こんにちは〜。
10月末まで暑い日が続いていましたが、11月に入りあたまんと(急に)秋になった宮古です。 皆さんのところは、のーしーがらー?
きょうは、11月3日。文化の日ですね。 文化のかざ(香り)漂う(?) vol.375 お楽しみくださいね〜。
つとぅ(土産)の思い出
與那覇 淳(平良・鏡原出身)
子どもの頃の思い出の一つに両親が持ち帰る、つとぅ(手土産)がある。それは、やーふきつとぅ(屋根葺き・建築手伝いでもらう手土産)、よーいぬつとぅ(祝いの手土産)など暮らしのさまざまな場面で つとぅが登場します。
私の生まれ育った鏡原の七原集落は、市街地から近いこともあって市街地への野菜類の供給地でした。収穫した野菜を ぎすき(すすき)の葉で洗い束ねて「ちるだい」と呼ばれる長方形の箱状の台に山盛りにして、これを頭に載せて運びます。バス停まで徒歩で10分ほど。それから、ぴさら(平良のまち)までバスで15分。さらにバスセンターから市場まで20分ほど移動して公設市場で通行人相手に野菜を販売していました。
野菜のほかに、あふ(蒸しパン)やサツマイモを一口大に切って油で揚げて砂糖シロップでからめた大学芋、叔父さんが栽培していた花を売りに行っていたこともありました。狭い土地から得られる1年に一度のサトウキビ代は限られていて、日銭を稼がなければ生活が成り立たなかったであろうことは、大人になってわかったことです。
母は市場で売れ残ると、どうやら市場周辺の家を一軒一軒訪ねて売り歩いていたようです。そうなるともちろん帰りは遅くなります。テレビ放送も始まってない頃で漫画雑誌があるわけでもなく、兄弟でじゃれあって遊んだ後は母の帰りを待ちわびながら腹をすかせたまま、所かまわず寝入ってしまいます。
ようやく帰ってきた母が寝ていた子らを起こします。「つとぅ う ふぁい(土産を食べて)」と言って手渡された、まいごーす(はちゃごめ)の鮮やかなピンク色で一気に目が覚めます。
ぽん菓子を水あめで固めたテニスボールほどのまいごーすに、口を思いっきり開けてバリバリッと噛みつく。せんべいほどかたくはなく一粒一粒はやわらかくて、ぴーっちゃがま(ほんのりと)甘い焼き菓子の香ばしさが口いっぱいに広がります。まいごーすを食べたあと晩ご飯を食べた記憶はないが、これがご飯替わりだったのかもしれません。
もうひとつ、つとぅで思い出すのは、ゆーじふぉー(結婚祝いのお呼ばれ)の つとぅです。父や母は、ゆーじふぉーに行くと帰りに折り箱に入った、つとぅを持ってきてくれました。披露宴会場からまっすぐ家に帰って来たらいいが、あとぅよーい(後祝い)と言って披露宴に引き続いて新郎新婦の家での宴会に参加した場合は、帰りが夜中になります。
待ちわびて夜中に開いた折箱の中には鯛の形をしたかまぼこや三枚肉、昆布巻きなど豪華な料理がぎっしりと詰め込まれています。その中でも私の目をひいたのはつややかな黒豆でした。重たいまぶたをこすりながら食べた黒豆の甘さが懐かしくよみがえります。
◇あの話をもう一度
菜の花(伊良部町仲地出身)
「ゆーくいあやぐ(穣乞い綾語)菜の花流どぅかってぃ解釈」vol.201 2009/8/6
7月18日。東京・青山にある草月ホールで「宮古の神歌と古謡」が謡われた。故郷、伊良部島の佐良浜地区の ゆーくいあやご(穣乞い綾語)も、会場に響き渡った。
そのとき、遠い記憶が目を覚ました。やらびぱだ(幼少時)御嶽で聴いた、神願い・祈りの調べに心が揺さぶられ感動を抑えることができなかった。
神女たちの祈りの声は音楽的で、幻想的で、神々しいものだった。謡われる綾語は、ところどころしか聞き取れなかったが、願いに含まれる人の思いが壮大なものであるということだけはわかった。魂に沁みわたるものを感じながら、ゆーくい御嶽にいるような錯覚さえした。
