宮古、八重山のみなさん、台風14号のお見舞い申し上げます。
想像以上の大変な被害に、遠くから胸を痛めています。一日も早く全面復旧できるよう祈るばかりです。
台風14号の後につらつらと
宮国優子
まず最初に。
台風14号に遭われた皆様、お見舞い申し上げます。一日も早い平常通りの生活が出来るようお祈り申し上げます。一個人ではありますが、出来る限りの応援をしていきます。
虫の知らせか、あの台風が来る前々日頃に宮古出身の友人と防災について話した。私たちは非常に怖がりなので「いつなにがあるかわからんさいがよ、だから逃げ道確保しないとね」と言って、彼女の自宅の外にまで出てあれやこれやと検討した。宮古にいた頃はそんな事考えもしなかった。コンクリートや〜(家)だし、家族もいるしとか脳天気なものだった。自然には勝てないことをすっかり忘れていた。だから今回の台風には心底打ちのめされた。
危機管理の無さが露呈してしまうけど、ヒートアイランド現象や地球の温暖化に伴う災害の怖さをうっすらとしか分からないので今更ながらいろいろ調べてみた。国土交通省の発表によると「21世紀中に全地球平均表面気温は1.4〜5.8℃上昇するものと見込まれている。」だそうだ。だからどうなんだ。私たちの生活にはどう関わるんだ。教えて欲しい。と、思っていたら「モルジブやマーシャル諸島等の沿岸低地居住者は移転を余儀なくされると予測されている」という言葉で締めくくられていた。すごくサラッと書いてあるので、一瞬分からなかった。けど、あれだよね。たまにドキュメンタリーとかでやっているのーだよね。島が完全に無くなるというばーか?この人たちはどこで暮らすの?でも災害があったら今まで住んでいた土地で同じように生活出来なくなるとうのはあり得るのだよね。どこにでも。
今回の台風ほど宮古の横のつながりを感じたことはなかった。実際その場にいたわけではないが、いろいろな人から聞くとそう思う。もし私が東京で災害にあって、私たちとの家族の事を探してくれる人はいるだろうか?賃貸なので、都内で繁華街なので町内会というものに所属していない私たち。何かあっても誰も分からないかもしれない。
地域住民に生まれてきたってこと、もしくは地域住民になるってことはお互いに努力しないと生活がやって行きづらい。理解し合うという努力。特に宮古はそれが当たり前なくらい人間関係は濃い。地域に無関心でいることは自分の安全を放棄しているって事なんだよなと思った。結局何にせよ個々の努力でしかない。そんな事を思い知らされた。
心新たにいろいろ決心した。家のそばでは笑顔で挨拶をするようにしよう。私は存在してますよ、とアピールするわけである。それから雨戸の点検やハザードマップ(地域の危険箇所や避難ルートがまとめられている)を杉並区からもらっておこう。
でもその前に忘れてはいけない。まずは宮古の支援活動をやらんと。とかいいながら、どこにどうすればいいのか、そしてその善意のお金がどこにどう届くのか、一抹の不安を感じるけれど。とりあえずは信頼できる人たちと少しずつでも支援の輪を広げていきたいと思っている。
お店紹介12《オキナワ宮古市場》
松谷初美
《オキナワ宮古市場》は、「いず(元気)がもらえるお店」と言うのがぴったりの、宮古の「島産品」を扱うお店である。
店主の玉元武司さん(39歳)は、宮古島には、自然の恵みが やまかさ(たくさん)ある。それをより多くの人に届けたいと初めはインターネットでの販売を始めた。それが1999年のこと。その後、宮古の旬を知るためには、実際にお店を持つことが大事だと考え、2000年、市場通りに店をオープンさせた。そこで 市場の あきゃーだ(仲買人)のおばさんたちに、商売のノウハウを教わったという。商売の先輩、人生の先輩たちをとても大切に思う彼の気持ちが、話を聞いている中で伝わってくる。
平良市西里(現在の警察署通り「BOOKBOX」の東にある)にプレハブの店を構えたのは、今から2年前のこと。玉元さんの宮古の「島産品」に対する愛情、またひとりひとりのお客さんに丁寧に対応する姿勢が固定客を増やしていった。中学を卒業後宮古を離れ、さまざまな職業を経験した玉元さんは、離れてみて宮古の良さがしみじみ分かったとのこと。その強い思いは、お店に充分反映されている。
