NHKの「ちゅらさん」でお馴染みの、「ゴーヤーマン」がついに発売になりましたが、売り切れ続出だとか。。宮古でもいろいろなところで、売り出されたようですが、売れ行きはどうなのでしょうか。買った人いますかー?二匹目のドジョウで、「なびゃーらマン」(へちまマン)っていうのは、どうですかねー。 ・・・・???
「くまから・かまからVol.4」スタートです。
『カーフナタ物語 第1話(全2話)』
アモイ/著
ピーッチャガマ、ンキャーンヌ パナスッザ(少し昔の話なそうな)
ピサラ(平良)と城辺にカーフナタ(ミヤコヒキガエル)が住んでいたそうな。そんなカーフナタの所へおしゃべりなアカビーナ(赤とんぼ)が、ある情報を耳に入れてくれました。
平良のカーフナタには、
「ハーイ!フナタアザー!アガッス゜ヌ カタンドゥ、城辺ティヌ、カギドゥカナヌアースガ、イキミールヨー」
(これこれカエル兄殿、東の方に城辺という綺麗な所があるから、いって見ておいで)
そして、城辺のカーフナタにも
「ハーイ!フナタアグー!イス゜ヌ カタンドゥ、ピサラテゥヌ、ダイバン、町ヌアーバ、イキミーミールヨー」
(これこれ、カエルの友達よ、西の方に平良という大都会があるんだよ、行ってみてはどうかね)
赤とんぼに急かされた、カーフナタ達はそれぞれ仲間を集めて、平良と城辺をめざしました。途中で、オオナズパウ(サキシマアオヘビ)に襲われそうになったり大空からタカ(サシバ)の軍団に襲撃されたりしながらもカタやムス(バッタや虫)を採って食べたり、夜は、ツキス゜アカス(月明かり)に道を照らされながら何とか、平良のカーフナタも城辺のカーフナも一週間ほどで、野原岳に辿りつきました。
打ち合わせた訳ではないけれど、野原岳で偶然に出会った平良と城辺のカーフナタ達は、
「ンザカラガキスタリャー、ピサラカラナー、グスクベカラティー?」
(何処からきたの、平良からだって、城辺からだって?)
と歓談しながら、
「ウカース、アガタムヌヤーバヤー、アティ、ブガリカーバ、パギスヌ、プニマイブリッティドゥウー」
(ほんとに遠いなー、疲れきって、足の骨が折れそうーだよ)
今夜は、ここで泊まって明日の朝、出かけることとしよう、といってみんなケロケロケロとひと泣きして寝ました。
第2話に続く
●この話は、私の父が酒を飲んで話していたのを聞き取って書いたものです。
『宮古のことわざ』
〔 美味物んな ぷきぃぁたばらん 〕
ンマムヌンナ
プキィァタバラン
たとえ落ちたものであっても、おいしい物にはゴミはつかないの意。食べ物の少なかった昔の人たちは、こうして子どもたちに食べ物の大事さを教えた。
んきゃーんじゅく 佐渡山政子/編 より
『学校がない ?幼稚園編??』
神童/著
そろそろ、幼稚園編のネタがなくなってきた。あった。「やーまーしゃ事件」があった。
同級生のS君は、ぱんだる(ハナタレ)少年で、後年、奴のぱんだるには、悩まされることになるが、ここでは、書かない。
事件は、幼稚園の敷地ではなく、S君の家で起きた。当時、子供たちの遊びといえば、タコ上げや、こま廻し程度であったが、それも自分で制作しなければならなかった。タコは、カビトゥ(紙鳥)と言っていたな!
