こんにちは〜。
3月になりましたね〜。いろいろなことのある春ですね。 まど(暇)がまをみて、ゆみふぃーさまちよー(読んでくださいね)
vol. 287お届けで〜す。
マクドナルドが宮古にやってきた
R(平良・西里出身)
昨年、12月19日イオンタウン宮古南ショッピングセンターにマクドナルド宮古島店がオープンした。
県内では42店舗目となり、宮古島では初出店となる。座席数89席、車42台分の駐車場を確保し、ドライブスルーも2列備えているという。24時間営業でアルバイトも60人採用されたと新聞で報道されていた。
オープンの日にはマクドナルドのピエロのキャラクターもきっと ぱな(華/鼻)を添え、賑わったことだろう。
沖縄本島で住む私にとっては、週末の朝食をマクドナルドの朝マックにしたり、娘の塾の迎えの際の時間潰しと だいず(大変)便利に利用させてもらっている。
宮古にオープンする前月、11月にたまたま同期会に参加のために宮古から本島に来ていた友達3人と「朝マック」をする機会があった。
店内に入り、オーダー待ちの列に並んでいると、宮古の友達は「何があるのー?」と聞いてきた。何を食べたらいいかわからないということだったのでその時は私と ゆぬぐーの(同じ)ものを注文することになった。
それは私の予想もしていなかった光景で、友達3人とも「朝マック」のメニューがわからない、何が提供されるのかがわからないので何を食べたらいいのかわからなかったのだ。
11月の時点では宮古にまだマクドナルドがなかったので、彼女たちがメニューを知らなくても ぴるます(不思議)なことではないのだが、一般的になっているとかってに思っていた自分に気づかされたと同時に彼女たちの存在がとても新鮮に感じられた。
「すごい!」「毒されていない!」
私の素直な気持ちだった。
マクドナルドを以前から普通に利用しているのだが、実は使われている素材に最近「大丈夫かなー?」と思っている自分がいる。
というのも、最近、私は「オーガニック」という言葉に反応してしまい、私にとって、マクドナルドやコンビニのおにぎりはその「オーガニック」のま逆の位置に存在していると感じている。
身近な人達が亡くなったり、闘病生活を送っていたり、自分自身も体の衰えを認めざるを得ない状況になると食生活が気になりだしたことに所以する。
いろいろネットで勉強するうちに、実際、オーガニックの食材が育つ田畑を見たくなって、9月には、熊本県の菊池環境保全型農業技術研究会が主催する無農薬・無肥料栽培を実践する農家を訪ねるツアーに参加した。無農薬栽培をするようになったきっかけなど、直接農家のみなさんに質問をぶつけることができた。
そのツアーでは、昼食も夕食の宴会も「誰が」「どこで」「どのように」作ったことがわかる素材での料理、飲み物(お酒も)を生産者の皆さんと味わうことができた。
私は、宮古島で育ったといっても当時の平良市内で育ったので農業体験がない。口に入れるものがどこで誰が作ったものかわからないのが普通だ。今思うと、そのツアーでの食事の時間は、なんと贅沢な時間だったんだろう、と感じる。作った人がわかる野菜や肉を食事にすることができることは、本当に幸せなことだと思う。体は食べたものでできているのだから。
宮古島でも無農薬・無肥料での農業はできないものか。きっと付加価値がつくと思うのだが。農業のことをわからない自分が言ったら、きっと怒られることだろうな。
宮古のマクドナルドは、私が宮古に帰った時、前出の友達と遅くまで話すための場所として使わせてもらうことになりそうだ。
また一つ、宮古島も便利になった。便利になりつつも宮古ならではの風景、独自性はなくならないよね。きっと。
石垣の新空港(「南ぬ島(ぱいぬしま)石垣空港」)オープンに寄せたBEGINの島袋優さんの言葉が私を救ってくれた。
「新たなものを取り入れることや便利になることも必要で、そのことで変わっていく部分もあると思います。それでも歌と同じように、先人から受け継がれた古き良きものは残ります。」
滑走路を横切って
松谷初美(下地・高千穂出身)
きょうは、新石垣空港が開港するんですね。
空港というと思い出すことがある。宮古空港ね。空港というより、宮古の人は「飛行場」と言うことが多いかもしれない。
実家は飛行場から東に車で5分のところにある。なので私にとっては、うつーうつの(親しい)ご近所さんである。
宮古空港は、昭和18年に旧日本軍により海軍飛行場として建設された。(飛行場という呼び方はその名残りなのかな)民間空港により運航されるようになったのは昭和31年からだそう。YS−11型機が飛ぶようになったのは、昭和43年とのことだ。(沖縄県庁HP 沖縄県の空港より)
さて、この飛行場。私が やらびぱだ(子どものころ)は、滑走路を普通に横切ることができた。花笠空港の前、いみっちゃの(小さい)コンクリ―トの建物の頃の ぱなす(話)だ。(昭和30年代〜40年代前半?)
