こんにちは〜。沖縄地方、梅雨入りしました。
雨が続いて、すぷーすぷ(湿っぽく)していますが、気持ちはカラリとお届けしますよ!
vol.388お楽しみくださいね〜。
初夏は木の実ざんまいー自然は遊びの宝庫
さどやませいこ(城辺・新城出身)
<ヤマへおやつ採りに行こう?>
初夏は実に不思議な季節だ。4月8日から、五月中旬頃までの期間を「陽春」と呼ぶ。その間、「うーずん」(潤旬)と「若夏」が適度に繰り返され、大地の潤いと生命の息吹が見事にハモル、そんな月だ。
幼少の頃、今のようにお菓子のような嗜好品が無い頃、野山は子どもたちにとってのパラダイス。この季節は木の実採りの最盛期だった。ザウカニ(グミ)、ポー(クロイゲ)、ントゥビ(ノイチゴ)など、野山へ行けば、いくらでも採れた。これらが今で言う「おやつ」だった。
終業式や卒業式を終え、春休みといえば、子どもたちは朝から連れ立って野山に出掛ける。手にはアルミニュームの弁当箱を持って。蔓性のザウカニは、頭上で小ぶりのラグビーボール状の赤い実が鈴なりにぶら下がる。友だちと競い合って採り、甘酸っぱいその実を時々は口に放り込む。食べた後は、種を口の中から飛ばす競争。他愛の無い遊びにキーキーとよく笑った。
石垣や海岸沿いで岩を抱くように繁茂するクロイゲ。冬になるとブルーベリーのような小さな球状の実をつける。春先は、それが黒っぽい紫の実になり「ポー」と呼んだ。甘くて口の中でとろけるので、いくらでも食べられた。ところが後が大変、口の中がお歯黒のように真っ黒になるからだ。でも子どもたちにとってはこれも遊びのうち、みんなでスミイカの舌を出し合って喜んだ。
ナワシロイチゴと呼ばれる野苺は、なぜか原野の草茫々の中でみつけた。葉や茎はやや棘っぽいが、ツヤツヤした実はまるでルビーのようだった。枝もしなるほどたわわに実ったイチゴを見つけるのは感動そのもの。甘酸っぱい実をまず口にはこび、暫く味覚の陶酔感に酔いしれた。チガヤやススキなどを掻き分け実をさがしている内に、雲雀の巣を見つけたりするのも冒険のうちで、野山は子どもたちにとって栄養補給と遊びの宝庫だった。
<沼でかっぱになる?>
当時、遊びといえば自然の中にあった。カーズゥク(沼)に馬を洗いに行った男の子たちは、浮き草のホテイアオイを集めて筏を作り、海賊ごっこ。草刈に行った兄の帰りが遅いと心配していたら、友達ら数人と草バク(草束を賭けた遊び)に興じていた。
ガジュマルの木を突付き、樹液を出してチュウインガム作り。夏は、マーニ(クロツグ)の葉の筋を輪にし、ジョロウグモの糸を絡ませた捕虫網を作って蝉捕り。捕った蝉を集める入れ物は、筒状にくるんだ芭蕉の葉。すべてが、自然の中にあるもので足りた。
女の子は子守りをしながら、お手玉やおはじき、あやとりをして遊んだ。その中で、わらべ歌がうまれ、今日に歌い継がれている。子どもたちは豊かな自然の中で、生活の知恵を働かせてきた。親の手伝いも遊びに転化させて貧困を謳歌、その逞しさこそを、今の子どもたちに伝えていくべきだろう・・・。昔の暮らしを甘酸っぱく思い出した芽吹きどき。
◇あの話をもう一度
アモイ(平良・宮原出身)
「お袋との会話から」vol.221 2010/6/3
1、庭に駐車してある車のドアをロックしてなかったので、夕方ロックするためにキーを持って外へ出てこうとしている時の会話。
お袋「んざんかいりゃー?」(どこへいくの?)
僕 「車んかいてぃ」(車まで)
お袋「来間んかいてぃー んなまからなー?」(来間までよーと、今からなー?)
