こんにちは〜。
なびがーす(クマゼミ)が鳴き出した宮古です。 梅雨明け間近かな!?
今回もいろいろな話をお届けします。お楽しみくださいね〜。
がーずー ぼーちら んまり
Motoca(平良・下里出身)
「ぼーちら(やんちゃ)」そして「がーずー(頑固)」。やらびぱだ(子どもの頃)に、何度となく周りの大人に言われてきた言葉。
ばが っふぁまい、なかなかの がーずー ぼーちら んまり(うちの子も、なかなか頑固でやんちゃもの)である。抱っこされたいときは腕を出すし、怒ったときは眉間にしわを寄せて喃語で抗議をするので、意思表示はけっこうはっきりした子だな〜とは思っていたが、日に日にその自己主張に磨きがかかってきている気がする。いや、間違いなくこの子は我が強い。
まだ歩かないが、つかまり立ちにずいぶん余裕が出てきた彼女は、そのまま背伸びをして手を伸ばし、ベビーゲートの向こうに置いてあるいろんなものをつかもうとする。最近のターゲットは、私のスマホだ。気を抜くといつの間にかちゃっかり両手で抱えていて、うっとりとした顔で なんみて(なめて)いる。そしてスマホとケースの間には、よだれがしっとりと注入されているのである。
ならん!(ダメ!)壊れるさいが!慌ててその手から取り上げようとすると、口をとんがらして、わいーと(しっかりと)握って離してくれない。他のおもちゃと交代を申し出てみるが、そのおもちゃを受け取ってもなおスマホを握る手は緩めない。ムリに取り上げようとすると、顔をくしゃくしゃにして、涙を流して泣く。隠そうと立ち上がると私の脚にしがみついてよじ登ろうとする。あぁ、0歳児ってこんなに執念深いのか・・・?!
ある日とうとう、私のスマホの画面は真っ暗なままうんともすんともいわなくなった。よだれ、うとぅるすむぬ(恐るべし)。スマホを新しいのに変えてバックアップを読み込んだものの、日々成長する赤子を撮りためた直近2ヶ月分の写真はなくなってしまった。あがい〜、うう゛ぁー すぐ!(ええい、あんたはもう!)。誰の遺伝かよ、まず! あ、私か。
でもやっぱり、かなすー ばがっふぁがま(かわいい我が子)。音楽を流したり私が歌ったりすると、ニコニコしながら手をたたいたり首をタテに振ったり腰を左右にひねって ぶどぅりー(踊って)みせてくれる。あまいー(笑って)いるときは、左右に3本ずつ、猫ヒゲのようにえくぼができる。ぷにぷにした一挙手一投足のなにもかもが あたらすーとして(胸キュンで)目が離せない。あば、くりゃー(あれ、これは)、誰の遺伝かね!
かんしぬ ばんたが やらび まい(そんなうちの子も)、きのうで1歳になりました。きゅうまい(今日も)、ほっぺに猫ヒゲえくぼを浮かべながら、せっせと棚から絵本を引きずり出して広げ、かくしておいたはずのティッシュ箱を探し出してはしゅっしゅと抜き取り、元気に部屋を すきゃーらして(散らかして)おります。あがえー、まーんてぃ、うう゛ぁー すぐ(あぁ、あんたは本当にもう)!ますます目が離せましぇん。はぁい、とーが遺伝いりゃー(あれー、誰の遺伝かねぇ)。
◇あの話をもう一度
ひさぼう(平良・西仲出身)
「ミャークフツ講座 ミャークフツの“ 音 ”をじっくり聞いて編」
小学校入学時の「国語の本」の始めに何が書かれていたか、今となってはよく思い出せないけれど、ジャック・アンド・ベテイ ではなく、はるおさんとよしこさんが主役だったように思う。
それで、道で出会った二人は「あば(あら)、んざんかいりゃー(どちらへ)」と、あいさつをかわしました、というはなし・・・。まさか、こんなミャークフツの本ではなかったはず。 国語の本の始めは「ハナ、ハト、マメ、マス」だった、という上の世代はよく話題になる(かな?)
