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くまから・かまから vol. 324

2021 5/17
メールマガジン
2014年9月18日2021年5月17日

こんにちは〜。
先週から東京に来ていますが、秋の気配が、うまかまに。
今回も、みやこのかざ(香り)満載でお届けでーす。お楽しみくださいね〜。

目次

宮古島今昔物語(うりがー【降り井戸】編)

あすなろ(平良・東仲出身)

んなまやー(今は)んきゃーん(昔)

きたしょうぬ、ぴっちゃがま、あがす゜んかい、いきばど、うぬ、うりがーやー、あす゜たす゜だら(北小学校の一寸、東にその「降り井戸」はあった)

うぬ、うりがーぬ、なーやー、「いさ゜がー」てど、あす゜たす゜(この降り井戸の名は「いさ゜がー」といった)

「うりがー」とは、階下へ降りて水を汲む井戸のこと。平良の北小学校区内には、4つの「うりがー」がある。

1つ目が、やまとがー(大和井)

1720年に掘られたと『雍正旧記』にあると言う。国の史跡に指定されているので、つとに有名。大和井から50メートル北西に、ぷとらがー(ぷとら井)がある。次に有名なのが むす゜かがー(盛加井)現在のNTTの西側に位置し、14世紀後半に勢力を揮った与那覇原一党がこの辺りを本拠地としたと稲村賢敷は説く。

最後に、我が高阿良集落にある「いさ゜がー」北小学校の北壁と東壁がクロスする十字路を東に昇り、ほどなくすると道の右側に現れる。しかし、人々は気が付かずに通り過ぎてしまう。目印は何の関係もない健康モデル地区のモニュメント。106段を降りないと貯水池まで辿り着けない。水面から地表まで16メートル。

この「いさ゜がー」には面白い話が残っている。古老から聞いた話として、湧き水の岩の上に時々、裸の河童が座っていると言う。この話を『遠野物語』で有名な柳田国男が聞いたなら、必ずや特急で宮古島まで馳せ参じた事だろう。

この噂が本当になったから、さあ大変。時は大正時代。河童ならぬ赤鬼が現れた。「目が赤く飛び出していたヨー」ヒロ坊のアンガ(姉さん)が、わなわな震えている。青い眼光を放ち「歯の隙間から真赤な火をふいていたヨー」キー坊の母ちゃんは、泣きながら訴える。「髪を振り乱して近づいて来た時は殺されると思ったサー」と、シュン坊の母ちゃんの顔も真っ青。

昔から、水汲みは、女子や子供の仕事だった。赤鬼の出現により、水汲みを怖がり、誰一人として「いさ゜がー」に近寄らない。しかし、水が無いと食事も作れない。屈強な男達が赤鬼退治に選抜された。

或る晩の事、赤鬼が現れ、大立ち回りが演じられる。と思いきや意外にもあっさりと退治された。なんと、赤鬼は少年Aであった。

彼は卵の殻を赤く染めて目玉を作り、その眼球の中に青光りする蛍を4〜5匹入れ、赤い線香の火を口にくわえ、歯の隙間から火を噴いた。赤鬼の正体は、赤尾川のユヌス。赤尾川とは彼の家号でユヌスは童名。これだけ世間を騒がせた以上、弥縫策では追いつかない。彼は母から一週間の断食を命じられる。この話は、『洞くつの中の赤鬼』と言う垣花鷹志氏のエッセイで、彼の父親のボーチラ(ガキ大将)振りを著した実話です。本人の了解のもと、私が若干話をふくらませました。お許しあれ。

「いさ゜がー」にまつわる話をもう一つ。

近所の先輩、実少年は、以前から「いさ゜がー」の水汲み場の右隣にある直径3メートル程の洞窟が気になっていました。彼は仲間達と休みを利用して、懐中電灯を照らしながら、この洞窟が何処に繋がってがっているかを確かめることにします。どの位進んだろうか、何やら明るい光が前方に見えてきました。女性達の会話が聞こえてきます。なんと、辿り着いたのは むす゜かがー(盛加川)だったと言うのです。直線にして200メートル。

昨年の飲み会でこの話が披露された。「うすだらか(嘘だ)」と勲兄さんは取り合わない。「あすなろも居たよなー」と私に同意を求める「ばーやー うらん(私は同行しなかった)」50余年振りに再会した彼等は、71歳の好々爺(失礼)になっていて、「いさ゜がー」の話になると少年に戻っていた。

『雍正旧記』によると、宮古島には59ヶ所の井戸が記録されていると言う。水道が完備され、今では見向きもされない彼等。

「いさ゜がー」に感謝の意思表示をしようと、ここの水で産湯を使った当時の少年少女達が「我等の青春、我等の原点」と「いさ゜がー会」を組織し、2008年に第1回を沖縄本島で開催、約60人の会員を擁していると言う。

