くまから・かまから Vol.40

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みなさん、のーしーりゃー?(いかがお過ごしですか?)今回のくま・かまは、投稿やお便りもたくさんですよ。じっくりゆみふぃーさまち(読んでくださいね)

「兄を想って書いた詩」

ワタリ マリ

この詩は、今は亡き兄を想って書いたのですが、生きていた時のものです。兄は話せない、歩けない・・・脳性マヒの一生でした。私にとってたったひとりのアザ(兄)でした。

船旅のこと

小さな島には脳性マヒのボクを
歩けるように訓練してくれる施設はなかったので
お父は決断をせまられた
島を出て那覇の施設で訓練させるかどうか
そしてボクは那覇までの船旅をすることになった

うれしかった すごくうれしかった
お父におんぶされ 母ちゃんに支えられて
船までの階段を上がる
幼い妹も静かについて来た

三等室という部屋にはたくさんの人がいた
お父と母ちゃんはボクが一緒のことが恥ずかしそうだった
ボクはうれしっくて ついつい大きな奇声を発しては
お父に叱られた

生まれて初めてのすべての経験に興奮しているボク
でも地獄はその後に来た
船酔いだ
まさかボクにも人並みに船酔いがあろうとは・・

船は揺れる
ボクが家の縁側から見た船は全然揺れていなかったのに
お父と母ちゃんにすまなく思っている間に
ボクの初めての船旅はそこまで来ていた

もう二度と船には乗りたくなかったが
嫌でも帰りに乗せられるに決まっている

もしボクのうちにお金があったなら
飛行機にも乗れたのにと思った

「宮古のことわざ」

〔 盗人ぁ一荷  家火事ぁ人とぅ共み 〕

ヌストウァピィトゥニィ
ヤァヤキァウマツトゥトトミ

どろぼうが入ったって持っていく量はたかが知れている。しかし火事だけは家を丸ごと焼いてしまう。火事にはくれぐれも用心しよう。

『んきゃーんじゅく』 佐渡山政子/編 より

「ミャークフツ講座 ユニークな言葉編」

松谷初美

  • てぃーすっす → ?・・なんてことを ?なーんちゃっての意 接尾語。“すっす”を省いて“てぃ”とだけいう人もいる。
  • ばたごーごー → お腹いっぱい
  • だっふぁ → ドサッと物をおく様子
  • あびきー → 息があがって苦しいさま(“阿鼻”からきたかも?)
  • ぐぐつく → あせって慌てるさま
  • がふ → ぴったりとはまる。
  • がぱ → 例えば 頭を「ごつん」とたたく。の「ごつん」の音でも強い口調だと「がん!」という感じにもなる。
  • くぱりゃ → 動作が固い 不器用な人 ちなみに私も“くぱりゃ“
  • すてぃざん → 捨てっぱなしにしておくこと 放っておくこと

「ふるさとまつりに参加して」(投稿)

山雀タヌキさんより

10月26日ん 新宿ぬ ワシントンホテルうてぃ 第29回関東ふるさとまつりぬ あたいさいがー。
(10月26日に新宿のワシントンホテルにおいて、第29回関東ふるさとまつりがありました)

みゃくから ぴさら、 いらう、 たらま、ぐすくべ、うえの、しもじ ぬ 役場ぬ いらいぴとぬたーが んめーち、また 内地ぬ みゃーくちゃーぬ ぷかん 戦争ぬときん みやーくん うたい 兵隊さんたーまい んめーあち 200名ばかーいぬ うぷーぬぷからす うぐないやーたい。
(宮古から平良、伊良部、多良間、城辺、上野、下地の役場の市町村長さん達がいらっしゃって、又内地の宮古の人やその他に戦争の時に宮古にいた兵隊さん達もいらっしゃって200名ほどの大きな楽しい集まりでした)

