こんにちは〜。
三週間ぶりのくま・かまです。みなさん、がんずぅかりうらまずたーなー?(お元気でしたかー?)
vol. 253お楽しみくださいね〜。
酒を飲まないクイチャー(断酒会のクイチャー)
クイチャーマン(下地・与那覇出身)
「宮古断酒会20周年記念大会」が9月10日に宮古福祉保健所健康増進室で開かれ、私も参加した。
大会の日程は、今年の1月、私が那覇断酒会のみなさんと“クイチャー交流”を始めた時に既に決まっていた。あんしーやりばどぅ、ばんめーまーつき(そういうわけで、私もいっしょに)大会に参加して、故郷のみなさんとクイチャーを踊りたいと思っていたのである。
会場の受付で参加者名簿に記名した。うんどぅ(その時)私は、ン!と少し戸惑った。名簿の氏名の次に「本人」と「家族」の欄があり、該当する欄にマルで印を入れるようになっているではないか。
ばが ばーんな、うなが どぅー べーいら、やーでぃ ベーいら(自分の場合、本人なのか、家族なのか)と、しばらく考えた。そして二者択一であればと「本人」の欄に〇印を入れたが、待てよ、私は今日から断酒会の会員になったことを自覚し、酒を飲まないようにしなければならないのか・・・みーちゃがま(少し)不安になった。
会場で配られた緑色の表紙の宮古断酒会の記念誌「あだん」に寄せられた関係者の挨拶文や資料を見ると、宮古断酒会は平成3年に、保健所、宮古病院の精神科医長、酒害に悩む当事者たち数人で、沖縄県内で7番目の断酒会として発足している。現在は沖縄本島、八重山、粟国、久米島など二十数箇所で断酒会や家族会が開かれている。「宮古断酒会20年の歩み」も紹介されており、関係者の並々ならぬ尽力を知る。
宮古では酒を酌み交わすオトーリ文化があり、並大抵の努力では酒を遠ざけることは困難で、近年では、飲酒運転や路上寝、未成年者の集団飲酒、若い女性の多量飲酒の増加が指摘されているという。このようななかで、断酒会が酒害体験と克服の体験に基づき、活動の幅を広げることに寄せる期待は大きい。
私の知人はいないはず、と思って参加したのに、大会の司会を担当した前泊さんは、数年前の宮古島の皆さんのミュージカル「貢布織女の歌」の沖縄本島・浦添公演の際の、元気の良いお姉さんの一人として出演し、交流した仲だった。彼女はご主人の依存症と向き合い、克服を果たさせて、現在は宮古断酒会の家族会の会長を務めている。ご主人も一緒に積極的に活動していた。予期せぬ嬉しい再会だった。
午後3時、まず全員起立し「物故者追悼」として、酒害と東日本大震災で亡くなられた方々に黙祷を捧げた。主催者や沖縄県断酒連合会役員の挨拶のあと、下地宮古島市長、宮古病院院長、宮古保健所長らが来賓祝辞を述べた。市長は断酒会の活動を称え会員を激励したあと「自分はこれから敬老会に参加することになっており、少し飲まなければならないが・・・」と言って参加者の笑いを誘った。
その後、宮古代表2名による体験発表、医療従事者による記念講演、全体例会など有意義な時間が流れた。大会には地元宮古島から約30人、沖縄本島各地の断酒会から約40人が参加していた。節目の記念大会には各地から参加して連帯する慣わしだという。
大会の日程が終わり、懇親会に移った。その中のたったひとつのアトラクションとして、私たちのクイチャーが登場した。参加者70人全員が手をつなぎ、広い会場をひとつの輪で囲むようにして態勢が整ったところで、準備していた「酒を飲まないクイチャー(断酒会のクイチャー)」の歌詞を全員に配った。そして簡潔に歌詞の内容を紹介し、みんなで歌ったあと踊り方の説明をした。音曲は、宮古民謡の大御所の三線伴奏に合わせて私が作詞して歌い、録音して準備しておいた。
詞には、各地の断酒会の例会の最後に、みんなで手をつないで「私たちはもっと強く、もっと賢く、もっと真剣に、やろう、やろう、やろう!」と唱和する「連鎖の握手」を取り入れた。那覇断酒会のメンバーはこの詞を「すてき!」とほめてくれた。