うちは下地だが、バスは上野バスを使う。現在の上野線は、上野方面から空港まで来て、右折をして城辺線に出て、平良に行くのだが、当時は、城辺線に出るまでの道はなかった。平良に行くのにバスはどうするか。そう飛行場の滑走路を横切るのである。
飛行場の入口には、ながーながの(長い)バー(木だったような気がする)があって、バスが通る時は開けられた。飛行機離着陸時には、その場で待機し、大丈夫になると通れるのであった。今考えるとすごい風景だなーと思う。
5つ上の兄によると、復帰前には米軍が使っていた時代があって、飛行機の発着時には、上野(野原)の基地からその都度、消防車が来て、バスを止めていたそうである。そのため、上野線は、宮古でいち早くアスファルトが敷かれたとか。すさったん!(知らなかった)
飛行場での思い出は、びきやらび(男の子)は、いろいろあるようで、先の兄は、草刈りをするのに飛行場に入り(西側に草がいっぱいあったらしい)刈ったあと、飛行機が飛び立とうとするところを横切ろうとしたそうな。そしたら係りの人が飛んできて、首根っこを掴まれ、泣くまでこっぴどく怒られたと話していた。そりゃそうだ。
もう一人の兄(3つ上)は、友達とこっそり滑走路に入り、野球をしたり、ローラースケートをして遊んだという。まーんてぃがみゃー(本当にもう)びっくりである。もちろんこれも見つかって、大目玉。
しかし当時は飛行機の便数も少なく、きっとのんびりしていたんだね。
その後、飛行場は徐々に大きくなり、いつの間にか、滑走路を通ることもなくなった。今は建物も立派なものになり、便数も多い。
もう、んきゃーん(昔)の面影はどこにもないが、空港、飛行場というとバスが滑走路を横切っていたことをふいに思い出したりするのである。
行きませう、銚子に
Motoca(平良・下里出身)
千葉県銚子市は、わたしの大好きな街のひとつだ。カメラ仲間と初めて「撮影旅行」と称する旅をした場所、もう10年以上前のことだ。以来、何度か訪れているが、いつ行ってものんびりとした街の雰囲気や海岸線の風景が、何となく宮古を彷彿とさせ、居心地が良いのだ。
ということで、今回は まずがーと(ためしに)、この街の紹介をしてみようと思うさ〜。
まずはなんと言っても、ここは港町である。その日に獲れたての みずーみず゜の(新鮮な)魚料理が やまかさ(たくさん)味わえる。以前、秋口に訪れたときに食べた刺身定食は「脂ののった」という表現の意味を私に教えてくれた。先月訪れた際は「キンメダイの漬け丼」なる斬新な料理をいただいた。もちろん、あてぃ んまーんま やたん(たいへんおいしゅうございました)。
食べ物だけではない。風景も楽しめる。
銚子市の東端にある、犬吠埼(いぬぼうさき)という岬は、「本州でいちばん早く初日の出が見られる場所※」として有名である(※富士山の山頂を除く)。岬に向かう道をドライブしながら、片側に崖の切り立った海岸線が続くのが見える。なんとなく、東平安名崎に向かう保良の道と んーんー(そっくり)に感じて、懐かしい気持ちになる、わたしのお気に入りのスポットだ。
岬の先端には、犬吠埼灯台がある。明治初期に建てられた歴史ある灯台で、丸くてかわいい形が印象的である。中のらせん階段を上がって、わーら(上部)の展望スペースに行くことができる。太平洋の水平線を、ずーーーっと見渡せる。くいまい(これまた)東平安名崎灯台と雰囲気が似ていて、嬉しくなる。
んな ぴてぃーつ(もうひとつ)、銚子名物として忘れてはならないものがある。「銚子電鉄」と「ぬれ煎餅」である。あ、それだとふたつか?いや、でも、ふたつでひとつです。銚子電鉄とぬれ煎餅は切り離せない。
銚子電鉄は、営業距離わずか6.4km、10駅の小さな鉄道。他の鉄道から譲り受けたレトロな車両が、のどかな風景の中を走り抜けていく。その風景は鉄道ファン、写真ファンからも人気が高い。また、それぞれの駅もかわいらしい作りになっていて、訪れるだけでも楽しめる。
