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宮古島方言マガジン「くまから・かまから」
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くまから・かまから vol.373

2024 7/15
メールマガジン
2016年10月6日2024年7月15日

こんにちは〜。
三週間ぶりのくま・かまです。 がんづぅかり うらまずたーなー(お元気でしたかー)?
宮古にも秋が近づいてきました。 あんちぬ ぱなす、かんちぬ ぱなす お楽しみください〜。

目次

サシバの季節

松谷初美(下地・高千穂出身)

8日は寒露。宮古にサシバ(タカ科)が舞い降りる季節になった。内地で子育てをしたサシバは東南アジアで越冬をするためこの時季南下するが、その途中の宮古で羽休めをする。んきゃーんな(昔は)貴重なたんぱく源でもあった。現在捕獲は禁止されており、捕ることはできないが今でも島の人にとって秋の使者であり大切な渡り鳥だ。

昔から宮古の人にとって身近なサシバは、ことわざや子どもの歌、伝承話などにでてくる。

◎ことわざ
・「鷹ぬ 舞ぅちかぁ 烏(がらさ)まいどぅ 舞う」
寒露の頃、渡り鳥の鷹がやってきて、島の空を覆うほどに舞う。それにつられて烏も舞うのをみてこのことわざが生まれた。真意は自分の能力をわきまえず、人まねをしようとする人のこと。

・「鷹の来しぃからぁ 芋(んー)ま蟹(かん)ぬ爪(つみ)
芋の植え付けは9月〜10月上旬ごろが一番よいとされ寒露を過ぎてしまうとカニの爪のように細く育たないといわれている。

『んきゃーんじゅく』編集 佐渡山政子より

◎子どもの歌

「たかどーい(鷹だよー)デング デング」 ひさぼう

うぬたか ばが たか ヤーデンコ デンコ
 その鷹は 我が 鷹  ハヤシ
 うう"ぁが やーや んざが
 君の    家は  どこか
 たらま ぬ ぱいかた ぬ
 多良間 の 南方   の
 うぷき ぬ ぱな んどぅ す や つぅふぃ
 大木  の 梢  に   巣 を 作り
 やーや つぅふぃ びじゅう びじゅう
 家を  作り   座っているよ 座っているよ
 たーかー ぬい ぬい
 鷹    ぬい ぬい」
  
 #参考資料:『平良市史 民族・歌謡』

◎伝承話

多良間には「鳥塚(異称「鷹塚」)と呼ばれる石碑があるという。百合若伝説(武士だったが家来の企みで島流しになった)にまつわる石碑で水納島の西北防潮風林の中にあり、島で言い伝えられているところによると「昔、大和人が一人水納島へ漂流して住んでいたところ、この大和人が飼っていた鷹が米粉の袋を翼につけて飛んで来たので、不思議に思い涙を流していたが、しばらくして大和人は指先をかんで其の血を以て硯筆の二字を袋に書き差し帰したところ、幾程もなく鷹は硯と筆をつけて同島の石泊という浜へ舞いつき、其のまま死んでしまいました。鷹が生きていたなら何かと方法もあったろうにと大和人は悲観にくれていたが、やがて鷹の死骸を葬り墓所を仕立てた。その後年毎に鷹が舞い降り、その元祖の跡を弔うかのように彼の鷹の墓の辺りに飛び廻り、人々の哀れを催す」

#参考資料:『平良市史 御嶽編』

昔から深い縁のあるサシバ。今年もたくさん来てほしいなーと思う。

◇あの話をもう一度

ビートルズ世代のサラリーマン(平良・下里出身)

「鳳作忌」vol.180 2008/9/18

9月17日は鳳作忌でした。

篠原鳳作は鹿児島市に生まれ、無季俳句の旗手として優れた才能を発揮した俳人で、東京大学法学部政治学科を卒業後、昭和6年に旧制宮古中学校(現県立宮古高校)に赴任し、昭和9年までの3年半、公民、英語を教えていました。