私のおばぁは集落の ツカサンマ(司んま)だった。着物の上から白いカンズン(神衣)を羽おった姿は、子供の私にも神聖なものとして映った。そして、私のお父も胃癌の手術後、集落の ツカサシュ(司主)に選ばれた。平成5年のことだった。
お父の身体を気遣う母ちゃんの心境は、司主に選ばれたお父よりもダイズなものだった。でも、お父は司主の役目を引き受けた。集落のため、島のため、そして、司になる自分の一門のためにと。
三年間の司主の任期が終わるその日、私と姉は伊良部島に渡った。司主として祭事に携わる間に、お父の癌は肝臓に転移していた。手術もできないところに転移がみつかり、どうにもならい状態だった。
御嶽にはトイレもないため、術後でお腹の調子の良くないお父は、朝から水も飲まず食事も摂らず出かけていたという。司の任期が終わった日には、もうお父の体力も病状も限界状態にあった。それでも声を振り絞って、お祝いに集まった方々の前で正座をして挨拶をし、礼を述べた。そのあと倒れるように裏座の部屋で寝込んだ。
母ちゃんは、司の任期が無事に終えられたことに、泣きながら感謝の踊りを踊った。私も姉も泣きながら踊った。
翌日、私は起きていられないお父の姿を後に、何とも言えない気持ちで空港に向かった。離陸の時間が迫ってきたとき、思わず電話をかけた。出たのは母ちゃんだった。「お父にも代わるね」と、受話器がお父に渡される音のあと、聞こえてきたのは号泣するお父の泣き声だった。お父が泣いている・・・。お父の泣き声を聞いたのはこれが初めてだった・・・。
神に仕える司としての仕事。それを成し遂げたお父には、わずかの余力ももう残っていなかった。すぐに那覇の病院に入院し、二ヶ月後には神の世の人になってしまった。
伊良部の冬は、南の島とは思えないほど冷たい風が吹き、底冷えがする。それでも、術後で体力の落ちたお父は裸足になり、長時間の願いや祈りの綾語を神に捧げてきた。太古の昔から島の人々が神に願ってきたものとは、いったいどんなものだろう。今も脈々と願い繋がれる ゆーくいあやご(穣乞い綾語)とは一体どんな願いなのか?お父は司主として、何を神に願ったのか?私の内にふつふつと湧き起こってくるものがあった。
草月ホールから帰宅して手にした「伊良部村史」から ゆーくいあやご(穣乞う綾語)の原歌を見つけた。長々と謡い捧げられる神への祈り。「伊良部村史」には意訳もあったが、その一節、一節を私自身の魂で捉えてみようと、菜の花流に解釈してみた。
(「伊良部村史」に記載されている原歌、意訳は貴重な歴史的資料です。それを念頭におき、あくまでも個人的解釈をしたことをご了承ください。)
※ユークイのアヤグ(その一) (原 歌) ユーンティル、ユーンティル ゆ(穣)を満たせてください ゆ(穣)が充ちますように ムカシヨーヌ、パダカラ、 太古の頃より ユーンティル 世は充ちて ンキャーンヨヌ、ハダカラ、 昔の世より ユーンティル 穣は満つる スタウイヌ、ウホヤグミ、 天地を納める偉大なる ハイ、十二ハウヌ、ミューブキ 十二方位の神のおかげと ハイ、テンガナス、ナーギデ 太陽神の名を挙げ讃え奉る ハイ、クガニンマガ、ミューブキ 月の神のおかげと ハイ、七七ムイヌ、ウホヤグミ 七杜の偉大なる神々の ハイ、カンパナヲ、ナーギデ 先神の名を挙げ讃え奉る ハイ、ンヌツニーヌ、ミューブキ 命を司る神のおかげと ハイ、ウイラニーヌ、ヤグミユウ 恐れ多き上方の神の(佐良浜の上方=池間島の神のことか?) ハイ、ウホユニーユ、ナーギデ 大世の創始神の名を挙げ讃え奉る ハイ、ナツワ”アニーヌ、ミューブキ ナツヴァ御嶽のおかげと ハイ、ウジャキニーヌ、ヤグミュウ 偉大なおやけ(大宅・富)の神のおかげと ハイ、ムラギニーユ、ナヤギド 豊穣を盛り施す神の名を挙げ讃えよう ハイ、ウヤマタヲ、ナヤギド 祖神の名を挙げ讃えよう ハイ、ナスジャウズ、ウイガミ (善き人を)産む母のうえまでも ハイ、スバナタガ、ウイガミ 若人の上までも ハイ、ダーズニーヌ、ウイガミ 