こんにちは〜。
きょうは節分。旧暦は1月1日。旧正月でもありますね〜。池間、佐良浜あたりでは、賑やかな旧正月でしょうか。
くま・かまvol.237お届けです〜。お楽しみくださいね。
宮古のブエナ・ビスタよ、永遠に!(だいず妄想)
宮国優子(平良・下里出身)
去年から宮古は出まくりな感がありますねー。数年前と比べて、認知度の高さに驚くことがしばしばです。テレビでも活字でもネットでも情報があふれています。まわりにも私より宮古に行っているナイチャーの友達の多いこと!
話変わりますが、昨夜(30日)、テレビでサッカーのキングカズこと三浦知良さんがキャンプ地・宮古島でテレビ観戦したアジア杯についてコメントをしていました。カズの後ろで、横浜FCの皆さんがトレーニングされている様子が画面に映し出されていました。
オリックスもそうですが、宮古がキャンプ地というのは、東京に住む私にとってはリアルタイムの宮古を感じることができて ぷからす(うれしい)限りです。スポーツ音痴なので、今までその類いニュース枠は観なかったのですが、最近では自然に観るようになりました。バラエティなどでは「夏だぜ、宮古島、ウルトラマリン!」なイメージで紹介されていることが多いけれども、リアルな今の宮古はスポーツ報道などの画面に表れる気がします。
今、映し出される宮古島の風景は、一抹の淋しさを感じさせます。私は実は夏よりも大好きな季節です。少しスモーキーな宮古島の風景の方が心に染みる。クリスマスやお正月よりも逆に印象深かったりして。
自転車に乗ると、冬の海風に吹かれて「ピシサ!」という言葉以外、頭に浮かばなくなる。風に乗って甘い独特の香りがして、サトウキビの収穫の様子も感じる。そのうち、じゅうるくにつ(十六日祭)が来て、あがた(遠くに)住む親戚にも一年に一度、顔を合わせる。そして、その背景はなんとなく、どんよりしていて、スモーキー宮古島。テレビで紹介されている、売りの「ピカピカ宮古島!」から遠いけれど。
先週、日経新聞で作家の方がエッセイで宮古の事を書いていらっしゃいました。「ひなびた土地だった」と書かれてあって、若干苦笑してしまいました。
宮古を一年中完全リゾートと思うと、冬の季節はイメージがちがう感じがするのだと思います。そのうえ、残念ながらその作家の方が訪れた時に宮古は天気が悪くて、最終日しか晴れてなかったらしいです。これも実はよくあるパターンな気もします。宮古は晴れると続くけど、雨でも続く感じがします。だいず勝手な印象だけど。
そのエッセイに「ひなびた」という表現が何度か出てきた。私にとっては、その言葉は、少しうらぶれた温泉宿のイメージだったので、驚きがあったのですが、少し時間をおくと「あーなるほど!」と思った。ひなびたものには一種の淋しさが漂う。
宮古だと「日射しが強ければ影も濃い」的なあの淋しさは確かにある。昔、映画を観て、宮古を強烈に思い出した作品があります。それはキューバが舞台の映画「『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(Buena VistaSocial Club)。あのひなびた淋しさ加減が宮古にもあるのかもしれない。
今回、いろいろ調べてみると、ブエナ・ビスタ (Buena Vista)とはスペイン語で絶景を意味する、そうだ。私にとって、宮古の冬の風景は絶景に近い。例えば、あの底なし沼のような色を持つ、冬の東平安名崎。マムヤも絶望する、救いがない色彩。そして、海風が吹き抜けるパイナガマ脇の道路。揺れるモクマオウ。そんなことをつらつら考えてしまう。そして、勿論風景だけではないと思うのだ。
場面場面が、個人的な宮古への想起になる。そしてそれは気持ちをがっちりつかんで話さない。原風景はセンチメンタル・バリューなのです。ブログ(「寝ても覚めても宮古島」http://miyako3892.ti-da.net/)にも書いたのですが、なんだかわからないけど、ぴっちゃ(少し)じわっと胸に迫る、その感じなのです。
宮古は、戦後、クラッシュアンドビルドだった。(勿論、違う意味でその前も台風でクラッシュアンドビルドだとは思いますが)。私が物心ついたときは、どこもかしこもセメントづくりの新しい建物ばかり。そのなかでも珍しく風情のあった琉米文化会館。通称文化センター。私にとって花笠空港もそうだった。私たちが島を出る頃まで使用されていた空港です。
見渡していると、島のセンチメンタル・バリューが減っていく気がする。建物には、人の名残がある。思い出がある。センチメンタル・バリューは、お金で買えない。今の私にとって、宮古のブエナ・ビスタ (絶景)は、キャンプ地中継のグラウンドに吹き抜ける風だったりする。その風から想起する宮古の空気感や生活、人の姿。私にとってのセンチメンタル・バリューそのものだ。
なので、地元の有志の方々が今回、琉米文化会館存続に向けて動いていらっしゃることに感謝感激雨霰なのです。そして、署名は順調に集まり、一万人の目標を達成したそうです。だいず ぷからすむぬ。宮古のブエナ・ビスタよ!永遠に!
