こんにちは〜。
春が待ち遠しいこのごろですが、がんずぅかりうらまずなー?(お元気でいらっしゃいますかー?)
今回も宮古のかざ(香り)いっぱいお届けです。読み終えたら、きっと、ぬふーぬふに(暖かに)。
vol.310お楽しみくださいね〜。
墓前のピクニックと紙銭
與那覇 淳(平良・鏡原出身)
「ジュウルクニツ」という宮古独特の きざい(行事)がある。今年は新暦の2月15日でした。
先祖の神様の正月といわれ、「旧十六日(祭)」と表示される。旧暦の1月16日のことで、現世の正月料理と同じように豚肉や昆布巻き、大根、ゴボウの煮物、天ぷら、揚げ豆腐などを詰めたお重に餅や菓子を墓前に供え、おさがりを共にいただく。その光景は、まさに墓前でのピクニックである。
かびじん(紙銭)、(うちかび(打ち紙)とも言う)を焚くのは他の法事と同様に行う。板紙に銭の形を型押しした紙銭は、今では工場生産されスーパーで売られているが、私の子どもの頃は、四角い穴の空いた古銭の型を一つ一つ打ち込んでいた。
みーにつ(命日)などの法事ともなると、くーてぃ(立方体の木片)の上に黄色の板紙を載せて、棒状の銭の型を金づちで打ち込んで紙銭をこしらえた。この作業を私は小学校の3、4年生の頃から任されていた。銭の形が横の並び縦の列ともに真っ直ぐになるように慎重に打ち込んでいく。
「うちかび(打ち紙)」の言葉はこの作業の形態からきているように思うがどうだろうか。紙銭は中国から琉球に伝わった風習であると伝えられている。中国では、この世とあの世はつながっていて、死者はあの世で生きていると考えているという。
そこで、日常生活で必要なものを準備し、不自由なく暮らせるようにと考え、現世の やーでぃ(家族)らが生活に じゃーか(最も)大事な金銭に不自由しないように紙銭を焼いてあの世に送金する。こうした考え方は祖先崇拝が根付いている沖縄、宮古でもほとんど似たものがある。
日本ではあの世とこの世は隔絶した世界で、金銭など世俗的なものは無関係と考えるようだ。現世と死後の世界の境界にある「三途の川の渡し賃」として、死者に六文銭を持たせる風習があったが、三途の川が最後に金銭を使う場でそれ以降は必要ないとされている。
沖縄の紙銭は硬貨を型押ししたものだが、いま、中国で使われているのは銭の形より紙幣の模造品が多いようだ。また、金色や銀色の箔を貼ったもの、神様の姿を印刷したものがあるという。
以前は紙銭を焚くのにクワズイモの葉などを敷いていたが、今では専用の器が売られている。深さ20センチ、直径30センチほどの金属製の器で底に水を溜め、金網を載せて網の上で紙銭を焼く。丁寧に金属製の箸まで付いている。
子どもの頃は我が家の墓は数カ所にあった。ジュウルクニツには直接、墓前にお供えすることはなく、自宅近くの ぬうーがま(野原)で、んかいのー(遥拝)をした。
先祖の神様をはじめ、主な親戚の神様へ線香、仏桑華、お重などを供え、線香が燃え尽きるのを見計らって、おさがりをいただくのである。
遠い昔から続いているジュウルクニツ。きざい(行事)を仕切っていた父が逝ってから1年余。いつの頃からか三代目の私が仕切るようになっている。きざい(行事)ごとに料理をこしらえ、天ぷらを焼くのが得意の母親は自分の身の回りのことをすることさえ難しくなってしまった。
◇あの話をもう一度
ひさぼう(平良・西仲出身)
ラジオもないテレビもない、そもそも電気がない、そういう時代にことばを覚えた ばんたんな(我々には)ミャークフツ(宮古方言)がすべてだった。
私の場合、そのミャークフツは、おしえた母親が添道(そえどう)育ちだったから添道伝来の ぴさらふつ(平良方言)だった。
当時、共通語のことは、ふつうご(普通語)と言って、自分の回りの子供は、ほとんどが方言で育って、学童になってはじめて、「ふつうご」に慣れた。
だから、初めのころは“方言直訳型”と言っていいようなことば使いになった。それは方言の世界にどっぷりつかっている大人も同じで、その頃は、小学校に通ったことのない がばしゅう(老爺)、がばんま(老婆)がまだ多かった時代である。
母親は尋常小学校には通ったらしいから、一応「ふつうご」は使えた。ただし、“方言直訳型”である。どういうものか、以下、「もしも何々だったら・・・」式に書いてみる。
1.旅館の接客係りだったら
はい んみゃーち
いま お茶をもってくるから そこにすわっておれ
して あんたなんかは どっからきたか
