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くまから・かまから vol. 316

2021 6/03
メールマガジン
2014年5月15日2021年6月3日

こんにちは〜。
全国的に真夏のような気温が出ていますががんずぅかりうらまずなー(お元気ですかー)?
宮古では、ミヤコニィニィ(セミ)が鳴きはじめました。
んきゃーん(昔)の話から、んなま(今)の話までお楽しみくださいね〜。

目次

旧七原 午の端(うまのぱ)里の御嶽

松谷初美(下地・高千穂出身)

宮古空港に入ってすぐの右側に、木が生い茂っているところがある。見逃してしまいそうな場所だが、ここが旧七原の午の端里の御嶽だ。

昨年、π里生さんにおしえてもらうまでこの御嶽のことをまったく すさったん(知らなかった)。あんなに空港を利用しているのによ。

宮古空港のあたりは以前、七原(ななばり)という集落で、飛行場を作るために、立ち退いたという話はなんとなく知ってはいた。あすが(しかし)、その七原集落の御嶽が現宮古空港の近くに存在しているとは、ぜんぜん すさったん。

おしえてもらって初めて、御嶽に行った。御嶽の前に看板が立っている。看板によると、昭和18年に軍の命令により、海軍飛行場にするため強制的に接収されたとのこと。そのため七原の人たちは集落を追われ、四方八方に散っていったという。

元七原集落は、実家のあるカザンミからもすぐ近くで、昭和2年生まれの父は、よく覚えているそうだ。

七原集落は、だいばん(大きな)集落で、今の空港のあるあたりを七原の中の午の端里(うまのぱさと)と言っていたとのこと。

その午の端里に、まっちゃがま(小さいお店)があって、父は買い物に行ったという。小学生の十五夜の時、そうみん ぶってぃら(そうめんチャンプルー)を作りたかったが、油がない。そのお店に豚の脂を売っていると聞いて(昔は豚の脂も売っていたんだね)、買いに行きそれで作ったよと話していた。お隣の身近な集落だったようだ。

七原からは、当時カザンミの近くにもたくさん越してきている。「にーとよ」と言う集落が空港から東、カザンミの西にあったが、七原から30軒ほど引っ越してきてできた集落だそうだ。

やらびぱだ(子どものころ)「にーとよ」あたりでもよく遊んだが、そういう歴史があったことはぜんぜん知らなかった。慣れ親しんだ土地を離れ、新しい土地での生活。そして隣近所もバラバラになるというのは、どれだけ大変なことだったのだろう。

御嶽の前の看板には、当時の住宅地図のようなものが番地と名前入りで書かれていて、元七原集落への愛着が伝わってくる。

そして看板にはこうも書かれている。

「生まれ里の御嶽は、今や宮古の空の玄関に鎮座し、村落人たちのみならず皆の安全飛行を祈願する神域となった。トートゥガー・トートゥ」

◇あの話をもう一度

ひさぼう(平良・西仲出身)

「DDT(ディ―ディ―ティ―)の時代」(vol.137 2006/12/7)

DDTというのは第二次大戦後、衛生状態が悪くて子供なんかは手足にはオデキ、頭にはシラミ、襟にはノミというのが普通だったときに、日本国中、頭のてっぺんから床下まで散布しておった白い粉末の殺虫剤のこと。

宮古も例外ではなくて特に女の髪の毛に住みつくシラミにはもう絶対効果があるといってみーんな頭を真っ白にしてニコニコしておった。

「DDTの歌」というのまであったさ。
正確ではないけどこんな歌だったはず。

のんのんノミも しんしんシラミも 
 みんな虫など もーいない
 お礼を言いましょ DDT ハイ DDT

ところがこれがあとになったら、1960年代か、実はこれは人畜有害、危険物質だということになったからアメリカはいいかげんさ。なんでアメリカかと言ったらこれはアメリカが日本に持って来たんだのに。ノーベル賞ももらっているとかと言って。

してアメリカは粉が好きみたいで、粉ミルク(脱脂粉乳)も持ってきて、自分なんかは、小学校の給食はこれだったよ。机の上にチリ紙が一枚くばられて、今のティッシュとちがってガサガサの四角い紙だったさ、その上に粉ミルクをサジで一杯くれるから、それをみんなで、なんみた(なめた)さ。あんまり味はなかったよ。

