くまから・かまから vol. 328

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 こんにちは〜。
 だんだんと冬が近づいてきましたねー。がんづうかりうらまずなー(お元気ですかー)?
 今回も宮古のかざ(香り)いっぱいでお送りしますよ〜。お楽しみくださいね。

宮古島海中公園

松谷初美(下地・高千穂出身)

 2011年に狩俣にできた「宮古島海中公園」に今年、9月と10月に行ってきた。平良から行くと県道230号線を狩俣方面へ。大浦を過ぎてしばらくすると、ぴだず(左)に曲がり、キビ畑の中を抜けていくと見えてくる。
 
 入口に「宮古島海中公園」と書かれた だいばん(大きな)石灰岩石があり、その奥に青い屋根の施設が。その後ろには海が ぴそがり(広がり)伊良部島も見える。
 
 入場料1000円を払い、階段を下りて、海中公園へ。(この階段の途中には干潮、満潮の位置が示されていたり、魚の名前が書かれたりしている)
 
 中に入ると、細長いアクリルパネルが24個並んでいて、そこから海の中が見えるようになっている。想像していたのとは違い、海の中が濁っている感じ。サンゴ礁が広がり、水族館のイメージで、色とりどりの魚がたくさん泳いでいるはず〜と思っていたら、サンゴ礁もなく数匹の魚がちょろちょろと。
 
 イメージと違ったなーと思いながら、パネルの前を移動し、きぬーつき(よーく)見ていくと、赤、青、黄色(信号!?)のいろいろな魚が見えてきた。顔をパネルに近づけていると、おー、びっくり、ウミヘビが!まるで、私を見てと言うかのようにパネルの前に来て、くねくねダンス。思わずスマホでパチリ。海の中での遭遇は嫌だけど、ここなら正面からきても大丈夫。
 
 チョウチョウウオやイラブチャー、カノコベラも見える。いや、こんなにすんなりと名前が出るわけではない。施設の中には、魚の写真と名前(方言名も)が展示されているので、照らし合わせてみることができる。名前の分からない、小さい魚もたくさんいた。また、ガイドの方もいて、この時季に見える魚のことも説明してくれる。
 
 しばらくするとガイドさんから「今、グルクマ(サバの一種)の大群が見えますよ」との案内。わーび(上)の方を見ると、キラキラと光る魚が群れになって泳いでいる。友達と思わず歓声を上げた。
 
 それから時間をかけて見ていると、大小、さまざまな魚がやってくる。ヒレをパタパタと動かすのが愛らしいハコベラや、ゆっくりと餌をついばむキビレブダイなどなど。海の中には陽の光がシャワーのように差し、海底でゆらゆらとゆれている。
 
 アクリルパネルの海側の壁には、サンゴが育てられているそうで、小さな黄色いのが見えた。また紅イモのようなサンゴもあった。
 
 そろそろ帰ろうかと話し、階段を登ろうとしたら、ガイドさんの「アオリイカの群れが来ますよ」の声に思わず引き返す私たち。いみっちゃの(小さい)イカが上のほうでゆっくりと移動していく様子が見えた。
 
 施設を後にする時には、内地から来た友人もすっかりご満悦の様子で、いろいろ見られて良かったと話していた。考えてみたら、海の中は水族館ではないんだよね。透明度の高い日もあれば、濁っている日もある。魚とて移動している。今現在の海、自然ということだ。
 
 施設内では、音楽会などの催し物もあるとのこと。
 
 ダイビングやシュノーケリングをする人には物足りないかもしれないが、海に入るのが苦手な人には、上等かと。サッと見ただけではもったいないので、じっくりと時間をかけるのがお勧め。海中公園以外でも、磯遊びやシーカヤックもできるそう。まだの方は一度おでかけ下さい。
 
 宮古島海中公園
 HP:http://miyakojima-kaichukoen.com/

◇あの話をもう一度

カニ(平良・西里出身)

「南極老人星−ながいぬつぬぷす(長寿星)−カノ−プス」(vol.160 2007/11/15)

 ピシ−ピシヌ(寒い)ニスカジ(北風)が吹くようになってきた。だんだんと宮古の秋は深まっていく。宮古島の晩秋だ。11月の東の夜空にはオリオン座が上がるようになってきた。今日(11月5日)は、夜遅く10時過ぎてから散歩に出かけた。なかなかこんな時間にならないと時間が空かないものだ。6年前だったか、11月の終わり頃、このオリオン座を見つけ、さらに南の水平線の上に煌々と姿を現す「南極老人星」を見つけた時には、感激した。この星との思い出は深い。
 
