みなさん、こんにちは。ゴールデンウィークですねー。くとぅす(今年)は、飛び飛びで豪華な感じがしませんが、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。くま・かまvol.51お送りします。
みゃーく んなまずぶん(いまごろ
さどやませいこ
島は今、陽春に入り、「ぅーずん」と若夏の天候を適度に繰り返しながら徐々に夏の陽気に変わりつつあります。ぴゃうな(東平安名崎)では、テッポウユリが咲き乱れ、ヒルサキツキミソウがピンクの絨毯を広げています。第19回のトライアスロンも無事に終わり、農家は葉タバコの収穫やサトウキビの春植えの準備で、ぱんたぎ(忙しそう)です。
平べったい宮古島は、よく稀人に「大陸的ですね」と言われますが、キビ収穫後の島はもーっと平たくて遮る物が無くどこまでも見渡せます。ドライバーにとっては快適なスピード狂の季節です。うばいがうばい(大変だぁ)。休養中の畑は、ぱーがら(キビの枯葉)の中からムラサキカタバミがかわいらしい花を覗かせています。気の早い農家は耕運機を入れて畑を耕し始めました。その後から、渡り鳥のアマサギがえさとなる虫をついばみながら付いて歩いています。耕運機の上のおじいは時々後ろを見ては「さーちぃきばりよー」(がんばれよう)と、言っているやら、いないやら。
お店紹介3《 楽(RAKU COLLECTION)》
松谷初美
《楽(RAKU COLLECTION)》は、中央通り(下里通りと西里通りの間の市場通りと平行した通り)のちょうど真ん中あたりにあり、幅広い年齢層の女性の間で人気の雑貨屋さんだ。店内は、まるで宝物の部屋のようで、和紙や和物のお皿、茶器や洋食器、コーヒーメーカー、タオルやハンカチ、ポストカード、洋服や靴などなどさまざまな種類のものがそろっている。
雑貨好きによく知られているメーカーのものや、洋服などもデパートで売られているようなものもある。東京では、いろいろな場所に移動しないと、かーいん(買えない)ものが ここ《楽(RAKU COLLECTION)》一箇所だけで購入ができそうだ。便利ゆ。
店主の佐渡山さんは、宮古は季節感が薄いので、季節のものを置いてお客さんに楽しんでもらえるように心がけているという。この時季はもう夏ものだ。金魚柄の物や夏用のれん、ガラスの器など、すだーす(涼しい)小物がやまかさ(たくさん)ある。母の日も近いとあって、扇子や手提げバック、財布などもそろえている。季節を先に先に取り入れるために月に一回は東京に仕入れに行くというのだから、そのこだわりようは半端じゃないぞ。
宮古は交際が盛んな土地柄なので、贈り物のやり取りが多い。どぅがむぬ(自分のもの)より、贈り物を買う人が多いはずよ。とのこと。私がお邪魔した日は、ちょうどバレンタインの日でチョコレートやプレゼントを求めるお客さんが やまかさ いた。
また宮古にはおしゃれな人が多く、ちょっとした雑貨で生活を楽しむ人たちも増えているそうだ。そんな人たちと一緒にお店を楽しんでいけたらいいなと佐渡山さんは言う。佐渡山さんは、実は私の高校の同級生で、その頃から洋服や小物のセンスが光っていた人だった。丸いめがねにおっとりした物腰。あの頃と のーまい かーらん(少しも変わっていない)
内地の人から「宮古の人に何かプレゼントをしたんだけど・・」と聞かれることがあるが、こちらもお勧め。いき みーみーるよー。(行ってみてね)
《 楽(RAKU COLLECTION)》
平良市下里576-2 電話:0980-73-4360
平成5年開店 店主:佐渡山ひろみさん
ミャークフツ講座
神童
困っています。ミャークフツ講座といってもミャークフツを喋れない私に何の講座をすれと・・。仕方ないのでここが変だよミヤークフツということで疑問に思う方言を紹介しましょう。
- [ミャークイチ]
聞いて音のとおり宮古で一番ということ。宮古地区一位だ。おじい、おばあに言わせると遠く離れたンマガ(孫)が横浜市の大会で一位になることよりはミャークイチになることが余程困難と考えていたりする。その土壌は、例えば学校教育現場や各種競技会で育まれていたりする。宮古六市町村で競う陸上競技会なのに全宮古陸上競技会という。多分復帰前の沖教祖があみ出した呼び方だ。全先島というのも聞いたことがある。
して、沖縄地区大会は全琉陸上競技会だ。いまでも、中学校の教師が使ったりする。曰く、全琉模試、全琉コンクール。沖縄以外で「全」のつくのは全日本のみだ。日本を離れればアジア地区予選だったり、環太平洋地域大会だったりする。世界大会にも全は、付かない。単純に世界大会だ。
宮古地域の子供達が他地域に比べて打たれ弱かったりするのは全という冠に有頂天になるからだと思う。極東のちっぽけな島国日本の中の南の沖縄のさらに南の世界地図で絶対探せない宮古島に「全」を付けるのである。たいした度胸だ。