追伸 31日の夜中、ながんびて(横になって)テレビを観ていたら、今をときめく嵐のリーダー大野智くんが携帯のCMで「宮古島 まもるくん」って言ってました。目が覚めたさいが!大野くんは宮古島楽しかった!といろんなところでおっしゃっていたようです。このご縁をいかして、アート個展とか宮古でやればいいのに〜。彼の作品はだいず宮古にマッチすると思います。えぇ、場所はもちろん文化センターで。
境界
R(平良・西里出身)
年末に うとるす(怖い)夢を見ました。
みゅーず(甥っ子・姪っ子)たちと一緒に列の一番後ろから歩いていた私は、追い風に乗り、体がフワッと浮きました。やらびぱだ(小さい頃)、台風の強い風に後ろから押され、体がどんどん前に行く状態を楽しんだことを思い出し、笑顔になった私です。
体は傾斜がついた動く歩道に乗っているような感じで自動的に足が空間を泳ぎながら軽くなり上がっていきます。面白がっていた私ですが、最初は50cm、そして1m、そして3m、そして・・・と地上からの距離が離れていくと「そろそろみんなの列に戻りたい」と思い始めます。
でも、体は浮いていくばかり。焦ってもがいても意思とは関係なく上へ上へと移動するのを止められません。
みんなは楽しそうにおしゃべりしながら地上を歩き、必死に上から訴える私に気付きません。この時、みんなに気付いてもらえず「孤独」「恐怖」を感じる私がいました。
「これは夢、」と自分に言い聞かせると目覚めることができました。
この頃読んでいた本の影響で見た夢だったと思います。一冊は、軽く読めると思って本屋さんで手に取った『死んだらおしまい、ではなかった』大島祥明著。もう一冊は、大好きな作家が選択した短編集からの「少女架刑」吉村昭著(『名短編、ここにあり』北村 薫・宮部 みゆき 編)。
『死んだらおしまい、ではなかった』は故人の霊魂を感じられるお坊さんの体験談で、「少女架刑」には、死後献体された少女の経緯が書かれています。趣はだいぶ違いますが、どちらも「死」に纏わる内容です。
2冊の本を同時に読んだことは、本当に偶然で、結果、うとるす(怖い)夢を見てこれまで感じたことがない、大変な「孤独感」「恐怖感」を体験することになりました。
住職をしている友達に話すと「これは臨死体験だ」と言われました。臨死体験には「東洋的臨死体験」と「西洋的臨死体験」があり、私のように わーび(上)に行ったのは「西洋的」だとのこと。ちなみに「東洋的」は川を挟んだ平面でこちら側の「此岸」から向こう側の「彼岸」に行くことだと話してくれました。
母が入院していた時、意識不明の状態から意識が戻り、リハビリのお兄ちゃんにこれまで動かなかった 足を動かして見せて「こんなに軽く動くようになった」と話し、はしゃいでいたことを思い出しました。
父が息を引き取る2日前、動けないはずの体を起こし正座して、天井の四隅に向って笑顔でお辞儀をしたことも思い出しました。父の表情は、笑顔を浮かべとても幸せそうでした。父も母もこの世のしばり、重力から体が開放され、かずーかず(軽く)なっていたのかもしれません。
この夢から私が得たものは、「死」を考える時、いつも私のポジションは残される側だったものが、残していく側のポジションでも考えるようになったことです。
これまでは「死とは、二度と会えないこと」という言葉が私の中での「死」の説明でしっくりはまった言葉でした。この夢がきっかけとなり「残していく側からの死の説明」も必要であることがわかったのです。
昨年6月に友達の子どもが、「特定疾患(難病)指定の拘束型心筋症」と診断され現在闘病生活を送っています。お母さん似で楽しく中学生活を始めた矢先の病気発見でした。
彼女が小学2年生の時に一緒に宮古島トライアスロン大会前の前浜ビーチの清掃ボランティアに参加したことがあります。「美しく優しい人に育ってほしい」との両親の願いが込められた名前の明るい女の子です。
当初は自分の体の状態を理解できなかったでしょうが、入院生活の終わりが見えない状況から自分の病気を知るようになり、どんなにか大変な恐怖と戦っていることでしょう。