みんな初めのころはヤマダツ(下痢)していると言っておった。これが後からはお湯で溶かしてコップに入れるようになったんだけど、もっとおいしくなかった。やっとがま粉に慣れたと思ったのにお湯になったから又、下痢してあともどりさ。その頃は芋とンンナ汁(みそしかないみそ汁、自分の顔がうつる)の生活だったから学校の給食までこんな砂糖のない粉ミルクだけだった。

6年生のときの修学旅行は歩いて一泊二日、東平安名崎まで行った。米二合とあぶら味噌を持って、宿は保良の小学校だった。何を見たかといったら「マムヤの墓」しか覚えていない。そのころバスは走っていたと思うけど、先生はバスには乗せてくれんかった。

宮古にはバスは5、6台くらいしかなかったはずよ。だけどもバスだったらあっという間に目的地について“修学”にはならなかったはず。そのときは二日とも雨で、生徒だけでなく先生も黙って歩いて相当だまがりておった。

そのころの道路事情は、車が走ったあとは土埃がもうもうと上がってからに前が見えんかった。雨が降ったあとはあっちこっちに水溜りができて、靴を履いている子供はまだあんまりいなかったから、学校の行き帰りにはジャブジャブ歩いて上等だったさ。だけども修学旅行のときはほんとに大変だったさ二日とも。

ゴリンダマ、とみんなが呼んでいた乞食がおった。なんでゴリンダマかと言ったら、最初のころ「五厘玉クダサイ、五厘玉クダサイ」と言っておったらしい。

そのころの宮古は「B軍票紙幣」だからナン円ナン円といって、一銭とか十銭とかはなかった。また紙幣だけだから一厘玉とか五厘玉とかは無かったさ。だのに何で“五厘玉クダサイ”と言ったのかと考えたら、このゴリンダマは明治か大正時代に本土に住んでおった人だはずよ。「一文なし」というのは江戸時代だから「一銭もない」とか「一厘なし」とかいうのはずっとあとだはず。

してそのゴリンダマは“乞食はこんなカッコウしています”の絵のとおりに、ムシロを背負ってぼろぼろの服を着て道を歩いておった。宮古神社の軒下に座っていたりもしていたよ。だけど考えたら宮古の年寄りなんかはこんな人を見たら放っておかないと思うのになんでこんなになったかといったら、ゴリンダマは意志の強い人だったはずよ。“ 詩とはこころざしである ”とかいって頑張る人がいるさ。そんな人だったはずよ。していつの間にかいなくなって、はてるま島に行ったといううわさもあったんだけど、それがホントかどうかはわからんかった。

そのあとで宮古に現われたのが、有名な「ギターぷりむぬ」さいが。『書けば宮古』に誰かが書いておったけども、身なりはボロボロだけども風貌が、砂漠の街をさすらうイエス・キリストもこんなだったはずみたいな風格があったわけさ。

してなんで「ギターぷりむぬ」かといったら、右手がいつもジャングジャング状態で上下に揺れているわけ。だからサンシンを持たせたら音楽が出てきそうだわけさ。そしたら「サンシンぷりむぬ」と呼びそうだけどもそれが「ギターぷりむぬ」になるのは、どう見ても宮古のひとではないし、ギターのほうが絵になるわけさ。

電柱に寄りかかって立っているシルエット姿は今で言うなら下地勇さい。で、ゴリンダマは宮古を南下して離れて行ったけども、このギターぷりむぬは北上して本土の関西に渡ったらしい。それから10年後の1960年代に沸き起こったのが「フォークブーム」さ。世間で“フォークの神様”とか言われているのは実はこのギターぷりむぬだということは誰も知らんはずよ。

そのころ宮古には「虚無僧」もやって来た。虚無僧といったらふつう持っているのは尺八だけども、この虚無僧は巻き紙と墨と筆とを持っておってからに、道路に巻き紙を拡げて一気に「蛇」を描いておった。蛇のうろこ模様がしゅっしゅっと上手で、長いベロベロの舌を描いたあと最後は指先で丸く墨をふき取って目を仕上げておった。これでお金をもらっておったさ。

一寸法師も興行でやって来た。シーニンヤー(青年会館)の広場でテントを張って、中に一寸法師がいるというわけさ。一寸法師というからよこっちは「お椀に乗った」小人だと思っておったら小学生くらいの頭のおおきい大人が床に座って太鼓を叩いておった。みんなえげいだまされたと怒るかと思っていたら黙って踊りとかを見ておった。

