こんにちは〜。
全国的にぴしーぴしのようですが、がんずぅかりうらまずなー(お元気ですかー)?
今年、2回目のくま・かまお届けです〜。少しでも暖かくなりますように!
うまかまへ元気届ける指の笛
クイチャーマン(下地・与那覇出身)
「んーにゃ、年賀状ゆどぅ、んにゃだ いだしゃーうーかん」
(とほほ、年賀状を、未だ出していないよ)
この十数年、年賀状を元日に届くように間に合わせて投函したことがほとんどない。午年の今年は250枚をようやく3日に作り、4日から いだすぱずみたすぅが(出し始めたが)、12日現在、うぷーさー んなまから やっさーよー(大半はこれからなのだよ)
あんさーめー(それでも)、宛名を書いて、15日ばかーがみんな(ごろまでには)届けたいと思っている。
投函が遅くなる理由は主に二つ。まず、年賀状作りに取り組むのが遅いこと。クリスマス明けに構想を練り始め、完成は早くて大晦日あたり。その後の宛名を、手書きの毛筆にこだわっていること。
あんしぬ ぱなっすぅ すっかー(そのような話をすると)
「のーみたう゜わ パソコン時代 やーむぬー うりしー あてのーめー かきゃーすんむぬー」てぃーどぅ うぬすく あす゜ぁりー。
(「なんでまたあなたは、パソコン時代なのに それで宛名も書けばすむものを」とよく言われる)
「やーにゃー かんげーみゅーでぃさーい(来年は考えてみるさ)」と同じことを、繰り返している。
さて、今年は、例年通り通信面はパソコンで仕上げ、プリンターで印刷。定番の新年の挨拶文のあとに、テーマを「うまかまへ元気届ける指の笛」とし、書体を変えて強調。小文字で「うまかま」とは宮古島の方言で「あちらこちら」と付記。その下に2行分ほど手書きできるスペースを空けてある。
そして「馬鹿にしないでね!間違い漢字ちりばめ近況」の見出しを付けて、次のように続け、「20の漢字のあやまりを見つけてください」とも付記した。
クイチャーマンの名:昨念3月、再任用の満期4年を経て金属46年の税務所を退職、365連休の生活へ。指笛大国おきなわの国王に千念。今年の選罰高校野救から甲子円球場での酒塁販売を止めさせようと剣命。仲井魔知事の判弾に怒り心闘。妻の名:昨年4月から看護専門学校の好調に。急がしい日々。課台は体力・健候の維持造進。
のーばしーがらいら、20や とぅみれーたんべーいら。
(いかがでしょうか、20は 見つけられましたか)
辺野古への新基地建設の是非を最大の争点に、名護市長選挙が19日に迫っている。名護市民の良識を信じ、12日の出陣式では指の笛でエールを送った。
◇あの話をもう一度
松谷初美(下地・高千穂出身)
「家の中の神様〜ゆーぬかん(福をもたらす神様)〜」(vol.143 2007/3/1)
それぞれの家によっても違うと思うが、ばんたがやー(実家)には、いくつか神様の棚がある。
その中のひとつ、「ゆーぬかん」は、一番座の んまぬぱー(南の方)にあって、毎朝、おばぁが たちょう(お茶を供えること)をしている。
ばんたがやーぬ ゆーぬかんのかんたな(神棚)には、木箱があって、我が家に ゆー(福)をもたらす「牛の角」が収められている。
これは、おじいが青年の頃、草刈をしていて なーます(畑と畑を区切っているもの・境界線)で拾ったものだそうだ。おじいは25歳でおばぁと結婚したが、その牛の角は、実家に置いたまま新居を構えた。
あるとき、おじぃは、腹痛がずっと続き、あれこれ手を尽くしたが、治らないので、かんかかりゃー(神願いをする人)の家に行った。
かんかかりゃーは、「(おじいは)持ってくるべきものを持ってきていない。それを持ってきたほうがいい」と言ったそうだ。
おじぃはあの牛の角のことだと思い、実家に行って取って帰り、自分の家の ゆーぬかんとして祀ったとのこと。
おじぃの腹痛は、それで治まったのかどうか、おばぁはもう記憶が定かじゃないそうだが、そのときから牛の角は我が家のゆーぬかんとしてある。