米国コロンビア大学病院での心臓移植手術費用を集めるため、現在沖縄県内では募金活動が展開されています。街頭募金活動を経験すると、沖縄県民の多くが彼女を応援していることを知ることができます。
「残せる命なら残してあげたい」という県民の暖かな想いがきっと彼女をこの世界に引き止めてくれるものと信じています。
沙家浜(シャージァーバン)と言う所
アモイ(平良・宮原出身)
昨年、中国でオリジナルのCDを制作しました。
CD制作には王さんという中国女性がジャケットのデザインからレコーディングスタジオの手配、歌詞のチェックまでしてくれて、誤字が無いかなども何度も確認するよう言われましたが、のーまい だいたいしー じょうぶん(なんでも適当でいいよ)という私の悪い癖のためか、2箇所に誤字があるのを日本に来てから気づきました。自分がやるからには完全なものにしたいという責任感のある王さんですので、王さんが知ったら、何度も言ったのに、と怒られそうです。
CDの中に「常熟漂亮姑娘」という歌があります。その三番の出だしの歌詞に「苦難の過去を今へ語り続ける沙家浜」というのがあります。
王さんはこの歌詞を見て、ちょっとびっくりしたようでした。この「沙家浜」って入ってていいんですか?と訊かれました。彼女は私がこの地名がどういう場所であるか、ちゃんと把握して詩を書いたのかどうか心配だったようです。日本びいきの中国人には日本人との会話では触れたくない地名のようです。私は「没問題 事実上的故実」(問題ないよ、本当の事だから)と言いました。
「沙家浜」と言えば歴史に少しでも知識のある中国人なら抗日戦争(日中戦争の事を指す)の舞台で有る事、中国の共産党革命の舞台で有る事を知っています。その沙家浜は、私が10年間赴任していた江蘇省(省都は南京)の常熟市にある地名で、常熟市の中心部から車で30分位の所にあります。
1937年に国民党と共産党の共作で結成された「新四軍」という軍隊が配置され、日中戦争で抗日戦士の隠れ家及び拠点として、また日本軍との戦いでの負傷兵の治療や作戦会議などの舞台となったところです。その時南京はすでに日本軍によって陥落していたそうです。
当事は既に国民党と共産党の対立が始まっていましたが、共に協力して日本軍と戦おうという事で、日本軍に立ち向かったようです。中国でいう抗日戦争勝利のあとは、もともと共産党よりだった新四軍は共産党軍となり、国民党との争いではここが共産党の革命の原点となったのです。
全体を見渡せば風光明媚な場所で観光地にもなってますが、この先日本人観光客のツアーコースとなる可能性は無いと思います。私は近くに住んでいたので、10年くらい前ですが、2度ほど行きました。
中には抗日戦士の記念碑や抗日戦士及び革命戦士等のいくつかのモニュメントがあり、そしてメーンの建物で「沙家浜革命歴史記念館」がありました。その中には共産党が革命を起こした歴史と共に日中戦争の多数の写真などが展示されています。
中国国内では「沙家浜」というタイトルでテレビドラマや映画、CD等もあります。京劇や中国オペラなどでもかなり上演されています。テレビやラジオからも中国の民族楽器をバックにした、「♪シャ〜〜ジァ〜〜バ〜〜ン」などの独特な声と節回しの歌声が流れてきたりします。
奥へ進むと広い沼地でススキや葦が人の背丈ほどの高さで生い茂っており、広い水面があるところもあれば、葦が道路の街路樹のように幅が保たれ迷路のようになっている所があったり、散策できる場所もかなりあり、沼の方ではボートに乗って周る事もできます。正に隠れ家として格好の場所となっているところから選ばれたのだとおもいます。
日本企業が常熟市に進出した時、常熟市政府は色々な歓迎セレモニーや催しものに招待したりパーティーを開いたりしてくれました。ほんとに遠いところまで来て歓迎されてるんだなーと、心地よい気分でいました。
