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くまから・かまから vol. 357

2024 7/15
メールマガジン
2016年2月4日2024年7月15日

こんにちは〜。んにゃ、あっという間に2月ですね。
きょうは立春ですが、宮古もまだまだ、ぴしーぴしです。
くま・かまで、どうぞ、ぬふーぬふに(暖かく)なってくださいね〜。vol.357お届けです!

目次

ご一緒に『んきゃーんじゅく』(9)

さどやませいこ(城辺・新城出身)

 〜さるの生き胆〜

今年の干支は丙申(ひのえさる)。方角にして西南西にあたり、言葉の「去る」で言えば「悪いことが去る」「病が去る」など回復の兆しを表しているようだ。また、申は「呻」(うめく)の意味で、果実が成熟して固まっていく状態も表しているとか。なかなか悪くない。いずれにしても、良い年になることを願うばかりだ。

みゃーく(宮古)の んきゃーんばなす(昔話)にもサルが登場する。動物園もない宮古島でサルを見かけることはなくなったが、私が北小学校に通っていた頃(50年前の話)、学校の帰り道、サルを飼っている家があり、よくからかいに行った。また、市の亜熱帯植物園には一時期サルを飼っていて、休みの日は子どもたちが小屋の前で屯していたのを思い出す。

んきゃーんどぅ(昔ね)。あるとき竜宮のお姫さまが病気を患いました。原因が分からず、海の生き物たちは心配してみんな集まりました。どうすれば、姫の病気を治すことが出来るのか考えました。その中で物知りの魚が「陸に住むサルの生き胆をあげると治るよ」と言ったものだから、どうしたら、サルをここへ連れてくることができるか、またみんなで考えました。

するとカメが「ぼくなら、陸でも生きられるしサルを連れてくることができると思うよ」と言いました。みんなはカメの勇気に感心して「それではぜひ、カメをここへ連れてきて」とお願いしました。カメはさっそく旅支度をして、陸に向かいました。

カメが陸に上がって行くと多くのサルたちが柿の木に登り、遊んでいました。よく見ると、強そうなサルは熟した実を食べているのに、弱そうなサルはまだ熟しない青い実を食べているのです。そこで、カメは「おーい、サルたち向こうに見えるパナリには柿の木がたくさんあって、実もたくさん生っているぞー」と誘いました。

それを聞いた弱いサルたちは我も我もと騒ぎ出しました。カメは「一度には無理なので、まず独りだけ行ってみよう」とボスザルを背中に乗せて海に入って行きました。

途中まで来るとサルが「カメさん、小便がしたくなった。その辺の岩に降ろしてくれないか」と頼みました。カメは仕方なくサルを近くの岩に降ろし、側で待っていました。そこへタコとカニが現れ、「サルさん、カメに騙されるなよ、あんたをパナリに連れて行くのは竜宮の姫さんが病気で、君の生き胆が効くからと連れて来られたのさ」と言いました。

「あば、あんちぃなぁ(おー、そうなんだ)!」サルは驚きましたが、知恵を働かせ、「あがんにぁ、カメさん、それならそうと言ってくれたらいいのに。そうとは知らず、生き胆を木の上に忘れて来てしまったさー」。カメは生き胆が体の中にあるとは知らず、「ダイズ、取りに戻ろう」と慌ててサルを背中に乗せ、元来た浜に連れ戻しました。

浜に飛び降りたサルは、「いぴっちゃ(少し)待ちうりよー(待っててね)」と言って、仲間をたくさん呼び集めて来ました。「騙されてたまるかー」とカメに石や生ガキを投げつけました。「あが!あが!」カメは甲羅に傷をいっぱいつけて泣き泣き帰りました。

竜宮に着くとお姫さまの病気は随分と良くなっていました。カメが訳を話すと「それは、大変だったね、作戦は失敗したが、あなたは良くやった」と言って褒美に万年の寿命を授けました。一方、告げ口をしたタコには「よこしまなやつだから、こうしよう」と言って体中の骨を全部抜いてしまいました。また、カニにも罰を与え、それまで前歩きだった歩行を横歩きにしたということです。(話者/瑞慶山春諧=城辺字長間)