2011年(平成23年)10月4日の「宮古毎日」に彼等の活動が紹介されている。私も小学生の頃、水汲みをした経験があり、元気なうちに合流したいと思っている。

◇あの話をもう一度

菜の花(伊良部町仲地出身)

「髪を結う んま(婆)」(vol.129 2006/8/3)

最近のおばあたちは、ハイカラで ばはむぬ〜(若々しいなー)と思うこの頃。

日常に つん(着物)を着て生活しているおばあを見かけなくなった。からず(髪)を結ってズーパ(耳掻の形に似たかんざし)を挿しているおばあも見かけなくなった。晴れの日に、島サバはいて黒いこうもり傘をさして歩いているおばあをも見かけなくなった。

今のおばあたちは、しゃりーしゃり(オシャレ)でTシャツにスニーカー。パーマネントの頭にはつばの広い帽子を被っている。以前は、カラフルな透けたネッカチーフで帽子が飛ばないように首のところで結んでいた。今ではブランドのスカーフを使ったりしているおばあもいる。手にはゲートボールのスティックを持ち、高らかに笑い声を響かせているおばあたちは、あまりにも元気が良すぎて「おばあ」と言うにはちょっと悪いような気がする。
 
私が小学生の頃、父方のおばあも母方のおばあも確か60代だったはず。なのにどんな思い出を手繰り寄せても、だいずなおばーおばあ どぉや(すごーくおばあーおばあしているんだよね)。

どちらかといえば、おばあっ子だった私は、おばあのやることは何でもうむっしあたーどぉ(おもしろかった)。おばあは、くす(腰)で着物の袖を結び、井戸の片隅で汲み置きの水を使って髪を洗っていた。どれが前髪か横髪かも分からんほどにのびた髪を、身をかがめながらすき櫛ですく姿はおばあと言えどちょっと女性チックで今も印象深く記憶にある。 

からずぬ かーらきぃてぃがー(髪が 乾いてきたら)、椿油を手のひらにシャッシャッと振って擦り合わせてから頭に撫で付つけ、そしてまた髪をすいていくと、乾いてパサパサのおばあの髪がだんだんと艶やかになっていく。

おばあは抜けた毛も絶対に すてぃん(捨てない)。櫛にからまる抜毛を集めて、団子を作るように手のひらで丸めて少しずつ大きな団子にしていく。それを頭の わーら(てっぺん)で一束にした髪の毛に足して、クルクルッと髪の毛で包んで立派に髪を結う。まさにおばあ式ウィッグ!仕上げにはズーパをグサッと髪に挿す。

父方のおばあは ふたい(おでこ)が広くて、特に結った髪がバッチリきまっていた。御願の時などは、羽のように軽く、透き通った白い着物を着るので尚カッコ良かった。

私の心の中に住むおばあたちの残影は凛としていて、ちっとも動じない強さを感じさせる。着ているものは決してハイカラでも、たーだい(高価)でもないけど、すごくキチンとしているっていうのかな・・・身が正されているというかそんな感じ。それは、多分おばあたちが過酷な時代を生きてきて、自然と身についてきた生きる姿勢だったりするのかも知れない。

私も とぅす(年)をとったら、きりりと髪を結い、ズーパを挿し、記憶の中のおばあたちに少しでも近づこうと思うんだけど・・・。鏡の中にはどこか頼りなくてデン!とした芯の太さを感じない自分が映っているだけ・・・。

アガイ!んまでぃ 足らーん!(うわっ まだまだ 足りない)

高野集落

アモイ(平良・宮原出身)

高野集落といえば、1961年に大神島と水納島それに宮古島本島から合わせて40軒の農家が移住入植してきた集落である。

2011年には入植50周年祝賀会が盛大に行なわれ、入植した人達は苦労しながらも「開拓誠心」で農地を開墾、また漁業にも力を入れ、みなさんのコツコツとした日々の努力が実をむすび豊かな集落となり、優秀な人材を数多く輩出し、高野出身者の自慢の故郷であるにちがいない。近年は海老養殖、うみぶどう養殖等も盛んに行われ宮古島の産業をリードしており、すばらしい成功を収めている。

高野集落は空港を出て、243号線を北へ真っ直ぐ一周道路へ突き当たる手前左側に位置する。近くには野鳥の森として有名な大野山林があり、北へ行けば白川浜がある素晴らしい自然環境に恵まれた場所である。高野集落の入植当時、大野山は「うぷに山」と呼ばれ、宮原地区や周辺の農家の人達の家畜用の草刈り場となっていて、草刈して馬車に積んで帰る光景が見られた。

また白川浜へ降りる場所周辺一帯は、スサカダー「白川田」と呼ばれ文字通り田んぼが広がっていた。田んぼが有った事からもわかるように、水が豊富で地下水が溢れるように海に流れ出していた。

昭和14年、当時の平良町長だった石原雅太郎氏がその水量の豊富さを見て、毎年のように水不足に悩む平良市街の為に飲料水に使えないかと上水道構想を立て、それが基本構想となって、そこから袖山浄水場に水をくみ上げ、平良地域へ水道水を供給し、今では宮古島市民の貴重な飲料水の水源地となっている。