私が鳳作の事を知ったのは、中学生の頃だったと思う。国語の授業で先生が黒板に

“しんしんと肺碧きまで海のたび”

と大書し、「これは、昔宮古で教鞭を執っていた先生の有名な俳句です」と紹介してくれた。まだ、俳句など理解できない ぱんだる(はな垂れ)中学生の私でしたが、この句には、なんだか海の匂いを胸一杯吸い込んだような爽快感を覚えたのを今でも思い出す。

その有名な句は石碑に刻まれ、平良の南西にあるカママ嶺公園に建っている。ここからは、海に向かって広がる ぴさら(平良)の町並みが手に取るように見える。そして、きらきら輝く青い海の向こうには下地島、伊良部島が浮かびまさに「しんしんと肺碧きまで」の風景が見渡せる。この句は、那覇から故郷の鹿児島に帰省する際、客船から眺めた海を詠んだものらしいが、カママ嶺からのロケーションはこの句に相応しい。

その後、鳳作の他の句にも触れるようになったのはつい2〜3年前の事である。鳳作は、宮古で教鞭を執っていた3年半といいう短い時間の中で、南国宮古を題材にした俳句を沢山詠んでいる。鳳作のみずみずしい感性で紡ぎ出された句を幾つか紹介してみよう。

ちなみに、「鳳作」という俳号は、昭和9年、母校鹿児島県立第二中学校に転任してからのもので、旧制宮古中学校に赴任していた昭和6年より同9年10月迄の俳号は「雲彦」である。その雲彦時代に詠まれた句である。

1.蛇皮線に夜やり日やりのはだか哉
2.くり舟の上の逢瀬は月のまへ
3.颱風や守宮(ヤモリ)は常の壁を守り
4.くり舟を軒端に吊りて島の冬
5.踊衆に今宵もきびの花月夜
6.月光の重たからずや長き髪

いずれも、鳳作の目に映った“蛇皮線”、“くり舟”、“颱風”、“守宮”、“きび”等、南国風物が鮮やかに詠われている。

特に6番目の句などは、月明かりのもと琉球乙女のつややかな黒髪が照り映える様を「月光のおもたからずや」といういいまわしで表現してしまう鳳作の巧みさに感心する。それと、重たからずの「からず」が方言の「からず(髪)」と重なり2重韻を踏んでいるように響く楽しさがあって気に入っている。(勿論、これは鳳作の意図しないもので、私の勝手な宮古方言的 がんまり(悪戯)解釈なので誤解の無いように。)

鳳作は故郷鹿児島に帰った僅か2年後、昭和11年9月17日、心臓麻痺でその生涯を閉じている。30歳という若さである。鳳作の奔放な無季俳句が本領を発揮するのはこれからという矢先の死はあまりにも早すぎるし、あまりにも残念である。

何故、東大卒の鳳作が、宮古島までやって来たのだろうか。当時は極端な就職難で、東大出の学士さんでも就職にあぶれた時代だったようで、鳳作も東大卒業後就職先が無く、しばらくは職に就かずぶらぶらしていた。

『鳳作の季節』前田霧人/著(沖積舎)に、生い立ちから亡くなるまでのことが詳しく出ていて、宮古中学校で教鞭を執るいきさつも書かれているので、以下抜粋を紹介する。

「俳句で新しい出発を果たした雲彦に、更に大いなる出発が近づいていた。この頃ようやく彼の就職先が決まったのである。それは、鹿児島から南に一千キロの海を隔てた沖縄県宮古島にある県立宮古中学校の教職であった。当時、同校は創立四年目、雲彦は優秀な教師の人材を集めていた山城盛貞校長事務取扱から熱烈な説得を受ける。
当時、沖縄の那覇では兄の国彬が歯科医を開業していた。昭和五年三月の「泉」投句作品に「首里城」など三句があるから、雲彦も那覇までは何度か訪れていたことだろう。宮古島はその那覇からも更に海上三百キロを隔てた遥かな所である。そして、大学を卒業して帰郷してから丸二年、鹿児島で俳句修行も順調に進み、家には最愛の母と療病中の父があった。しかし、健康を回復した今、雲彦は何時までもぶらぶらしている訳には行かなかった。彼は宮古島行きを決心する。」
  