畑の隅々までも ハイ、アウハタヌ、ウイガミ (伊良部村史では「竜の上まで」と訳されています) ハイ、ンツズニーヌ、ウイガミ 道や地の上までも ハイ、ナガブーヌ、ウイガミ 粟の穂先までも ハイ、ヤギタン、ムヤガリー 家々の梁までも富を盛りあがらせ給え ハイ、キタン、ムヤガリー 木のひとつひとつまで富を与え給え ハイ、アガイズマカラガミマイ 東の島からも ハイ、ハイヌムラカラガミマイ 南の村からも ハイ、ニスヌムラカラガミマイ 北の村からも ハイ、ウホヤマトカラマイ 大大和からも ハイ、ナンヨウ、ムラカラド 南洋の島々、村々からと ハイ、タイワン、ウヤキスマカラド 台湾の富貴多き島からと ハイ、ウホヤマヤマ、ズマカラ 豊かな八重山島からと ハイ、バガスマン、ンティフィール (どうぞ)吾が島に(富を)満たせ給え ハイ、インヌユーヌ、ウイユバ 大海の(季節ごとの)豊穣をば ハイ、アウソゥダツカラガミマイ 紺碧色の珊瑚礁の淵からも ハイ、ミジュキダツ、カラガミー 望潮(満潮)からもと ハイ、アッジャバラ、ユシィフィル (島の)周りに寄せてください ハイ、スナスバラ、ンティーフィル 砂浜を満たせてください ハイ、ビキラタガ、ドッマン 男たちに其々に ハイ、ズズザクバラ、イディーキャ 櫂を漕ぐ手にまめができたらば ハイ、カタミバラ、ソイキャー 荷担ぎたこができたらば ハイ、ダーズヌユーヌ、ウイユバー 畑の(季節ごとの)豊作をば ハイ、ブナリャタガ、ドッマン 娘たちに其々に ハイ、カウスバラ、イディーキャー 頭に荷を乗せるたこができたらば ハイ、カミバラ、ソイキャー 頭に荷担ぎたこができたらば スタウイヌ、ミューブキ 天地を納める神により ハイ、十二方のウカギン 十二方位の神のおかげをもってして ハイ、トウテハダ、ウィーフィール 十年先々までも豊穣をもたらせ給え
どぅかってぃに解釈を始めたのはいいけど、訳しているうちに太古の人々の祈りの声が聞こえてくるようだった。あまりにも純粋な祈り、願い。その崇高なまでの一途さ純粋さに、涙がじわじわと溢れてティッシュが手放せない。泣きながら記事を書く破目になるとは思いもしなかった。
小さな小さな伊良部島。宮古の島々。労働と祈りでしか生活する術がない・・・今の時代からはとうてい想像もできない島の生活だったはず。生活の中で神に捧げる祈りの綾語は、自然への畏怖と感謝から生まれた言葉の結集だった・・・。
お父は自分の命を懸けて司を務めた。体力も尽きて逝ってしまったけど、司に選らばれたことをいつも感謝していた。そういう心情になにがさせたのか・・・。私にも少しわかったような気がした。
※歌の引用:『伊良部村史』昭和五十三年四月一日発行
発行者 川満昭吉 / 発行所 伊良部村役場
お知らせ
宮古島市文化協会事務局
■「すまふつボランティア養成講座」開催
宮古島市文化協会では昨年に続き、くとぅすまい(今年も)「すまふつボランティア養成講座」を開催します。ぜひご参加ください。
【日程】
講座回 | 講師・内容 | 日時 |
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第1回 第2回 | 狩俣繁久氏「自分のみゃーくふつ辞書を作ろう!(1)(2)」 | 11月5日(土) 午後2時〜午後4時20分 |
第3回 第4回 | 宮国敏弘氏「みゃーくふつでミニ芝居(1)(2)」 | 11月6日(日) 午後2時〜午後4時20分 |
第5回 第6回 | 松谷初美氏「『我達が生まり島』(下地イサム)の中の みゃーくふつ(1)(2)」 | 11月19日(土) 午後2時〜午後4時20分 |
第7回 | 砂川春美氏「カマドが一日 −あいさつからお祈りまで−」 | 12月10日(土) 午後2時〜午後3時 |
第8回 | 奥濱幸子氏「宮古島 言霊の世界 −シマ祭祀に抱かれた詞(ことば)たちー」 | 12月10日(土) 午後3時20分〜午後4時20分 |