お店には、宮古産の季節の野菜、果物、とうふ、味噌などの調味料、黒砂糖、お菓子、加工品、三線、CD、本、絵画、など扱う商品はさまざまだ。特に人気のあるのは、季節の野菜、昔ながらの手づくりの「石嶺とうふ」「マルキヨみそ」等。毎日の食卓にのぼる素材を求めに毎日多くの人がお店を訪れている。
インターネットでの販売も順調に伸び、お中元用の「マンゴー」は大人気だ。
また、今年から年3回の季刊誌「OGOE!」も発行している。「OGOE(おごえ)」とは、みゃーくふつでびっくりした時にでる言葉である。「驚きのある宮古島の旬で新鮮な情報を提供しながら喜んでいただくことを目的として」今年の4月から始めた。
そこでは、島の食材の紹介や、宮古で頑張っている人、宮古の食材を使ったレシピの紹介などをしている。
また、特選商品を「OGOE!」の発行に合わせて、年3回、合計で20.000円相当の商品を15.000円で発送するということも始めた。お申込は下記まで。
私は帰郷するたびに、《オキナワ宮古市場》に行き、東京へのおみやげを、購入している。そして、玉元さんからたくさんの「いず」をもらって東京に戻る。また宮古を離れていると、インターネットで宮古の物が買えるのも魅力だ。
あなたも、「島産品」を求めに いきみーるよー(行ってみてね)。
《オキナワ宮古市場》
店 舗:平良市西里1170-7 電話/FAX:0980-75-4433
事務所:平良市下里159-3 2F 電話/FAX:0980-74-1128
店主:玉元武司
ホームページ:http://www.miyakoichiba.co.jp/
※今回の台風で《オキナワ宮古市場》のお店は、倒壊することもなく、大丈夫だったとのこと。12日から営業も始めています。野菜や果物は、品薄ですが、台風前に収穫した島バナナや、豆腐、加工品などは、あるそうです。
メールや掲示板の書き込みより〜台風14号〜
東京出身 東京在住 さとみさんより
「本当に心配ですね」
今回の台風は本当に想像以上に被害が大きかったようでビックリです。心よりお見舞い申し上げます。
宮古はもちろん、石垣の友人も「今迄で初めて怖いと思った台風」だったと言っていました。その凄さが伺えるようです。全島規模での停電や断水、本当に心配ですね。一日も早い復旧をお祈りいたします。
明日からの片付け・復旧本当に大変だと思いますが、頑張ってくだいね。そしてくれぐれもお気を付けください。(2003年9月11日)
宮古出身 東京在住 まんじゅうさんより
「台風お見舞い」
あがいが〜あがい!!
くま・かまのみなさん、掲示板をごらんの宮古島の方々、台風大変でしたね。ご身内や親戚・知人の方々は、ご無事でしたでしょうか。ミャーク人にとっては他人事ではないですよね。
私も、小学校の時、コラ台風(!?)の中を大変な思いで逃げたのを思い出しました。おとうが、おばあを背負って、妹と私がおとうがとなりの隣家にひいた綱を伝って、ふきとばされそうになりながら避難したのをまざまざと記憶しています。あの台風の規模に匹敵する今回の台風の様子を報道でみながら、宮古島の人々の思いがひしと伝わってきます。早く復興できるように心から祈っています。被害に遭われた方々が、一日も早く元気になられることを祈っています。(2003年9月12日)
名古屋出身 名古屋在住 yumikaさんより
「がんばって宮古!!」
「コラ台風」NHKで見ました。今回の宮古の被害の様子も映し出されてて、本当にひどいありさまになってました。夕飯を作りながらテレビがら映し出される、宮古の様子・・・泣きながら鍋ふってました。
あまりの光景に呆然としてしまいます。最初つながらなかった電話もつながって、彼の実家が無事であったことを聞いて少し安心しました。でも、二階の屋根が飛んでいったみたい・・・!!
怪我をされた方、お亡くなりになった方、被害にあわれた宮古にお見舞い申し上げます。早く復興することを祈ります。今すぐにでも駆けつけたい気分だわ(泣)(2003年9月12日)
京都出身 平良市在住 いけまさなえさんより
「こんにちは!」
こんにちは、いけまです。パソコンからのアクセスです。昨夜遅く電力が通じ平素の生活に戻ることが出来ました。皆様の温かい励ましで心明るく過ごすことが出来ました。本当にありがとうございました!!