お兄さんの国彬は、その後、宮古の港の近くで歯科医を開業したようです。

鳳作の石碑がカママ嶺に建った当時、父と那覇から遊びに来ていた叔母と3人で見に行った事がある。父と叔母が石碑の前で「いい しんしーどぅやーたーどー(良い先生だったよ)」と話していたのを記憶している。

私の父は大正6年生まれなので、さんみん(計算)すると、丁度、鳳作が赴任した時、宮古中学校に入学している事になる。つまり、教え子に当たる。父から鳳作についていろんな話を聞いておけば良かったなと悔やまれてならない。父が亡くなった今となっては、叶わぬ夢である。

鳳作は公民、英語の他にも美術も教えていたようで、生徒からも慕われていたようである。

ネットで調べてみると、宮古では平成16年に「俳人篠原鳳作の世界展」(主催・平良市立図書館、主管・鳳作の会)が開催され、、会場には「旧制宮古中学校時代の鳳作」「父・篠原鳳作について」「カママ嶺公園に鳳作碑の建つまで」などのコーナーが設けられ、大勢の市民が訪れたようすが宮古毎日新聞(ネット版)で紹介されている。できれば、これらの資料を常設展示してもらいたいものである。

南国沖縄も鳳作忌を過ぎる頃から、少しずつ秋らしくなってくる。そして、寒露の頃になると天高くサシバが舞う季節がやって来る。鳳作も秋空に舞うそんなサシバの群に感動したのだろう。次のようなサシバの句を残している。

“天津日に舞いよどみいる鷹の群”

短い人生を光のように駆け抜けた夭折の詩人、篠原鳳作。実は彼の石碑はもう一基有る。それは、鹿児島県指宿市山川町長崎鼻に建っている。かって、客船のデッキから眺めた大海原を、今は対峙するそれぞれの石碑からどんな想いで見つめているのだろうか。

※篠原鳳作(しのはら・ほうさく)
明治39年(1906)生まれ。本名国堅。鹿児島県鹿児島市出身。
昭和4年(1029)に東京大学法学部卒業。昭和6年(1931)
県立宮古中学校(現在の宮古高校)に教諭として赴任。
昭和9年(1934)鹿児島第二中学校に転任。
昭和11年(1936)に死去。享年30歳。
宮古に教師として赴任中、無季俳句への理論研究と実作に情熱を傾けた。カママ嶺に公園に建つ句碑の「しんしんと肺碧きまで海の旅」は、代表作の一句。客船で鹿児島県へ向かう途中に見た紺碧色の海を詠んだものという。鳳作は優れた数々の俳句を発表。
今では「新興俳句の旗手」「夭折の詩人」として全国的に有名。
※「2004年11月25日付け宮古毎日新聞記事より転載」

オアフ島観光旅行

宮国勉(城辺・西城出身)

定年のご褒美と言うわけでは無いが、今年の7月中旬にハワイに家族で行った。んきゃーんな(昔は)憧れのハワイ航路と歌にもうたわれていた訳だが、今では6時間程で行けて国内旅行と何ら変わらない。成田を20:00に出発して朝の8:30頃(時差が19:00)にはホノルルへ着いているという具合である。滞在4日間の短い旅行でほぼ ぞうわーつき゜(良い天気)に恵まれた。

ホテルはビーチが目前、市街にも近い立地のシェラトン・プリンセス・カイウラニホテルに4泊した。オプショナルツアーの集合場所やトロリーバス・ターミナルも近く、利便が良かった。

1日目>
到着後すぐに旅行会社の現地説明を受け、トロリーバスツアーを知り、島内観光することにした。この既存のトロリーバスツアーは5コース用意され、ゆぬ(同じ)ターミナルから出発し、コース毎にピンク、レット、グリーン、ブルー、パープルに色分けされて実に分かりやすい。