オキナワ芝居は「翁長小次郎一座」とか時々廻ってきて、あれはオグデン会館だったはずよ、そこで「奥山の牡丹」とか「伊江島ハンドゥーグワー」とかを見た。あらすじはわからんかったけどピカピカ、チャリンチャリンのチャンバラとか舞台の景色とかがおもしろかった。琉球舞踊とか琉球民謡とかはここで知ったはず。

猿、本物の猿を初めて見た。それもウチの近くのオキナワ帰りの人のウチの門に繋がれておった。黒山の人だかりで、みんな宮古ではじめて猿を見たんだはずよ。これはそのあと北小学校に寄贈されて運動場の隅にオリが作られてそこに入れられた。なん時間も見ておったんだけども、人間の先祖は猿だというのは本当だと思ったさ。

宮古ではアメリカ人はオキナワと違ってあんまり見かけんかった。それでもジープに乗ったアメリカ兵が通り過ぎるのをときどき見た。そんなときは友だちから習った「はーわーゆー」を叫んだ。歯とわー(豚)と湯とおぼえた、HOW ARE YOU だった。ガソリンのにおいが珍しかったからうしろを追っかけて嗅いだりしたさ。

乞食とかじゃなくて普通の本土の人、秋田の人とか名古屋の人とかというのは見たことがなかったよ。宮古に観光でよその人がやって来るというのはまずなかったからよ。その代わり、ヤマト帰りの人というのはおって、色が白くなって髪の形とかハイヒールとかはもう珍しかったさ。

足がものすごくきれいなのにおどろいたんだけど、あとでわかったらストッキングだった。そのころだよ宮古で女の人にパーマがはやったのは。

隣のおばさんの頭がある日突然パーマになっているわけさ。そうとうヘンだったよ。長い髪を“かんぷー”に結っているのがふつうだったのに、バッサリと切ってからにわけのわからん頭になっているわけさ。そしたら自分の親までがある日パーマ頭になって帰ってきたから驚いた。ほんとうに自分の親かと思って寄り付けんかったさ。

タライに水を入れて垂れたオッパイを隠しながら長い髪を洗っておった姿はもう見れんくなった。これはさっき言った頭のシラミと関係あることかどうかはわからんかったけども初めて経験したびっくりの“流行”だったさ。

いろいろ関係のないこと言ったけど今日はこんだけ。

宮古への憧れ (投稿)

Captain Anuhea(東京都出身)

んなまがみ、んーなぬ うむっすなぱなすー だうくゆみー ばんまいかきみーぶすち うむたず(今まで皆さんのおもしろい話をたくさん読み、私も何か書いてみたいと思っていました)。

はじめて下地勇さんぬ あーぐー 聞すた とぅきゃぬ衝撃や んなまがみ ばっしれーん。ういがどぅ日本列島ぬ奥深さ やず ち き゜むーゆらりー なだぬ いでぃきす たず。ばんまい みゃーくふつー ぱなしーみーぶすち、歌詞カードを睨みながら あーぐー聞すきー、ふんし勉強すたず。(はじめて下地勇さんの歌を聞いたときの衝撃は今も忘れられません。これが日本列島の奥深さなのだ、と心を揺さぶられ涙が出てきました。私も宮古方言を話したい、と思って、歌詞カードを睨みながら歌を聴き、本で勉強しました)

ばが どぅーや みゃーくぴすとぅ や あらん、うきなーぴすとぅ しまい あらん、やまとぅぴすとぅ やず。あすが 卒論んな のーし みゃーくふつー 字ーんかい 書くなーち・・・(私自身は宮古の人間ではなく、沖縄の人間でもなく、大和の人間です。でも卒業論文にはどうやって宮古島方言を文字に書くか、と・・・)

ミャークフツがきつくなってきたので共通語で書きます。

・・・アイヌ語などの先行研究を検討して考えてみました。結局、みゃーくふつを文字に表すには、かりまたしげひさ先生のおっしゃるように、ローマ字を使うのが一番正確に書けるという結論に至りました。

・・・読みづらくなってしまうので、ここでは漢字かな混じりで書きますが(笑)。観光学が専攻なので、論文は方言を守っていくことが地域の魅力を引き立てるのだ、と結んであります。