2、僕が家で掃除機を掛けていて、靴下を吸い込んでしまった。 靴下が詰まって、掃除機がうなっているのを見ていて一言。
「そうじきゃー くつしたーふぁいどぅ ばたんちうーさいが」
(掃除機は 靴下を食べて、はらいっぱいになっているさいが)
3、スナック菓子を買ってきて、袋ごとテーブルに置いて一緒に食べてい た。袋に「スナック菓子」と書いてあるのを見て一言。
「いいまた、スナックんな あんちぬむぬーどぅ ふぃーさいがやー」
(あーなるほど、スナックではこんな物を食べさせるんだね)
4、耳が遠いせいもあって、テレビ番組ではゲームとかのように、目で見てすぐわかる番組が好きなお袋は、毎週、「東京フレンドパーク」を見ているのに、番組名を知らないので教えてあげた。
「うぬ ばんぐみゅーばー『東京フレンドパーク』てどぅあーさーい」
(この番組は東京フレンドパークというさー)
「『農協フレンドパーク』ていー?」
農協が身近な存在なのである。
5、お袋は指を使いすぎると、ときどき指がけいれんしてしまう事がある。その時は中指が前に突きでて、指の間を広げるような格好をしている。ある日テレビをみていると、
♪私のお墓のまーえで泣かないでください〜そこに私はいません・・
いよいよさびの部分♪千のかーぜーにー千のかーぜになってー・・
秋山雅史が腕を広げて、感情移入しながら、高らかに歌い上げる。手を上げ気味にして指にも力がはいって、指の間を広げるようなしぐさをしている。指の広げ方が、自分が痙攣したときの格好に似ているのを見て一言。
「ういまい けいれんなしーなーどぅ うーべ? 」
(この人も けいれんしたり しているのかなー?)
6、懐メロの番組で昔の歌い手がでてきて唄を歌っているのを楽しそうにみていた。美空ひばりが登場して、♪あーあー 川の流れのようにーと高らかに歌っているのを見ていて一言。
「かしゅぬきゃーまい やっかいやー すにってぃからまい あーぐーあーかに」(歌手の人達もたいへんだねー 死んでからも 唄を必死にうたって)
7、宮古テレビの懐かしの宮古祭りのビデオに親父がインタビューされている場面があり、ビデオテープでそれをみせた。9年前に亡くなった親父がインタビューに答えている姿をみて一言。
「あがいー うりゃーうまんどぅ あんちー まーりゅーさいがやー」
(あがいー この人(父)は そこで あんなふーに 居るんだねー)
8、お袋は家の周り畑でほんの少しバジルを栽培し、週に一回程度仲買人を通して本土へ出荷している。そのバジルを刈り取って揃えて束ねていると、バジルにまぎれてカマキリがでてきた。それを見て一言。
「ならまいどぅ ないちんかい いかってぃー うむいゆーさいが」
(カマキリも、本土にいこうと 思っているはずさー)
2017つれづれ
宮国優子(平良・下里出身)
東京もすっかり夏めいてまいりました。宮古は暑さがすごいんだろうなぁと思いつつ、毎日仕事しています。私事なのですが、数か月前から知り合いの紹介で教育系ITの会社をお手伝いに行っています。定期的にどこかに通うということは、新しい発見があって だいず(非常に)興味深いです。
東京の人はなんで宮古に行くんだろう、と思うことがしばしばあります。行き帰りの電車の中でぼんやりとわかったことがあります。こういった日常の風景から逃れて何か素敵な刺激が欲しいんだなぁ、と。そして、そこに笑顔の人やきれいな海があったらいいなぁ、と思うのであろうなぁ、と。
宮古に何回か行けばわかると勝手に思っているが、島の人のおおらかさ、愚直さは、そうそう都会でお目にかかれるものではない。宮古の人の当たり前は、都会の当たり前ではないし、またその反対もしかり。
私が思うに、都会は自然にみんながコンセンサスを取ろうとする。それは謙虚さもあり、めんどくさい人にはみんなわかっていても顔を上手にそむける。勿論、宮古にもそういうところはある。でも、決定的な違いは、何か宮古の人の内在する喜びや怒りにふれたとき、きちんと反応するということだ。良くも悪くも。私はそれが刺激じゃないかな、と思う。
文化背景が違うので、上手に言語化は互いにすぐにできないけれど、正面からの愚直さは引き出される。人は無意識に自分そのものでありたいから、その自分らしさを表現したとき、何かカタルシスが生まれるのではないだろうか。それが憤慨や感激であったとしても。宮古での体験はそのトリガーになるような旅のハプニングが起きやすいのだと思う。
人に会って、海に抱かれて、人はまっぱだかになる。まるで赤子のような感性を取り戻していく過程を、宮古島で味わうのではないかと思う。私の繊細な友人は、長期間滞在した後、いろんな意味で宮古の明暗を話してくれた。彼の思う南国楽園とはちがったようだ。でも、それを彼は貴重な体験として話してくれた。島出身者としては、耳の痛い話もあったけど、それでも聞いてよかったな、と思う。
そして、島のもうひとつの楽しさは島の人の傾聴力と潔さなのではないかと思う。それは、私のなかでは「あららがま」な感じがするのだ。東京から宮古に旅立った人に、土産話を聞くことが、最近の私の喜びになった。島らしい「人を人として迎え入れる優しさと厳しさ」は、非常に興味深い。