♪「漲水ぬクイチャー」の替え歌で歌う 1 お酒は 飲まない 飲まないよ ヤイヤヌ ヨーイマーヌーユー 飲まないよ ※ニノヨイサッサイ ヒーヤサッサ ハイハイハイ ヒーヤサッサ ハイハイハイ 2 お酒が 無くても 無くてもよ ヤイヤヌ ヨーイマーヌーユー 無くてもよ ※ 3 強く 強く 強くなろうよ ヤイヤヌ ヨーイマーヌーユー 強くなろうよ ※ 4 賢く 賢く 賢くなろうよ ヤイヤヌ ヨーイマーヌーユー 賢くなろうよ ※ 5 真剣に 真剣に 真剣にやろうよ ヤイヤヌ ヨーイマーヌーユー 真剣にやろうよ ※ 6 みんなで 励まし 励ましあってよ ヤイヤヌ ヨーイマーヌーユー 励ましあってよ ※ 7 楽しい 人生 ぷからす人生よ ヤイヤヌ ヨーイマーヌーユー ぷからす人生よ ※
那覇断酒会のメンバー8人は、7拍子で手を1回打ち、右回りをする踊り方のクイチャーの練習を13回積み重ね、胸を膨らませて大会に臨んでいることも紹介し「私たちの踊りを真似て踊って下さい」と伝えて本番に入った。
最初は不揃いだった動きが、徐々に一つになり、70人の身体は躍動し、笑顔が輝き、記念大会の成功を象徴しているようで、まーだ ぷからすむぬ(本当に嬉しいこと)であった。那覇のメンバーも満足そうな表情だった。
7番の詞の「楽しい人生」を後半は「ぷからす人生」にしたのは、宮古の記念大会を意識してのことであった。なお、お酒の「お」はないほうが良いような気もするので、今後断酒会で相談してみたい。
んなまからー うまかまぬ 断酒会んけー いき、 んにゃぴめー クイチャーゆ ならーしってぃ、 ぶどぅらだかー ならんぱっちゃー(これからは あちこちの断酒会に行き、もっと クイチャーを教えて、踊らなけらば ならないかもしれない)。
宮古島のラジオ局、元気にオンエア中!
根間郁乃(平良・久貝出身)
中学生の頃、友人たちの後を付いて、市街地の一角にあるスタジオへ潜入した。たくさんの機材が積まれたその場所からラジオ放送ができるという。友人3人組は「自分なんかさ、ここで番組を持つんだよー」と話しながら、真剣にオーナーのおじさんのアドバイスを聞いていた。
80年代半ば、宮古では(ケーブル放送は普及してきたものの)テレビのチャンネルは少なく、民放ねェ、ケータイ(携帯)ねェ、インターネットは何者だ?という時代だったから、ラジオのFM放送(NHK−FM)はかなり聴きかじった。
番組表をチェックして、シンディ・ローパーやマドンナ特集などあろうものなら、ラジカセのRECボタンを押さえながら、録音のタイミングをはかっていたものだ。
だから友人たちがFM番組をするなんて「うわー、だいずカッコイイなあ・・・」と思ったのだが、部外者の私はそれ以降スタジオに入る機会がなかった。街はずれの実家のラジオには電波すら届かなかった。あれから、あの小さなラジオ局はどうなったのだろう。
2002年の夏、ついに宮古島にも本格的なコミュニティFMが開局した。その名は「エフエムみやこ」。最初の放送は、上野村(当時)の、みやこパラダイスの敷地内に建つプレハブから始まった。
自社番組と、提携している東京のFM番組などを織り交ぜているので、ローカルな話題から最新のヒット曲までチェックできるようになった。島内でやっているイベントの生中継を聴いていると、わくわくしてくる。こういう日がとうとう宮古にも来たのね〜と、じーんとしたりもした。
そして昨年の夏、私はついに中学時代に憧れていた世界へ一歩踏み出した。・・・というのは大げさだが、スタッフに直談判して、番組をさせてもらえませんかとお願いしたのだ。
全国のコミュニティFM局のほとんどがそうであるように、数多くの番組がボランティアのDJでつくられている。エフエムみやこでも、個性豊かなパーソナリティーがいっぱい。オールみゃーくふつの方、宮古の年中行事について解説する方、初々しい高校生たちなどなど・・・。私のお薦めは、開局間もない頃から続いている「ゆらゆら仏具店」。宮古の若者言葉が満載の、だらだらしたしゃべりが面白すぎるロックな番組である。
私が担当するのは「papiru」という水曜夕方の30分番組。パピルとは、多良間島に行った時に知った方言で、蝶々のこと。家のCD棚に眠っていたフレンチポップスなどをかけたり、宮古・沖縄の音楽や文学の話題を紹介している。
