くまから・かまから vol. 329

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 こんにちは!今年も残すところ一ヶ月を切りましたが、のーしがうらまず?(いかがお過ごしですか?)
 個性あふれるお三方のぱなす(話)お楽しみくださいね〜。

あっがいたんでぃ! 2014

宮国優子(平良・下里出身)

 今年は、だいずばかー(とってもとっても)忙しかった、です。目まぐるしすぎて、たーうぃーどぅうー(倒れそうです)んなまっきゃーん(今となっても)。
 
 だう(たくさんの)人と会ったし、これからも会うはずなぁ(出会うだろうなぁ)。日を追うごとに東京と宮古の境目がなくなってくるような錯覚に陥りました。私は東京に住んでいて、友達も内地の人なのに、なんでこんなにつながるかよ!と思うほど、私のまわりはつながりまくっている。友達の友達はみんな どぅすさいが(友達さー)。
 
 宮古の友達も歓待してくれて、そして、出会う人たちもみんな宮古らしく素朴な優しさで迎えてくれる。それが一番誇らしかった。島は人で支えられていると思う瞬間が何度もあった。私は涙腺が崩壊しやすいので、何度も涙ぐむようなことが多かった。
 
 同時に、島を外から見ているつもりでも、やっぱり「私の精神性は宮古さいが!」と思うことも多かった一年。内地から連れてくる友達が宮古を見ていろいろ語ってくれるのが一番うれしかった。「あー、そうか、宮古はこんな風に思われるのか」とか何においても違った見方をしてくれるのが新鮮でした。
 
 研究者の先生も最近は、どぅすに近いので、宮古にいっしょに行くときは、最初に漲水御嶽をお参りさせてます、無理やりだけど。でも、みんな喜んでいるような気がします。だいずいい人ばかりなので、文句も言わず、すぐに拝んでくれます。そして、宮古にますます興味を持ってくれる。沖縄本島出身のひとでも、宮古がもつ雰囲気を体感してくれるように思うのだ。一言で「沖縄」とひとくくりにしてもらったら困るさいがの宮古なのだ。琉球弧は多様だもの。
 
 と、ここで提案!空港から漲水御嶽までシャトルバスを出すのはどうかねーと思う。宗教とかもろもろあると思うけど、とりあえず宮古の神様にあいさつに行きましょう運動。宮古を大きな家だと考えてもらって、玄関は漲水御嶽でいいさいが。
 
 文化っていうと、しゃちほこばっているけれど、私たちは宮古の独自文化そのものに生きていると思う。宮古も面白いけど、友人の郷里だって、東京だって面白い。人類がこんなに移動できるようになったんだから、旅をしようと思う。私は観光も旅も嫌いで、東京でも半径平良の街中レベルで暮らしている。根っからの出不精だけど、そんな私でもネフスキーの文京区の下宿は見たいし、中村十作の実家も見てみたかった。
 
 私のような むっず(そのまんま)宮古みたいな人でも、東京にいれば、時と場所によっては仮面をかぶる。でも、風土に育まれた「あららがま」みたいなのはそう簡単になくならない。それが個性なのだとも思う。
 
 私は宮古に移住してきた人の生まれ育った地域の話を聞くのもとても好きだ。なんで、この人が宮古にいるんだろうと思いながら、話を聞いている。すると、行き着くべくして宮古に来たんだろうなぁという風土に育まれた人が多い。それもなんというか、宮古出身者でないのにも関わらず、よく言われる「剽悍(ひょうかん)の気風」を体現した人が多い気がする。全然、癒しを求めていない気がするのは私だけだろうか(笑)。宮古の無骨さを気に入ってくれる人は、剽悍なのかもれないです。
 
 ちなみに今回、きちんと調べてみました。剽悍とは“すばやい上に、荒々しく強いこと。また、そのさま”のことなんだそうです。仲宗根將二先生はあるシンポジウムで「あららがま」と「わいどー」と言う言葉を使って説明したようです。なんとも男子っぽい。じゃ、女の人はどう表現されるんだろう、と気になるところですが。意外と調べても出てきません。迷えるゆ。うーん、それが今年の締めくくりか・・・・。
 
 あがい、やっぱり来年も さーてぃがんばらんと!

