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くまから・かまから vol. 259

2021 10/15
メールマガジン
2012年1月5日2021年10月15日

2012年明けましておめでとうございます!
みなさん、ぞうそうがつ(上等正月)をお迎えのことと思います。この一年もどうぞよろしくお願いしますね。
新年号お届けで〜す。

目次

んなま(今)の宮古 〜春のきざし〜

カニ(平良・西里出身)

新年明けましておめでとう。

くまかまの皆さん、昨年は色々とお世話になりました。今年もまた楽しい1年になることを祈っています。

宮古島はすでに春のきざしが見えますよ!まず森の中や道路の傍には、リュウキュウコスミレの薄紫の ぱな(花)が咲いています。カニの ぱり(畑)ではタブノキの新芽が出ていますよ。そうしてサルカの花も咲き始めました。今日(元日)は健康ウォーキングで東海岸沿いの崖下に下りましたが、そこには何とテッポウユリの花が咲き始めていましたよ。

もうすでに海岸線沿いや森の中では春のきざしが現れていますよ。

そうそう夜中には春の三角形の星空も出ているので星座と同じ動きをしているかもしれませんね

というわけで宮古島の春の様子を元日の掲示板にお知らせしましたのでご覧くださいね。

宮古島の還暦おじさんベネズエラで頑張る記

池城 直(平良・西里出身)

仕事(JICA)で昨年からベネゼエラに住んでいます。

さて、みなさんはベネズエラといえば、何を思い出しますでしょうか?

日本とちょうど反対側で想像困難だと思いますが、宮古島の小学校の社会科で習ったマラカイボ湖の石油採掘でしょうか。それ以外にも、余りにも高さがありすぎて水が途中で雲散霧消する980mの世界一の高さのエンジェルフォール、SFの古典的名作「ロストワールド」の舞台となったラ・ロマイナ山などが結構知られています。

ミスユニバースでは多くの優勝者を輩出している、あぱらぎ(美人)が多いことでも有名な国で、街中はほんとに美人が多く、目移りして大変です。最近では反米左翼でカリブの暴れん坊といわれるチャベス大統領の病気(ガン)のニュースが世界中を駆け巡っています。今年の10月には大統領選挙が予定されていますが、世論調査ではチャベス大統領の人気が絶大です。

そのベネズエラ国の首都、カラカス市で「都市の持続的発展、環境と危機管理フォーラム」が昨年11月に開催され、何と、それに宮古島出身の下地邦輝氏が講演しました。

カラカス市の一部を構成するチャカオ市の市民・環境保護局設立13周年を記念して、環境との調和のもと都市計画を実施している世界各国の都市から代表者を招聘し、フォーラムを開催したのです。

招待都市はサンフランシスコ市(米国)、マニサレス市(コロンビア)、クリチーバ市(ブラジル)、モンペリエ市(仏国)等の有名な街でしたが、日本より沖縄県の職員で環境の専門家である下地氏が招待され、沖縄における第二次世界大戦の経験とその後の米軍基地の存在による環境破壊、復帰後の急激な観光開発による環境破壊の実情と対策を紹介し、500名余のベネズエラ人の聴衆に沖縄の存在と歴史を知らしめ、感銘を与えました。

この招聘のきっかけは、浦添市にあるJICA沖縄国際センターの研修コースに参加したチャカオ市の職員が下地氏による沖縄の歴史、経験の講義に感動し、是非ベネズエラにセミナーの講師としてお呼びしたいとJICAベネズエラ支所に相談があり、話を聞くと、下地氏はJICA支所長(池城)と高校の ぶーりや(同級生)で、これはぜひ呼ばなければなるまいと東奔西走し、実現したものです。因みに、二人とも今年2012年は年男です。