ばや東京んかい んまりー んなまがみ (私は東京に生まれ今まで)東京の外に住んだことがありません。祖父母と暮らしているので、夏・冬に帰るふるさとまい にゃーん(ふるさともありません)。はじめて「大和の風」を聞いたとき(というよりも、共通語訳の歌詞を読んだとき、です)の感動は言葉で言い表せません。私には母がないので、なお心を打たれました。(・・・さらに同じアルバムの「ネマの娘」は、僕自身の手痛い失恋を思い起こさせ、慟哭しました)

以来、下地さんの曲に歌われている世界観に惹かれて、『読めば宮古』をはじめとした宮古島本や「書いて残そう島々のことば」コンテストの作品を読みあさり、遅ればせながら「くま・かま」のことを知り、以来拝読しております。

当然皆さんのように、ご家族の話や少年時代の思い出を語ることはできませんが、今回僭越ながら投稿差し上げたのは、先の宮古方言について書いた卒論が評価されて、大学の広報のページに紹介されたので、ご報告しようと思ったからです。(http://www.toyo.ac.jp/site/rds-global/47067.html) 

みゃーくふつを勉強しているやまとぬ ばかむぬ(おまけにぷりむぬ)もいるんだよ、とオトーリの肴にしてくだされば幸いです。

・・・と、ここまで書いておきながら、実は今まで一度も宮古島に行ったことがありません。論文の準備という名目の元、ぜひ宮古を訪ねてみたかったのですが。

いつか宮古を訪ね、「どちらからいらしたの?」と聞かれ「ばや東京から くすたず」と答える日を夢見ながら、今日は筆を置きます。

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

ミヤコニィニィの鳴き声に気づいたのは2〜3日前。あばーと思って鳴き声のする、うぎゃすぎー(モクタチバナ)を見てもぜんぜん見つけられず。昨日、盛大に鳴いているので、よく目をこらしたら、いました!幹と同じ色で、ジージー!と。うわ、こんなに小さかったっけ。久しぶりに見て、ひとりわくわく。カメラを取りに走りました。(笑)

野イチゴもなりはじめましたが、うちの近所のものは、なんか、うまく実がつかない感じ。ぽちぽちと赤いのがついているだけ。うーむ。いろいろ探してみよう。

5月4日、七原コミュニティセンターで行われた「HAPPY手作り市」に行ってきました。20余りのブースがあって、来場者も多く、大賑わいでしたよ。バッグやパッチワーク作品、石鹸やポストカード、パンやお菓子、野菜などいろいろありました。出店者は若い方が多く、こだわりをもって作っているのが伝わってきました。来年も予定されているとのことですので、ぜひ、おでかけを〜。

さて、今回の くま・かまぁ のーしが やたーがらやー?

宮古空港そばの御嶽は、ご存知でしたか?近くにあるのに知らないこと多しです。父からも思いがけず、いろいろな話が聞けました。こういう歴史があったこと、心にとめておきたいと思います。機会がありましたら、ぜひ立ち寄ってみてくださいね。

ひさぼうさんの話は、こまかいところまでリアルに伝わってきましたね。まるで今しがた経験してきたかのよう。時代の移り変わりも見えるようでした。自分のお母さんがパーマをかけてきて近寄れなかった話には思わず笑いが。戦後こういう時代があったこと、そんな中でも宮古の人たちは生き生きと生活していたこと、忘れずにいたいですね。

Captain Anuheaさんの投稿の内容にはびっくりでした!方言が微妙に違うかなと思うところもありましたが、原文のまま掲載しました。内地の方が卒業論文に宮古方言について書いて、しかも最優秀賞とは本当に素晴らしい!そして、きょう5月15日は本土復帰記念日。あれから42年。よもや内地の方が「ばや東京からくすたず」と答える日を夢見ながら・・・とおっしゃるような時代がくるとは思いもしませんでした。下地勇さんの歌の力を改めて感じますね。Captain Anuheaさん、投稿たんでぃがーたんでぃでした。卒業論文は要旨が大学のサイト↓に掲載される予定だそうです。楽しみですね! http://www.toyo.ac.jp/site/dtrs/thesis.html

貴方はどんな感想を持ちましたか?ぜひおしえてくださいね。

今回も しまいがみ ゆみふぃーさまい、すでぃがふー!
(最後まで お読みくださり、ありがとうございました!)

次号は、三週間後6月5日(木)発行予定です。
うぬ ときゃ がみ(その時まで)、がんずぅやしー うらまちよ〜。あつかー、またや〜。

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