◇あの話をもう一度

宮国勉(城辺・西城出身)

「とーうわ(台所)」vol.109 2005/10/6

昔(コラ台風以前)の我が家は敷地の中央に主屋、その左脇にコンクリート製の水タンクが在った。正面と裏側の両方に蛇口が一つ付いて、正面は馬小屋、裏側は とーうわ(台所)用になっていた。機能性からも「とーうわ」の配置が決まっていたかと思う。

その水タンクの上は鶏などが悪さをしないので、大根や野菜の種などが干してあった。また、まな板とパパイヤの種を掻き出すのに使う、小さい穴があいた鮑の殻が美しい七色を輝かせていつもタンクの端の方に乗っていた。

「とーうわ」は うずぅんばらやー(掘っ立て小屋)で2間×2間半であったと思う。屋根は茅葺きで、カマドとカマドの周りは石積、他の壁はススキを束ねて組んである簡素な建物だった。

「とーうわ」の一角には枯れた木の葉や枝などをストックする薪置き場があり、火の始末には注意が必要であった。勿論出入り口の扉などなく、冬は火が燃えるまで寒さを堪えるのみである。夏は意外と風が通り抜けて過ごしやすい処だった。だが梅雨の季節や台風の時期は大事なマッチが湿気てしまい大変な思いをすることもあった。

どんな木も薪にしたが、木によって燃え方に特徴があり、優しく燃える木、音を立てて激しく燃える木など様々で、料理の善し悪しに大きく関わっていたと思う。大半は松で、松葉は燃やすと炎が見えるまで きゅーすかーば(煙いので)大変であった。つっつぁぎー(ヤブニッケイ)などは油分が多くパチパチと音をたてて良く燃えた。煮物が炊き終わると燃え残った薪は からぱすぃ(灰)の中に差し込んで明日に備えるのである。

薪集めの手段で「がぎ」と呼んだ熊手に替わる道具を作り、松の落葉を掻き集めたことも想い出す。たまには、まつぎーのみん(まつたけ:本土のものとは異なる)を見つけて焼いて食べたこともあった。

「とーうわ」の中に入ると壁も土間も屋根も全てがススで黒光りしており、鍋までもが真っ黒である。そこにはランプもなく、火を焚かないと月夜でなければ人の気配さえも分からない。また、そのすすけた鍋の黒いススが やまだちゃ(腹下し)のときは良薬になった。お粥に鍋のススを削って混ぜるだけであるが、ぴしゃっりと止まった。

「とーうわ」には搗き臼が鎮座していた。臼は普段 さりいゆ(にぼし)を搗いて細かくするのに多く使われ、それは味噌汁のだしとなり、かつお節のだしは高級であった。臼と杵は、農耕に従事する人が多い日本では、古くから重要な生活道具として用いられてきたそうだ。臼・杵は「くびれ臼(胴部周りがくびれたもの)」と「竪杵(棒状で中央を細く前後を太く作ったもの)」の形式が古いらしい。江戸時代中期頃からくびれのない丸胴臼と柄の付いた杵が発生し、次第にこの「丸胴臼」「柄付き杵」が主流になったようである。

当時の親は畑仕事をして飯を炊く時間帯が子供の事に気が回る時で、母が子供の躾をする場所の大半はその「とーうわ」で、腹の空いている時間帯である。やーす〜、やーす(極度に腹が空いて)して食欲が増しているときにきまって問題は起きるのである。時には怒られて熱いのか、火が熱いのか分からないぐらい叱られるが、母の みんたま(めだま)が直接見えないので、堪えられたような時が度々で、母の指導は特に痛烈であった。

「とーうわ」は話し辛いことが何となく安易に云えられる場所でもあった。学校の成績や将来についての話し、人生訓などあらゆる話の場であった。家計の現状についても「とーうわ」で聴かされるのだが、母の生い立ちや子供の頃の境遇などには なだ(涙)が落ちて、煙と暗さが丁度ぐあいが良かった。

心まで温めてくれる炎の魔法が「とーうわ」では素直な気持ちで話せるのだろう。苛立ちや焦りも火がもつ神聖さ、清浄さを感じてか身も心も暖まり優しさに変わる気がした。薪が赤く燃えてゆらゆら揺れる炎には人を素直にさせる魔力があるようだ。