下地講師は、沖縄出発前に ぶーりゃ(仲間)で壮行会を開き、高校生の頃に戻って、お互いに くきーくき(かっこつけ)していたとかの話になり、盛り上がったそうです。

ベネズエラで、本当に久しぶりに再会し宮古島の話がたくさん出て、下地氏は、ぬざき(久松)出身なので、学生のころ いずとぅい(魚とり)に行った話や、ぬーま(馬)に乗って ぱり(畑)に行った話が出て、まさに下地勇の「我達が生まり島」を彷彿とさせる話で、案の定、彼とは遠い親戚だそうです。

下地氏は現在はおきなわ環境クラブと宮古島環境クラブの会員として毎月1回以上は宮古島に通い、地下水汚染対策等の環境問題解決に頑張っています。

宮古島一周ウォーキング

宮国勉(城辺・西城出身)

健康とスリムの一挙両得を目指して高校の出身者で構成する、ウォーキング同好会のメンバーになった。

月に一回、スタート地点の駅などに集まり10kmほどの距離を5〜8人で歩くのである。歩く場所はだいたい関東の名所旧跡や公園を選び年間予定を立てて行っている。

都合の付く者が集まり、年の差30才以上の集団が群れて賑やかに歩く。終点では手頃な店を見つけて、酒とその地域の料理に舌鼓を打ちながら、その日の反省点や今後の方針などを話し合う飲みニケーションとなる。

年に一回は故郷の沖縄を歩き、那覇市にある母校をスタートし、西岸廻りで一周を目指し、現在は辺戸岬を過ぎた辺りで停まっている。

今年度は宮古島一周ウォーキングを入れたこともあり、幹事長を引き受けることになった。春先からウォーキングの場所を検討し、観光ポイントを地図に書き込みしてきた。今は、インターネットという大変有り難い参考書がいつでも手助けしてくれるお蔭で一応の資料作りが上手くいった。第三者的な観点からも宮古島の観光案内版が出来上がったと思っている。

さて今回は、11月18日から3泊4日の旅程である。 

宮古島空港には予定通り10:10に到着、久しぶりの宮古空港の赤瓦屋根を滑走路から眺めて帰り着いたことを実感した。午後から2パーティで東平安名崎にあるオーシャンリンクスにてゴルフの予定で、宮古の天気は薄曇りのまあまあのゴルフ日和であった。
 
オーシャンリンクスでのゴルフは大和から4人、宮古の同級生4人で半数ずつ混ぜた組み合わせで13:00ごろからスタートした。始まっておよそ1時間経った頃に、天気が怪しくなり降り出した。岬の風雨は凄まじく、傘は何の役にも立たなくなり7ホールで中止することになった。

ゴルフバッグを送ったり送り返したりの手間と費用が泣けてくる。運の悪さを恨むが、そんなときもあるさーと慰める。しかし、去年も同じ目に遭ったが、たかだい(高価な)カッパも買って出来なかった。もしかしてマムヤの祟りかも?あすがー(だけど)マムヤは 心優しかったと云われている。あがいたんでぃ〜 パンツまい んみにゃーん(あ〜あ〜 パンツまで濡れてしまった)

20:00時から前夜祭を あぐ(同級生)の店「清風亭」で行うことに成っている。ウォーキングの参加者は大和から6人、那覇から2人、宮古から1人の9人である。それに小、中学校の幼友達8人が参加して、総勢17名である。

初対面がほとんどなので自己紹介することになり、宮古からの参加者はうとぅーず(お通り)で始まった。うとぅーずの洗礼を受けたはずの先輩達(沖縄出身)は、7:00には朝食に現れ、誰一人二日酔いの症状はなさそうである。皆さん夕べの方式や酒量について いぎゃん(びっくり仰天、話題になる)である。

2日目(19日)はカーフェリー「はやて」で伊良部島に渡り半日ドライブ、午後からは明日のウォーキング場所の下見を兼ねての宮古島本島をドライブの予定である。

平良港を8:30に出港し、伊良部島の佐良浜港に8:45には到着の15分の船旅である。最初に白鳥崎に向かい、絶景にしばし感動し佐和田の浜、下地空港、通り池へと進んだ。通り池はいつ見ても濃紺の色をして淀んだ水面は、ユナイタマ伝説が生まれる神秘さを感ずる。渡口の浜を巡り伊良部大橋の工事現場を近くの浜から見て、佐良浜港に着いた。