今月、安いチケットがとれたので宮古に帰る。来月は父の三十三回忌で娘三人と珍道中だ。久しぶりなのに、なぜだか久しぶりな気がしない。でも、行くとまた違ったことを感じるのであろうなと思う。お会いするみなさま、どうぞ宜しくお願いします。いつも隙間時間を見ながらなので、突撃訪問的になってしまうのでどうぞお許し下さい。
今の私にとって、東京は私の故郷ではないけど、大切な娘たちの故郷でもある。さながら私はハーフ宮古人のような気分です。宮古の話題はネットを開けばリアルに伝わってくるし、仕事も、研究もどっぷり・・・。30年近く前、あんなに足蹴にして、宮古を出たのに不思議でたまらない。そして、私のような人がこれからはもっと増えるんだろうな。そんな気がします。
世の中の仕組みが変わってきているから、仕事も勉強も離島のハンディと言われたものが価値に変わっていくのだろうと思う。今、宮古に通っている人たちは、島を食い物にしないように気をつけている人が多いように思います。それは自分たちも生きていく場所だからだろう。旅の恥はかき捨てにならない宮古島になってきている。リピーターの彼らは、その兆しをいち早く気づいている人たちなんじゃなかろうか。などなど、締切ギリギリで頭フル回転で書いております。伝わるかな、笑。あとからね〜。
お知らせです。
今年は日本アニメ100周年。そのアニメを日本で始めたのは、なんと宮古島出身の下川凹天です。あまり知られていないので、勉強会ならぬ同好会で、月命日の26日に東京の大岡山で集まっています。5月26日は命日になります。ご興味のある方はぜひご連絡ください。最近は蔵書も増え、宮古と日本の歴史を振り返りつつ、サブカルチャーや芸術についておしゃべりをしています。
mail:3892yuko@gmail.com
おしらせ
◆オペラ「泥棒とオールドミス」(ジャン・カルロ・メノッティ作品)が上演
日 時 | 2017年5月27日(土)開場:17時 開演:18時 |
場 所 | マティダ市民劇場 |
内 容 | オペラ「泥棒とオールドミス」(ジャン・カルロ・メノッティ作品)が上演されます。 |
演 出 | 粟國 淳 |
出 演 | 黒島 舞季子(ミス・トッド) 平山 留美子(ミス・ピンカートン) 宮城 美幸 (レティーシャ) 仲本 博貴 (ボブ) |
ピアノ | 棚原 俊平 |
入 場 | 一般 2,800円 中学生/高校生 1,000円 小学生 500円 未就学児 無料 |
プレイガイド | BOOKSきょうはん宮古南店 |
問合せ | 平良図書館北分館 0980-72-2317 |
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
んなま、ばんたが やーんな(今、我が家では)、百合の花が満開です。またこの時季、うまかま(あちこち)の木々の若葉が生い茂り生き生きとしています。モモタマナやフクギの若葉の色が だいずきれい〜。それから今年は、トックリキワタの実がたくさんついて、今、実がはじけて白い綿がぶら下がっています。これまた、ぴるます(不思議な)光景です。
前号でお知らせをした「ジョン・ナカマツ ピアノリサイタル」に行ってきました。ジョン・ナカマツ氏は、北米沖縄県移民3世の世界的ピアニスト。ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールの優勝者(第10回・1997年)でもあります。演奏はすべて暗譜。力強さと優しさとしなやかさがすべて含まれるような素晴らしい演奏で会場はもの音ひとつせず、ジョン・ナカマツ氏の音の世界が広がっていました。とても礼儀正しく、演奏後のインタビューも人柄が表れるようでした。アンコールは「芭蕉布」。これがまた何とも優しく、沖縄への想いがあふれるような演奏で、心に響きました。行って良かったです。
さて、今回のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
せいこさんの木の実ざんまいの話に共感された方、多かったことでしょうね。子どもたちの生き生きとした姿が伝わってきました。まーんてぃ(本当に)季節の木の実を探し回ることの楽しかったこと。いくらでも語れます。(笑)
あの話をもう一度は、今月は母の日もありましたので、アモイさんのお母さんのお話しをお送りしました。何度読んでも笑えますね。ナイスなお母さんに拍手を送りたくなります。そして、お母さんとの日々の会話を面白がるアモイさんにも。
優子さんの宮古へのまなざしは、深いですね。「人を人として迎え入れる優しさと厳しさ」分かる気がします。下川凹天さんの勉強会も楽しそうですね。深くて、ひろーい宮古がそこにはあるはず〜。興味のある方は、ぜひぜひ!
貴方はどんな感想を持たれましたかー?感想をお寄せくださいね。
掲示板投稿も どんない(どしどし)お待ちしています!
きゅうまい しまいがみ ゆみふぃーさまい たんでぃがーたんでぃ!
(きょうも 最後まで 読んでくださり ありがとうございました!)
次号は6月1日(木)発行予定です。
(前号できょうの発行日が間違っていましたね。まつがいどー!)
きゅうまい、ぞう(良い)一日をお過ごしくださいね。 あつかー、またいら!