この牛の角は、年に一度お正月のときだけその箱から出される。床の間に飾られ、その横には塩が盛られる。そして、正月の初めてのお客さん(男性に限られ、とても大切なお客さんで縁起をもたらす人とされる)にその角でお酒を飲んでもらう。それはとても厳かに行われ、子ども心にも浮かれることができない雰囲気を感じていた。
やらびぱだ(子どもの頃)からその角のことは見ていたが、そういった経緯があり、意味があるものとは、最近が知ったことだ。おじぃやおばぁの精神に少し触れたような気がした。
ゆーぬかんに何を祀ってあるかはその家庭によっていろいろあるようだ。
ちなみに親戚のおじさんの家の ゆーぬかんは、つが(枡)だそうである。
(追記)
さて、ここからは今年(2014年)の話である。
今年も、実家の床の間には、晦日から正月飾りがされ、ゆーぬかんの牛の角も、塩とともに準備された。しかし、これまで毎年朝早く来てくれていた、いずにゃー(西の家)のおじさんが高齢で施設にいるため、お客さんの役を、なんと身内ながら夫がやることに。
元旦8時。父と夫は、床の間のある一番座で、向かい合い、まず父の手に夫が割りばしで塩を取って乗せ、父はそれを口にする。そしてその後、牛の角に泡盛を入れ、飲む。父が終わると今度は、夫が同じようにする。
わずか5分たらずの行事なのだが、これが我が家の一年の始まりとなる。今年も無事に済んで、父はうれしそうだった。夫は、言われるがままで、のーが くーがら すさいん(何がなんだか分からない)感じだったが、無事に終わってホッとしたようだ。
祖父は明治生まれ。生きていたら110歳くらいだろうか。ゆーぬかんの牛の角が我が家に来て、たぶん80年近く。いろいろな正月を見てきたことだろう。そして、これからも見続けてほしいと願っている。
愛犬が残したもの
キムキム(平良・西里出身)
7月末、家族だった愛犬“コロ”(ポメラニアン)が亡くなった。19歳。人間だと90歳をこえる大往生。玄関のドアが開くと、「誰か捕まえてー」と叫ぶ間もなく、そのまま無防備に走り出していくような、純真無垢な犬だった。
やらびぱだ(子供の頃)、近所の犬にいやというほど追いかけられて、うとるす(怖い)思いをした私にとって、「犬を飼う」ということは、大変な恐怖であり苦痛でもあった。(あの頃の宮古では、犬を飼うのは「ペット」なんていうハイカラなものではなく、放し飼いがあたりまえ、吠えようが、よその家に入り込もうが、自由に徘徊していた・・・インクルシャー(犬の殺し屋)誕生の理由か?)
動物好きの夫は、子供達が「保育園」「学童保育」を卒業すると、「生きる」「命」を教えるには動物を飼うのが一番と、知り合いから子犬をもらってきた。
生後3か月で我が家の一員となったコロは、10cmほどの柵を飛び越えることも、ワンと泣くこともできない小さな、小さな子犬だった。それからの日々は、コロを中心に食事やトイレの世話、散歩道の選択、コロ当番の任命と、娘達も必死でした。あれほど犬嫌いだったはずの私までも、仕事から帰ると第一声が「コロ、ただいま〜」となっていた。
コロが1歳を過ぎた頃、我が家に三番目の娘が誕生し、我が家のアイドルは、コロから三女へと移り、心なしか寂しげな様子に、当時は とーまい(誰も)気がつかなかった。時々、娘のベビーベットによじ登ろうとして、叱られては、しょんぼりしていた。「こいつは、何者?」突然現れたライバルに興味深々だったはず。
コロが家出をしたのは、それから2か月後の ぴしーぴしの(寒い)日だった。いつものように、庭を走り廻っていると思っていたコロが、暗くなり始めても、家に入ってこないので、呼びに行くと、どこにも姿が見えず、その晩は、近所中を、娘達は泣きながら、夫は青くなり探し廻った、が、コロの姿はどこにもなかった。庭の生け垣の低く狭いはずの隙間をくぐり抜けて逃走である。
家出から半年、悲しいから誰もコロの話をしなくなっていた。あがた(遠く)で、犬の鳴き声がすると走り出て確認していた娘達も、耳を塞ぐようになった。日曜日に「ペットショップに犬を見に行きたい」という娘に、私は「コロの代わりはいないからね。命に代わりはないんだよ」と言っていたが、夫は、見るだけなら・・・と娘達を連れ出していた。
