明けましておめでとうございます。
今年はめでたくも元旦からの発行となりました。 2015年も皆様にとって上等で幸せな一年でありますように!
読み応えたっぷりの新年号ですよ。 どうぞ、ぬかーぬか(ごゆっくり)お楽しみくださいね〜。
宮古の植物で作るあれこれ
宮国勉(城辺・西城出身)
●アダン <タコノキ科タコノキ属の常緑小高木>
*がじまーら=風車(かざぐるま)
アダンの葉の棘を取り除き20〜25ミリ程度に裂いて叶結びにする。羽の長さを4枚揃えるのがコツ。廻す芯には、トンベン(竜舌蘭)の棘を使う。
*あだなすづな=(アダナス縄)
あだなすはアダンの気根で先端に帽子をかぶって下方へ伸びる。それが地面に着く前に切り取り、3ミリほどの厚みに引き裂いて天日に干して、更にそれを適度に引き裂いて縄の材料にする。あだなすは干すことによりすぴにがー(強靱)になる。それを綯うとすぴにーすぴに(千切れにくい状態)で手触りのよい縄となる。
縄も太さにより利用する用途が変わる。すぴにがー(強靱)な材料は細くすることが出来るから長くて丈夫さが必要な用途に使われ、細く綯うことで水くみのくばずー(釣瓶)用の縄にしていた。
*あむでぃら=芋を入れて運ぶ網
アダンの気根を3ミリ程度にスライスし、天日で乾かし、更に細く裂く。それを縄にして芋がはみ出ないほどの編み目で直径50センチほどの袋状に編み、口が閉じられるように工夫する。
*おーだ=たい肥や草を運ぶ道具
アダンの気根を3ミリ程度にスライスし、天日で乾かし、更に細く裂く。それを縄にして編み目が15センチほどで90センチ×70センチの平らな編み目をつくり、長手の方2カ所に吊り紐を付ける。天秤棒で運ぶので対で必要。
*むっすぅ=蓙(ゴザ)
アダン葉が長いものを選び、棘を取り除いて幅20〜25ミリ程度に揃え煮沸する。アダナスの縄で編み込む。乾燥させてゴザになる。結構手間が掛かっていたような印象。
●ススキ <イネ科ススキ属>
*ぽーき=箒(ススキの穂を利用)
枯れたススキの穂の綿を除去し、挟み込むように組み上げて作る。持ち手が直径6センチほどに束ねる。学校の冬休みの宿題・・・。
●マカヤ<イネ科チガヤ属>
*まぐ=穀物の入れ物
マカヤを2センチほどの太さでグルグル巻きにしてマーニ(クロツグ)の茎や籐蔓擬(とうつるもどき)を綴じ紐にして作る。穀物の入れ物になどに利用していた
*かやづな=茅縄
かやづなは2分した茅の硬い部分を折り曲げてがんぷ(こぶ)を作り、足の親指で挟み、手のひらで擦り合わせて撚(よ)る、時にはペッペッと唾を手につけると滑ることなく撚りの強いかやづなができる。かや(すすき)、まかや(茅萱)は容易く手に入り、長持ちしないので専らサトウキビを縛ることに使われた。茅萱は時に縄ではなくまぐ(篭)、うぷなびぬふた(大鍋の蓋)などの生活用品になることもあった。
●くば(ビロウ)<ヤシ科の常緑高木>
●まーに(クロツグ)<ヤシ科クロツグ属>
*するがあづな=棕梠縄
するがあづなは くば(ビロウ)や まーに(クロツグ)などの外皮の毛を縄にするのだが、水に強く長持ちすることから牛の鼻緒や茅葺家の ぎすきくび(すすきの壁)を結わくのに利用していた。
●サニン(月桃)<ショウガ科ハナミョウガ属>
*さにんづな=月桃縄
さにんづなは葉の部分は取り去り、幹の方を叩き潰し干して使う。あだなすづなほど強くはないが、くばずー(釣瓶)用に使われていたらしい。
植物と遊び
松谷初美(下地・高千穂出身)
◎オオバコ <オオバコ科オオバコ属>
オオバコは家の周りや校庭のあちこちにあった。葉を取り、茎に近いところから薄く剥ぐとスジが出てくる。それを切らないように葉をぷらぷらさせ、相手の葉とからませ、引っ張り合いをする。切れたほうが負け。
◎ソテツ <裸子植物ソテツ科の常緑低木>
びきやらび(男の子)たちは、よくソテツの葉で【虫かご】を作っていた。両脇の葉の1本をそれぞれ縦にして、そこに残りの葉をひとつひとつ交互に織りこんでいく。縦が終わるとまた新しく1本を縦にして同じように織りこんでいくと細長い筒状の虫かごの出来上がり。
息子は小学三年生の時、宮古のおじいからこの虫かごの造り方を習い、夏休みの宿題で提出した。それを見た、父兄の一人が宮古に興味を持ち、宮古に遊びに来るようになった。それから10数年。毎年のように来島している。まさかの虫かご縁!?