第9回 | 本永清氏「古謡からひも解く みゃーくふつ」 | 12月11日(日) 午後2時〜午後3時 |
第10回 | 與那城美和氏「まーつき みゃーくぬあーぐ」 | 12月11日(日) 午後3時20分〜午後4時20分 |
■会場は全10回とも沖縄県宮古合同庁舎2階講堂です。
[お問合せ/申し込み:宮古島市文化協会事務局 0980-76-6708]
宮古島市文化協会HPhttp://miyakobunka.com/schedule.html#workshop2
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
10月もアッという間に過ぎてしまいましたね。沖縄では「世界のウチナーンチュ大会」が開催され、盛り上がった様子が報道されていましたね。くま・かまの掲示板にもクイチャーマンさんや琉球松さんからの書き込みがありました。
宮古島市文化協会は9月17日、「沖縄県しまくとぅばの日に関する条例」制定10周年記念イベントにおいて団体の部の「しまくとぅば普及功労賞」を受賞しました。その祝賀会を10月28日に開催。市長、教育長をはじめ方言大会に出場した方々等、大勢集まって賑やかなお祝いとなりました。宮古の唄者の與那城美和さん、そして、ばんたが(我らの)マツカニさんも民謡で盛り上げました。祝賀会の様子は宮古毎日新聞の「行雲流水」でも取り上げられました。その中で「くまから・かまから」のことも触れられていて、うれしい限りでした。
それから10月29日、30日には劇団ぴん座の方言劇「愛だら、ピンザ!!」の再演が伊良部と城辺でありました。私は30日に行ってきました。伊良部もたくさんの来場者だったようですが、城辺公民館大ホールも子どもからお年寄りまで、やまかさ(たくさん)!「愛だら、ピンザ!!」は、今年3月にマティダ市民劇場で旗揚げ公演されたもの。今回の再演では、ぴっちゃがま(少し)変わっていたところもありましたが、初演同様、笑いあり、涙ありで大いに楽しめました。劇団ぴん座の今後の活動も楽しみです。
さて、今回のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
與那覇淳さんの「つとぅ」の話、まーんてぃ あんちーど やたーやー(本当にそうでしたねー)。「つとぅ」は何よりの楽しみでした。時を経て、今うちでは母が私からの「つとぅ」を楽しみにしています。大好きなスイカがあれば満面の笑み。「つとぅ」は、あげる方にももらう方にも幸せをもたらしますね。
んきゃーんから脈々と現在まで続いている「ユークイ」。先月29日、伊良部の国仲、仲地、長浜、佐和田でユークイが行われたと新聞に出ていました。菜の花にとって、ユークイの歌を理解しようとすることはお父さんの心を理解することだったんですね。歌に込められた深い願いに厳かな気持ちになりました。
東京飯田橋の「島」は、宮古の人たちの心の拠り所として長く愛されていますね〜。B.サラさんもそのおひとりだったんですね。子どもの頃、そばは、大ごちそうでした。ちゅうか(やかん)で届く熱々のスープ。ああ、匂いまでしてきそうです。(笑)思い出の食べ物は、いっきにあの頃へとタイムスリップさせてくれますね。
「すまふつボランティア養成講座」は1回の受講でも大丈夫です。お気軽にお申込みくださいね。
貴方の感想もぜひお寄せくださいね。
掲示板での書き込みまい まちうんど〜(待っていますよ〜)
きゅうまい しまいがみゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(きょうも 最後まで読んでくださり ありがとうございました!)
次号は11月17日(木)発行予定です。
季節の変わり目です。感冒しないように気を付けましょうね〜。 あつかー、またや〜。