くいちゃー、よ?んしー ぬたーゆ ぶどり うかーすうむしーかり ぷからすむぬやいたむ
(クイチャ、ヨーンシーなどを踊ってものすごく面白く楽しかった)

やまとふつ し あいさつゆ しゆーぴとぬど むちゅーい
(共通語で挨拶する方々が多かった)

かんしぬ ときんな みゃーくふつ し ぱなしばど うむっしかいすが くりからー みや?くふつゆ ばすんようーん すだかーならんてぃ うむーたい
(こんな時には 宮古方言で話すのが楽しいのですが。これからは 宮古方言を忘れないようにしなければと思った)

※挨拶をみゃーくふつしー ゆがいなゆまい まっちぃー あずみーぶすむ ぬやー
(挨拶をジョークも混ぜながら宮古方言でやってみたいものですね)

「お便りコーナー」

<島言葉の違い>

ア イラブユーさんより

何時も楽しく読ませてもらっています。宮古島も今朝は22度でした。もう朝方は毛布一枚では風邪を引きそうです。

さて、vol.38で紹介のあった、忘れられないがラインかローンか、はたまたレーンかについて。

伊良部町西区、北区ではライン、東区ではローンです。昔、村政が施行される前までは伊良部は下地間切れ伊良部村と呼ばれていたようで、東区には下地町と似通った言葉が多々あるようです。同じ伊良部でも地域によって大分違いますよ。

例えば地中にいてサトウキビの根っこを食害するアオドウガネの事を南区では“バタニャ”と呼びますが、北区では“ンーバト”といいます。農協に農薬を買いにきたお客さんが「ンーバトがキビを食べて困るのでンーバトの薬を売ってくれ」と頼むと、それを聞いた南区のJA職員は「ピンナム、パトヌルサブーズヲ、ファウビャーン」(不思議だな鳩がキビを食べるのかな)とまるで話が通じない場合もあります。笑い話に使えますね。

※“ローン”は珍しいと思っていたのですが、伊良部でも使う地域があったのですね。“ンーバト”はうちでも“鳩”のことです。

<これから・・・>

ミャークピトゥさんより

前号の「菜の花発 ういぷとぅ(老人)問題」は、読み終えた私もずしりときました。これから・・いやもう今の・・この時間全国どこの病院でも大きな問題として横たわっているんですよねー。

2000年1月に数え99歳でカマヌユー(あの世)へ旅だった私の祖母が入院した際の光景が間近によみがえってきました。一般病棟はお年寄りだけでした。病院と老人ホームは、家族とは何か・・人とは・・考える所でした。宮古も少しづつ「都市化」の波が押し寄せているようなものを感じました。菜の花さんの結びに出てきた中国人の入院は、今の日本人が無くしてしまったかな・・?少し立ち止まって考えようやーと何かを問いかけているようでした。

これから・・「家族」、これから・・「自分」は・・。人が生きるという事、互いに支え合うという事について考えさせられました。

※たーんまい(誰にも)いずれやってくる問題ですよね。私も考えさせられました。

「編集後記」

松谷初美

今は宮古もだいぶ便利になりました。んきゃーんな(昔は)宮古島内では、用が足りないということが、やまかさ(たくさん)あったのです。ワタリマリのお兄さんの ぱなす(話)もそうですね。あの頃(今から35年くらい前)は、そういう訓練施設もなかったそうです。ばんたが(我が家の)おじいも同じ頃、胃潰瘍の手術で那覇まで行かなくてはなりませんでした。医者も設備も乏しい時代でした。

んなまぬ(今ある)生活が当たり前のように感じてしまいますが、以前の宮古の様子を知るということも大切な気がしますね。

今回お便りを2通紹介いたしましたが、この他にもたくさんいただきました。特に前号の「菜の花発 ういぴぃとぅ問題」は、多くの方が関心を持って読んでくださったようです。たんでぃがーたんでぃ。

これからもどしどし感想、投稿およせくださいね。お待ちしています。

次回は、12月5日の予定です。あつかー、また。