くまから・かまから vol. 263

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 こんにちは〜。
 きょうから三月ですね〜。ニューフェイスも登場〜。vol.263 お届けでーす。

島を離れて

羽地みなと(平良・西里出身)

 くまかま読者のみなさま、はじめまして!今号より、くまかまライターデビューの羽地みなとと申します。旧平良市は西里に生まれ、北小、北中、宮古高校と青春を過ごし、高校卒業後、上京し6年が経ちました。
 
 上京したての頃は、出会う度々に「どうしてそんな遠くからわざわざ出てきたの?」とよく聞かれました。そう言われてみると、「進学のため」とは言うものの、なんだかしっくりこないのです。「方言しゃべってよ!」と言われても、若者同士で話す方言もどきしか知らないため、感心されてももどかしい日々。
 
 慣れない一人暮らしと、東京での生活、学校、新しい友達。週末にひらかれる同郷の集まりは、飲めや踊れやの、まさしく“ぷーき(うれし)座”でした。ただみんなでカチャーシーをしたり、笑っているだけで、心が晴れたものです。
 
 上京して3年目の夏、私は初めて、大学の友人を宮古島に連れて行きました。何を食べさせようか、どこに行こうか、あれこれ考えていましたが、私が知っている宮古島は案外少なく、残念に思いました。そして、自分自身が、もっともっと宮古の事を知りたいと思うようになりました。
 
 そして、気づいたのです。島から離れる年数が長くなるにつれて、ますます宮古の事を好きになっているということを。好きになったらとことん追いかけようと思った私は、まず、方言を話せるようになろうと決意しました。決意はしましたが、何をするわけでもなく、月日は流れ、社会人になりました。
 
 もうすぐ1年目を終えようとしていたある夜、運命的な出会いがあり、新里方言研究会に参加する事になったのです。今こうして書いているのも、出会いが出会いを呼んだ、縁からです。
 
 今、宮古をでて思うこと、それは、離れても何かしら繋がっていたい魅力的な場所であること。だからこそ、何百キロ離れた場所でも、同郷の仲間同士で集まり、宮古のことについて語り合うのではないでしょうか。
 
 私は大好きな宮古島の方言の勉強を始めたばかりです。これから私の書く文章が、方言だらけになることを、乞うご期待ください。

知らない宮古

キムキム(平良・西里出身)

 生まれてから高校を卒業するまでの18年間を宮古ですごした。その間に我が家は3回の引越しをしている。2回は、父の仕事の都合で、あとの1回は、道路拡張で立ち退きを役所から言い渡されて・・・。
 
 あの小さな島での引越しだから、転校することもなく、環境も生活圏も全く変ることなく生活できた。だが、家への愛着は寂しいほど身につかなかったように思う。
 
 平一校まで約1Km、平良中までは600m、宮古高校までは1Kmと、我が家を中心にして、半径2〜3km圏内で18年間を過ごしてきたと言ってもいいほどだ。だから、宮古のことも「知っているようで、あまり、わかっていない」(と言い訳してみる)
 
 高校を卒業し、とても暑い夏の日に、あがぃ里(東里・あつままーうたき周辺)の坂道を歩いた。夕暮れになっても暑気が去らず、めげそうになるのをこらえつつ歩いていたが、下り坂にさしかかった途端に、その暑さが吹き飛んだ。坂の下に広がる平良中の運動場が「我が家に帰った」ように、とても温かく懐かしく、何か恐怖感さえ感じさせたからだ。
 
 あの道をもう一度たどってみたい、そんな思いにかられて、あがぃ里を散歩してみた。もうだいぶ前のことになるが・・・再開発で(?)、すっかり様変わりし、私の知らない街並みが広がっていた。
 
 そこに、郷愁はなく、自分の帰る場所を失ったような別の恐怖を覚えた。「便利」「豊かさ」「開発」・・・は、生きていくには、必要なことだが、時として残酷だと思った。思い出の風景は、胸の奥に描き続けるしかなかった。
 
