倒し道を渡り次の畑まで。)
でもね、畑自体に傾斜がついているので、ゆっくりとしたスピードでさとうきびをなぎ倒しながら転がる。さとうきび畑を横切り、更に石粉舗装の道路を越えて、またさとうきび畑に到達する かんちぬ K点ぐいの いっすぁ あかみすくぅがま。(こんなK点越えの石はわずかに3個。)何故か道路に止まらない。難しいものである。
屋根はねえ ま、瓦は乗せてあるだけのもので みてくれだけの物さあね。だから、後輩の頭に落ちないように欠片だけ片づけてそのままにしてある。予算が無いのだよ。鳩山さん、修理代くれんかねえ?
『一粒の種』が合唱編曲楽譜に!
松谷初美(下地町高千穂出身)
砂川恵理歌さんが歌う「一粒の種」が、NHKで放送されてからいろいろなところで、芽を出し、やまかさ(たくさん)の人に感動を与えている。
この度、その「一粒の種」が合唱用に編曲され、楽譜になったそうだ。まーだ やぐみこと やー(本当にすごいことですね)。
編曲をした遠藤謙二郎氏は、これまでも「千の風」や「アメージンググレース」、「案山子」など、たくさんの曲を編曲されている。
遠藤氏は、「一粒の種」を初めて聴いた時、感動を覚え、ぜひ編曲したいと思ったそう。そして、最初の種を蒔いた、高橋尚子(菜の花)にぜひ会いたいと思い、ネットで検索したり、レコード会社に問い合わせしたりしたそうだ。
遠藤氏の先輩で千葉県茂原市で茂原混声合唱団「四季」の団長をしている篠崎正利氏もまた、この歌を聴き、合唱団で歌いたいと思っていた。遠藤氏が編曲を完成した時は感動し、合唱団でも「一粒の種」を蒔いていきたいと改めて思ったとのこと。
先日、菜の花はお二人に会い、お二人の「一粒の種」に対する想いに触れ、感動したそう。
そして、12月19日(土)に茂原市の交響楽団、合唱団、合奏団が集まって行われるチャリティコンサート「冬の夜の小さな音楽会」で「四季」の皆さんは「一粒の種」を歌うことになったとのこと。菜の花もこのコンサートに招待されている。
どなたでも見に行くことができるそうなので、お近くの方も、そうでない方もぜひ!
「一粒の種」は、また新たな息吹を与えられ、いろいろな場所で蒔かれれ、ぴすがり ぴず(広がっていく)。一連の話を菜の花から聞き、改めて、この歌の持つパワーのすごさを思った。
■チャリティコンサート「冬の夜の小さな音楽会」
日 時 | 2009年12月19日(土)14時開演 |
場 所 | 「東部台文化会館」千葉県茂原市(詳細は、また後日) |
■「一粒の種」合唱編曲楽譜は、(株)オンキョウパブリシュで購入することができる。TEL:048-471-8551 まで。
■遠藤謙二郎氏のHP「MusicAtelier/ムジカテリエ」http://ken-musicatelier.com/
■茂原混声合唱団「四季」HPhttp://music.geocities.jp/applekarayan/siki.html
ギックリ腰
クイチャーマン(下地町那覇出身)
ばんどぅんま、んまりってぃ んなまがみ ありゃーみゅーん やむばしーどぅ あがいがあがい てぃー だまがり うーたーゆー。
(私は、生まれて今までにしたことのない病で、痛い痛〜いと打ちひしがれていた。)
うんな 8月下旬。ぞうわーつき やたむ。あんしばどぅ すとぅむてぃから すきゃきゅーてぃー せんたっきゅう まーらすたーだら。
(その日は8月下旬。良い天気だった。それで朝から気合を入れて洗濯機を回した。)
せんたくぬ おわずがかず せんたくむぬー かぐんけー いじってぃ2階ぬ べらんだんけー むちいきゃー ぷすぷす、3回ぷしってぃ んにゃ うむやすむぬてぃー からぬかぐーむち すたんけー うりきたー。
