こんにちは〜。
まだまだ暑い日が続いている宮古です。そちらは、のーしーがらいー(いかがでしょうか)?
vol.398をお届けします。ぬかーぬか ゆみふぃーさまちよー。
今年も『サシバ』がやってきた!
松谷初美(下地・高千穂出身)
毎年寒露の頃、宮古にはサシバ(鷹)がやってくる。東南アジアで越冬をする為、南下をする途中、宮古で羽を休める。宮古野鳥の会によると今年最初の観測は10月11日、3,097羽の飛来を確認したとのこと。
私も15日、1羽のサシバが街灯に止まっているのを見た。また、咲田川の近くでは2羽が空高く舞っているのを発見。今年も来たんだなーとうれしい気持ちになった。
サシバは、んきゃーん(昔)からこの時季に飛来し秋の到来を告げてきた。以前は何十万と飛来した時もあったが、年々減少傾向にある。
今年の8月9日に、平良図書館北分館にて「寒露のタカ渡りとサシバ文化」と題して久貝勝盛先生(宮古野鳥の会顧問)の図書館講座があった。
久貝先生によると「サシバは、青森県以南に夏鳥(春に繁殖のため日本に渡り、秋に日本を去る鳥)として渡来し低山や広陵地帯で繁殖する。伊良部島に大群で立ち寄るのは秋の渡りの時である。国外では中国東北部と朝鮮半島北部で繁殖する」との事だ。
現在は、宮古の中では伊良部で多く確認されるが、私の やらびぱだ(子どもの頃)は、宮古の うまかま(そこかしこ)で見られた。うちの近所のマツギーヤマ(松林)にも、やまかさ(たくさん)飛来し、この時季、男の人たちは、鷹取りに夢中になっていた。食料にするためだったり、紐をつけて遊んだりするためだ。母は、平良に売りにも行ったと話していた。現在は国際保護鳥になっているため、捕獲することは出来ない。
サシバは「日本、中国北部、朝鮮半島北部で繁殖、東南アジアに渡る」のだそう。3千キロくらい飛ぶそうで、夏から秋にかけて日照時間が短くなると渡りのホルモンが出て渡りに備えるのだという。
風が北寄りになるとそれに乗って飛んでくる。飛んできたらすぐ寝てしまうそうだ。それだけエネルギーを消耗しているからと久貝先生。サシバは、主にバッタを捕食。害虫駆除にも大いに役立っているとの事。
宮古と長いこと密接な関わりがあるサシバは、民話やことわざ、俳句、絵本、歌などにも登場する。
次の歌は、久松に伝わるサシバに呼びかける歌だそう。
ウヌタカ、ヨイ、マイノ、アイノ、ウヌタカンミヤガーヤ バガムティドイ ヤーニヌタマ、サナリヌタマ (舞っている鷹、ヨーイ(呼びかけ)、その鷹の群は私の物だ。 来年の分だよ、再来年の分だよ) ウワガヤーヤ、ンザガ、ンザガ、タラマーヌ、パイカターヌ ヤラフギ、ウプギヌスタンドゥヨー、アス゜ド、アス゜ド (お前の家は何処にあるのか。多良間の南側の大木や ヤラブ木の下にありますよ) 『野崎邑 歴史と暮らし』松原信勝著より
著者の松原氏は、「少年の頃は、南方から飛来する鷹を見て、本当に多良間に巣を造り、カンルゥ(寒露)に久松にやって来るものだと思っていた」と書いている。
サシバについて、やらびぱだ(子どもの頃)は、どこから来てどこに行くのかなど何も考えたことはなかった。久貝勝盛先生をはじめ、宮古野鳥の会の皆さんの研究や保護活動のおかげで、さまざまなことが知られるようになったと思う。
今年10月3日には、サシバの繁殖地として知られている栃木県市貝町と宮古島市は交流都市締結を行ったとのこと。サシバを通してのさまざまな交流が期待されている。
しばらくの間、サシバの姿を求めて、あぱなきる(上を見あげる)日が続く。
◇あの話をもう一度
クイチャーマン(下地・与那覇出身)
「クイチャーを踊ろう」vol.158 2007/10/18
「第6回クイチャーフェスティバル2007」が、11月4日午後4時から8時までの予定で、平良のカママ嶺公園多目的広場で開かれる。
日曜日の午後、野外の広い会場での開催とあって今年も ましぇーんぬ(大勢の)島内外のみなさんの参加で盛り上がることだろう。昨年は過去最高の29団体、1,400名の出場者、5,000名の観客だったという。