それにしても、びきやらび達は虫かごは作ったが虫は入れていたかね?見た覚えがない。
◎ぎんにもう(ギンネム)<マメ科ネムノキ亜科の落葉低木>
道端や畑の側など、そこかしこに見られたが最近は少なくなっている気がする。昔はやぎの餌として重宝された。馬にあげると尻尾の毛が抜けたと兄。また、肥料としても上等。白い花が咲くとそれを取り、「お化粧〜」と言って、顔にぱふぱふした。また、細長い豆のようなさやは、開いて両端を持って、パチンパチンと鳴らして遊んだ。
◎びゅーがっさ(クワズイモ)<サトイモ科クワズイモ属常緑性多年草>
やらびぱだ(子どもの頃)、うちにさな(傘)はあったかね?母の日傘は覚えているが、さな(傘)の記憶がない。子どもは雨が降ろうが関係なく、雨に濡れて遊んでいたように思う。たまに、遊んでいる近くにびゅーがっさがあると、それを取って【傘がわり】にして遊んだ。でも、遊んだ後は、手足がかゆくなるのが常だった。(切り口から出る成分にかゆくなるものが含まれているらしい)あ、思い出した。傘はあったさいが。傘を逆さに広げて霰を溜めたことがあるから、あったんだね。でも印象が薄い。
◎やらうぎー(テリハボク)<テリハボク科の常緑高木>
やらうぎーの葉は、対(二枚)になっていて、茎の部分に足の指を入れ、【ぞうり】にして遊んだ。
◎あかばな(ハイビスカス、ブッソウゲ)<アオイ科フヨウ属>
あかばなの花は、一枚一枚はがれる。花の根本?は糊のようになっていているので、それを鼻の頭やおでこやほっぺにつけて遊んだ。
◎がざまぎー(ガジュマル)<クワ科の常緑高木>
がざまぎーの葉はしっかりしているので【スプーン】替わりにした。
ままごとだけでなく、実際に、ゆにく(はったい粉)を食べたりした。
それから、葉を重ねて【帽子】を作った。作り方は、葉はツルツルしたのを表にし、最初の葉を丸める。その葉に小さい穴をあけ、次の葉の葉柄を差し込む、丸くなるように、次々と差し込んでいくと円錐形の帽子の形になる。先日、久しぶりに作ってみたが、なんだかゆるゆるでしっくりこない。やらび(子ども)の頃の方が、器用だったのか!?また挑戦してみよう。
◎びんぐー(ハマオモト)<ヒガンバナ科ハマオモト属>
母は子どもの頃、びんぐーで【風船】を作って遊んだとのこと。茎の部分の皮をむくと、白い皮が出てくるので、これをそのまま筒状にはがし、空気を入れ、しばる。
◎ホウセンカ <ツリフネソウ科ツリフネソウ属>
ホウセンカの種は袋に入っていて、実のようにぶら下がっている。それが自然に弾け種が遠くに飛ぶのだが、自然に弾ける前にその袋を取り、ういび(指)で触りわざと弾けさせて遊んだ。この弾ける感触も、弾けた後、袋がクルクルと丸まるのも楽しかった。して、先日、親戚の家でホウセンカの種の袋がなっているのを発見!見るのはいったい何年ぶり!?躊躇することなく取り、弾けさせましたとも。(笑)やっぱり、楽しかった!