(洗濯の終わるたびに、洗濯物をかごに入れて2階のベランダに持っていって干したりと、3回干して、もうホッとして空のかごを持って下に降りた。)
かぐー むどぅしってぃ ちーんにゃ ちゃーがまー ぬみ ゆくいみゅーてぃー うむい どぅーゆ ぴにずたーだら。うんどぅ ん?あば?ぴるますむぬ のーがらーぬ ムズ!てぃー ばがくすぶにぬ すたなぎん かんじれーたーゆー。
(かごを戻して、さあお茶でも飲んで休もうと思って、体をひねった。そのとき、ん?おや?不思議だ。なにかムズ!と私の腰骨の下の方に感じられた。)
うりからどぅ んにゃ だいず。うぬ ムズ!てぃーぬむぬぬ ふたきな あとぅんどぅ、つぐすぬ ガクってぃー まがり どぅーぬ むたるんよーんなり あなぎな 洗濯機ぬ まふきゃーんけー うすぅみ びずいってい、 くすぬやみ たたるんふ なりにゃーんだら。
(それからがもう大変。そのムズ!というもののすぐあとで、膝がガクっと曲がり 体が持てなくなり そのまま洗濯機の前にうずくまって座り、腰が痛くて立てなくなってしまった。)
ばーんにゃ うんどぅ くりゅーどぅ ギックリごし てぃー あーぱず、てぃー うむーがつなめー 「ギクってぃーどぅ なーびゃーてぃーどぅ うむーたすぅが、あんしゃー ならだなしー ムズてぃー くすぬままーん かんじれーたすぅが、 あんしぬむぬべーいら」てぃー ぴるますむぬやたむ。
(私はそのとき、これをギックリ腰というはず、と思いながらも「ギクっと鳴るかと思ったが、そうは鳴らず、ムズ!と腰の辺りに感じられたのだが、そういうものなのか」と不思議だった。)
あが、あがが〜〜てぃー つんだらーすき くいゆ いだすがつな、畳ぬ部屋がみ んーにゃがまてぃー ぱーどぅり いきってぃ、うまん びらき にうう”ぃってぃ びきやらびぬきゃーぬ すぐとぅから むどぅりきすきゃがみ ぷだ4時間 まちゅーりってぃ うりたーん さーれー救急病院けー。
(アガ、ガガガ〜と哀れな声を発しつつ、畳の部屋までやっとのことで這って行き、そこでひっくり返って寝て、息子達が仕事から戻るまで約4時間も待って、それら(息子達)に連れられて救急病院へ。)
ばかーぬ いしゃー レントゲン写真ぬ みーがつな「ぷにんめー異常や にゃーんにば しわー にゃーん。やんばーんな、痛み止みゅー ぬみ、やーん5日間 安静ばしゅーり。すぐとぅめー ゆかーりよーん 診断書をーめー いだしゅーかでぃ っしば」てぃーぬ くとぅやたむ。
(若い医者はレントゲン写真を見ながら「骨にも異常はないので心配ない。痛いときは痛み止めを飲んで、家で5日間安静にしなさい。仕事も休めるように診断書も出しておくから」とのことだった。)
うばいがうばい 60年くぬかた あんしぬ くすやむてぃーや しーやみゅーったすぅが、うりゃ のーてぃーぬ ばーがらいら。かんげーみーっかー まいにつ ミニバイクんぬーり、あーきめー すぅだなしー うりばどぅ、ぱぎめー くすめー 筋肉ぬ やーり あんしなーたーぱず。
(おお、なんと60年この方、このような腰痛はしたことはなかったが、どういうことなのだろうか。考えてみると毎日ミニバイクに乗り、歩くこともしないので、足も、腰も筋肉が弱り、こうなったのだろう。)
くっそぅどぅ やましにゃーん てぃー、いでぃよーぴとぅんけー あずゆーっかーどぅ くすやむぬ 先輩ぬきゃーめー んちゅーてぃー「あんしぬばーんな、あんしーかんしー っしばどぅ ぞーかー」てぃー ならーし ふぃーたりば、んなまー いっつぁいだし ならーさりたーにゃーん 腹筋とぅ背筋ぬ つぅーふなす うんどーばしー ぎばりゅー。