◇あの話をもう一度

大和の宮古人(城辺・長南出身)

「自転車教習」vol.208 2009/11/19

 私が自転車に乗りを始めたのは小学校4、5年生の頃だと思う。どんな経緯で自転車に乗ろうと思ったのか、その以前の記憶がないので定かではないが。
 
 子供用の自転車を買ってもらう事はおろか、ママチャリも無かったので大人用のゴッツイもので練習した。小さい私はハンドルより下に頭があり何しろ重かった。
 
 ばんたが やーんな(わたしの家には)自転車が有ったかどうかは うぶいや うらんすが(覚えていないが)まさか、ぴとぅぬ やーぬ(ひとの家の)自転車で練習したとも思えないので、ありどぅ うーたーてぃうむいうすが(あったのではないかと思うが)・・・。(中学3年生で友達との卒業サイクリングに隣のオジイから借りて参加したから ひょっとして・・・。)
 
 家が城辺線の近くにあるので うまぬどぅ(そこが)練習場だった。自家用車など殆ど無い時代、1時間に一本のバスとヌバリグスと保良の米軍基地を往復する米兵のジープしかない。
 
 やー(家)から道路まではフラフラしながら押していく。ぱずうみゃー(最初は)母が後を支えてくれた。
 
 まず右足でペダルを踏みながら左足は地面を蹴って助走する、ある程度自転車が走り出したらペダルの上部に左足を掛けて乗り込む。サドルに座ると上がってきたペダルにしか足は届かない。右足でべダルを踏み込んだ後、左のペダルが上がるのをまって左足で踏む、を繰り返す。ペダル踏むときは足元を確認するので米搗きバッタのように頭を上げたり下げたり忙しかった。
 
 母が後から押してくれるのでペダルも軽く快適に進む。自分ではペダルを踏んでいるつもりで得意になっていた。
 
 ある日、同じように練習していた。
 
 不安なのでいつも必ず「押さえているか?」と母に聞いた。その度に「うさいどぅ うーゆ(押さえているよ)」と返事が返る。
 
 その日はなぜか自転車が重く感じて進みが悪かった。そして踏んでいるうちに止まりそうになった。「かあちゃん、んなぴ うしゆ(もっと押して)」と云ったが返事がなかった。何気なく振り返った。アガンニャ、かあちゃんがどぅ みーん(母がいない)。んにゃ だいずさいが!!(大変だ!!)
 
 一人で乗っていることに気が付いた後はパニックで声も出ない。私の家の前の県道は道路に沿って用水路があった。雨が降らない限り水は流れていなかった。【田圃に水を引くための人工の水路だったそうで、ちなみに暗渠(あんきょ)と云うそうですが私はアンキョウと発音し、キョウを橋と勘違いして小さい橋をアンキョウと云うのだと思い込んでいました。辞書には暗渠とは覆いをしたり地下に設けて、外からは見えないようになっている水路となっています。ふたのない水路は明渠(めいきょ)と云のだそうで、家の前はフタがなかったので明渠なんでしょうね。現在は間違いなく暗渠です。上は歩道になっています】
 
 ハイ〜皆さんの想像通りです。真っ逆さまで〜す。
 
 たいがいの人は転びそうになると、どうにか回避しようとする。でも私は違います。ハンドルを握ったまま固まります。落下するまでの数秒間に走馬灯のようにいろいろな事がよぎりました。
 
 そして「じょうぶんゆ(いいさ)、あにぎなうてぃる(そのまま落ちて)」と思いながら一直線に突っ込んで行きました。
 
 ショックと驚きで呆然としながらも立ち上がっていた様に思う。母は一応飛んで来た、が、怪我が無いと知るや路上から見下ろしてゲラゲラ笑っていた。
 
 「のーてぃが かあちゃんな うさいふぃんが(どうして母ちゃんは押さえてくれないの)」と半泣きで訴えた。
 
 呑気な母ちゃんは「あんちーすうだか、うわいんな ぬぅーらいん(そうでもしなければあんたには乗れない)」ときた。(まーその通りではあった)
 