◇あの話をもう一度
naichar-shima(下地・高千穂出身)
「かつぼう的凧揚げクロニクル」vol.187 (2009/1/1)
まだ夜が明けきらない早朝、台所の一番奧の一番大きいナベを炊くカマの前で薪をくべる母ちゃんによりそうようにしながら、かつぼうはカマの中の真っ赤に燃えさかるな炎をじっとみていた。パチパチパチパチ・・・炎の音、隣に母ちゃん、かつぼうにとって一番至福な時だ。
かつぼうは思案していた。
「今年はどんな凧をつくろうかな〜」
子供にとってこの時期一番の楽しみな行事である。かつぼうがいう凧とは、姿、形的なものじゃなく、重要なポイントは凧に描く絵柄のことである。「ふふ・・・今年は いーにゃー(西の家)のひこぼうの凧には負けん!」不敵に笑った顔には炎の明かりを受けてキラッと光る んーぱな(青っぱな)が垂れてたが、かつぼうは拭おうともしなかった。
さっそくその日学校から帰り、畑仕事の手伝いもそこそこにして、竹伐採の為に鎌を研ぎ直し、左手の親指の爪に刃をたてすべり落ちないのを確認して、自分家の裏にある竹林で手ごろな竹を切り取って家に持ち帰り骨組みを作り始める。
縦70センチ、横60センチの凧を作ることにする。いちばん外側の竹は太めにして頑丈にし、中の骨組みは細く薄くしなければならない。縦の竹は奇数、横は偶数にする。なぜなら、バランスを取るために「おこし」という糸を数本、凧の中心から上両側に取り付けるのであるが、その為には縦の竹の一本は凧の中心になければならないのである。(間違ってたらごめ〜んね)
骨組みが完成したら本体に紙を貼り(模造紙だった・・かな?)両側に縦10センチ、横10センチの直角三角形の紙を墨で黒く塗って片側12〜3枚づつ重ねるように貼る。
接着にはすべてゴハン粒だった。(よく空中でバラバラにならなかったな〜と思う)凧作りに適した米だったのか、まさか母ちゃんが「そろそろ凧作りの時期だから凧米を用意しとこうかね〜」等とは言ってなかったと思うが。
紙を貼り終えたところで、いよいよ次はメインの絵である。前の年は故赤塚不二夫さんの漫画おそ松くんに登場するチビ太を描いたので今年は、もーれつア太郎に登場するニャロメを描くことにした。
順序的に前後してるかも知れないが勘弁してもらって、次は、先にでたおこしを取り付ける事にする。火をつけた線香で糸を通すための穴を開けるのだが穴が大きすぎてはいけないのである。大きすぎたら紙を貼り替えるか、継ぎ貼りして貧乏くさい凧になっちゃうかである。おこしを数本取り付けたらそれはとりあえずそのままにしておく。
だいぶはしょってる気もするが気にしないで次に行こう。
本体の一番上の竹を少し反らす(胸を張るような感じで)たぶん風の抵抗とかの問題だと思うが(間違ってたら又ごめ〜んね)いい感じで反ったら上両側を紐で固定する。
さらに固定した紐に、これも重要な部分だが、ないだ(もしくは、ないばに)という薄い紙(日めくりの暦とか)を取り付ける。これは何かというと、風を受けるとビービーと鳴るんだけど、その音が大きければ大きい程、全宮古凧協会から立派な凧だというお墨付きをもらえたらしい。(もちろん定かではない)
いよいよ最後の行程は尻尾だ。下両側から紐のようなものを垂らし(20〜40センチ位)それを結んでさらにその頂点から尻尾となる つかに綱(ススキで作った綱)を取り付け、長さは適宜調整する。これで完成!(ここまでの製作期間はおよそ2〜3日位だったかな)いよいよ凧揚げだ。
もちろんの事、風力学的計算で、北北西の風毎時10,2m、湿度42%、高度22mにおける前首の おこしの角度は50.3度、尻尾の長さは宮古空港管制塔を頂点とする二等辺三角形の底辺の長さの五分の一に等しく、いーにゃーの正二郎おじーのご機嫌は概ね良好、等と計算出きる訳などないからして全ての調整は自分のカンでやることとする。