このクイチャーフェスティバルは、去る3月、財団法人地域活性化センターの「第11回ふるさとイベント大賞」で大賞・優秀賞に次ぐ「奨励賞」に輝いた。全国の自治体推薦による211のイベントの中から上位7団体に選ばれての受賞だったとのこと。審査基準の「独創性」「地域資源活用」「住民参加」「文化創造」「経済効果」など、いずれの項目でもクイチャーフェスティバルの評価が高かったのが伺える。主催している実行委員会をはじめ出演団体、関係者にあらためて祝福の拍手を送る。
今年のフェスティバルのチラシには、副タイトルとして「根(ニイ)から枝(スゥラ)枝(スゥラ)から花(パナ)」という文言が添えられている。この言葉の解説や説明はないが、文化や芸能はその発祥の地の栄養を吸収し、その力で伸び、成長発展して花開き、実を結ぶのだということだろう。
チラシの最後の文章は「当日は見るだけでなく、一緒に踊りましょう!」と呼びかけている。まーんてぃー、あんしーだら!(本当に、その通りだ!)と私も思う。クイチャーは実際に踊ってみてこそ、その、ぴるます(不思議な)魅力を理解・確認し、納得することができる。「見ているだけでも元気をもらえる」という人もいるのはうれしいが、人生そのものが変わる場合もあるほどだ。ばがにゃーんしー(私のように)。
クイチャーは、もともと祈りの気持ちを歌と踊りで表現して地域の神様に奉納する役割を担って継承されてきたものと思われる。それが庶民の日常生活の中にも採り入れられ、クイチャーを歌い、踊って歓喜を共有し、分かち合い、あるいは若者の遊びや娯楽として広まっていったと考えられる。
しかし、この数十年の間に各地方に存在していた独特のクイチャーの中には、消滅してしまったのも多いという。その主な原因としては、近代化・都市化の流れの中で仕事や生活、遊び、娯楽の変化と多様化が進み、地域の共同体意識も薄れてきたことが挙げられよう。今日では、献身的な指導者がいて、目的意識を持って取り組まれている地域や団体によって継承され、ミャークヅツなど特別な催しのなかで踊られている。
今後のクイチャーの継承・発展を考える場合、日常生活の中で、例えば新築や出産などの祝いのとき、運動会・学芸会など学校行事で、敬老会・同期会など、さまざまな催しの中で、もっともっとクイチャーを踊っていく必要がある。宮古の義務教育の中ではクイチャーを必修にし、小中学校の教職員の研修課題にもしてほしい。
クイチャーフェスティバルは、クイチャーに触れ、実際に踊ってその楽しさ、素晴らしさを体験する機会である。私は今年もカママ嶺公園のクママ嶺(?)辺りで、座ったり、踊ったり、指笛を吹いたりしている予定である。
ずうー、うぐなーり、まーつきぶどぅら!
(さあ、揃って、一緒におどろう!)
稲垣国三郎レポート(VOL3)
あすなろ(平良・東仲出身)
徳川家康を育んだ岡崎は、愛知県の南東に位置し、五万石を有する城下町でした。国道一号線を北上し、一級河川の矢作(やはぎ)川を通り過ぎると、程なく右手に岡崎城が勇姿を現します。
この川に架かる橋は、日吉丸(後の豊臣秀吉)が蜂須賀小六に臣下として召し抱えられた事で有名。しかし、史実とは違うとのこと。んなままい(現在も)橋の麓でその像が鎮座し、行きかう車を見守っています。お城を右にみて、一号線に枝分かれする形で左折すると、そこは街のメインストリート「康生通り」
この地に「愛知県立第2師範学校」が設立されるのは、1899(明治32)年4月の事でした。「師範教育令」(明治30)に基づいて、この時期に、一つの県で二つの師範学校が設置されるのは、愛知県と新潟県のみであった事が『新編―岡崎市史(近代)(P235)』に記されています。1900(明治33)年4月「本科(4年制)」が設置され、ここに師範学校としての形が整うことになります。
「稲垣国三郎」は、1903(明治36)年4月「第2師範」の第4回生として入学したと思われます。当時の入学資格は高等小学校卒業程度の学力が必要で、かつ、17歳から20歳までとされていました。
経済的に恵まれず、学力優秀な彼等の多くは、高等小学校卒業した後の2年間を何らかの仕事に付きながら受験に備えます。国三郎もこの類に漏れず、空白の2年間が存在し、今だに彼の経歴は不明です。