 痛い思いもしたが、母との楽しい時間でもあった。今思うと一人で乗る事よりも、母を独占できる事が嬉しくて毎日練習したのだろう。
 
 不器用な割には骨折もせず擦過傷だけで済んだのは幸いだったが、その後は母といえども信用できず、一人で練習し、県道には二度と出なかった。やー(家)から城辺線までのわずかな私道を往復し何度もキビ畑や芋畑にぶりんきていた(転んでいた)
 
 落下した事は昨日の事の様に覚えているが、かーから いでぃきすたーくとぅや(川から出てきた事や)颯爽と(?)ぬうらいたーくとぅ うぶいや うらんばどぅ んぞーさーてぃ うむいゆう(乗れた事が記憶に無いので残念に思っている)
 
 苦労して練習した自転車ではあるが最近は殆ど乗らない。健康の為に歩く事が多くなったことと、駐輪場所に困るからだ。たまに乗って買い物に行ってもスーパーに置いたままで歩いて帰り、2〜3日は気が付かない。

ぴるます(不思議な)同期の絆

與那覇 淳(平良・鏡原出身)

 あぐ(男性同士の同年)とぅんがら(女性同士の同年・友人)とは、これほどまでに あたらす(親密)ものなのか。去る11月2、3日の還暦同期会でそう実感させられた。
 
 還暦同期会を体験した先輩方から、その ぷからっさ(喜び)について聞かされていたが、聞きしに勝る感動の連続であった。私たち鏡原中学校22期卒は116名。そのうち9人が他界。還暦同期会には77名が参加した。72パーセントの参加率である。
 
 初日、母校の鏡原中学校で鏡原小、宮原小、鏡原中にそれぞれ寄附金を贈呈。その日のために、全国から あぐ、とぅんがらが集まった。なかには中学卒業後、まさに45年ぶりの再会も。
 
 見るからに校長とおぼしき顔あり。誰もが本人が名乗るまで同期生だと気付かなかった。なんずぅ(それほど)目立たなかった人が いぎゃん(びっくり・不思議がる)するほど素敵に変身。また、本人から名前は聞き出したものの、当時の面影がまったく浮かんでこない人も。45年の歳月の流れを実感させた顔、顔、顔。数人がひとかたまりになって話し込む光景がいくつも母校の校庭に広がっていた。
 
 その日の夜に市内のホテルで開かれた祝賀宴会には、恩師二人も加わった。それに亡くなった恩師の息子さんも出席して宴を盛り上げてくれた。一番、惹きつけたのは懐かしい写真をスクリーンに映し出した思い出のアルバム。幼稚園の頃、中学の修学旅行などの写真、セピア色に閉じ込められたあどけない顔に熱い視線が集まった。
 
 そして、フォークダンスで会も最高潮に。オクラホマミキサーの音曲は一気に中学時代へタイムスリップさせた。運動会に向けたフォークダンスの練習中に男子生徒は女子と手を握るのが恥ずかしくて、割り箸の先を女子に握らせていた。それを指揮台の上で見ていた体育教師が疾風の如く走ってきたかと思うと男子生徒をつぎつぎ棒で思い切り ふだき かいらした(ひっぱたき、張り倒した)。当時は軍国主義の名残か、教師が生徒を殴るのは日常茶飯事のこと。今のようにちょっとしたことで教育委員会に直訴することなどなかった時代だ。クイチャーで幕を閉じて二次会に繰り出し、参加者のほぼ全員が参加した。
 
 翌、二日目はバス2台に分乗して宮古島一周の観光。前日は遅くまでカラオケなど盛り上がり疲れ気味ではと思いきや、出発の30分前に設定した集合時間までにほぼ全員が揃った。
 