風さえあれば凧は手から離れれば勝手に飛んで行くが、大きい凧になるとだいたいは二人一組で、一人が凧糸を持ち、もう一人が凧を持って風が吹くのを待ちます。ここで日頃の信頼関係が垣間見える訳ですね。
いい風が来てもタイミングが合わないと「えげぇ〜、カンぬ にゃーん んまり(まーったく、どんくさいやっちゃなー)」「うわが じゃってぃぴかんにば さーい(お前がサッと引かないからだろ)」等と罵りあいが始まります。
ま、そんなこんなでかつぼうのニャロメ凧も無事にテイクオフしまして大空に舞い上がりました。ただ揚げてるだけではつまんないからここで一気に凧糸をゆるめてみましょう。
そうすると、正に糸が切れた凧状態になる訳で、墜落寸前で糸をピーンと張ると風を受けてグーンと上昇するんだよ。そうすると描いたニャロメが「俺を殺す気かー、コンニャロメー」と怒ったりしてね。
「ゴメン、ちょっと手元が狂っちゃってさー」と遊んでいると いーにゃーのひこぼーがやっぱり手作りの凧を持ってきて(ひこぼーの凧は正統派の凧で絵は描いてなく、凧そのもので勝負って感じ)並んで自分の凧を揚げ、しばらくは二人で楽しんでたんだけど、どっちかの凧がバランス崩してもう片方の凧糸にからまっちゃって二つの凧はぐるぐる回りながら落下して、ついには墜落してしまうんだけど、なぜか二人とも いひーがあはー(ゲラゲラ)と笑い転げていた。
楽しかった遊びの〆はなぜかやっぱりこの方の登場となる訳で・・・
「かつぼう、うすぬ ふすぅー いだし(牛の糞を(牛舎から)出せ!)」
この世で一番怖いおとうの一声であります。
「あー楽しかった、また凧作ろうっと!」
島の植物の思い出
菜の花(伊良部町仲地出身)
【アダンの風車】<タコノキ科タコノキ属の常緑小高木>
私がやらび(子供)だった頃。んつ(道)は砂利道で、アダンの葉が道の傍らに生えていた。風が吹いてくると、子どもたちは誰からともなくアダンの葉で風車を作った。選ばなくてもアダンの葉はどれも丈夫だけど、ぱーぬんぎ(葉のトゲ)にひっかからないように恐る恐る丈夫な葉を選ぶ。葉の両脇にびっしりと並んでいるんぎ(トゲ)を裂いて除き、リボンテープのようにしたものを二本作る。それをたたみ込んで十字になるようにし、中心を細い木の枝で刺したらかじまーず(風車)の出来あがり。
風に向かって走ると風車がくるくると回る。飽きるまで何度も何度も風に向けて風車を回す。それだけで満ち足りた気分になったものだ。
島には大抵風が吹いている。島のわーら(上)に浮かぶ雲は風を呑み、 風を吐き、島と呼吸をする。砂利道も道の脇に生えるアダンも消えてしまった今、島の子どもたちはアダン葉の風車を知っているだろうか。
【ヤラウ(照葉木)の実の蛍籠】<テリハボク科の常緑高木>
おとぅ(父)から聞いた話。おとぅは家が貧しかったため、進学を諦めるしかなかった。それでも勉強したいという気持ちは止められず、すぐと(仕事)を終えた夜に進学した友人から借りた教科書を書き写したそうだ。ランプを灯す油は使えないので、ヤラウ(照葉木)の実の中身をくり抜いて小さな穴を開けて虫籠を作り、それに捕まえたよーんぽ(蛍)を入れておいたそうである。ふらよーん(暗い夜)にはヤラウの実の虫籠から漏れる蛍の光で勉強したとのこと。
今の時代、星の光さえ見えないほど地上は眩しい。蛍も見ることがないまま年数が過ぎてきた。蛍と聞くと、父が語った蛍の光で勉強したという話を思い出す。
【浜辺を走るカイラバナ(ツキイゲ)】<単子葉植物イネ科ツキイゲ属>
昨年の夏、初美とトゥリバービーチに行った時に何十年振りかにカイラバナを見た。カイラバナの形はかづつ(ウニ)によく似ている。長いんぎ(トゲ)が生えていて、ほんのわずかな風でもコロコロと転がっていく。
やらびぱだ(子供の頃)はトゲに刺されながら カイラバナを採り、砂浜で転がして遊んだ。風に合わせて転がり方が速くなったり、ゆっくりとなったり、止まったりする。っそぱま(白い砂浜)を転がる カイラバナを追っかけて裸足で走り回る。ただそれだけのことなのに だいずうむっし むぬ あたーど(本当に楽しかった)。