竹を割って削り、紙を貼って糸を調整することになるが、糸を通す穴をあけるため、線香で穴をあけるのだ。S君の、その線香の火の不始末で、自宅が火事になり、島尻村始まって以来の、消防車2台の出動にもかかわらず、1軒全焼してしまった。
子供たちは、全てヤジウマと化し、見物していた。そこへ、野良仕事から帰ったS母、S君は何を思ったか、母に自分の火の不始末から消防自動車が来てくれたと、自慢したからたまらない。かたわらの棒でS君をめった打ち、母がつけたあだ名が「家燃者」。方言で、「やーまーしゃ」であった。
おごえ!(びっくりした時などに口にする、感嘆符)
*「学校がない」は、次号はお休みです。又の登場をお楽しみに。
『ミャークフツ講座・みゃーくふつ・内地ふつの違い』(投稿)
山雀タヌキさん/著
みやーくふつ・内地ふつ ぬ うぷーぬ違いや
(宮古の方言と本土の言葉の大きな違いは)
1.みやーくふつぬ母音な ”a,i,u”,ぬ みーつしかにゃーん。
(宮古の方言の母音は、?ア・イ・ウ? のみっつしかない)
ぬくいぬ母音ぬ、”e”や”i”かい、”0″や”u”かい かーりういてぃ あいさりゅう。
(残りの母音の ?エ?は?イ?に、?オ?は?ウ?に変化していると言われている)
例えば、
あめ(雨ame)… あみ(ami)
おや(親oya)… うや(uya)
2.ハ行ぬ変化
ないちふつしーや:ハヒフヘホ (本土の言葉では、ハヒフヘホ)
みやくふつしーや:パピプペポ(半濁音)(宮古方言では、パピプペポ)
例えば、
はな(花)… ぱな
ひにち(日日)… ぴかず
日本語や”パピプペポ”から”ふぁ、ふぃ、ふう、ふぇ、ふぉ” んなまー ”はひふへほ” かいかーりきしゅう。
(今は、?はひふへほ?に変化してきている)
みやーくふつ や んきゃーぬまま”ぱぴぷぺぽ”ぬど ぬくりうい。
(宮古方言は、昔のまま?ぱぴぷぺぽ?が残っている)
引用:「沖縄の言語史」 外間守善/著
みやーくふつ(含む沖縄方言)は古代日本語と共通する点が多く保存されていると考えられている。
沖縄の地域的にみて中国語(台湾語)の関連性がおおきいのではと思えるのですが少しの名詞が混在しているのみ。
私の勝手な想像ですが、海上交通の困難な古代において黒潮を遡って現在の内地から宮古(沖縄)に文化が伝わるより、黒潮の流れに乗り宮古から内地に伝わるのが自然ではないでしょうか?
宮古においては言葉の変化が遅く、内地では各国との交流により言葉の変化が早かったのではないでしょうか。
*小さな島は、古語が残る環境にあったのでしょうね。非常に勉強になりました。山雀さん、ありがとうございました。
『お便りコーナー』
東京のそよかぜさん より
くまから・かまからのスタッフの皆様ご苦労様です。毎回楽しく 拝見させて頂いて居ります。 未知との遭遇 は読ませて頂いても良くわかって、また笑ってしまいました。
宮古のことわざ は 注釈が無ければ、良いことわざも理解できなかったのですが。
ミャークフツ講座 は 楽しく拝見しました。でも私には、言葉と意味に通ずるものが無くて、またこれが、よけい楽しく拝読させて頂きました。知らない土地や知らない世界が分る事は、自分の世界も広がることですから。これからも、楽しみにしておりますので、頑張ってください。
*そよかぜさん、ありがとうござました。今回のミャークフツ講座で、言葉と意味が繋がってきたのでは、ないでしょうか。これからもよろしくお願いします。
『編集後記』
Hatsumi.M
「くまから・かまから」もVol.4 となりましたが、方言を文字にすることや標準語に訳すことの難しさを実感しています。
前号の「ミャークフツ講座」の「うぷあざ」「うぷあんな」の訳も不十分でしたので、改めて、
うぷあざ :「親の(義)兄(おじさん)」
うぷあんな:「親の(義)姉(おばさん)」
にしたいと思います。
長兄(姉)だけをそう呼ぶという人もいれば、上の兄(姉)なら長兄(姉)に限らず、呼ぶなど、さまざまなようです。アガイ、ホントに難しいさー。
☆皆様のご意見・ご感想・投稿作品お待ちしていまーす。
台風1号が、宮古に上陸して、被害もでているようですが、これから台風シーズンに入りますね。投稿作品で、「台風」について、募集したいと思います。台風銀座の宮古には、これまで大小さまざまな台風がきましたが、あなたの台風にまつわる話をお聞かせください。どんなことでもいいですよー。お待ちしています。
さて、次号は、6月7日(木)発行予定です。お楽しみに!