高野集落入植当時はすでに水源地として利用されていて、水を汲み上げるポンプのエンジンを冷す冷却水が、まるで温泉のように水路に流れだしていて、小学生の頃私もそこの温かい水で水遊びをして遊んだ事を思い出す。また近くでは水牛を飼っている人がいて、泥まみれの水牛をみて、あんちぬ ふけつな いきむすまいど うーのがてぃー うどろきたー(こんな不潔な生き物もいるんだと驚いた)

古い人は今でも白川浜を「スサカダー」と呼ぶ、白川浜は砂の量も豊富で、当時台風の度に吹き飛ばされていた茅葺屋根の家から鉄筋コンクリート建てが増え始めた頃には、北海岸にも関わらず、なだらかな白川浜は砂の採取場となっていた。その採取場だった辺りが今の高野漁港になっている場所だと記憶している。

漁港の北西側には昔と同じように長い砂浜が広がっている。いにしえの人達もその恵まれた自然環境を活用していたようだ。宮古島がぐすく時代だった頃に弓の名人として有名だった、「とびとり爺」と「うきみぞり殿」の弓の決闘試合が行われたのも白川浜である。

また、与那覇勢頭豊見親が沖縄の中山国へ進貢船を出した場所として石碑が残っていて、進貢船の港としても知られている。「んきゃーんぬ あずぬきゃーとぅ ゆぬ とかなんど たちうーてぃ うもーつかー 」(むかしの 按司達と 同じ所に立っていると思うと)不思議な気分になりますね。

その白川浜では今年も高野船主組合と高野自治会主催によるハーリーが6月1日開催された。地域住民や宮原小学校、鏡原小学校の生徒たちも参加し賑やかなハーリーが行われ、私も3年前から参加しているが今年は初めて船を漕がせてもらい楽しませてもらった。

今日9月14日は高野自治会の敬老会が行われた。去年は余興の出演者として参加させてもらい、今年は私が高野集落向けに作ったオリジナル曲「高野賛歌」をCDにして贈呈すると言う事になり、敬老会の招待状をもらい、その席でCDを贈呈し、そして、歌をステージで披露した。

自治会長や敬老者達も喜んで下さり、歌のあとあちらこちから話しかけられ、酒を酌み交わし、楽しい時間を過ごした。

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

宮古は、まだまだ30度越えの、暑い毎日ですが、東京は涼しい日々です。先日は、茨城に住んでいる友人宅の栗を食べ、秋の味覚を味わいました。北海道の旭岳では初冠雪のニュースもあって、まーんてぃ、日本は、縦に長いことを実感しますねー。

東京に来る前には、前号でおしらせした ATALASネットワークの第1回目の講座に行ってきましたよ〜。9月7日、会場となった公設市場2階「ミライへセンター」には、40名近い方が集まり、講師の仲宗根將二先生(郷土史家)と辻朋季先生(明治大学専任講師)の話しに熱心に耳を傾けました。ロベルトソン号にまつわる、あらゆる角度からの話しに、ノートをとる人が多かったですね。ばんまいさーい。(私もそうでした)。二部の石碑についてのワークショップもだいず、楽しいものでしたよ。宮国優子さんをはじめ、ATALASネットワークのみなさん、たんでぃがーたんでぃでした。次回はどんな講座になるのでしょうね。楽しみです。

さて、今回の くま・かまぁ のーしが やたーがらやー?

あすなろさんの書かれた「いさ゜がー」のこと、知りませんでした。地元の皆さんにとって想い出深い場所であることが会の発足にも表れていますね。それにしても、んきゃーん(昔)の子どもたちの ぼーちら振りはすごい。あっぱれです。読者の皆さんの中には「いさ゜がー」を懐かしく想い出された方もいらっしゃったかもしれませんね。

今月は「敬老の日」がありましたね。それにちなんで、菜の花の話を再掲載しました。菜の花が、いかにおばあちゃんのことを見ていたか、よくわかりますねー。髪を梳き結う姿がひとつの絵になって見えるよう。時代の風景ともいえますね。明治、大正、昭和を生きたおばあたちを知る世代として、忘れずにいたいです。

高野集落の皆さんの「開拓誠心」(公民館の石碑に刻まれている言葉だそう)は素晴らしいですね。集落について知らなかったことが多く、興味深く読みました。アモイさん作の「高野賛歌」は、高野の皆さんの心に深く響いたことでしょうね。上等敬老会だったことが伝わってきました。高野集落の辺り、今度ゆっくりと回ってみたいと思います。

今回も しまいがみの おつきあい すでぃがふー!
(最後までのおつきあい ありがとうございました!)

次号は、10月2日(木)発行予定です。
うぬときゃがみ がんづぅかり うらあちよー(その時までお元気で)!あつかー、またや〜。

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