特に陽が傾いてくる頃、入り江に潮の満ちる音が静かに響き、柔らかないんかじ(海風)にカイラバナを走らせていると、時間の経つのも忘れて遊んだものだ。
カイラバナ(ツキイゲ)には砂の移動を抑える働きが強いため防砂の役目をしてくれるらしいが、私の成長と共にある渡口の浜には今はカイラバナの姿はなく、気のせいだろうか・・・砂もめっきり減ってしまった様に思う。
【母から習ったマカヤ(茅)の真籠(まご)】<イネ科チガヤ属>
ここ数年、毎年お盆には島へ帰るようにしている。何年か前のこと。お盆も済んで母と世間話をしていたとき、「母ちゃんがいなくなったら、私は何も教えて貰えなかったと後悔するはず。だから、これは母ちゃんから習ったと自慢できるものを教えて!」とせがんだ。母は「じゃあ、まご(真籠)でも作るか?」と笑いながら返事してくれた。
その頃、母は真籠(まご)作りを楽しんでいたので、使いかけのたこ糸と、畳針のようなお手製の太い針と、指輪のようなゴムホースの切り口を貰った。母の教える通りに、指輪状になったゴムホースにマカヤ(茅)を挿し込み、形を整えながら針に通したたこ糸で編み綴じていった。少しずつマカヤ(茅)を足しては、形を整え綴じていく。これを繰り返していくだけの作業だけど、たこ糸を引き抜くには力が要る。ういび(指)が切れて痛くなった。
母は遅くまで付き合って教えてくれたが、あとは私一人で仕上げることにして休んで貰った。母の寝息を聴きながら作業を続け、ゆなは(深夜)過ぎに いみーみぬ まご(小さな真籠)が完成した時は まーんてぃ ぷからす むぬど あたー(とても嬉しかった)。
すとむてぃ(朝)になり早速母に見せたら「初めてにしては上出来」と褒めて貰えた。針とゴムホースの切り口と小さな真籠はその年の あたらす つと(大切なお土産)になった。
川崎の自宅に戻ってもしばらくはマカヤ(茅)を探して歩いた。線路沿いや道路の中央分離帯でマカヤ(茅)を見つけた時は宝物を見つけたように小躍りした。マカヤ(茅)を採取して干し、母に習ったように作る真籠は、ひとつ、またひとつと増えていき、大きさも形も少しずつ変えて作れるまでになった。
あれから何年か経ったけど、母に習った小さな真籠は壊れもせず、小物入れとして今も大事に使っている。最近はマカヤ(茅)があった中央分離帯にはつつじの木が植えられ、マカヤ(茅)はさっぱり生えてこない。いつしか、私の趣味も真籠作りから違うものへと変わっていった。
母ちゃんから習った真籠の作り方を忘れないように、またマカヤ(茅)を探して作ってみようかな・・・。
なーふぃーよーす゜(命名祝い)
さどやませいこ(城辺・新城出身)
子どもが生まれて十日目になると、めでたく なーふぃーよーす゜が行われます。それは、太陽が東の空にアカアカとある午前中に行われ、両親や祖父母、身内の者たちが立ち合います。
まず、ふず うるす(くじ降ろし)をします。両親やその親たちが集まって、各自望ましい名を紙に書いてお盆にのせ10回ほど振り落とします。一番多く落ちた名を晴れてその子の名前にするわけです。
それから、男親のおばあ(祖母)が太陽に向かって赤ちゃんに産湯をつかわします。そのとき、おばあは自分の髪に挿している ぎぃーぱ(かんざし)をたらいの中に入れていたということです(魔よけの意味があったかも知れません)。
赤子がさっぱりしたところで、ぴさにぃがぎぃな(オヒシバ、チカラグサともいう。<イネ科オヒシバ属>)と ぴぃら(へら)をのせた むいぞーき(竹で編んだ容器)を、木うすの上に置きます。
おばあは赤子を抱いてその周りを3回「がんずぅーやしうとぃ、あぐがぱな どぅすがぱなん なりよー」(元気にして、友だちの中でも輝くような子でありますように)と、祈りながら回ります。そして、付けられた名前を呼びながら、両親の手元に返します。