 還暦同期会バスガイド人気ナンバーワンといわれる「さえこおばあ」(実年齢は私たちより3〜4歳年下)が、島巡りのお伴をしてくれた。彼女の方言を駆使した漫談に、ばたぶにぬ すぅしってぃ すぅっきゃ(腹がよじれるほど)あまい(笑い)転げた。「一年分、笑った」と車中全員が ぷからっさ(喜び)していた。
 
 バスは終着、全日程を終えたが、そこですぐに解散することなくバスから降りた全員が一つの輪になった。みんなの表情には去りがたい感が漂っていた。沖縄本島、本土から参加したみなさんの代表、それに小学校の2.3年の頃に転校したが共に参加してくれた4人の代表がそれぞれ感想を述べ、一同から実行委員のみなさんに感謝の言葉がおくられた。そして三本締め。拍子に乗って同期の絆がより確かなものに変化していく感覚に包まれた。
 
 さらに場所を移して自由参加の懇親会にも、バス観光参加者のおよそ半数が参加した。時を惜しむように肩を寄せ合い語り合うみんなの姿に言い知れぬ あたらっさ(親密感)がにじんでいた。
 
 45年の歳月は順風満帆ばかりとは限らないだろう。すくなくとも悲しみや辛いことも乗り越えてきたそれぞれの軌跡があろう。可憐な乙女たちも紅顔の美少年たちも既に初老?容貌、体形は大きく変わったが仕草、話しぶりに中学時代の名残が多少なりとも残っていて、いつしか昔の顔と重なり、心も解け合っていた。
 
 また、いつ、うぐなーり みいっちゃー(集まろうか)。はやくも次回の企画を促す声も届いている。

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

 ぴしーぴしの(寒い)東京から先月25日に帰ってきたら、宮古は夏どーや。最高気温は27度。カニさんが、くま・かま掲示板で「10月夏がま」(旧暦の10月頃、夏の陽気になること)のことを書いていましたね。いつまで続く「10月夏がま」と思っていたら、12月に入り、雨が降って、ぴしーぴしに。でもまた晴れると、暑ーくなったり・・・。これが、んなま ずぶん(今ごろ)の宮古との ばーだね。
 
 暑い日があっても、ぎすき(ススキ)の穂が見事に咲き誇っていたり、ぶーぎ(キビ)の ばらん(穂)が出ているのを見ると冬だなーと思いますね。今年は製糖工場も例年より早く今月中旬過ぎから操業するそうで、試験操業でしょうか、先日は、沖縄製糖工場の煙突から煙が出ていました。キビ農家は、ぱんたーぱんたの(忙しい)時季を迎えますね。
 
 さて、今回のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
 
 宮国優子さんは、 ATALASネットワーク(http://myahk.org/)が始動し、精力的に活動をされていますね。その情熱にいつも敬服をしています。そして、優子さんには人を惹きつける、呼び寄せる力がありますよね。来年はますますパワーアップすることでしょう。更なる活躍が楽しみです。
 
 大和の宮古人さんのお話、何度読んでもクスッと笑えてほのぼのします。自転車の練習は、ほとんどの人が通る道なので、自分の時のことを思い出した方もいらっしゃったのでは?ぶりんきた(落ちた)ことも、傷を作ったことも鮮やかな思い出ですね。
 
 宮古で11月は、還暦同期会の季節。與那覇淳さんたちの楽しげな様子、笑い声まで聞こえてきそうでした。最後、バスから降りて全員で輪になった場面では、うるうる。同期生は、まーんてぃ(本当に)特別な存在ですね。感動の還暦祝いだったことが伝わってきました。
 
 今回も しまいがみ ゆみ ふぃー さまい すでぃがふー!
  (最後までお読みくださり、ありがとうございました!)
 
 次号は、12月18日(木)発行予定です。
 いよいよ今年も残りわずか。がんづぅ(元気)でいきましょうね〜。
 あつかー、またや〜。