センダン(栴檀)は二葉より芳し『宮古古諺音義』の新里博先生は、小学入学当初からすでにこの<ハナ、ハト、マメ、マス>に疑問をもたれ、(「ハナ、ハト、マメ、マス」は、ミャークフツでは「パナ、パト、マミ、ツガ」である。「穀物を量る升(マス)のことを、宮古では、なぜツガというのだろう?」)それから実に38年と1ケ月、たどり着いた答えは「マスの用材に使われていた“ツガの木”に由来する名称」だった。
その間の「学問」の道のりはというと
1.近所の年寄りへの質問から始まって、2.八重山、沖縄、奄美の方言調査、3.文献その他、歌謡、民謡、口碑調査、4.宮古への方言調査旅行等々を経て先の結論にたどり着き、5.最後に考古学の教授の証言も得てこの問題は完結されたとのことである。なんとも修行僧かとも思えるその学問への情熱には、ただ敬服するばかりである。
この「なぞ解き」の文章は次のことばで結ばれている。
「それにしても、奈良の都からは絶海・遠隔の地、宮古の島々へ、だれがいつ、この上代人の「ことだま」のこもった穀量容器をもたらしものか。歴史は黙して語ろうとはしない。ああ。」
文献でたどれる古代は、紀元600年ころの飛鳥・奈良時代までである。「ツガ」ということばはこの時代に使われていたとのことである。その先は、→古墳→弥生→縄文だけれども「言語学者」は文献がないから、その辺のことは語ろうとはしない。資料がないものは証明のしようがない、と。
ミャークフツの独特の発音、摩擦音とか破裂音とか中舌音とか、これらは一体いつの時代の“ 音 ”なのか。親から子へ、子から孫へと連綿と伝わってきたこの“ 音 ”はどれくらい、もともとの“ 音 ”を保っているのか。
いまの平成天皇は、歴史上125代目とのことである。初代の神武天皇は紀元前660年ころということになっているらしい。日本という国は、島国であるが故に、他国や他民族による侵略やら排除ということはなかった。
大陸ではそのようなことは稀有であり、歴史はやったりやられたりの連続である。天皇が二千年以上も続いているというような国は他にない。そんな中で、ミャークフツはもしかして比較的純粋にむかしの“ 音 ”を保持しているのではないかという期待がある。
で、どのくらいむかしかというと、日本という国が出来る前、すなわち紀元600年よりまだ前の、日本に文字ができる前の、もっというと、列島に北から南からあるいは大陸からと人間が集まって来ていて、何かが出来上がる前である。その何かというのは、“国”とか、そこの“母語”とかである。
飛躍するのだけれども、その混沌とした時代の“ 音 ”を、もしかしてミャークフツは保持しているのではないかと期待しているわけである。そうなったら、ミャークフツは“ 世界遺産 ”になる。
「現在の沖縄人は、古代、倭人に征服された民族なのか?それとも九州から南下した倭人の末裔のひとつなのか?昭和40年3月、生まれ育った沖縄宮古島の高校を卒業し、同年4月から広島で学生生活を送るようになって以来、私の心の中に燻り続けている疑問である。・・・」
これはその著書『古代天皇 実年の解明』新泉社刊 の「あとがき」でのことばである。著者名は砂川恵伸といって、くまかま仲間のKさんから教えてもらった著書であり著者である。
なんでも「アズ」(共通語で 言う の意味)というミャークフツを手がかりに、天皇どころか「大国主命」まで時代をさかのぼろうという考えのようである。
“ 完成 ”はまだ先らしいけど、ミャークフツが「天皇」を手がかりに解明されるというなんとも驚くべき作業が進められているのである。古代、この列島に何が起こっていたか、『古事記』『日本書紀』の“物語”が単なる作り話なのかそうでないのか、人によって見方が大いに異なるのだけれど、現実に、2月11日“建国記念日“というのは、初代神武天皇が“奈良”の地で“建国”の詔を挙げた日、ということになって祭日になっていたりする。
“ 音 ”というと、ミャークフツ伝導師 下地 勇 を外すわけにはいかない。ミャークフツの“ 音 ”そのものを直に伝えるのだからこれに勝る手段は他にない。問題はその“ 音 ”がどのくらいむかしの“ 音 ”なのかということである。
イサムのアーグ(歌)を、“ 古代からの伝言 ”として聞くと、頭の中は『古事記』『日本書紀』の世界が拡がったりする。宮古のカンカカリャは、もしかして卑弥呼の末裔じゃないかと妄想するわけである。
ゴーヤのこと
やもり(東京出身)
先日、会社の同じ部署の人たちとランチで中華料理屋さんへ行った。そこは簡単なセットメニューで、メインのおかずを4種類から一つ選べるようになっているのだが、その時、一緒にいた10人のうち私を含む8人が「ゴーヤと豚肉炒め」をメインに選んだ。私はしみじみしてしまった。
私は東京生まれ、東京育ち、平良出身の母と本土出身の父を持つ。宮古には小さい頃から時々家族で帰っていて、私の遠い記憶には、頭の上のカゴに大きな荷物を載せて歩いている市場のおばあさん達の姿がある。物珍しそうに見ている私を見て、おばあさん達もニコニコ私を見ていた。
私のおばあちゃんも「ヤマトから来てる孫だよー」とみんなに自慢して歩くので、お店のおばさんたちが、食べなさいと言って、あれやこれやの食べ物をどんどんただで私に手渡してきた。