ばんたー(我々は)、海岸沿いの景色が良いブルーコースを選んだ。ブルー・トロリーバスにてオアフ島の南東方面を観光するコースである。海岸縁の景色が綺麗な所を選んだようなコースであった。街路樹の多くはニセアカシアで丁度満開の季節で白、ピンク、黄色と咲き乱れていた。トロリーバスの2階から見る景色はニセアカシアが顔に触れる程に近く、花香る初夏を思わせた。椰子の木も至る処に立っておりハワイらしさを醸し出していた。日本にあるニセアカシアは白色しか見ないので白とピンクの混ざり合ったものは持ち帰りたい衝動に駆られた。

2日目>
コナ・アトランティス・サブマリンの潜水艦に乗るツアーはオプションで申し込んであった。桟橋から船で沖合の潜水艦まで行き、乗り換えて海中を探索するツアーで最大100フィート(約30メートル)まで潜るのだが、人工魚礁に集まる魚や亀を丸窓から覗くような意外に地味なツアーであった。沖縄の珊瑚礁をイメージしている私は、見える魚が少ないことに物足りなく感じた。島の成り立ちが沖縄とは違うようで、人工魚礁が無ければ全体が砂地であった。30メートルを潜った経験は無く、深い海の魚の気持ちを少しでも理解できたのかも知れない。

3日目>
島の北東部にあるクアロアランチ・アクティビティ・ツアーはハワイの小高い山の地形を活かした大人も楽しめるアトラクションで、その内の3コースを楽しんだ。

一つ目のコースは改造したジープでジャングルを駆け巡るコースだった。屋根が付いただけの20人乗りのジープは自然な森を駆け巡るとてもユニークな企画であった。トラックなので悪路の衝撃は直にお尻から体を抜けて頭まで響いてくる。更に、小川も難なく通りすぎて行く光景はアトラクションそのものであった。丁度スコールにも見舞われながらの体験は今でも蘇る。約1時間揺られて、昼食となった。

二つ目のコースはジェラシックパークのロケ地となった場所を大型バスめぐるツアーだった。窓ガラスを外し肌で自然を感じるよう、工夫されたバスはマニュアル車の古い型で軍用バスのようであるその大型バスを三十歳ぐらいの ばかーばかぬ(若い)女子が運転しながら、日本語で説明もするので、オアフ島の女子パワーはただ者ではなさそうに思えた。先ほどのジャングルをジープで駆け巡ったのも女性であった。モンキーポット(日立の樹)の仲間の樹種が立ちならぶ道をくぐり、ロケ地の山々を見上げて、恐竜を探したら牛が群れていた。これまたスコールに見舞われ、窓から入る雨にずぶ濡れになりながらの約1時間のコースであった。

三つ目のコースはマイクロバスで熱帯植物の植生を見学、見馴れない亜熱帯の植物の説明が聴ける。また、広い湖を筏に乗って養魚池からの景色を眺めるコースであった。サトウキビの原種との出会いが嬉しかった。

4日目>
今日はグリーン・トロリーバスでダイヤモンドヘッド周辺の観光をすることにした。初日のブルーコースとダブるところも有ったが、憧れのダイヤモンドヘッドである。ダイヤモンドヘッドとは火山の噴火によって出来たクレーターで、英国人が方解石の結晶をダイヤモンドと勘違いした事によりダイヤモンドヘッドと命名されたらしい。

クレーターまでグリーン・トロリーバスで送って貰い、そこから外縁の標高232メートルを登ることが、ダイヤモンドヘッド・ウォーキングと呼ばれている。直径2,000メートルのクレーターの外周部には雑木が生い茂り、その木々の合間を抜けるように登ること約50分。一番眺めの良い場所では人混みで、色々な人種が混ざり合っていた。しかし、登り切るとホノルル市街やワイキキの海岸が美しく、下りるのが惜しいくらいであった。あんなに苦労して登ったが下りるには約20分とたやすいものだった。