これが、昔の命名祝いの儀式です。なぜ、ぴさにぃがぎぃなかと言いますと、この植物は道ばたや、荒れ地などでよく見かけるいね科の植物で、細いひげのような根がたくさん伸びることから、なかなか引き抜くことのできない 厄介な ふさ(草)なのです。おそらく地面に根を張り丈夫なことから、子どもの健康に例えたのでしょう。
昔の人たちは、身近な植物や生き物にいろんなことを教えられ、また生活に取り入れてきました。今のように、物質的に恵まれていなかったからこそ、自ら作り出した豊かな営みがありました。時々振り返って、思い出してみたいものです。
小学生のころは、じゅずだまで首飾りを作ったり、海辺にあるつる草を冠にして花嫁さんごっこをしたり、ほうせんかの花びらをもんで爪に塗ったり・・・、昔は確かに女の子だったんですね。
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
くま・かまは2011年から始まっていますが、元旦からスタートというのは、2004年、2007年、2009年に続いて4回目となりました。あたりガフ(ぴったり)というのは、ぽからすむぬやー(うれしいものですね)。めでたい年になるといいなーと思っています。災害のない、穏やかな年になるといいですね。
今年は、1月31日に伊良部大橋の開通、それから宮古島市市制10周年。行事もいろいろありそうです。宮古の子どもたちの未来につなぐ、節目の年になる気がしますね。
さて、正月号の特集は、のーしが やたー がらやー?
宮古に再び住むようになって、植物のあれこれを見ると、やらびぱだ(子どもの頃)たくさんの植物で遊んでいたのを思いだします。改めて宮古の人たちと植物の関わりに目を向けてみたいと思い、今回の特集を企画しました。
編集しながら懐かしく思い出したり、知らないこともあってへぇーと思ったり、植物の凄さと昔の人たちの知恵や工夫にすごいなーと思ったりしました。ただ懐かしいだけでなく、これから先の未来にも役に立つこと楽しみになることもあるのではと思いました。
宮国勉さんの植物で作る、道具の数々。さすがに詳しいですね。特にアダンは、いろいろなものに活用されていたことがよく分かりました。むっすぅ(ゴザ)もアダンで作っていたとは。昔の生活の様子も伝わってきましたね。
おもちゃがなかったから、自然で遊ぶしかなかったというのもありますが、それにしても、だいばん(大きな)植物から、いみいちゃぬ(小さい)草までよく遊んだなーと思いますね。今、その木々や草花が だいず、かなすーかなす(とても愛おしい)。
naichar-shimaの凧揚げの話はちょうどお正月でもあり(偶然にも今回と同じく1月1日発行)また、植物で遊び道具を作るという特集にもぴったりということでお届けしました。凧作りは、びきやらび(男の子)達の定番でしたよね。独特の宮古凧、受け継がれていってほしいですね。
菜の花は手先がとても器用なので、まご作りも上手。カイラバナは知らなかったので、あの日、懐かしい!の言葉にはびっくり。(笑)お父さんの やらうの実に蛍を入れて勉強・・・すごいですね。島の植物は、たくさんの思い出とともにありますね。
せいこさんの「なーふぃーよーす゜(命名祝い)」の儀式の話、昔の風習が細かに分かりました。「ぴさにぃがぎぃな」や ぴら(ヘラ)が使われるとは、知りませんでした。人と自然がすごく近く、力強いものを感じました。
宮古の植物はまだまだあり、風習にまつわる植物や遊び、生活道具など紹介しきれていないものがたくさんあります。また機会を見て特集を組みたいと思いますので、「こんなものもあるよー」というのも投稿して頂けたらとうれしいです。
今回の感想もぜひ、お寄せくださいね。
掲示板での書き込みもお待ちしています。お気軽にどうぞ〜。
今号も、しまいがみの お付き合い すでぃがふー!
今年もどうぞよろしくお願いします。
次号は1月15日(木)発行予定です。どうぞ、お楽しみに!
あまいと ばらい(笑顔と笑い)の多い一年でありますように!あつかー、またや〜。