週に1度、下里にあるエフエムみやこに行き、1人でスタジオにこもってマイクに向かってしゃべり、録音したMDを担当スタッフの平良信長さんに渡す。そして余分な間を省いたり音を調整した後、オンエアとなる。少ない陣容で、こうした番組の編集作業、番組DJ、取材などを兼ねながら宮古を飛び回っているスタッフのみなさんには本当に頭が下がる。
実は1年近く続いていながら、番組にはまだメールの1通も届かない(エフエムみやこのホームページにある番組表から、メールが送れるようにはなっている)。とほほ。
ただ、嬉しい出会いも。散髪に行った先で、宮古嫁になった関西出身の美容師さんと話をしていると「ええ!あの番組、ダンナとめっちゃ聴いてますよ!」と反応してくれたのだ。彼女は昔ほんとうに住んでしまったほどフランスが大好きで、私の番組を気に入ってくれていたらしい。彼女もエフエムみやこのヘビーリスナーだ。今ではちょくちょく連絡を取り合い、一緒にライブへ出かけたりするようになった。
最近はたまに子供たちと一緒に放送を聴くこともあり、息子は「お母さんの声、いつもと違うね〜」と笑っている。もうすぐ1年になる小さな番組だが、毎週どこかで誰かが楽しんでいてくれたら嬉しいなあ、と家族の協力を得ながら続けている、ぴたくそ(下手)DJなのである。
エフエムみやこの立ち上げの経緯が書かれています。
くぱ水とやぱ水(硬水と軟水)
ビートルズ世代のサラリーマン(平良・下里出身)
ばんたが やらびぱだんな(我々の子供の頃は)宮古の水は、くぱーくぱの水だった。(硬水だった)
硬水とは水の中に含まれるカルシウムとマグネシウムの量が多い水のことをいいますが、その量を数値化したものを硬度といい、だいたい硬度100以上を硬水、100未満を軟水と呼んでいます。
宮古の水は原水で硬度が250〜280ぐらいあります。宮古島は琉球石灰岩で出来ているので飲料水として使用している地下水や湧水には石灰分が多く含まれ硬度が高くなっているのです。ちなみに、私の住んでいる埼玉地域の水の硬度は50ぐらいですから、みゃーくの水がいかに くぱみず(硬水)か分かりますね。
みぱなを すみる(洗顔する)とき、ちっとも さぷん(石鹸)が泡立たなかったり、シャワーがすぐ目詰まりしたり、やかんの中が石灰でびっしり覆われたりで、一時期軟水器なるものが流行ったりもした。
珈琲と大和茶(日本茶)は硬水で淹れるとまずい。喫茶店の珈琲が美味かったのは軟水器の水を使っていたからだ。不思議なことにさんぴん茶は硬水の方がおいしく感じる。
島で暮らしている限り硬水しか知らないわけで別に困りはしなかった。内地に来て やぱーやぱな水(軟水)を経験して初めて自分たちの使っていた水が内地とは違うことを知ることになる。
あばっ!(あれっ)、石鹸とはこんなに泡がたつもんだったのか。洗顔した みぱなが(顔が)ごわごわにならない、なんともやさしい感触。銭湯で何度も確かめるように洗顔をする ぴんなぎ にしゃい!(怪しい青年)
しかし、宮古の水はカルシウムがたっぷり含まれているので、あの頃の宮古の水を飲んで育った者は、多分、同年代の内地の人に比べたら骨密度が高く骨が丈夫だはず。
全く医学的根拠はないが、ミネラルも豊富だし、ねばり強い宮古人気質(アララガマ魂)を形作る基にもなっているような気がする。宮古島のエキスをしみ込ませた地下水といえるかも知れない。
ただ、問題もある。琉球石灰岩のような多孔性のいわば天然のろ過材を浸透する過程で、畑の肥料や生活雑排水の影響を受けやすいことである。限られた土地である島が汚されればその影響はすぐ地下水に現れてくる。肥料の影響については、有機肥料に切り換える等の農家への指導が行われているが、何故、公共下水の整備を急がないのか不思議である。
琉球石灰岩で覆われた宮古島は島全体が巨大な水の浄化装置のようなものである。降った雨の一粒一粒が岩にしみ込みゆっくりと時間をかけて地下に集まってくる。地下には幾筋もの地下水脈が走り一部は幾つかの地下水盆と呼ばれる貯流域に溜まり、一部は湧水となって海に流れ落ちている。主な湧水箇所は20数箇所にも登る。