(腰を痛めてしまったと、出会う人に言っていたら、腰痛の先輩達も多く、「そういうときは、かくかくしかじかしたほうが良い」と教えてくれたので、今は教えられたとおり腹筋と背筋を強くする運動して頑張っている。)
あんてぃまーん ばが とおりってぃ 3日目んどぅ 総選挙ぬあり、政権交代てぃー なーたー。うりゃー「政治ぬギックリ腰」どぅ やりゅーき。うりん きき ふすぅずあ あーどぅすぺーいら。
(そういえば、私が倒れて3日目に総選挙があり、政権交代になった。これは「政治のギックリ腰」だったはず。それに効く薬はあるだろうかね。)
生きる力
キムキム(平良・西里出身)
沖縄には“カジマヤー(風車祭)”という長寿を祝う生年祭がある。数え97歳を祝う。そう、75歳で「後期高齢者」という境界線を超越したところにある長寿の祝いである。
旧暦の9月7日に、晴れて97歳を迎えたオジィ・オバァは、真っ赤なちゃんちゃんこで すがりて(おしゃれして)、ハイカラな風車を飾ったオ
オープンカーに乗り、自治会をゆっくりと行進し、親戚だけでなく地域の住民までを巻き込み、大人から子供達からと、ダウ(いっぱい)の祝福を受ける。
20年前、父が亡くなり、実家が宮古から沖縄に移ったときに、初めてこの行進をみた母は、まるで、子供のように小走りで車を追い拍手を送っていた。私の記憶には、宮古でこの光景をみたことはない。
長寿の沖縄には、このカジマヤーにたどり着く前に、もうひとつ長寿の祝いがある。旧暦の8月8日に行われるそれは、トーカチ。ヤマトでいう米寿、88歳の祝いである。
金木犀がせつなく香る秋。このシルバーウィークは、私達、兄弟にとって初めての親孝行週間となった。
今年、86歳になる母は、がんずー(元気)だけど、がーずー・どぅーかてぃ(意固地で自分勝手)な母ちゃんだった。家族のことより、周りの人にボランティアのように尽くす、家族にしてみれば「かさましぃー母ちゃん」だった。3年前、癌になるまでは。
母が、入院・闘病生活を送るようになってから、今まで子育てに追われ疎遠になっていた兄弟姉妹は、月に1度は、母の元に帰るようになった。それは、母の心の叫びだったのか、退院後は、ぬかーぬかの(ゆったりとした)オバァになった。
「母ちゃんが元気なうちに長寿のお祝いをしておかんか?」兄の提案に去年から準備を始め、今年の敬老の日、母のトーカチが実現した。兄嫁が準備したトーカチの黄色の琉装を纏い、5名の子供達夫婦・12名の孫達の演芸会に「涙そうそう」の母は、「あと30年は皆の役にたちたい」と仰天発言。母も私達も、20年分の笑顔をかみしめた。今も、姪っ子達が歌った「童神」の歌詞がずっと耳に残っている。
天(てぃん)からの恵み 受けてぃ此(こ)ぬ世界(しげ)に
「童神」作詞:古謝美佐子
生まりたる産子(なしぐあ) 我身(わみ)ぬむい育(すだ)てぃ
イラヨーヘイ イラヨーホイ
イラヨー 愛(かな)し思産子(うみなしぐわ)
泣くなよーや ヘイヨー ヘイヨー
太陽(ていだ)ぬ光受きてぃ
ゆーいりよーや ヘイヨー ヘイヨー
まさ勝さあてぃ給(たぼ)り
沖縄ではカジマヤーを迎える人の数が毎年100人前後もいるといわれ、さらにトーカチに至る男女の数は、というと・・・「もう多過ぎて、誰も数えんヨ〜」。
東京に戻る日、那覇の公設市場で、夫は、トーカチ前後と思しきオバァに、“にぃーにぃー、モズクどーねー”と試食を勧められていた。
沖縄に帰る度に癒されパワーアップする・・・ダイズこんな宝は他にない。母のカジマヤーでは、私も、オバァになっているだろうか。
おしらせ
関東宮古郷友連合会事務局
■第36回 関東宮古ふるさとまつり
郷友のみなさん、がんずぅかり うらまずなー(お元気ですかー)?今年も、「関東宮古ふるさとまつり」を東京上野で開催します!郷里のみなさん、ぜひ、友人、知人お誘いあわせの上お越しください。