 カニにこの「南極老人星−ながいぬつぬぷす」を教えてくれたのは、3名の方々だった。1名は職場の同僚、1名は東京から宮古島に移ってきた植物好きな老先生、そしてもう1名はある書物で出会った方からで、多良間島出身の垣花良香氏の書に登場する平山良明氏であった。垣花良香氏の「老人星」という名前の書の中に、このカノ−プスの話しが登場してくる。少し紹介しよう。平山良明氏の美しい文章で始まる書である。
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 天の河は北天よりも南天の方が明るくて美しい。沖縄の乙女たちの瞳が美しいのは、南国の星座を日常のものとしているからであります。

 その天の河の南の端に名高い南十字星があります。日本本土からはほとんど見えません。

 昔から南方へ航海する人々は、この南十字星に憧れ、一度この星を見たら、生涯胸の中にその美しさを秘めもつといわれる詩情豊かな星であります。

 その南十字星の西側に美しい恒星群があり、その中に竜骨座という奇妙な変光星が星雲につつまれて光っています。

 竜骨座の主星はカノ−プスを呼ばれ、シリウスに次いで全天第二の明るい星だと云われております。


 中国では南極星、南極老人星だとか寿星と呼ばれており、人間を見守っている星だとされております。
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 大体このような内容で始まる、昭和63年に書かれた「老人星」という名前の歌集である。
 
 この「南極老人星」は別名、「ながいぬつぬぷす」「長寿星」「カノ−プス」とも呼ばれ、中国ではこの星を見ると長生きができると云われ、とても縁起の良い星であり、星の愛好家達からは一度は見たいと云われる素敵な星なのである。
 
 日本の国では仙台より緯度の高い北の国では、見たくても見ることのできない星で、また関東や関西でも南の水平線すれすれに出現しているので、見つけることが困難な星である。この「南極老人星」が今11月頃になると、宮古島では南の夜空のいつもほぼ同じ場所に煌々と輝いている。カママミネ公園から眺めると来間島の真上にある。
 
 この星の思い出を語ろう。
 
 今から5年前だった。5年前の4月の10日の夕方頃に、カニは多良間島でその星を眺めていた。その時カニは、もう11月の晩秋が来るまでは逢えないだろうと、老人星にしばらくの別れを告げた。
 
 宮古島で見たのは3月31日頃が最後だった。しばらく会えないと諦めていたときに、多良間島に出張に行き、そこで見ることができたので、密かに1人喜んでいたのだ。宮古島よりも多良間島の方が夜空は綺麗で暗闇だった。満天の星空だった。そうだから4月になっても多良間島では煌々と輝き、再び老人星を見ることができたのだ。そう考えた。
 
 宮古島では、11月の夜の10時頃から、東の空にはオリオン座(ツギャ−プズ)が姿を見せてくる。その時からカノ−プスははっきりと南の空に確認できる。そうしてしばらく南の空に煌々と輝き続ける。そうして4月の初めには夜空から姿が消えるのである。
 
 カニは11月の終わり頃から4月の10日頃まで、南極老人星を見ることができるのだと思った。そしてその季節になるといつもこの星を探し、見つけたときには心の中はいつも宝物を見るかの如く、幸せな気分に浸ることが出来たのであった。幸せの一時はこうして生まれていた。
 
 カニはいつもこの老人星を見る場所を決めて見ていた。ニャ−ツの二重越の丘、添道のキビ畑道、腰原の畑道、それに家の近くの広場であった。この星はいつも大概同じ場所に煌々と静かな厳かな雰囲気で輝いていた。北の北極星(ニヌパブス)に似ていた。この星を中心として周囲の星たちが回っているようにも見えた。
 
 4年前だった。嬉しいことが起きた。この星との出会いが早くなった。忘れもしない10月15日、真夜中に目覚め、みなかんいでぃ(庭に出て)、てぃんゆ、あぱなき、みゃーぎりばどぅ(天を見上げると)、オリオン座が出ていて、そして「南極老人星」が煌々と南の水平線の上の方に輝いていたのだった。そうなんだ、皆が眠る夜中にも星が出ているんだ、そのことを強く意識した。
 