花笠の宮古空港からプロペラ機に乗って、那覇経由で帰る時、私の母はいつも空港でもめていた。当時、本土に持ち込むことが禁じられていたゴーヤを東京に持って帰ろうとしては検疫で取り上げられていたのだ。新聞に包んで、洋服にくるんで、荷物の一番奥にしまいこむのだが、X線検査ですぐに見つかってしまう。
ダメですよ、とゴーヤを取り上げられてがっかりする母を幾度となく目にしたが、ある日ついに母はやった。ポケットにゴーヤの種を入れて持ち帰ることに成功したのた。東京に帰り、その種を軒先に植え、ひもを張っておくと見事にゴーヤがなって収穫できた。母は歓喜してゴーヤチャンプルや酢の物を作り、父も喜んで食べていた。
沖縄からくる母の親戚や友達もそれを見てあんたはすごいねーと感心していた。そして、母は収穫したゴーヤをお隣さんにおすそ分けで持って行ったのだが、そこで「何これ、キュウリのオバケみたい、ブツブツで気持ち悪い!」と言われ、憤慨して帰ってきた。
あれから35年。東京の人はゴーヤがどんな野菜か知っているし、スーパーでも売っているし、熱帯化する東京の省エネ対策としてゴーヤをベランダで育てることが流行っている。でも、きっと、東京で一番最初にゴーヤを実らせたのは私の母だと思う。ゴーヤが、気持ち悪いブツブツの野菜からみんなにお馴染みの人気の野菜になって、とても嬉しい。
おしらせ
宮古島市文化協会事務局
くとぅっさ(今年は)8組(9名)のみなさんが出場します。年齢も24歳から90歳までと幅広い層です。司会は昨年、市長賞(最優秀賞)を受賞したセリック ケナンさん。チケットは下記の場所で販売いたします。皆さまのご来場を心よりお待ちしています!
日 時 | 2016年6月25日(土)午後6時開場 午後6時30分開演 |
場 所 | マティダ市民劇場 |
料 金 | 900円 (入場料の一部は熊本地震の被災地へ義援金として寄付) |
<チケット販売>
日 時 | 2016年6月17日(金)午前10時〜午前11時 |
場 所 | 平 良:中央公民館1Fロビー 城 辺:城辺庁舎1Fロビー 上 野:上野公民館1Fロビー 下 地:下地庁舎1Fロビー 伊良部:女性・若者等活動促進施設1Fロビー |
問い合せ | 宮古島市文化協会 0980-76-6708 |
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
今年の梅雨はあまり雨が降らないなーと思っていたら、思い出したかのように先週末は うぷあみ(大雨)が降り、植物や作物にとって恵みの雨となりました。前にも書いたかもしれませんが、植物や作物にとって雨はものすごい栄養となるようです。うちの叔母によると、溜めてある雨水や水道水で水やりするのとはぜんぜん違うのだそう。「恵みの雨」というのはまさにそうなのですね。農家で育ちながら最近まで、そのことについてまったく すっさったん(知らなかった)!
そして、待望の雨が降ったので、先日知り合いからもらった「ばんき゜ぎー(桑の木)」を植えました。実がなるようになるまで何年かかるのか分かりませんが、んなま(今)から楽しみです。植える場合も雨が降ってから植えたほうがいいということだったので、先の意味もあったんですね。
さて、今回のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
Moatocaさんのお嬢ちゃん、すくすく育っていますね〜。もう1歳になったんですね。がーずぅーさが出ている様子。さすが宮古の血が流れている!?(笑)そういう、ばんまい(私も)がーずぅーです。子どもはその時期、その時期でいろいろな面を見せてくれるので、これからの成長も楽しみですね〜。
あの話をもう一度は、ひさぼうさんの方言講座でした。宮古方言の特徴はその音にもありますよねー。下地イサムさんの歌を聴いて、方言を知らない方が心を揺さぶられるというのはその音(もしかしたら、太古から続く)が魂に響くのかもしれないですね。今の方言がどれくらい前まで通じるのか、タイムマシンがあったら試しにでかけたい!
やもりさんは今回、初投稿です。たんでぃがーたんでぃ〜。そして、何とMotocaさんのいとこなのだそう。今回偶然にも同じ回の登場となりました。それにしてもお母さんは30数年前に東京でごーらを実らせたとは!ほんとに今の状況を考えると感慨深いものがあることでしょうねー。また宮古に関わるエピソードなどありましたら、ぜひご投稿くださいね。お待ちしてます!
方言大会まで10日を切りました。チケット販売は明日だけとなります。昨年に続き、ばんたがくま・かまライターの與那覇淳さん登場しますよ〜。多彩な顔ぶれが揃いましたので今年も楽しんでいただけると思います!
貴方はどんな感想を持ちましたか?ぜひメールでお寄せください。
掲示板での書き込みも どんないお待ちしています〜。投稿まい ぜひお寄せくださいね。
きゅうまい しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(きょうも 終わりまで お読みくださり ありがとうございました!)
次号は三週間後の7月7日(木)発行予定です。
うぬときゃがみ がんずぅやしー うらあちよー。 あつかー、またや〜。