ほんとうに何一つ在って当たり前のものというのはありませんね。失ってみて初めて分かりました。
台風後の宮古島はからっと晴天です。潮の害に遭った植物たちが弱ってしまわないかと心配です。さとうきびが折れているのも見ました。畑の主が苗だけでも取ろうと回っていらっしゃるのを見て胸がふさがる思いでした。
鉄骨ハウスまでもへし曲がったりしているのを新聞で見て本当に強かったのだと改めて思いました。後からニュースを見て韓国における甚大な被害、東北・北海道でも風雨をもたらしたのだと知りただ驚くばかりです。自然の力の前には本当に無力でした。
郡部は電力供給はまだですし、伊良部町では断水が続いているようです。関係者ご一同様の尽力に深謝しますと共に宮古全体の復旧が一日も早く出来ますよう協力したいと思います。(2003年9月14日)
東京出身 平良市在住 葉っぱさんより
「怖かった!」
平良市内は倒れた木や電柱は撤去され、元の姿に戻りつつあります。でもまだ下地、、上野、城辺、狩俣、池間、来間、伊良部などではまだ倒壊したままの電柱も多く見られます。
本当に怖かったです。
あの日、午前0時頃停電になってから、風雨が猛烈になりゴーーーーーというものすごい音。窓はガタガタと揺れ、今にも割れてしまいそう。窓のサッシとガラスの間のパッキンが強風で持ち上げられ雨が吹き込んできました。慌てて新聞紙とタオルを置き、ガムテープで隙間を補強しましたが全然ダメでした。玄関の扉からも少しずつ水が入ってきます。
窓の外を覗くと真っ暗で何も見えません。ときおり、いなびかりがしていました。竜巻の中に入ってしまったかのようでした。
台風の目に入った午前3時半すぎ頃から救急車両や病院や避難する人たちの車の往来が多かったです。そのあとの吹きかえしがまたキョーレツでした。そして明るくなって見えてきた状況に愕然としました。
もう台風はしばらく来ないでほしい。もう暴風雨の中、膝まで水に浸かって車を押すのはイヤだぁーーー!
でも宮古の人たちは皆明るく清掃作業をしています。土曜日には城辺で豊年祭が行われ、平良では長寿を祝う敬老会が行われました。昨日来間島に行ったら、婦人会の方たちがクイチャーを踊っていました。台風被害に屈しないみやこんちゅです。そういう中にいるおかげで私も不思議と明るくいることができます
宮古の人たちの明るく、そして力強さに触れ、夫婦力を合わせてこの宮古島で頑張っていくぞー!とあらためて思いました。(2003年9月15日)
伊良部在住 ア、イラブユーさんより
「アララガマ!」
凄い事になっています。電気、水道、電話、総てがダメで、漸く今日になって電気が回復(それでも一部のみ)してやっとがま文明社会の仲間入りをしています。
コン柱がなぎ倒されて道路も閉鎖、電話も不通、携帯は電池切れ、中継基地が不能で繋がらない。船が数十艘沈没、車は横転又は水没、サトウキビは倒れてはいるもののこれは起きあがりますが、新植夏植えは土の表面が固くなっていて芽が出ませんので植え換えなければなりません。鉄骨ハウスも殆ど全壊、城辺中学校の体育館の屋根も吹き飛んだようです。被害調査が進むにつれて被害額が膨らんでいっています。
台風銀座、宮古島を思い知らされました。災害は忘れた頃にやってくる。まさしくその通りになってしまいました。侮っていました。でもこれに懲りずに頑張るしかありません。アララガマです。(2003年9月15日)
ミャークフツ講座 とーうわ(台所)編
アモイ
- とーうわ : 母屋と別に立てられた台所用の建屋
- たむぬ : 薪
- きだむぬ : 木の薪
- うまつ : 火
- ぱがま : ご飯を炊く鍋
- ふっちふぉー : あさって食べる
- やっくん : お湯を沸かす鍋
- やっくんのー : 違うだろう
- ちゅうか : 急須
- なびぴんく : 鍋の裏に付いた煤
- たてぃづる : 味噌にお湯を入れるだけの味噌汁
- あうわんつぅ : 油で炒めた味噌
電気のない時代はなじみが多かった言葉ですね。昔は炊飯ジャーがなかったが、女性の人は「ぱがま」でおいしくご飯を炊いていました。(今でも台風の後に役立ったかも)
◆親父とお袋の会話
親父:かりゅー といきし みーる。(あれを取ってきてちょうだい。)
お袋:くりゅーなー (これでいいの?)
親父:やっくんのー、(違うだろう)※他の地域で使われていたかは不明
お袋:ちゅぅーこーてぃー(やっくん(やかん)に掛けて、ちゅーこーてぃー(急須を)と切り返す)
お袋:はーい、うわーのーゆが ふっちぃ ふぁいまーりゅー?
(ねー、あなた何をあさって食べてきたの?)
