くまから・かまから vol. 349

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 こんにちは〜。 10月になりましたね〜。
 きょう宮古島市は市制施行10周年を迎えました。 合併から10年が経つんですね。 ぴゃーむぬやー(早いですね)
 記念して宮古島市の歌も再掲載です。 お楽しみくださいね〜。

運動会とサシバ

與那覇 淳(平良・鏡原出身)

 私の記憶の中で運動会の ばんず(時季)は寒露の頃と重なる。寒露といえば渡り鳥のサシバが島に飛来する季節。日が傾き涼しくなる夕刻、誰とはなしに空を指差し「タカ、タカ」と叫ぶ。空には数えきれないほどのタカ(サシバ)が舞う。懐かしい光景がよみがえる。
 
 学校の運動会で思い出すのは、空いっぱいに舞うサシバと、もう一つは運動靴のこと。私が小学生の頃、ふだんは学校でもサバ(ゴム草履)を履いていた。運動会の ばんずになると神戸に住んでいる父方の叔父が運動靴を送ってくれた。真新しい運動靴を履いて、まつかにぬ(待ちに待った)運動会に臨むもののすぐに靴ぱぎ(靴づれ)ができて、はだしになった。
 
 当時はほとんどの子がどうも靴下を履いてなかったようだ。その上、履きなれない靴ということもあってすぐに靴ぱぎになってしまう。その靴が運動会の後どうなったかはほとんど記憶がない。叔父にしてみれば失礼な話だ。
 
 学校の運動会より色濃く記憶しているのは、しーにん(青年)の運動会だ。いまの学区陸上競技大会のこと。娯楽の いきゃらかー(少なかった)当時は他の学区からも見物に来るほど、会場となった小学校の運動場は大変な賑わいをみせた。
 
 出店も立ち並び、まるでお祭りのよう。日頃は小遣いなどもらえない家庭でもこの日ばかりは親の財布の紐が緩み、小銭を握りしめた子どもたちが出店を囲んだ。出店にはピストルのおもちゃ、アイスボンボンなど子どもの目を引く品々が並べられ、少年少女の嬉々とした表情が賑わいに拍車をかけた。
 
 競技そっちのけの子どもたちでも陸上の華ともいえる「イチマン(10K走)」には関心を示した。どこからともなく聞こえてくる「ラクゴ(落伍)」という言葉に、子どもの頃の私はこの競技に異様な過酷さを感じた。トップでゴールした選手はまさに英雄扱いで、子どもたちの間でも注目を集めていた。
 
 母方の伯父たちは運動会見物の帰りに小学校のすぐ近くの我が家へ寄り、つとぅ(土産)には捕獲されたサシバを持ってきてくれた。サシバの鋭い爪を切り取ると足に紐を結わえ、紐の先に下駄をぶら下げて飛ばして遊んだ。数日遊んだ末にサシバは タカジューシー(サシバの混ぜご飯)にされ、かっこうの蛋白源となった。季節の変わり目のこの頃の風邪は「たかのぱなぴす」と呼ばれ、タカジューシーを食べると治るといわれた。
 
 「サシバを見たか」。今年の初観察が巷で話題になる。秋の風物詩であるサシバの飛来は、今でも胸の高鳴りを伴い過ぎし日の記憶を呼び起こしてくれる。

◇あの話をもう一度

作詞:砂川健次(平良・東仲出身)

「宮古島市の歌 〜黎明の空に〜」vol.136 2006/1116

宮古島市の歌 〜黎明の空に〜

一、群青の波間 ひときわの光
  
   島建ての神の 降り立つところ
  
   みどりを縁取る 潮の花白く
  
   天女の来たりて 水に遊ぶ
  
   ああこれがあなたの美しきまち
  
   これが私の宮古島市
  
  
 二、白銀の甘蔗(かんしょ) 降り注ぐ真太陽(まてぃだ)
  
   黒土に根ざす 結(ゆい)の心
  
   湧きいずる泉 豊穣の印
  
   撓(たわ)まぬ魂 子への宝
  
   ああこれがあなたの豊かなるまち
  
   これが私の宮古島市
  
  
 三、選ばれしものよ 博愛の民よ
  
   導く若鷹 平和の使者
  
   手を取り飛び立て 愛しきものたち
  
   黎明の空に 赤星見ゆ
  
   ああこれがあなたの希望のまち
  
   これが私の宮古島市
  
  
 (方言版)
  
 一、藍染みぬ海ぬ   まさり色変り
  (あいずみぬ いんぬ まさりいるがあり)
  
  島建ぬ大神ぬ  定みとぅくる
  (すまだてぃぬ しゅうぬ さだみとぅくる)
  
  島つつむ浜や  潮ぬ花白み
  (すまつつむ はまや すぅぬぱなっすぅみ)
  