1907(明治40)年3月に卒業した稲垣青年は、地元の安城高等小学校(現在の安城中部小学校)で1年。その後、愛知第2師範附属小学校で4年、愛知県女子師範学校で2年、広島高等師範付属小学校で3年、教師としての実績を積み上げ、「綴り方教育」に力を入れます。
この間を、年譜で概略してみます。
1903(明治36)年4月
愛知県第2師範学校入学(4年制)
1907(明治40)年3月
同校(本科の4回生)卒業
1907(明40)年4月〜1908(明41)年3月
愛知県安城高等小学校訓導
1908(明41)年4月〜1912(明45)年3月
愛知県女子師範学校訓導
1913(大2)年1月〜1922(大5)年12月
広島高等師範付属小学校訓導
この後、沖縄師範へと繋がる訳です。
ここで、得意の脱線をお許しください。最近、「国三郎」の家系図が2年掛りで完成し、お孫さんの大嶋さとみさん(在横浜)や土倉洋(ひろ)子さん(在札幌)と連絡が取れる様になり、彼に纏わる貴重なお話や資料を戴きました。
「晩年、祖父が病気がちで床に伏せている頃、ある女性が川崎の自宅まで見舞いに来て下さいました」と大嶋さん。「あの方は市川房江さんよ」と母(千代野さん)が教えてくれたそうです。
日本の婦人参政権運動を主導した市川房江(明26.5.15〜昭56.2.11)女史は参議院議員として活躍します。彼女は愛知県女子師範学校の卒業生で「国三郎」の教え子という訳です。
貴重な話を んな ぴてぃーつ(もう一つ)。これは土倉さんからお聞きしたお話です。
「国三郎」は1967(昭和42)年7月19日82歳で逝去されます。亡くなった後、彼の遺品の中に沖縄関連の品々(壺、民芸品等)が やまかさ(沢山)あり、土倉さん達の母である「千代野」さんが寄贈を申し入れたところ、当時の沖縄県博物館館長【在(昭58.4〜昭61.3)】で芥川賞作家の大城立裕氏が川崎の自宅へ来られたとの事です。
今月の9日、沖縄県立博物館に立ち寄って調べた所、この遺品の存在が確認されました。博物館には『収蔵品目録』(1991年―沖縄県立博物館発行)があり、その第2集(1981〜1990年)に彼が寄贈した73点(登録番号9200〜9273)が目録の中に記載されていました。
残念な事に寄贈者の名前に誤記が有り「稲垣」の姓が「新垣」になっています。家系図が完成していなければ発見できませんでした。この誤記は、近々「県立博物館」の事務局と連絡を取りたいと思っています。
この原稿が脱稿する前日に土倉さんより沖縄県立博物館で開催された昭和59年度の「新収蔵品展(昭和60年5月1日〜5月19日)」で寄贈した品々の写真が写ったパンフと感謝状の写しがメールで送られてきました。その感謝状には寄贈品196点と記されています。次の機会に残りの品々を検証したいと思います。
続く
次回は沖縄県立師範学校での5年間をレポートします。
<訂正>
レポートVOL2で「国三郎」の生年月日を、9月19日と記しましたが、9月1日が正解です。お詫びして訂正いたします。
おしらせ
■すまふつ普及人材養成講座
宮古島市文化協会では、9月から「すまふつ普及人材養成講座」を開催しています。第1回・2回目の講座はすでに終了しておりますが、今月末と来月初旬に第3回・4回、5回・6回の講座があります。途中からの参加も大丈夫ですので、方言に興味のある方は、んめい ふぃーさまち(お越しください)
「すまふつ普及人材養成講座」−自分のすまふつ事典を作ろう−
(主催:沖縄県・沖縄県文化協会/共催:宮古島市教育委員会/主管:宮古島市文化協会)
・第3回
日 時 | 平成29年10月29日(日)午後2時〜3時 |
講 師 | 砂川春美氏(宮古島市文化協会方言部会長) |
内 容 | 〜衣・食・住・行事編〜 |
・第4回
日 時 | 平成29年10月29日(日)午後3時10分〜4時10分 |
講 師 | 本永清氏(宮古島市史編纂委員) |
内 容 | 〜宮古の島名、季節編〜 |
・第5回
日 時 | 平成29年11月5日(日)午後2時〜3時 |
講 師 | 仲地邦博氏(宮古野鳥の会会長) |
内 容 | 〜生き物・植物・天体編〜 |
・第6回
日 時 | 平成29年11月5日(日)午後3時10分〜4時10分 |