宮古島の年間降雨量は2,000mm前後であるが、周期的に少雨(旱魃)に見舞われる。今、宮古島は地下ダムが完成し、かんがい用水が利用できるスプリンクラー等の設備も整備され、長年農家を苦しめてきた旱魃が克服されようとしている。宮古島が亜熱帯果樹や野菜の一大産地となる夢は現実のものとなりつつある。
現在宮古の水は、硬度低減化設備が導入され硬度は100前後に調整されている。我々が昔飲んでいた様な硬水では無い。もう、昔のように さぷんが 泡立たないことはないし、シャワーが目詰まりすることもない。軟水器を通さなくてもおいしい珈琲が淹れられるし、おいしい日本茶だって飲めるのだ。
宮古の水は やぱーやぱの やぱみず(柔らかい軟水)に変ってしまったが、これからも若い子供達が くぱーくぱの(硬い)気骨のある骨太の人間に育って欲しいものだと思う。そして、いつがみまい(いつまでも)きれいな地下水が湧き出る宮古島であり続けて欲しいと願う。
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
早10月ですねー。ここ2日〜3日、肌寒い東京ですが、そちらのほうは、いかがですかー?
「生まり島・ミャーク大会」のおしらせを前号でやりましたが、参加を希望していたのに申込〆切り(9月30日)のことを、すっかり ばっしていた(忘れていた)。飛行機の手配は早々と済ませ、心は宮古〜。るんるん。としていたが、9月30日の夜中にハタと思い出した。ホントに迂闊者でござる。翌日は土曜日。事務局に電話できたのは10月3日。「すみませ〜ん、申込忘れてました。今からでも大丈夫でしょうか?」「はい!大丈夫ですよ〜」と満面の笑みでの熱烈歓迎!?(見えていないけど、そんな気持ちの良い対応でした)早速、FAXで申込、振込みもしました。ふぅ、やれやれ。うむやすむぬ。参加をしようかなーと考えの方、んなまからまい(今からでも)間に合います!(たぶん)連絡してみてくださいね。
「生まり島・ミャーク大会実行委員会」
電話・FAX:0980ー73−2005
さて、今回の くま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
「宮古断酒会」は20年も続けられているとはすごいですね。オトーリ文化がある中で、ホントに大変なことだと思います。以前、宮古毎日新聞に断酒会に参加されている本人の手記が載っていたことがあります。まっすぐに自分と向き合い、率直な気持ちが書かれた文章に感銘を受けたことを覚えています。クイチャーマンさんが作詞した「酒を飲まないクイチャー」これから うまかまの断酒会で踊られそうですね!
vol.238 https://miyakojima.jp/kumakara-kamakara/vol-238/ で「断酒会」とクイチャーマンさんが関わることになった経緯が書かれています。「断酒会とクイチャー」お読みでない方は、こちらも合わせてご覧ください。
郁乃さんが、エフエムみやこで番組を持っていたとは、びっくり〜!早く言ってよ〜、郁乃さん!(笑)水曜日の19時半「papiru」ですね。くま・かま読者の中にもその番組聴いたことある!という方いらっしゃるでしょうね。それにしても宮古にFMができたことは、沖縄本島からのラジオばかり聞いていた私にとっても感慨深いものがありました。尽力されたみなさんに感謝!
宮古の水の話し。水道関係の仕事をされているB.サラさんならではの詳しくも分かりやすい話しでしたね。私も宮古の水が硬質だと知ったのは内地に来てからでした。どこの地域でもやかんに石灰がたまるものと思っていましたから。そうそう、骨密度が高いというのもその通りだと思います。なんせ、職場の検診で ばかむぬ(若者)を差し置いて、私一番でした。(エヘン!)
あなたの感想もぜひお聞かせくださいね。
投稿作品も随時受け付けています〜。
あなたが最近感じたことや面白かったことなど、のーまいじょうぶんどー。(何でもいいですよー)短い文章(200字〜800字)でかまいません。お気軽にどうぞ〜。お待ちしています!
次回は10月20日(木)発行予定です。どうぞお楽しみに!
きゅうまい、ぞう(良い)一日でありますように〜。あつかー、またやー!