予定より少し遅くなって13:20頃には平良港に到着、昼食を「ばっしらいん」の宮古そばと生ビールを注文する。その後トリバー地区から工事中の伊良部大橋を観て上野ドイツ村、上比屋山遺跡(ういぴゃーやま)に向かった。しかし、お酒の神様が運転手を多良川酒造の工場に案内したらしい。受付に入ると酒麹のしっとりとした香りが漂い嫌いで無いのを自覚する。

見学の了解を取り中へ入り、酒造りのビデオが上映、観ながら試飲して、隣接した酒蔵を見学、酒好きな爺たちは、今日の予定はここでお終りにしようと勝手に宣言する。

酒蔵は工場から200メートルほど離れていて、元の防空壕を掘り広げ、上にコンクリートスラブを載せた地下構造物であった。中には様々な大きさの瓶が保管されており、泡盛が静かに眠っていた。一番大きな瓶には琉球王朝の白い文字が書かれている。その奥には三升瓶がところ狭しと並べられて5年間保管して5万円とのことであった。

もうすぐしたら団体さんが見学に来る予定らしいが、工場見学を飛び込みでお願いできた。しかも4:30までが見学できる時間だそうで、危なく見学が叶わなくなるところであった。このグッドタイミングで無計画な幹事は自分のツキを感じ喜んでいた。4:00にそこを出発し、まだ日は高いので東平安名崎が展望できる場所を案内して本日はホテルに戻ることにした。

夕方小雨だがホテルから傘を借りて、夕食に出掛けて間もなく傘が役に立たないほどの雷雨に見舞われた。あと500メートル程手前でタクシーを使うことになったが、店に着くと同時に周りが停電する。しかし、「あぱらぎ=(飲み屋さん)」は無停電で、今日は2回目のツキである。万事塞翁が馬の境地で本日のツキに感謝しながら明日の天気を祈り泡盛で乾杯した。

3日目(20日)は未だ観ていない所をドライブし、その後にウォーキングをすることに予定を変更した。まず人頭税石、仲宗根豊見親の墓、アトンマ墓、知利真良豊見親の墓などを観て、砂山ビーチへと向かった。砂山から西平安名崎に行きたいが、島が細くなる手前の辺りでキビ畑の中へ入り道に迷ってしまった。後部座席の外野に野次られながら、畑のオジサンに教えてもらい本道に出た。池間島をくるりと廻り、城辺の地下ダム資料館を目指す。時間的な余裕が無いので資料館は見学を止めて、隣り合わせに在る地下ダムの観測施設を見学した。

海宝館で昼食する積もりが、団体さんが多くて先に東平安名崎から海宝館までの6kmを歩くことにした。だが、東平安名崎では押し返されるような強風だが、この区間を わい(気合いで)と歩くのが精一杯で、短い宮古一周ウォーキングとなった。

13:30には海宝館に到着し遅めの昼食となった。その後、一気に平良に戻り、北小学校裏にある大和井 (やまとがー)を観てホテルで休憩。その後に平良の街を散策して最後の夜の反省会となった。

今回の旅では2回もの運に恵まれたような気がする。1回目は多良川酒造の酒蔵が見学できたことで、当初の予定は最後の方に予定していたが、流れで早く着いたことで見学ツアーに組み込んで貰えた。2回目は、2日目の夜に雷雨に遭遇しながら「あぱらぎ(飲み屋さん)」だけは停電しなかった事など、不思議なほど運があったようだ。

後悔先に立たず!とはよく耳にする言葉である。事故など良くないことが起きたときは、なおさら後悔が募ることになる。少し遅ければ遇わなかった・・・とか、仕方の無いことをいつまでも色々と考えるのだが、結果はどうにもならない。しかし、人間はどっちを選んでも選ばなかった方と比較する癖がある。それを断ち切るにはこっちの方が正解だったんだと、自分に言い聞かせるしかないらしい。