人は昔から火を利用して暮らし、生活の中で使われてきた火には灯り・採暖・炊事という主な役割がある。山から うっつゃ(ミフウズラ)、んーばとぅ(キジバト)、がいちん(セッカ)等を捕まえてきて焼いて食べるのもそこである。腹が空いていても芋を火に放り込んで、少し生煮えでも食べたとか、トウモロコシは茹でるより焼いて食べるべし、などと遠い40年昔を想い出している。

すてきな すざがま(兄小)

根間(幸地)郁乃(平良・久貝出身)

昨年、用事で宮古に帰ってきていた六つ すじゃ(年上)の先輩に会いました。だいぶ前に友人の紹介で知り合ったヨナフィさんです。風の便りではバンドを組んで東京で活動しているということでしたが、何しろ会うのは十数年ぶり。いまどんな音楽をやっているのかもあまり分かりませんでした。

「新しいアルバム、どんな感じか聴いてみる?」と言われてイヤホンを耳にしました。そして、久々に、わあ!と声を上げたくなるほど胸が高鳴ったのです。

その音は、いろんなことを私に思い出させてくれました。小学生の頃、いつふ(従姉)のねーねーたちからカセットテープに録音してもらった’70年代のニューミュージックや、東京の大学に入ってから浴びるように聴いた’60年代の洋楽ポップス、ロック・・・。様々な曲調の、ひねりの効いた歌が心地よく、走馬灯のように記憶が回り始めました。

ヨナフィさんは1963(昭和38)年、ぴさら(平良)の生まれで、本名を与那覇聡さんといいます。本格的に音楽を始めたのは中学2年の頃、アコースティックギターを手に入れてから。山下達郎さんたちが結成したシュガー・ベイブなどのコピーをしたりしていました。高校時代のバンドでは沖縄代表として西日本大会に出場。ゲストで出演した佐野元春さんのステージを間近で見たことが印象に残っているそうです。

高校時代まではNHK(その当時はまだ宮古で民放がなかった)の番組で流れる良質な音楽に触れたことが基礎となり、沖縄本島での大学時代にはジャズのビッグバンドなどにも参加して幅を広げ、社会人として上京してからもメンバーを募って音楽を続けました。初めて私が会った頃には2人組のポップユニット、ホモサピエンス・サピエンスで音と映像を組み合わせたユニークな作品を作ったりしていました。

現在のバンド、「大なり><小なり」が誕生したのは2008年のこと。それぞれに東京で音楽活動をしていた宙GGPキハラさん、えみコバーンさん、山口彩子さんとの4人編成となり、ヨナフィさんはリーダーを務めています。2015年秋には結成7年目にして初めてのフルアルバム『フレット』(プロデュース:安部OHJI)を発表しました。

発売直後、ミュージック・マガジンという音楽雑誌にインタビューが載ったと聞いて、私は島の本屋に走りました。その記事で、なんともいい話を知りました。

ヨナフィさんは憧れのあの日本ポップス界の伝説のバンド、シュガー・ベイブのオリジナルメンバー村松邦男さんと、イベントで同席する機会があったそうです。自分のバンドの演奏後、緊張してなかなか話しかけられずにいると、村松さんのほうから向かいの席に座り、「ヨナフィ、今までどこに隠れてたの? おもしろい曲書くね〜」と声をかけてくださったのだそうです!

そして村松さんは『フレット』にゲストギタリストとして参加、アルバム発売ツアーでも同じステージに。今月には、なんとヨナフィさんとの即席ユニットとしてライブが予定されています。40年近く前に大好きだったミュージシャンとペアを組むのですよ! ま〜〜んてぃ、ずみ(ほんとうに、すごい)エピソード!

ヨナフィさんの若々しいハイトーンなボーカルを聴いていると、私もなんだか、いず(元気)が出てきます。好きなことを続けるって素晴らしいです。この楽しさを地元の方たちにも、もっとお伝えしたい!近いうちに宮古でも大なり><小なりのライブができたらいいなあ、なんて考えたりします。

そういえば久松出身のシンガーソングライター下地イサム(勇)さんも、宮古の人たちでじわじわと盛り上がりを見せ、やがて全国区になりました。くまから・かまからもサポーターでしたね。

こんどは、ちょっぴりシャイで遅咲きの、すてきなメロディーを生み出すヨナフィ兄小(すざがま)を、んーなしー(みんなで)応援しーふぃーさまち(してくださいね)!