5日目>
いよいよ今日は帰る日であるが、一騒動が起きた。人間は慌てると何をするか分からない。早く起きて悠々とシャワーをしていたら、ホテルの荷物係が予定より30分以上も早く来たから大変なことになった。「荷物回収にきたよ!」妻の素頓狂な声。シャワーから慌てて出てきたら家内が私のスーツケースを閉めてくれてある。着替える下着を準備してあったのだが、それも適当に押し込んでしまっていた。開けると押さえのネットやバンドもしていないのでメチャクチャになるのが嫌で、外のバンドを掛けて持って行かせた。騒動は収まり、嗚呼オアフ島の朝はわびしく過ぎてしまった。

おしらせ

宮古島市文化協会

■「第11回宮古島市民総合文化祭・一般の部」10月14日からスタート

宮古島市・宮古島市教育委員会・宮古島市文化協会主催の「第11回宮古島市民総合文化祭・一般の部」が10月14日〜16日までの展示発表を皮切りに始まります。一般の部には16部会(盆栽、園芸、茶道、織物華道、書道、生活文化、写真、文芸、美術、郷土史、児童文化、音楽、芸能、方言、芸術劇場)があり、それぞれに多彩な内容で展示や発表などをします。皆様のご来場をお待ちしています!

内 容日 時場 所
展示発表平成28年10月14日(金)〜16日(日)中央公民館
吟行会平成28年10月9日 (日)カママミネ公園
史跡めぐり平成28年10月16日(日)伊良部地区
音楽祭平成28年11月20日(日)マティダ市民劇場
芸能祭平成28年12月4日(日)マティダ市民劇場
芸術劇場平成29年2月5日(日)マティダ市民劇場
子どもシアター平成29年3月5日(日)調整中

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

くま・かまの掲示板に書きましたが、くま・かまライターのひさぼうさんが7月に亡くなられました。奥さんから手紙があり、四十九日も終わったということです。ひさぼうさんは、くま・かまとの出会いをとても喜んでいらっしゃったとのことで、やることが見つかったと話していたそうです。最初の頃、あったぼうの名前で投稿されていましたね。ひさぼうさんのコラムや方言講座はとても分かりやすく、ユニークで だいず人気がありました。んなぴ(もっと)書いていただきたかったのですが、とても残念です。今は、のんびりとお酒を飲みながら、みゃーくふつの正体は・・・なんて書いているのかもしれませんね。ひさぼうさん、たくさんお世話になりました。たんでぃがーたんでぃ。心よりご冥福をお祈りいたします。

さて、今回の くま・かまぁ のーしが やたーがらやー?

今年もサシバの飛来する季節となりました。いろいろと調べてみて改めてサシバと宮古は深い関係があるんだなーと思いました。明日のATALASネットワークの「宮古四季折々」もサシバの話です。よろしければこちらもご覧くださいね。

「鳳作忌」は今から8年前の掲載でした。ビートルズ世代のサラリーマンさんの書いたのを読んで詳しく知ることができました。宮古にとって忘れてはいけない方ですね。鷹の句も詠んでましたね。そしてなんと今年は篠原鳳作生誕110年に当たるということで、文化祭(文芸部会のコーナー)で篠原鳳作展をしますよ!

宮国さんのオアフ島旅行記、面白かったですね〜。動植物に目が行って詳しいのはさすがですね。ダイヤモンドヘッドの名前の由来は知りませんでした。いろいろな場所で女性が大活躍なんですね。旅のアクシデントはのちに印象深いものになりますね〜。

文化祭は来年3月まで展開されます。各部会とも趣向をこらしていますので、ぜひ足をお運びくださいね。

貴方の感想もぜひお寄せくださいね。
掲示板での書き込みまい まちうんど〜(待っていますよ〜)

きゅうまい しまいがみゆみふぃーさまい  たんでぃがーたんでぃ!
(きょうも 最後まで読んでくださり ありがとうございました!)

次号は10月19日(木)発行予定です。
ぱだーぱだ うらまちよ〜(お元気で〜) あつかー、またや〜。

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