  天女降りてぃ  若水浴み
  (てぃんぬかん うりてぃ すでぃみずあみ)
  
  
 二、甘蔗ぬ花咲き   真太陽あ照りゃがり
  (ぶーき゜ぬ ぱなさき まてぃだあ てぃりゃがり)
  
  黒土ん生いや    結いぬ心
  (っふんたん ぱいや ゆいぬ くくる)
  
  湧き出でぃ水や ゆがふ世ぬしるし
  (ばきいでぃみずや ゆがふゆーぬ しるし)
  
  わいてぃぬ肝や  子ぬ宝
  (わいてぃぬ き゜むや っふぁぬたから)
  
  
 三、きたてぃ者達あや 情深者達
  (きたてぃむぬたあや なさきぶかむぬたー)
  
  供す若鷹や 泰平見当てぃ
  (とぅむす わかたかや たいへいみあてぃ)
  
  手ゆ取い飛ばや  愛す島人達
  (てぃゆといとぅばや かなすすまぴとぅたー)
  
  黎明 天ぬ頂    赤星見事
  (しゃーか てぃんぬぱな あかぶすみぐぅとぅ)

(解説)
 
 作詞する際、琉歌の韻律(8.8.8.6)を意識しました。琉歌の韻律は以前から知っていて、その奥深さに興味がありました。ただ宮古には琉歌の文化がないので、宮古方言の琉歌も面白いかもと思っていました。
 
 歌のイメージは「宇宙の中の宮古島の存在」です。天地創造から始まった地球の神話はこの島にもしっかりと受け継がれていて、奇跡的に数千年もの間人々が生を営んできた・・・。
 
 天の大神が選んだ場所に宮古島がある。そこは緑に包まれ白い波が花のように打ち寄せる美しい島。そこに生まれ育った私たちは、このかけがえのない聖域に食物を植え、助け合って生きていこう。我々の豊かさは「不撓」(ふとう)の精神に支えられている。その心を子ども達に伝えたい。
 
 世界で頻発する紛争と殺戮。しかし我々の先祖は見知らぬ漂流者をけなげに介抱し、本国に送り届けた。その精神を持って人類の平和に貢献しよう。朝焼けの頭上には(我々の行く手には)航海安全の神「響む赤星」が輝いている。
 
 詩の原型は3日で完成しましたが、言葉を慎重に選んで1ヶ月掛けて完成させました。最後に選んだ言葉は「撓まぬ」です。あららがまを日本語で表現するにはどの言葉がいいかを考え「音のやわらかさ」から「撓まぬ」にしました。「へこたれない精神」と解釈してもらえばいいと思います。
 
 最後の「赤星」は狩俣の「ウヤガン」の中で歌われるニーリ(神歌)にでてくる神様。明星・金星のことです。

宮古島の恵み

R(平良・西里出身)

 今年の6月に琉球新報に「マンゴー共和国」宣言、宮古島、観光振興へPR」の記事が掲載された。「さー、今年も宮古島のマンゴーの季節が来るぞー」と一人ほくそ笑む私。なんだか宮古島の「マンゴー」はその話題だけで私を元気にしてくれる。
  
 生前、父は、実家の庭で育てたマンゴーを送ってくれた。収穫時期の朝一番の仕事である枝から落ちた実がないかの見回り、サイズわけ、拭いて並べる作業など、一部であっても ぴっちゃ(少し)手伝った思い出が実家の風景とともに蘇る。
 
 宮古島でのマンゴー栽培が始まったのは、ネット検索によると40年程前のようだが、父がマンゴー栽培を始めた25年前には、まだ、宮古島でメジャーな果物ではなかった。それが今では、沖縄県内のお中元の目玉商品の一つに挙げられる位置を確立した。父も空の わーび(上)で、このマンゴー人気を、さぞ、喜んでいることだろう。
 
 平良では農業を営んでいた両親ではなかったが、生まれ郷の下地に戻った時に農家に生まれ育った経験からか、庭でマンゴーを作りつつ、人参、芋、ピーマン、オクラ、豆など、いろいろな野菜を育てていた。
 
 また、ご近所さんからのおすそ分けも やまかさ(たくさん)あり、夏野菜の すぅ(冬瓜)は、夫婦二人では本当に冬までかかっても食べきれないんじゃないかという数がストックされていたし、冬野菜の うぷに(大根)は、干したり漬物にしたりと加工され、保存された。(母の作る大根の漬物の美味しかったこと。)
 
 実家に帰省の度に、そんなこんなの野菜をダンボール箱いっぱいに詰め、持ち帰ったものだ。
 
 宮古島で生活していると生産者の方がわかる野菜を食することができる生活を実現できる気がする。宮古島の下地では当たり前のことかもしれないが、実は、これってすごい事だと思う。
 