しかし、この宮古島で世界に誇れるものがオトーリだ。聞いた話では琉球王朝時代に毒殺を恐れた王が家臣の持参する酒をブレンドして皆でまわし飲んだのが始まりとか。(ほんとか)ま、皆で死ねば怖くないということかな。
オトーリの素晴らしさは皆、平等に飲酒できることにある。バガ サキャーイキャラカー(私の酒は少ない)などと不平が出るはずがない。そうじゃないね。みな、等しく自分の思いのたけを述べる事ができる。これにつきる。意見発表の場だ。また、建設的な意見でないといけないから常に集団の中の個人であることを認識しなくてはならない。大変だ。独りよがりの児童生徒に是非、教育の一環として取り入れてもらいたいものである。
世界オトーリ大会があれば間違いなく、ミャークイチはシェカイイチ(世界一)である。オトーリだけは全宮古一位という冠を付けて良い。神童が許す。
変なミャークフツ講座でした。
みゅぅとぅ(夫婦)その1
菜の花
我が家のフェンスにからまるつるバラに今年も蕾がついた。このバラは私にとっては特別なバラであり名前もある。
喉頭癌と診断されたおじさんは手術の説明にも耳を傾けず、「一切の治療はせず最期まで闘い抜く」との言葉を残して退院していった。一年後、闘うことに疲れ入院してきた時は水も飲めず痩せ、息する度に苦しさでみぱな(顔)が歪んでいた。呼吸を楽にする為の気管切開と、胃に穴を開け栄養を注入する管を通す処置以外は望まず、やん(痛み)をとることが主な治療となった。癌の進行で首から下の神経麻痺がおこってしまい、自分の力ではてぃーぱず(手足)が動かせないので、一回り以上も年下の奥さんが付き添う時間が多くなっていった。
季節が夏に向かう頃、おじさんは無表情になり一点を見つめたまま、口元をきつく結び誰の言葉にも反応しない。奥さんから「夫が何を考えているのか分らない」と相談されたとき、私は以前おじさんが「女房に楽させるのが生き甲斐。これからは女房との時間を大切にしたい」と話していたことを思い出していた。そのことに関係があるように思われて仕方ない・・・。
てぃん(空)がとても澄んでいて、んざがみまい(どこまでもどこまでも)青く広がる日、私はおじさんの部屋に向かった。ベッドに近寄る気配で みー(目)を覚ましたおじさんは私を視線で追う。私は窓の外を指さした。おじさんも空を見た。二人黙って空を見ていたら、おじさんの気持ちが伝わってくるような感覚になり、その気持ちを俳句に詠んでおじさんの目の前にかざした。
「病窓や 夏空遥か 夢駆ける」
じっと見ていたおじさんの口元がやがて震えだし、なだ(涙)が両の目からまふら(枕)へと伝わっていく。おじさんは若い頃熱血新聞記者として、一直線の生き方をしてきた。全てを仕事に賭け妥協の出来ない男として生きてきたのだ。苦労をかけた奥さんと余生を楽しみ、奥さんのぷからす(喜ぶ)姿を見ながら老いていくことが老後の設計だった。しかし、今やゆだす゜(唾)を拭き取ることさえ自分では出来ず、奥さんや看護者に全てを委ねるしかない。そんな自分に対するあらゆる思いが彼を苦しめている。無反応は他人に向けられた怒りではなく、むしろ自分に向けられているのだ。病室にやってきた奥さんは夫の涙に驚き、私に無言で問いかける。てぃ(手)には紅いバラの花が握られていた。私はおじさんに代わって詫びた。おじさんの心の中に渦巻いている
であろう思いの限りを言葉にして伝えた。おじさんの口は歪み、鼻水と涙で顔中が濡れていく。出ない声を上げ、体中を震わせて泣くおじさんのみぱな(顔)をゆっくりと拭きながら「私は今が一番幸せよ。一日中どこにも行かないあなたの傍にずっと一緒にいられることが今まであったかしら。こんなに一緒にいられる時間が持てて私は今が一番幸せ。迷惑とも苦労してるともちっとも思わない」そう言う奥さんの声も震え涙がおじさんの寝巻きに落ちては沁みこんでいった。
それからおじさんは見たことももないくらいにやぱーやぱ(穏やか)で優しい顔つきになった。今まで言えなかった思いがお互いのつむ(心)に届き、ようやく二人の人生が混じりあってひとつになっていく。みゅぅとぅ(夫婦)にはいろんな形があり、違う生き方をしてきた者同士が結びつくのだ。伝えなければ伝わらず、気づこうとしなければ気づかず過ぎてしまう。人生の最期をこんなふうに迎えたこの夫婦の間に流れる空気は、部屋を訪れる私をも温かく包んでくれた。
あの日奥さんが自宅の庭から摘んできたバラの花が終わった後、私は茎を頂き我が家の土に挿した。おじさんは逝き、奥さんも引越していったが植えたバラは翌年一輪の花をつけ、翌年は6輪、そして今年は枝が伸びたくさんの蕾をつけている。私は水やりの時この夫婦への敬意を込めて、また自分もそう在りたいとの願いを込めて花をおじさんの名前で呼ぶ。
大草原のオジャマ虫 中国旅行記その2
(投稿) あば本舗さんより
地の果てモンゴルまで来て、70度のお酒でまさかのオトーリを廻されちゃったぷりむぬ(おバカ)のその後やいかに?しばすぅったん?(心配しなかった?)