アクアマリンふくしま

Motoca(平良・下里出身)

みなさま、あけましておめでとうございます。

年が明けるのが うぬすく(こんなに)待ち遠しかったことは、んなだにゃーん(かつてありません)。例年、年賀状には「いい一年になりますように」と書き添えるのですが、今年は「いい一年にしましょうね!」と書いています。今年は意地でもいい年にしてやる。それが去年への厄払いだと思っています。

もちろん、いいこともたくさんありました。けれど、3月11日に始まったあの震災の影響が、ずっと影を落とし続けていました。

気持ちが落ち着かない日が続く中、震災からちょうど半年にあたる昨年9月10日に、福島県いわき市の小名浜漁港まで行ってきました。目的地は「アクアマリンふくしま」という水族館です。その水族館の展示が ずみぎ(かっこいい)という噂を聞いて、すぐに行ってみたくなったのです。

しかしそこは、半年前に津波が襲った場所。アクアマリンふくしまも、小名浜漁港の第2ふ頭にあるため、津波で大きな被害を受け一時閉館していましたが、全国の水族館からの支援や各地からの義援金を得て、震災から約4ヶ月後に再オープンしたのでした。とはいえ、その周辺にはまだ生々しい津波の爪痕があり、図らずもそれを実際に見ることになりました。そのときのことを、ぴっちゃがま書いてみようと思います。ばっしらいん(忘れられない)1日となりました。

常磐道を北上し、いわき勿来ICで下りて国道から海岸へ。やがてアスファルトが白っぽく変色した道路、ブロックがはがれてでこぼこになっている歩道、車道と歩道の間の亀裂、傾いた交通標識などが目に入ってきました。海岸に近づくにつれてそれはだんだん顕著になってきます。

いんばた(海沿い)の道の信号は きゃーりた(消えた)まま。港の向かいに、一階部分が壊れ すきゃーりた(散らかった)ままの建物、ぐちゃぐちゃになって放置された車、端に積み上げられたがれき。半年前にテレビで何度も みぃうーた(見ていた)、津波の映像が頭をよぎります。その日の天気は穏やかで、海は凪。半年たってなお残る爪痕に、心が痛みます。

やがて、青い宝石のように光り輝く建物が目に入りました。それが「アクアマリンふくしま」の建物です。周りに津波のあとがまだ残る中、そこだけが真新しく輝いていました。

遊歩道の舗装も色濃く、植木もまだ移植されたばかりの若い木です。芝生がまだ定着していないのも、見てわかります。しかし、水族館の中は完璧でした。ずっと前から変わらずそこにあるように。「小名浜の復興は、ここから始めるんだ。」そんな気概を感じました。

駐車場には、がれきを集めて作った小さなステージが。ここで再オープン時の式典を行ったとのこと。あがい、だいず たや人たー(すごいたくましい人たち)よ! 頭が下がります。

水族館の中では、ニヒー(ニヤリ)と笑ったような表情のエイが頭上の水槽をおよいでいったり、広い水槽を群れになって旋回するイワシ、眠そうに筒から顔を出すウナギ、悠々とおよぐ熱帯魚などなど・・・そんな魚たちの姿に、感動したり笑ってしまったり。一日いても飽きませんでした。

みなさんも是非いちど、んみゃーちよー(いらっしゃい)。って、私も中の人になってしまいそうです。ばんまい また いきぶすむぬ(わたしもまた行きたいなー)。

去年、何となく気持ちが委縮してしまって、私は気がつくと、どこにも行っていませんでした。例年一度は行くような小旅行も、お花見も紅葉狩りも。唯一、この小名浜への日帰りドライブぐらいです。けれど、だいずいい経験になりました。