しかしこの沙家浜にまつわる話や日中戦争の話から、そこで既に70年以上も前に旧日本軍との戦いがあった事を知ると、気がめいりました。何でわざわざこんなところまで、数々の蛮行をしに来たんだろうと思います。ほんとに戦争は愚かな事ですね。
先人達が何かいい事をしてくれたんだよ、という話を聞くのなら嬉しいですが、先人達が来て村人を襲って殺戮していった等という話を聞くのは心情的につらいものがあります。
南京大虐殺では中国側は30万人といい、日本側はその数字には根拠がないと言います。でもそれが1000人の虐殺だったら許せるという事でもありませんので、数字的な反論をしてもしかたがありません。抗日戦跡に行くと「日本鬼子」呼ばれて憎まれる旧日本軍の仕業とは言え、聞くに堪えない話が多く、同じ日本人である自分が後ろめたくなり、できるものなら歴史を書き直したいというような思いになります。
2004年に中国で開催されたサッカーのアジアカップの試合が重慶で行われた時に、中国人サポーターから日本の選手及びサポーターにブーイングをしたり、水をかけたりする嫌がらせがありました。その試合をテレビで見ていた知り会いの日本人と、中国人との間でこんなやり取りがあったそうです。
「何で中国人は水をかけたり嫌がらせをしたりしてマナーが悪いんですかね」
「水をかける位は命にもかかわらないし何ともないでしょ、日本人はここに爆弾を落としていったんだよ」(爆弾を落とした、とは日中戦争での重慶無差別爆撃を指しています)
はーい くぬぱなっすぅ きすきってぃ うわー くぬ中国人かいやのーてぃが かいす?(この会話を聞いて、貴方はこの中国人になんと答えますか?)
日本は戦争の代償として無償援助・技術援助・ODAなどやってる事知ってるの?中国の政治が悪いよね、中国の教育も悪いよ、マナーくらいはしっかり教育してよ、って思うでしょうか?
でも考えてみれば、そういう事も含め経済発展が遅れた国だから賃金も安く物価も安く日本企業も進出するメリットもあるんですね。また若い人達は過去にそんな歴史が有った事を知ると、日本人に対して文句の一つも言いたい人もいるでしょう。中国にも色々な考え方を持っている人がいます。私の知る中国人は親日的な人が多いです。
ばーやー 平和な ときゃん 中国んかいきし、すぐとの しらい うつーうつの どすまい だうわしー しあわせむぬてぃ うむま(私は平和な時に中国にきて仕事させてもらい、親しい友達もたくさんできて幸せ者だと思わないとね)
蛇足:沙家浜はもう一つの顔があります。上海蟹の名産地なのです。ここ産の蟹は陽澄湖(沙家浜)ブランドでいちばん味がいいと言われます。私も好きです。
それから宮古島出身男性と常熟女性とのカップルが一組いますね、6年位前に常熟で一緒に食事をしましたよ。平和な証拠ですね。
やっぱり平和が一番ですね。
おしらせ
池城かおり(平良下里出身)
■旧市立図書館見学会とARGカフェ&ARGフェストへのお誘い
2月6日(日)、本土から宮古島に観光のお客様がいらっしゃいます。目的は旧市立図書館(宮古琉米文化会館)の見学です。この建築は他に類をみない珍しい歴史をたどっており、取り壊しがせまるニュースを聞き、この歴史を学びたい方々のツアーが組まれました。
主催はアカデミック・リソース・ガイド株式会社です。代表の岡本真氏は全国各地を巡り、分野を超えた新しい交流を生み出す場となる「ARGカフェ」を開催しています。ARGカフェは5分間のショートスピーチを行う「知の交流会」です。
この様子はインターネットライブ中継(Ustream配信)を行います。ただいま宮古在住も含め、8名が登壇予定です。スピーチをしなくても参加できます。
今回の宮古島開催は3つのプログラムからなる特別版です。またとない機会です。ぜひお誘い合わせでご参加ください。
下記サイトより詳細をごらんいただき、ご希望のプログラムにお申し込みください。
第11回ARGカフェ&ARGフェスト@宮古島への招待(2/6(日)開催)http://www.arg.ne.jp/node/6908
松谷初美(下地・高千穂出身)
■アモイさん、CD発売記念ライブを開催!