日本人、モンゴル人、入り乱れて歌あり踊りありの大宴会でもう大騒ぎ♪途中、事務局の人とふたりでパオ(包)の外へ。あっがいたんでぃ〜(ワオ!)満天の星空だあ〜。周りにネオンがなく草原という空気のせいか てぃんや うぽおーうぷ ぷすや かぎーかぎ みぃーやみゅーん かぎゆーやたん。(天は大きく、星は綺麗で見たことのない美しい夜だった。)
と、見ると近くに楽器をもって歌っている男女一組発見!酔っ払いの私達は、あ〜何だか楽しそう〜♪「私らも混ぜてまぜて〜」と駆け寄った。すると、女の子が怒ったように隠れてしもうた・・。残された男性は、苦笑いしながらも酔っ払いの外国人(私ら二人)の相手をしてくれた。唯一知ってるモンゴルの歌、「草原情歌」を美しい音色の楽器で弾いて、一緒に歌ってくれたっけ〜♪
翌日、現地の人にその話をしたら、若い男女は愛の告白を即興の歌でやりとりし合いお互いの気持ちを確かめあうんだそうな・・・。あがいんにゃ!(あちゃー!)恋する二人のじゃまをぷりーぷり(おバカx2)していたとは!反省したけどもう遅いさいがよ〜。大草原を駆け回っている馬に蹴られたら、どうしよう〜。ごめんねえ〜許してぇ。でも、そこでふとおばあやおじいの話を思い出した。昔は夜になると若い男女が集まって即興の歌や踊りで楽しんだと。昔は宮古もそうだったんだよね。
モンゴルには4〜5日滞在したけど、オトーリを飲み干したワタシは何だか一目置かれたようで・・。普段あんまり愛嬌を振りまかないといわれるモンゴル人達に親しく接してもらえたゾ。モンゴル語も色々教えてもらった。覚えている言葉はセンベーノ!(こんにちわ)これもお酒に強い宮古DNAのお陰かもね。
※私は、いきゃーみーんすぅが(行ったことがないけど)モンゴルがものすごく身近に感じられますね。モンゴルの人が宮古に来ても馴染むかも!?
編集後記
松谷初美
宮古を遠く離れていると、んなまずぶん ぬ みゃーくゃ のーしーがらー(今ごろの宮古はどんなんかねー)と、しばしば想いを馳せる。季節のメリハリが少ない宮古でも、地表は微妙な変化をしているんだよね。んなまずぶんは、ヒルサキツキミソウが満開かぁ。小・中学校の一学期の遠足で「前浜」に行った時、道々にツキミソウが風にふわふわとして咲いていたのを思い出すゆ。
さどやませいこさんの「みゃーく んなまずぶん」では、そんな今の宮古を折々に伝えていく予定です。
看護婦、菜の花の人に対する愛情の深さにはいつも感服してしまう。ばやーき゜む ぬ とぅがりーちゃーん。(私は気持ちが尖がってばかり)「あんちーやならんどー(そんなではいけないよ)」と教えられているようだ。その2では、あずーあずぬ(すごく味のある)おじぃ、おばぁが登場すっがまたつぁ。(するとのこと)こちらもお楽しみに。
「ミャークフツ講座」も、一つの言葉にこだわってやるのもいいかもと今回のをやって思った次第。あなたの投稿も大歓迎です!
ご意見、ご感想が私達の励み。お便りお寄せくださいね。まちうんどう。
次回は、5月15日の予定です。あつかー またやー。
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