 先日、中学時代の友人達とこんな話をした。「平一校から南」「宮古高校から東」「市場から西」「北小から北」・・・「うちらが、ほとんど足を踏み入れてない地域じゃないか?」「宮古にいても、やかずまーりゃーじゃなかったから、だいず、んざぁーまい、すさんゆぅ(宮古にいても、出歩く方じゃなかったから、どこのことも知らない)」「高校のときの彼氏とのデートは、パイナガマまで、二人で歩いて行って帰ってくるだけだったよ〜まるで、おじいとおばあの散歩だよね」と。
 
 「休日には家族で出かける」習慣もなかったし、「週休2日でもなかった」けど、なにか気分的には、余裕があったはず、ぬかーぬか(のんびり)な土地柄からか?
 
 「あの行ったことがない宮古に行ってみるか」「でも、昔みたーいな まっちゃ(店)は、もうないはずよ〜」「弘なんかのそば屋は、まだ、あのままだよ」「あっちの横には、だいばんホテルが建っているさ〜」「したら、ポー崎のほうまで行ってみるかー」「うちらー、京子の家のざくろ、よく盗って食べてたけど、まだ、あるかねぇ?」・・・
 
 私達の「老後、宮古探偵団物語」計画は、着々と進行中である。

ういがつみゃーん(そんな訳で)

與那覇 淳(平良・鏡原出身)

 宮古島の酒の飲み方と言えば「オトーリ(回し飲み)」が有名ですね。最近はこの飲み方に反対する人もいますが、オトーリは、まだまだ衰えることを知りません。宴会、飲み会となればつきものです。酒のでる会合であれば主催者の挨拶が済むと次はオトーリが当然のように始まるのです。
 
 これといったプログラムも準備されていないときなどは特にこの傾向は強くなります。この宮古独特ともいえるオトーリは、初対面同士でもすぐに打ち解けて、ふたきな(一気に)一つの輪になれるという魔力を秘めています。
 
 しかし、その魔力は会合の席を瞬時にして盛り上げる効果を持っているものの、ほとんど発展性がないのが欠点と言えると思います。酒を ぴっちゃがまなー(ちびちび)酌み交わしながら会話をすることにより、話の内容が深まりより親密になれたり、そのなかから発展的な話も生まれたりします。
 
 ところがオトーリが始まると型にはまった飲み方が延々と続くのです。一巡すると「第二便、第三便・・・」とか称して、同じパターンの繰り返し。そのうちに酔いにも勢いがつき、びゅーいふさり(ぐでんぐでんになってしまい)、会合の趣旨なんていうものは 何処へ消えたのやら。
 
 私も若いころは、よくオトーリをしたものだが身体を壊したあとは「オトーリ反対派」に転じました。誤解のないように酒で健康を害したわけではないので。自分の身を しゅわ(案ずる)こともさることながら、ただ、酔うのが目的のような飲み方に辟易したのです。 
 
 そうは言っても、赤ちゃんの なーふぃよーい(命名祝、誕生祝)とか新築祝、入学祝、成人祝、観光客らを接待する場合などは事情が変わってきます。特に観光客相手だと率先してオトーリをしてしまいます。オトーリの起源や謂れ、ルールを説明したうえで「オトーリ大会」の口火を切り、そして、そのコツなども伝授します。コツと言うよりも要領と言った方がいいのかもしれませんが、そのことについて少し書くことにします。
 
 まず、一言の挨拶を述べますが、会合の趣旨に関連するような話題や自分の感想などを話したうえで、少々大げさに膨らみのある発展的な話へと持っていきます。酒の席ですので真面目すぎる話しよりも ぷーきー(テンションをあげあげ)、ややオーバーな話の展開が歓迎されます。そして、話のまとめとして「ういがつみゃーん(そういう訳で、それでもって)オトーリを回します」と述べます。
 
 この「ういがつみゃーん」は魔法の言葉で、最後にこの言葉を挿入することでオトーリの形を成してきます。初めてオトーリをする方、特に島外の方がこの一つの言葉を覚えて「ういが つみゃーん」と発すれば大うけすること間違いありません。ぜひ、試してみてください。
 