アモイさんこと狩俣恵吉さんが、昨年暮れに制作したCD「ずぅら宮古んかい」の発売記念ライブを宮古で開催するそうです〜。今回の「沙家浜(シャージァーバン)」の話や、CD制作の際のエピソードなども語られるかもしれませんね。
そして、なんと特別ゲストに佐渡山豊さんが登場するそうですよ!
お近くの方、ぜひお出かけくださいね〜。
日 時 | 2011年2月12日 |
場 所 | 響和楽器 |
時 間 | 午後6時半開場 7時開演 |
チケット | 前売 1200円 当日1500円 |
取り扱店 | BOOK BOX 響和楽器 |
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
前号で根間郁乃さんの旧流米文化会館についてのお話しをお届けしましたが、その後、掲示板では活発な書き込みが続きました。いろいろな角度からの書き込みがある事は、まーだ ぷからすこと(本当にうれしいこと)勉強にもなりました。みなさん、ありがとうございました。
そして、宮国優子さんが書いていたように「旧宮古島市立図書館(旧文化会館)の取り壊しの一時中止を求める請願」への署名は1万人を越えて(1万609人)市長に提出されたそうです!市長からは「議会にかける」というお話しがあったとのこと。(「島の図書館に行こう!」http://miyakojimalibvo.ti-da.net/より)本当に会の皆さんの努力に敬服です。お疲れさまでした。今後の展開にも注目していきましょうね。
さて、今号は、のーしが やたーがらやー?
宮国優子さんは、久しぶりの登場でした。青い空ばかりではない んなま(今)の宮古。ノスタルジーを感じるという方、結構多いのではないでしょうか。嵐の大野君のCMには私もびっくり!こんなコマーシャルを見る時がこようとは。スモーキーな宮古島もオツなもの。ぜひ!
Rさんは“「あの世とこの世とは境界はある」ように思えますが、人が考えやすくするためにつくった概念で実は「境界」はないんじゃないか”という想いがあって「境界」というタイトルにしたそうです。美優さんのことは、宮古でも募金活動が行われたり、下地勇さんもチャリティライブに出演予定など広がりを見せていますね。早く元気になれますように!
アモイさんの話には すさんこと(知らないこと)が多く、沙家浜(シャージァーバン)についても知りませんでした。その地名が歌に出ることを逆に しわ(心配)してくれたという王さん。優しいですね。中国で暮らし、そこの方たちと触れ合っているアモイさんならではの貴重なお話しだったと思います。宮古にいる方はアモイさんのライブもぜひ!
池城かおりさんからのおしらせ「旧市立図書館見学会とARGカフェ&ARGフェスト」は、ズミ(素敵)な催しものですね〜。ネット中継のURLは分かり次第、くま・かま掲示板に書き込みしてくださるそうです。池城かおりさん、根間郁乃さん、さどやませいこさんたちのお話もあるとのことですよ〜。
あなたはどんな感想を持ちましたかー?ぜひ、おしえてくださいね。よろしくお願いします。投稿まい まちうんどー(待ってますよ)!
きゅうまい しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(今日も最後までお読みいただいて、ありがとうございました!)
次回は、2月17日(木)発行予定です。
ぱだーぱだ うらあちよー(お元気でー)あつかー、またいら!