 3年程前、主食を白米から玄米に切り替えた時に無農薬で作っているお米農家をネットで探していたら「安全な農産物作り」を目指して農業を行っている熊本県の「自然派きくち村」のサイトに行き着いた。そして、そこに農産物を提供している生産者の見学ツアーがあったので参加した。
 
 無農薬で育つお米の田んぼ、雑草の中で育つ野菜、フィールドを走り回る豚、国内産飼料だけで飼育された牛、駆け回る鶏、などなど、途中、廃校となった学校でのランチを挟みながら自分の目で生産地を確認できる楽しい見学会だった。九州で環境保全型農業を営む方々も参加していたので、その現状の話も聞けてとても有意義な時間が過ごせた。
 
 ツアーの締めくくりは、生産者の皆さんとの懇親会。その場には「自然派きくち村」生産者の皆さんが提供した食材を使った んまーんまの(美味しい)料理や飲み物が並べられた。
 
 琉球石灰岩で成り立つ宮古島。太陽の恵み、海の恵み、多くの自然の恵みが降り注ぐ宮古島。そこに多くの人が集まる。そんな人たちに是非、宮古島の自然の中で育った野菜を食べてもらいたい。きっと元気を貰えるに違いない。
 
 農家に転身した同級生のMの言葉が印象に残っている。「朝、ゴーラに水やりした帰りに見る朝日がとっても綺麗だわけさー。」
  
 平良で育った同級生のM。農業経験なしの彼女が、旦那さんの「ゴーラを育てたい」との思いで農家へ転身した。夏の刺すような日差しの中でも作業しないといけない、せっかく育てても台風が来たらおしまい、苦労が耐えない農家事情。
 
 そんな中でも「てぃだ(太陽)が今日も昇って来てくれたことに素直に感謝する」彼女の気持ちが伝わってきた。その時、私の目にも宮古島の朝焼けが浮かんでいた。

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

 台風21号、宮古は風だけの台風でした。塩害が しわ(心配)です。与那国の81.1メートルには、びっくりでしたね。近年にはなかった大きさですね。お見舞い申し上げます。早く復旧できますように。
 
 19日、沖縄県立博物館・美術館において「危機的な状況にある言語・方言サミット大会(沖縄大会)」(文化庁主催)、20日、浦添てだこホールにて「第3回しまくとぅば県民大会」(沖縄県主催)「第21回しまくとぅば語やびら大会」(沖縄県文化協会主催)が行われ行ってきました。宮古からは、多良間出身の渡久山春英さん、下地出身の長間三夫さん、フランス出身のセリックケナンさんが登壇し、あずーあずの(味わい深い)みゃーくふつを披露しました。
 
 昨日は、宮古島市制施行10周年記念事業のひとつ、「宮古ふるさとまつり」が宮古島市中央公民館で行われ、関東や関西、九州、八重山の郷友会のみなさんと地元宮古の人たちで10周年の よーず(お祝い)をしながら、親睦を図りました。獅子舞や棒振り、与那覇のヨンシー、池間広寿さんの民謡、セリックケナンさんの方言による民話「酒田川」下地暁さんのコンサート、お楽しみ抽選会などで盛り上がりました。私は司会で参加しましたが、郷友会のみなさんの懐かしい顔がたくさん見られて、ぽからすむぬやたん。(うれしかったです)。きょうは、式典や祝賀会が予定されていますね。お祝いムードはまだまだ続きます。
 
 さて、今回の くま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
 
 淳さんの運動会の ぱなす(話)懐かしいですね〜。やらびぱだ(子どもの頃)にタイムスリップした方多いのでは?サシバ(鷹)の飛来ももうすぐですね。くつぱぎしたことも痛みをともなって思い出しました。
 
 健次さんの「宮古島市の歌」は、本当に素晴らしいですね。琉歌の音律がとても心地よく、方言バージョンも心に沁みます。市制施行10周年。いつがみまい(いつまでも)この歌のような宮古でありますようにと思います。
 
 宮古のマンゴーは本当に んまーんま(美味しい)ですよね。私もマンゴーの季節は、うきうきです。(笑)宮古島産ゴーラも内地でも人気のようですよね。Mさんのような方たちがいて「宮古島の恵み」はもっと広がっていきそうですね。
 
 貴方は、どんな感想を持ちましたか?ぜひ、感想をお寄せくださいね。
 掲示板 http://6005.teacup.com/kumakama/bbs での感想もお待ちしています。どうぞ、よろしくお願いします。
 
 きゅうまい、しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
 (今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました!)
 
 次号は10月15日(木)発行予定です。
 がんづぅかり うらあちよー(お元気でお過ごしくださいねー)
 あつかー、またやー!