 すぐにいつもの4箇所の場所に行き確認した。嬉しかった。夜中だったので1人で祝った。そして両親や妻、子供、兄弟、そしてこれまでお世話になった多くの人たちの健康を祈願した。「南極老人星」、この星の存在を知ってからカニは「祈り」が多くなった。
 
 さらに翌年、つまり3年前だった。夜中の長寿星を見つけたときに、もっと夜中の遅い時間、つまり明け方にこの星は出ているだろうと計算してみた。出かけてみた。そうしてカニは9月15日・4時頃の早朝にも実はこの「老人星」に出会うことができた。さらに喜びが大きくなった。再び頭の中で考えてみた。
 
 そうして今はこう考えている。8月の中旬ごろの明け方5時頃にも東平安名崎に行けば、あるいは、あがずぬ いむぬぱなむつ(東の海の断崖)に行けば、素敵な南極星−南極老人星−長寿星−カノ−プス、そして「ながいぬつぬぷす」に出会うことが出来るだろうと・・・。カニの老人星との長い付き合いから生まれた考えなのである。

 今日(平成19年11月5日)の夜は久しぶりの星空であった。いつものように「長寿星」に興味がいった。そして南天に輝く素敵な星を眺めた。カニは、5,6年前にこの星と出会えた喜びを思い出し、その時から今日までその星を見続けてきた、追ってきた。今日はそのことを噛みしめながら語り綴ってみた。
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 南の国の夜空は楽しいものだ。寂しい時や辛いときにはこの星から何だか元気が貰えるような、そんな気がする。この「南極老人星」は・・・いつのまにか私自身の「こころの星」となっている・・・。

いとこ会の『豊年の歌』

あば本舗(下地・上地出身)

 去った8月19日の夜、旧盆行事も終わり一息ついた頃。本島中部のとあるカラオケ店に、平均年齢70歳台10名余の男女が集まり宴を開いていた。
 
 父方のいとこ会である。
 
 それぞれが定年退職を迎え悠々自適な時を過ごせるようになり、いとこ同士で時々語り合ったり遊びに興じたりと本当に楽しそうだ。で、多少年若い?私にも声がかかるという次第。
 
 そこはカラオケ店。皆、次々自慢の喉を披露しては、ヤンヤの喝采を受ける。石原裕次郎の「赤いハンカチ」「夜霧よ今夜も有り難う」春日八郎の「お富さん」近江敏郎の「湯の町エレジー」等など、昭和の華々しいヒットメドレーが続き、指笛と拍手でますます盛り上がる。
 
 しかし、私はカラオケが大の苦手。歌のうまい兄達に比べ、うかーす あやぐい やりば(凄いオンチなので)、こういう場で固まっているのが常で、肩身の狭い思いをする事この上ないのだ・・・。
 
 そこで、これなら全員で歌って盛り上がるのでは?と思いつき、宮古民謡の「豊年の歌」をリクエストしてみた。
 
 三線の軽やかなメロディに乗せて、みやーくふつの歌詞が画面に映る。すると、思いがけず皆が高らかに歌いだした。

  「豊年の歌」
  
 1.くとぅすから ぱずみゃしよー サァサァ
  みるくゆ ぬ なうらば ゆうやなうれ 
  よーいてぃば よーいだきよー  サァサァ
  すぅるいどぅ かぎさぬ ゆうやなうれ
  
 2.んなままき あわぬどよー サァサァ
  じゅうがつまき くみぬどぅ ゆうやなうれ
  よーいてぃば よーいだきよー サァサァ
  すぅるいどぅ かぎさぬ ゆやなうれ
  
 3. すだますず なうらばよー  サァサァ
  まだますず みぬらば ゆうやなうれ
  よーいてぃば よーいだきよー  サァサァ
  すぅるいどぅ かぎさぬ ゆうやなうれ

 この年の始まりから、実り豊かになって、今蒔いた粟も、10月に蒔いた米も揃って豊作になってほしいという願いが込められた「豊年の歌」
 
 歌いながら、子供の頃の情景が浮かんだ。昭和30〜40年代、電気や水道が普及し始めたころでTVはNHKしか映らず、これといった娯楽も無い。あの頃、大人たちはお祝い事があると、手拍子とともに声を張り上げ「豊年の歌」を晴れ晴れと歌っていた。
 