講 師 | 狩俣繁久氏(琉球大学 国際沖縄研究所教授) |
内 容 | 〜作り続けていくために〜 |
※場 所:沖縄県宮古合同庁舎2階講堂
※受講料:無料
<お申込み:宮古島市文化協会 0980-76-6708 >
■第16回クイチャーフェスティバル2017
今年もクイチャーフェスティバルの季節がやってきました。
今年は「すかきみぃ!魂踊らし」をテーマにJTAドーム宮古島にて開催されます。んなまがみ(これまで)カママミネ公園等で行われてきましたが、初の屋内会場となります。
各地域で踊られている伝統クイチャーと創作クイチャー、伝統芸能など多彩な内容で「見せる」ということを意識した内容になるとのことですよ。ぜひ、会場へ足をお運びください。
日 時 | 2017年10月29日(日)17時開場 17時30分開演 |
会 場 | JTAドーム宮古島 |
入場料 | 1,000円(中学生以下無料) |
プレイガイド | TSUTAYA宮古島店 |
問合せ | クイチャーフェスティバル実行委員会 090-8293-6056 |
<出演団体>
荷川取クイチャー保存会、砂川小学校、多良間村文化協会、友利郷土芸能保存会、宮国民俗芸能保存会、八重山在宮古郷友会、夢ステージ、新羅withぶどぅれサンガ、少年補導員・宮古まもる君・少年柔道クラブの仲良しチーム、男塾 武-Doo、TEAM BP、アトハリ、宮古高校軽音部
<ゲスト>
宮沢和史、下地暁
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
ここ数日、恵みの雨が降っている宮古です。台風で被害を受けたサトウキビも青々としてきて、嬉しい限り。
文化の秋、宮古ではさまざま行事が行われています。
去る10月14日、15日は、宮古島市総合文化祭・児童生徒の部が、中央公民館で開催されました。子どもたちの感性豊かな作品に触れて、心の栄養剤をいっぱいもらってきました。
10月15日は宮古島市民総合文化祭・一般の部の「こどもシアター」が城辺公民館で行われ、人形劇や書道パフォーマンス、ハンドベル、スクリーン絵本などが披露され、たくさんのこどもたちで大賑わいでした。
そして、その夜は「宮古民謡協会 第10回芸能祭」がマティダ市民劇場であり行ってきました。22団体が出演。唄、三線、琉球舞踊を楽しみました。
して、ばんたが(我らが)マツカニさんも出演しましたよー。マツカニさんは宮古に帰ってきて2年。三線教室「遊絃房」を開設し、お弟子さん14人で「なりやまあやぐ」を披露しました。(たぶん、一番多い人数だったかも)。マツカニさんは踊りの地謡も務め素晴らしい活躍でした。
さて、今回のくまかまぁ のーしが やたーがらやー?
サシバ舞う季節となりました。久貝勝盛先生の講座はとても興味深く、幅広い内容で、サシバへの関心度が高まりました。サシバに関するいろいろな文化が宮古にはあり、それだけ生活と密接に関わってきたことを感じました。
あの話をもう一度は、クイチャーマンさんの登場でした。今年のクイチャーフェスティバルが間もなく開催されることから再掲載いたしました。10年前の掲載。歴史を感じますねー。さぁ、29日は「クイチャーを踊ろう!」
あすなろさんの「稲垣国三郎」レポートは、身内の方々のご協力がありいろいろなエピソードも書かれていましたね。ご協力に感謝いたします。今後、どのようないきさつで沖縄・宮古と関係をもって行くのか。楽しみですね。続きをどうぞお楽しみに!
「すまふつ普及人材養成講座」は、残り4回となりました。初めての方でも大丈夫です。ぜひ、ご参加ください。
今年初めてJTAドーム宮古島で行わるクイチャー。どのような形になるのでしょうか。とても楽しみです。
貴方はどんか感想をもたれましたか。感想もぜひ、お聞かせくださいね。
掲示板への書き込みお待ちしてます!投稿もぜひ!
きゅうまい しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(きょうも 最後まで 読んでくださり ありがとうございました!)
次号は11月2日(木)発行予定です。
きゅうまい がんずぅかり うらまちよ〜(きょうもお元気で〜)あつかー、またいら!