わざわざ こんなところにきても なんにもないよ 見るものは
こんなにして 遊んで回っておって なにをしているか 仕事は
2.スチュワーデスだったら
ウーロン茶とりんごジュースとコーヒーがあるけど
なんにするか ウーロン茶・・・か
あんたは疲れているんだのにな
りんごジュースのほうが あまくて上等だよ
これを飲んで だまって寝ておれ
3.デパートの店員だったら
いぎー あんたには それは似あわんよ・・・
これを着(つ)けてみれ
見てみれ はい あっがいがま じょうとうさ こっちのほうが
4.リハビリ指導員だったら
はい かんち かんちと 腕を動かしてみれ かんち かんちと
・・・なんでわからんか あんたは
してこんどは えっと 足を曲げてみてみれ えっと
5.食堂の店員だったら
これをば ゴーヤーとは 言わんよ 宮古では
宮古では ゴーラと言うさ
テレビなんかでも ゴーヤと言っているけど
なんで これがゴーヤか ゴーラだよ これは
まつがったら ダメさ
6.バスガイドだったら
はい みんなで右を見てみれ 違うさ・・・
わっちが 右と言ったら
あんたなんかは 左を見ないと 合わんよ
して あの小さい島をば池間島といって
長いほうをば伊良部島というよ
池間島はこっちと橋でつながっているから
今からこのバスも 行くべきさ
今日は天気がいいから 景色もじょうとうよ
あんたなんかは いいばあさ
7.看護婦だったら
そこに 長んびて はい お尻をだしてみれ
今から 坐薬の入れかたを おしえるから
手をこんなにして うしろにまわして して
指で薬を持って ぐうぐうと 押していたらさ
変なになってくるところが あるから そこだと思って
ぐうーと なかーまで押して 入れれ
要するに、乱暴というか、断定的というか、命令調というか、ていねいな言い方ができていない。あるいは、へりくだるというのがない。方言の調子が、そのまんま「ふつうご」に出てしまう。
たとえば「食う」ということばについては、「食べる」「食べます」「食べなさい」「いただく」「いただきます」「めしあがる」というような使い分けが共通語ではできる。
しかし方言だと、ふぉお(食う)、ふぁい(食べれ)しか出てこない。ただし、日頃、神様になじんでいる島だから、うさぎる(さしあげる)、んきぎさまず(めしあがる)、んきぎさまち(めしあがれ)というようなことばは、ちゃんとある。が、日常的にたとえば、うちに来た客に食事を勧めるのに「ふぁい」しかないから、共通語にすると「食べれ」になる。
和歌山県の方言には敬語がないというからおもしろい。共通語、日本語の母体は、全国各地の方言だから、一体、共通語はどうやって成立したか、考えれば不思議である。
「おとうさん」「おかあさん」という共通語でさえ明治政府がつくった“人工語”というから、なにが本当の古くて、自然な日本語なのかわかるのはむつかしい。なにしろ、明治になって「ふつうご」「共通語」ができるまでは、書くことばは共通でも、話すことばは各地の方言だったのだから。
「ふつうご」に染まらなかった がばしゅう、がばんまがいなくなった
今、土着宮古島方言の話し手は、“不純”な世代になっている。
トントン拍子の神様
Motoca(平良・下里出身)
昨年8月中旬、宮古の実家に客人をひとり迎えた。
その人の滞在中、あみっふぃ(雨降り)の天気予報はくつがえされ、おおむね ぞー ぅわーつき(よい天気)になった。到着したその日の日没には虹雲つきの夕焼けを見たし、夜は流れ星がいくつも目撃できるほど、満天の星空を眺められた。
翌朝の日の出のころに池間大橋に行ったら、東の空、雲と雲の間にちいさな てぃんばう゛(虹)が架かっていた。1泊2日の強行軍で、滞在時間も25時間 ぴっちゃ(ちょっと)だったのに、なかなかいちどにはみーらいん(見られない)ものが出そろって、まるでその人は島に大歓迎されているようだった。
宮古の自然を大変気に入ってくれたその人は先月、私の、ぶとぅ(夫)なった。
そもそも彼は、大学の ぶーりゃ(同級生)である。なので、つきあい自体はものすごく長い。沖縄から出てきたばかりのころの私に、電車の乗り方や路線図の読み方も、こちらの生活習慣についても、ことあるごとに丁寧に ならーしふぃーた(教えてくれた)人だ。当初は彼氏というより、面倒見のいい あざ(兄)のような存在だった。