 要はオトーリの口上ではどんなことを話してもいいが、話が長くならないことが鉄則、2分程度で話を切り上げて「ういがつみゃーん」でまとめます。 
 
 あまり長々と書くと読者から嫌われてしまいそうです。
 「ういがつみゃーん、このへんでペンを置くことおにします」

お便りコーナー

 前号(vol.262)に感想が届きました。ご紹介します。

ちぃー(平良出身・大阪在住)

◆下地勇さん10周年おめでとうございます。

 はじめて、感想を書きます。うふっ、ぷからっさ(うれしい)。
 
 ちぃーといいます。うや(親)は、新城、私は、ぴさら(平良)生まりのぴさら育ち、もうすぐ50代の者です。大阪府堺市に住んで12年、みゃーく恋しさが日増しに募る日々、くま、かまの記事に癒され、元気づけられていますよ〜。今回は、下地勇さんのインタビューが載っていたので、うれしくて、書いてます。
 
 10年前、宮古帰省時に、弟から渡されたテープを聞いたとたん、経験したことのない衝撃に包まれ、一晩中、ただ、ただあふれる なだ(涙)をぬぐいもせず、テープを聴き続けたのでした。
  
 このことばにならない感動をとなりにいるナイチャーの夫に説明し、ましてや共有することは、120%不可能だった・・。あなたには、見えないよね、この歌が・・・。
 
 どれくらい後だったか、数年後だったか、勇さんの顔写真をみて、二度目の衝撃。「か、かっこいい・・・」それからの私の人生は、何もこわいものはなくなったと言えばおおげさかしら。うふふ・・・。
 
 勇さんの詩は、説明ではなく、描写そのものなのですね。人間、うむい(想い)、魂の描写。たまらないです。
 
 今でも、勇さんだけの歌を聴きながら、緑の公園を走っていますよ〜。にやけながら。
 
 10周年、本当におめでとうございます。勇さんのこれからの歌、楽しみです。ライブも待ってます。CDも買いますぞー!
 
 くまかまのライターの皆様の文章力、メールを継続させる行動力にも心から、敬意を感じてます。ほんとに たんでぃがーたんでぃ。
 
 毎回、楽しみにしていますので今後ともよろしくお願いします〜。
 
 ※ちぃーさん、ぷからすメールを すでぃがふ〜。  勇さんの魂の描写、たまらないですよね〜。同感です!  こちらこそ、今後ともよろしくお願いしますね〜。

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

 私は図書館で仕事をしているのですが、2月26日に貸し出した本の返却期限は2週間後の3月11日でした。その日を知ると、利用者の やらび(子ども)から大人までこの日に想いを重ねるような反応がありました。それぞれの心の中に、3月11日があるのだなーと実感。
 
 あの日からもうすぐ一年ですね。被災された方たちにとって、長い長い一年だったことでしょうね。その大変さたるやいかばかりだったかと思います。亡くなられた方々のご冥福と、被災された皆さんに心安らかな日々が やまかさ(多く)ありますようお祈りいたします。
 
 さて、今回のくま・かまぁー のーしがやたーがらやー?
 
 ニューフェイスの羽地みなとさん、宮古への想いと意気込みが伝わってきましたね〜。なんと1987年生まれ!(ライターで一番の若手)あぱらぎお嬢さんです。今後の活躍をお楽しみに〜。
 
 司会業もするお話し上手な淳さんならではのオトーリ講座。ためになりましたね〜。私もじっくり語り合うのが好きですが、「ういがつみゃーん」今度使ってみようと思います〜。
 
 キムキムさんの宮古を知らない話は、よく分かりますねー。そして、暑い日に坂を下ったところで暑さが吹き飛んだという話し、風景と心情が見えるようで、だいず印象に残りました。
 
 あなたはどんな感想を持ちましたかー?
 ぜひ、お聞かせくださいね。まちうんどー(待っていますよー)

 
 今回も、しみゃーがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
 (今回も 最後まで お読みくださり ありがとうございました!)
 
 次号は3月15日(木)発行予定です。
 がんずぅかり うらあちよー(お元気でー)。あつかー、またいら!