日 時 | 2009年10日25日(日) 午前11時30分開場 正午スタート |
場 所 | 上野水上音楽堂 03−3828−9168 JR上野駅・御徒町駅 徒歩10分 |
入場料 | 前売り3000円 当日券3500円 |
内 容 | なりやまあやぐ大会 伊良部郷友会婦人部 ふくぎ会 平良パーントゥ 西原のミャークヅツ 棒踊り 多良間島芸能 下地ヨンシー 棚原芳和(上野郷友会) 砂川恵理歌 |
その他 | ・会場への飲食物への持込自由です。ピクニック気分でお過ごしください。 ・ゴミはお持ち帰りくださいね。 ・各郷友会の指定席あり |
申 込 | ・各郷友会事務局 ・関東宮古郷友連合会事務局 (クイチャーパラダイス内 03−3982−2446) |
主 催 | 関東宮古郷友連合会・宮古市村会 |
編集後記
松谷初美(下地町高千穂出身)
東京は、秋雨が降ったりしていますが、宮古では雨が降らないみたいですねー。夏植えのキビにも影響がでているようで、しわやー。雨が早く降るといいですね。
vol.203でおしらせした「指笛音楽研究発表会」に行ってきました。発表をされた方は20名。「指笛王国おきなわ」の垣花譲二国王(クイチャーマンさん)は、会場の皆さんの手拍子に乗り、まずアカペラで「ハイサイおじさん」を、二曲目は、「ばんがむり」をピアノ伴奏でやりました。だいず やぱーやぱの音色で観客を魅了していました。こんなにたくさんの指笛音楽を聞くのは初めてでしたが、その奥深さと素晴らしさに感動でした。くま・かま掲示板に写真も載せましたので、ご覧くださいね。
さて、vol.205や のーしが やたーがらやー?
神童は3月以来の登場でした。神童ワールドは、やっぱりうむっしや〜。テンポが早いので可笑しさが後から来るのもまた、なんとも言えず(笑)(私だーけか?)それにしても、異動した先々での活躍には、脱帽でございます。
「一粒の種」が合唱の楽譜になったというのを聞いたときは、びっくりでした。こういうふうな広がりもあったとは!「どんなふうになっているのか聴くのがとても楽しみ」と菜の花も話していましたが、まーんてぃ、12月が楽しみです。楽譜がほしいという方は、ぜひお問い合わせ下さい。
オールゆなぱふつ(与那覇方言)での、クイチャーマンさんのぱなす、あずーあずで ずみでしたねー。その時の状況が手にとるように伝わってきて、ぱーどりて行く様子など、読んでいるこちらもアガガガと。(笑)現在は、運動の成果もあって、良くなっているということです。
「生きる力」は、ニューフェイスの「キムキム」さん。心が ぬふーぬふに(温かく)なるお話しでしたね。キムキムさんは、200号特集の時に感想をお寄せくださり、201号のお便りコーナーで紹介しました。その後、ライターをお願いしたところ、心よく引き受けてくれました。どうぞ、宜しくお願いしますね。
【キムキム】1959年平良西里生まれ。千葉在住。
今年もやってきましたよ〜。「関東宮古ふるさとまつり」。東京上野でやるようになって3年目ですが、毎回、大盛り上がりを見せています。今年も、ばんたがマツカニさんこと、棚原芳和さん登場です。そして、何と、「一粒の種」を歌っている砂川恵理歌さんも出演します!ぷからすむぬや〜。みなさん、ぜひ、秋の一日を宮古ワールドで楽しみませんか?各郷友会の連絡先を知りたい方は、kumakama@mbp.nifty.com(松谷)までメールくださいね〜。
今回も、しまいがみ ゆみふぃーさまい ぷからすむぬやたん。
次号は10月15日(木)の予定です。
インフルエンザも気になる秋。がんずぅかり うらあちよー。あつかー、またや〜。