 山や川がなく雨の少ない宮古。しかも他島と違って肥沃な土地でも無いうえに、毎年大きな台風がやってきては農作物を全滅させていく。地下ダムが建設された現在と違って、暮らしは厳しくどの家も貧しかった。
 
 その昔、人頭税で苦しめられていた時代から、過酷な環境の中にあっても、下をうつむく事なく暮らしが良くなることを願い、懸命に生きてきて今があるんだなーと、歌を聴きながらしみじみ思った。
 
 頑張り屋の みゃーくぴとぅ(宮古人)の気持ちを、「豊年の歌」はよく表しているんじゃないだろうか。
 
 くぬ あーぐぅ き゜き うっかー のーてぃーにゃーん いす゜ぬいでぃき゜すにゃーんしーどぅうす゜(この歌を聴いていると、何となく元気がでてくるような気がする。)
 
 次回のいとこ会も、んにゃてぃ うてぃまい わいてぃ(苦しみながらも、一生懸命)生き抜いた御祖先様たちに感謝と尊敬を込めて、「豊年の歌」を歌おう!せめて、あやぐい(オンチ)を克服し、カラオケを晴れ晴れと歌えるようになろう・・・と、秘かに決心する私であった。

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

 前号から二週間。いろいろなことがありました。
 
 掲示板に書きましたが、11月9日は、宮古の産業まつりの中で「アララガマフェスタ」が開かれました。あいにくの天気でしたが、7組(下地暁さん、上地雄大さん、砂川朝賢さん&かぎ花バンド、国吉源次さん他)が出演し、それぞれのパフォーマンスを披露しました。私もクイチャーマンさんこと垣花譲二さんと司会をして、楽しい時間を過ごしました。雨の中来てくださったみなさん、たんでぃがーたんでぃでした。そして、場を提供してくださった、宮古島商工会議所の皆さん大変、お世話になりました。すでぃがふうー!
 
 12日は、宮古島市立図書館北分館で開かれている講座「郷土の歴史と文化」の中で「若い世代が拓く表現と文化〜復帰後宮古の世相(略)史〜」と題して宮川耕次さんがお話し、『読めば宮古』や『書けば宮古』、『くまから・かまから』も紹介されました。復帰後の宮古での活動の様子がよく分かり、また、くま・かまもその中で認識されているということは、まーんてぃ(真に)うれしいことでした。講座には、くまかまライターの根間(幸地)郁乃さんが関わっていて、最後にお話をということで、少し話ました。ちょうど来島していた宮国優子さんも『読めば宮古』の後の話(ATALASネットワークのことなど)をしました。この頃、宮古の文化面が熱いです。
 
 14日に上京。16日は、大田区産業プラザPIOにて東京多良間郷友会主催の「第81回多良間まつり」が行われました。200名近い参加者だったでしょうか。多良間の伊良皆村長さんもいらっしゃって大賑わいでした。80年を祝っての「記念誌」も配られました。獅子舞に踊りに唄・三線。手作りの料理に泡盛が並び、東京多良間郷友会の長い歴史の継続とこれからの発展を祝いました。いつーまい(いつも)思うことですが、多良間の方たちのおもてなしの心。そして芸能の素晴らしさ、感服でした。
 
 さて、今回の くまかまぁ のーしが やたーがらやー?
 
 「宮古島海中公園」では、宮古の海にはこんなに やまかさ(たくさん)の種類の魚がいるんだと驚きました。魚の群れが見られるのも上等。特にお子さんたちには、いいはずよ〜。
 
 カニさんの「ながいぬつぬぷす」のお話、何度 ゆみゃーまい(読んでも)いいですね。ちょうど今頃の季節ということで再掲載しました。自然に対する真摯な心。正確な記録が星を見つけることに繋がっているんですね。自然から学ぶ姿、見習いたいといつも思います。
 
 あば本舗さんの「いとこ会」でカラオケ、楽しそうですね〜。「豊年の歌」は、みんなの気持ちを一つにしてくれたことでしょうね。まーんてぃ宮古の精神性が表れている歌ですよね。民謡は、時に大切なものを思い出させ、現代の私たちにエールを送ってくれるものだと改めて思いました。
 
 今回も しまいがみ ゆみふぃーさまい たんでぃがーたんでぃでした!
 (最後までお読みくださり、ありがとうございました!)
 
 次号は、12月4日(木)発行予定です。
 ぴしーぴしの(寒い)日々。感冒などしませんように!
 あつかー、またや〜。