仲良かったりケンカしたり、しばらく音信不通になったり、を繰り返しているうちに、20代が終わってしまった。大学の仲間たちがつぎつぎ結婚していっても、私たちの方は のーまい まいやみーん(なんにも進展のない)状態だった。そのまま、気づけば長いこと、つかず離れずの時間を過ごしていた。
それなのに、彼が宮古島に来た後から、物事がトントン拍子に進み、半年足らずで入籍までも終えてしまった。うむいまいみーん(思ってもみなかった)速さである。宮古の神様は彼をよほどお気に召したとみえる。
当初は2年ぐらいかけて ぬかーぬか(ゆっくり)すすめよう、という腹づもりだった。それが、諸事情が重なって やーくす(引っ越し)の予定が前倒しになり、あわてて(急いで)ふたりで暮らす家を探し始めたら、あっさりと駅の つかふ(近く)に間取りの広い上等な物件を見つけられたり、そこの入居条件が「半年以内に入籍すること」と入籍期限も決められてしまったりと、やるべき事や、その期限がつぎつぎと出てきて、それに対応したらラッキーなことがおこり、ということが続いた。
そうしてあっという間に、挨拶、引っ越し、両親の顔合わせと滞りなく進み、婚姻届もするりと受理された。当初は2年ぐらいかけて ぬかーぬか(ゆっくり)すすめよう、という腹づもりだったのに。なんと4倍速である。宮古の神様は、トントン拍子の神様を我々のところに派遣されたに違いない。神様おそるべし。
しかしそのおかげで早々と肩の荷がおり、しばらくのんびりできそうだ、と思っていた。そうしたら、数日後に、電車の中吊り広告に「沖縄ウエディングフェア(挙式相談会)」とあるのが目にとまった。同じ頃、たまたま見ていた情報誌で素敵なデザインの指輪を見つけた。あがい、ばっしどうた(忘れていた)!挙式のことと、結婚指輪のこと。またも見事なタイミングで、つぎに しーだかならんこと(しないといけないこと)が目の前にやってきた。まだ当分は、あれこれと忙しくなりそうだ。
だが、夫も私も、次に何がくるかと楽しみにしている。トントン拍子の神様にのせられているうちは、物事がいい方向に流れていると感じる。宮古の神様、トントン拍子の神様、たんでぃがーたんでぃ、とうと!(ありがとうございます、尊!)。仲良く暮らします!
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
2月8日、14日と関東は大雪が降りました。東京に来て約30年。こんな大雪は初めてです。家も道路も公園もみるみる すっそーすそ(真っ白)になって一面銀世界。ここはどこー?
見ている分にはきれいですが、やはり降り過ぎると被害がたくさんでますね。高速道路で車が動けなくなったり、町や村自体が閉じ込められたり、流通が滞っているため、スーパーやコンビニでも品薄な状態が続いています。ビニールハウスに被害がでているところもあるようです。宮古は台風でビニールハウスが壊れることがありますが、こっちでは、雪でそういうことになるんですね。まーんてぃ びっくりな大雪でした。早く平常に戻れますように!
さて、今回の くま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
宮古では今年のジュウルクニツも賑やかに行われたようですね。淳さんのお話から んきゃーん(昔)のジュウルクニツと現在のジュウロクニツの違いなども分かりましたね。読者の中には、かびじんを作ったという方も多くいるのでは?やらびだった自分たちが、今度はしきる側に。きざす゜(行事)は、こうやって順繰りに引きつがれていくんですね。
ひさぼうさんの みゃーくふつの話にはいつもユーモアがあって、思わず笑ってしまいますね。どれもしゃべっている言葉が聞こえてきそうでした。ぶっきらぼうだけれど、温かみのある言葉。失われつつある みゃーくふつへの愛が伝わってきました。
Motocaさんのトントン拍子の神様は、素敵な神様ですね〜。宮古の神様は、彼をすごく気に入って二人の幸せのために、そーれ!とトントン拍子の神様を送ってくれたんですね。読んでいるこちらも幸せ〜な気持ちになりました。お福分けありがとう〜。お二人の門出にかんぱーい!
貴方の感想もぜひ、お寄せください。
掲示板での書き込みも、まちうんどー(待っていますよー)
今回も しまいがみ ゆみふぃーさまい、すでぃがふー!
(最後までお読みくださり、ありがとうございました)
次号は、3月6日(木)発行予定です。
うぬときゃがみ(その時まで)がんずぅかり うらあちよー(お元気で)!あつかー、またや〜。