この鉄道会社のもう一つの事業が、名物「ぬれ煎餅」の製造・販売。これが だいず んまーんま(とてもうまい)。濃厚な醤油の味がしっかりとしみこんだふかふかの食感は、やみつきになる。駅の売店や街のお土産屋さんでも買えるが、工場が隣接する仲ノ町駅では駅の事務室で販売している。駅務室、ときどき まっちゃ(商店)である。そで机の上にざるが置かれていて、そこにぬれ煎餅の袋が積まれている。もちろん駅員さんが応対してくれる。こういうところも来訪者には受けるのかも。
数年前に電車のメンテナンス費用が出せないほどの経営難陥った際には、そのことを知った銚子電鉄ファンの人たちがインターネットでぬれ煎餅の購入を呼びかけ、その収益で経営を持ち直したという経緯がある。利用者に愛される、素敵な鉄道なのである。
しかし先月、その銚子電鉄が自主再建を断念したというニュースが飛び込んできた。震災後の風評被害などの影響で、銚子方面への観光客が激減し、再度の経営難から持ち直せなかったという。震災では銚子沿岸も2メートルを超す津波に襲われたそうだが、幸いにも市内での犠牲者はなかったそうだ。それなのに、である。昨年は市内大手の観光ホテルも閉じてしまったとのこと。
んぞーさ ゆー(もったいないね)、素敵な街なのに。ぜひぜひ、持ち直して欲しいです。皆さんもぜひ一度、ずぅーらー、銚子んかい(行きませう、銚子に)。目でも舌でも楽しめます。わたしももちろん、また行きます。何度でも。
だから、わいどー(がんばれよ)、銚子!
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
「純と愛」、いよいよ宮古に戻ってきましたね〜。宮古の風景や地元の人たちの出演(シネマパニックの下地さんも警察官役で登場していましたね!)に朝からテンションあがっています。それにしても、キンさん役の吉田妙子さん(沖縄本島出身)の宮古なまりには脱帽です。「あがいー」の言葉を聞いたときには、思わず涙が・・・。素晴らしい役者さんですね。残り少ない放送となりましたが、ますます目が離せません!
さて、今回の くまかまぁ のーしが やたーがらやー?
宮古に「マクドナルド」ができましたね。Rさんの複雑な想い、分かる気がします。宮古が都市化?していくのは、なんだか寂しいと思いつつ、宮古に帰ったら、私も家族や同級生たちと行くことでしょう。宮古は変わらずいてほしいと思ったり、発展してほしいと思ったり、複雑な気持ちが常にあります。島袋優さんの言葉、いいですね。本当にその通りですね。
飛行場について兄たちに確認しようと思って連絡したら、私の知らない思い出をいろいろもっていてびっくりでした。飛行場の思い出は、人の数だけあるんだはずね。よかったらあなたの飛行場の思い出もおしえてください。
震災から間もなく、丸2年となりますね。改めて亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。被災地では着々と復興が進んでいたり、遅々と進まないことがあったり・・・。三陸鉄道が4月に一部開通し、運転再開のニュースには心が和みました。
そんな中、Motocaさんの銚子の話しにとても驚きました。2メートルを越える津波があったことも知らず・・・。震災の影響で銚子電鉄が経営危機に陥っていたとは。こういうあまり知られていないことはきっと多くあるのでしょうね。
Motocaさんは「先月銚子に行った際に買った、ぬれ煎餅詰め合わせの箱の中に駅員さんが数年前の経営難の際のエピソードとお礼をA4表裏びっしりにしたためた紙が入っていました。これを読んで(涙なしでは読めない文章です)、改めて銚子のことを応援しよう思った次第です」と原稿のあとのメールに書いていました。
貴方は、どんな感想を持ちましたかー?ぜひお聞かせださいね。掲示板での書き込みもお待ちしています!
今回も しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(今回も 最後まで お読みくださり ありがとうございました!)
次号は、3月21日(木)発行予定です。
きょうも上等一日でありますように!あつかー、またや〜。