おしらせ

かい(伊良部・佐和田出身)

■「宮古の先達・5人の学識者たちの業績・知的遺産とその継承」シンポジウム開催

「宮古の自然と文化を考える会」では、「宮古の先達・5人の学識者たちの業績・知的遺産とその継承」シンポジウムを行います。興味のある方、ぜひ、ご参加ください。お待ちしてます。

日 時2016年2月20日(土) 午後1時〜午後5時
場 所宮古島市立「働く女性の家」(大ホール)
宮古の先達・学識者5人1.慶世村恒任・・・・・・・・・郷土史家
2.稲村(旧姓上運転)賢敷・・・歴史家
3.金井喜久子・・・・・・・・・作曲家
4.砂川正亮・・・・・・・・・・医師
5.工藤(旧姓豊見山)恵栄・・・理学博士
パネリスト仲宗根將二氏
福本 恵子氏
伊志嶺 亮氏
新城 悦子氏
沢祇 英正氏

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

相変わらず、あみちゃーん(雨ばかり)降っている宮古です。今年の冬は、ぴんなぎ(変な)感じがしますね。この間は、沖縄本島でもみぞれが降りました。宮古にも雪が降るかも!?とうわさになりましたが、降りませんでしたね。寒さで魚が浮いているのがニュースになりました。

31日は、伊良部大橋がかかってちょうど一年。それを記念して「宮古島伊良部大橋ウォーク」が開催されました。久しぶりに晴れ間ものぞいて、1300人が橋の上のウォーキングを楽しんだということですよ。

同じく31日「すまふつボランティア養成講座」(主催:沖縄県・沖縄県文化協会 共催:宮古島市教育委員会 主管:宮古島市文化協会)の講師を務めました。最初はできるかどうか だいずプレッシャーでしたが、無事に終えることができました。参加者のみなさん(70名ほど)に楽しかったと言ってもらい、うむやすむぬ(ホッとしました)。また、私自身も知らない方言を教えてもらったりと大変勉強になりました。介護施設に勤めている方からは、資料で練習をして施設のみなさんに話してあげたいという話もありうれしく思いました。皆さん、たんでぃがーたんでぃ。

さて、今回の くま・かまぁ のーしが やたーがらやー?

せいこさんのお話は、申年にちなんで、サルのお話でした。そういえば宮古の植物園にサルがいましたね〜。懐かしく思い出しました。動物の生態の理由、妙に納得しますね。そしてその謂れがなんともユニーク。昔の人は想像力豊かだなーと思いますね。

「あの話をもう一度」は宮国勉さんでした。んきゃーん(昔)の とーうわ(台所)の様子が、丁寧に描かれていましたね。「鮑の殻が美しい七色を輝かせて・・・」の描写は絵が浮かぶようです。炎の魔力、ありますよねー。宮国さんの話を読むとつくづく記憶は宝物だと思います。

郁乃さんの「すてきな すざがま(兄小)」のヨナフィさん(「與那武岳金兄小(ゆなんだきかにすざがま)」をもじっているそう。なーる!)の歌、聞いてみたいですね!以前から知っている人の夢が叶うことは、どぅごと(自分ごと)のように、うれしいものですね。郁乃さんの気持ちが伝わってきました。CDは、宮古島市立平良図書館北分館でも貸出しているそうです〜。

「宮古の自然と文化を考える会」は、拠点が沖縄本島にあり、これまでもさまざまな催しものをされていますが、今回は宮古でシンポジウムですね。一同に5人についてのお話を聞く機会はなかなかないと思います。この機会にぜひ!

貴方の感想もお寄せくださいね。
掲示板での感想もお待ちしています〜。

きゅうまい、しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(きょうも 終わりまで お読みくださり ありがとうございました!)

次号は2月18日(木)発行予定です。
きゅうまい かぎぴかず(きょうも佳き日)でありますように! あつかー、またや〜。

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