近所のホームセンターでコロにそっくりな犬を抱いた老夫婦に出会った。着けている首輪までも似ていると思った夫は、「かわいい犬ですね、何歳ですか?」と声をかけると、尻尾を振って、飛びついてきたらしい。「いくつかはわからないんだけど、半年くらい前に迷子になってて、あまりにもかわいいので、うちで飼ってるのよ。飼い主が見つかるかと思って、首輪もあの時のままにしてあるんですよ」
「お父さん、コロじゃない?」「コロだよ」「すみません、抱っこさせてもらっていいですか?」・・・私達親子の出現に老夫婦は戸惑っていた。「いつかは、飼い主の元へと思っていたけど、寂しいわ」と奥様は涙ぐんだ。「じゃあ、元気でね。今度は家出しちゃだめよ。バイバイ、チェリー」この老夫婦のところで、コロは「チェリー」という名前で半年暮らしていた。私達に会った時の様子が尋常じゃなかったし、間違いなく飼い主だと確信した、と言って、その場で涙ながらにコロを帰してくれた。
コロは、いろいろなことを教えてくれた。人と違って決して裏切らないので、どんなに辛いときでも精神的な支えになってくれた。その賢さや大らかな人なつこさには、私も家族も、やまかさ(たくさん)助けられた。夫がどんなに遅く帰っても玄関まで飛んで行って出迎え、娘達が泣いている時は、涙をなめてくれ、放課後の寂しかった留守番も手伝ってくれた。もしコロを飼う経験がなかったら、私は子育てでもっと苦悩していただろうし、大きな失敗もしていただろうと考えるほどである。
19年の生涯は、幸せだったのだろうか? もう、2度と出会うことはないけど、今でも、子犬の鳴き声がすると「コロ・・・?」と呼んでみる。すっかり「コロのにおい」が消えた庭にすわってみる。
コロがもたらしてくれたものは、抱えきれないくらい大きい。
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
宮古から6日に東京に戻りました。
宮古では5日に成人式があって(正月に帰省するのに合わせて早めにやっているようです)、いとこの娘のお祝いがありました。やまかさの料理やお祝いにかけつける人の多さにびっくり。宮古の子どもたちは必ず主役になる日がありますね。親や親戚、周りの大人たちが自分のことを祝ってくれる。このことはきっといろいろな面で自分を支えてくれるものになることでしょう。
東京では12日、関東城辺郷友会の総会・新年会がありました。50名余りが うがなーり(集まり)、この一年の健康と会の発展、宮古の発展を願いながら親睦を図りました。関東の郷友会の行事はこの城辺郷友会から始まります。2014年の郷友会の活動もスタートです。
それから、今年の「関東宮古ふるさとまつり」は、7月6日(日)上野水上音楽堂にて行われることになりました。昨年はありませんでしたので、2年ぶりのふるさとまつりです。近くなりましたら、また詳細をおしらせしますので、みなさん、ぜひお越しくださいね。
さて、今号や のーしが やたーがらやー?
クイチャーマンさんの年賀状で間違い漢字探し。挑戦してみましたか?私もやってみましたが、何回も何回もやって、やっとがま。(笑)楽しく印象に残る年賀状ですね。そして、平和を願う指笛も聞こえるようでした。
実家での正月。ゆーぬかんの事を今は亡きおばあから聞いて書いたのを思い出しました。あれから7年、よもや夫が関わるとは思ってもいませんでしたが、宮古に住むことになったこの年、感慨深いものがありました。
キムキムさんの愛犬物語。家族の一員としてかけがえのない存在だったことが分かりますね。19歳まで、皆さんに大事にされて幸せだったことでしょう。双方の深い愛情に心が ぬふーぬふに(暖かく)なりました。
貴方はどんな感想を持ちましたか? ぜひ、感想をお寄せくださいね。
今回も しまいがみ(最後まで)のおつきあい、すでぃがふー(ありがとうございました)!
次号は、三週間後の2月6日(木)発行予定です。
寒い日が続きます。感冒しないように、お互い気を付けましょうね〜。あつかー、またや〜。