あれからさらに、約4ヶ月。先週、漁港にある観光物産展「ら・ら・ミュウ」に年末の買い物にたくさんの客が訪れたというニュースを見ました。私が行った頃はまだ閉館していたところです。そのまま、その調子で。もっと時間がかかるところもあるかもしれないけれど、少しずつ「復興」に近づいていっているのだと思います。

半年前、節電でなんとなく っふぁーっふぁ(暗々)としていた東京は、だいぶ明るくなりました。「もとどおり」とはまた違うけど、電球が消費電力の少ないものに変えられたり、数をうまく減らされたりされています。私たちにもいつの間にか、新しい「いつもどおり」が、私たちの生活になじんできています。不便はもう感じません。

今年は、新しい「いつもどおり」がよりたくさん生まれますように!
みなさん、今年はいい年にしましょうね。

参考:アクアマリンふくしま公式サイト
http://www.marine.fks.ed.jp/

アクアマリンふくしまの復興日記
(被災〜復興までの様子が綴られたブログです。)
http://blogs.yahoo.co.jp/fukushimaaqua

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

宮古は雨がよく降っていたようですが、お正月は晴れて穏やかだったようですね。母は、例年通りに すとぅむてぃしゃーか(早朝)に起きて、下地のつぬじうたき、あかな宮、里のうたきにお参りしてきたと話していました。

昨年は本当に大変な年でした。今年は被災地のみなさんにとって、そして、くま・かま読者のみなさんにとって心やすらかで、幸せな一年でありますよう心からお祈りいたします。

宮古毎日新聞の元旦号をご覧になった方、やまかさいらっしゃると思いますが、第6集の文化蘭のトップは「全国に蒔かれた『一粒の種』」と題して、下地勇さん、砂川恵理歌さん、菜の花こと高橋尚子が、カラーでドーンと紹介されました。かたあきの里の芝生に座って三人ともだいず素敵な笑顔です。2ページ目には、鼎談の模様が納めれていて、ふるさとへの想いが語られています。宮古毎日新聞のHPでも見られますので、ぜひ、
ご覧くださいね。

それから、その次の3ページには、くま・かまの事と、11月6日宮古で行なわれたオフ会の様子が紹介されています〜。あのライター、このライター映っていますよー。ネットで見ることはできませんが、新聞が手に入る方はぜひ〜。

記事にしてくれたのはさどやませいこさん。ありがとうございました!

さて、新年号は のーしが やたーがらやー?

カニさんから元日に宮古便りが届きました。カニさんの自然に対する細やかなまなざしによって、見逃しやすい宮古の季節の移り変わりを知ることができます。写真もとても貴重ですね。今年も宮古の んなまずぶん(今ごろ)のお話にご期待くださいね。掲示板にもぜひアクセスを!

海外からもメールが届きました。うれしいですね〜。池城さんは下地さんの活躍をみなさんにぜひ知ってほしいと今回投稿してくださいました。まーんてぃ、やぐみ(凄い)ことですね。池城さんの今後の活躍も楽しみです。またいろいろ投稿してくださるということですのでお楽しみに〜。

宮国勉さんの出身高校の仲間たちとの宮古での様子、イキイキと伝わってきましたね〜。そう、宮古は結構広いんですよね。半日くらいで回れるんじゃないのーと思っている方も多いようですが、いやいや大変です。それにしても年代の違う同窓生と うまかま旅を続けているのは、素敵なことですね。

「アクアマリンふくしま」、震災から四ヶ月後に再オープンとはすごいですね。Motocaさんが実際に行って肌で感じたことなので、周りの風景の様子や水族館の方たちの頑張りがリアルに伝わってきました。震災を乗り越えた水族館には、きっと優しさやパワーが満ちていることでしょうね。

あなたの感想もぜひ聞かせてくださいね。

今回も、しみゃーがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(今回も 最後まで お読みください ありがとうございました!)

次号は1月19日(木)発行予定です。
うぬときゃがみ がんずーやしー うらあちよー。(その時までお元気でお過ごしくださいね)
あつかー、またいら!

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