親父:ばがなー、ばーやーのーゆまいふぁーんどーや、(俺が?俺は何もたべてないよ、)
お袋:あかべーる、いき、かがんむ みーくー、なびぴんくしーちゃーんてぃ
みぱなん かかいゆーさ。(うそつきだな、鏡をみてきてごらん、鍋の煤でちゃんと顔に書いてあるよ)
※最後になりましたが、宮古の皆様、台風のお見舞い申し上げます。中国から一日も早い復旧をお祈りしています。
お便りコーナー
イラウピンザさんより
<菜の花さんのエッセイ大好き>
くま・かまに投稿される方はみなさん素晴らしいセンスの持ち主揃いですが、中でも私が一番好きなのは菜の花さんです。
菜の花さんのエッセーを私は勝手に「心のエッセー」と命名して、投稿を楽しみに待つようになりました。読むたびに心のぬくもりを覚えるからです。家族の機能崩壊が進む昨今、菜の花さんのエッセーを多くの人に読んでもらいたいと願っています。できれば単行本にして欲しいですね。
十五夜の話も懐かしく読みました。私が子供のころ伊良部では、仲のよい子供たちがお金を出し合って5キロ程の山羊を買い求め、十五夜の月の光の下で車座になっていただく慣わしがありました。拠出金は確か軍票(B円)の10円だっただろうと覚えています。私の家は貧しくて、10円を出してもらえないので、松の木林に行って枯れ枝などを拾い集め、塩田(マーソヤー)に買ってもらって、そのお金で仲間に入れてもらうこともありました。今の子どもならどうしたでしょうかね。もしかしたらお金を出してもらえない親を恨んで、非行少年になるかも知れませんね。
くま・かまは島を離れた人々の心を島に引き戻してくれる素晴らしい働きをしています。どうぞ息の長いくま・かまであって欲しいと願っています。
※イラウピンザさん、お便りたんでぃがーたんでぃ。これからも応援をよろしくお願いしますね!
編集後記
松谷初美
今回の台風14号には、まーんてぃ(本当に)びっくりしました。これまでとは違うようだとは思っていたものの、こんなにまで つぅーつぅぬ(とても強い)台風だとは、思いもよりませんでした。
ホームページの掲示板では、台風発生直後から書き込みが増えはじめ、被害がだんだんと明らかになってくると、「大丈夫ですか?」「頑張ってください」などの書き込みがたくさん寄せられました。そして宮古在住の方たちからは、気丈にもその時々の宮古島の様子が寄せられました。それからメールもたくさんいただきましたので、今回その一部を合わせて紹介させていただきました。皆さん、たんでぃがーたんでぃ。
くま・かまライターで宮古在住の さどやませいこさんや神童、なー坊も、無事で、元気に頑張っています。せいこさんのお店「とぅんからや」も無事だったそうです。みなさんご安心くださいね。
今回、相当な被害にも関わらず、宮古に電話をするとみなさん、とても明るい声でこっちの方が逆に元気をもらっているようでした。「あがい、なんくるなるさー(何とかなるさー)」「のーすっかたーにゃーん(どうしようもない)」「あんちゃー くいくい(そうやっては乗り越えていく)」などなど、今回聞かれた言葉です。まーんてぃ みゃーくぬ ぴとおー つうむぬどー(本当に宮古の人は強いねー)。「こんなことくらいでは、負けないよー」というあららがま精神。宮古出身者としてとても誇りに思います。
とはいえ、被害の大きさは増すばかり、まだ電気が通らないところ、電話が不通のところもあります。皆さんの疲労が しわ(心配)です。そして工事関係者の苦労、疲労もいかばかりかと思います。どうぞ、お気をつけて。
それから ばんたがやー(我が家)もそうですが、周りのいろいろな人に助けられて、困難を乗り切ることができるのだなーと改めて思いました。
遠く宮古を離れている私達にできることは何だろう。今、宮古から離れて住んでいるくま・かまのメンバーで話あっています。被害状況を見据え、本当に必要なことをしていけたらなと思っています。きょう書いていない他のライターたちも宮古のことを心配し、応援しています。一日も早い全面復旧をお祈りしています。ワイどー!
- <おしらせ>
1903年に人頭税(にんとうぜい)が廃止されて、今年は100年の節目にあたるということで、首都圏に住む みゃーくぴとぅが中心となり、東京に於いて「宮古アララガマフェスタ」を開催するそうです。先祖の偉業を継承し、厳しい状況が続く沖縄や日本、世界に平和の光を輝かせたい、また今回の台風にも「あららがま精神」で負けないでほしいという思いを届けたいと主催者側では話しています。それから、このフェスタの売上の10%以上を台風14号の「救援資金カンパ」に当てるそうです。
「宮古アララガマフェスタ」(人頭税廃止100周年!チャリティーコンサート)
会 場 | 上野水上音楽堂(上野公園不忍池・湯島口 03-3828-9168) |
日 時 | 2003年10月13日(体育の日) 午後1時開場 2時開演 |
入場料 | 前売り 3000円(高校生以下1500円) 当日券 3500円(高校生以下2000円) 全席自由席 |
主 催 | アララガマ実行委員会 |
出 演 | 国吉源次(義子、新城哲弘) 仲本光正&クイチャーパラダイス 下地勇(徳嶺勝也、狩俣政作) 上地雄大 一条寿翠 宮園ゆう子 豊川たかし |
司 会 | 垣の花ジョージ、金子育子 |
連絡先 | 豊島区駒込2-14-7「琉球センターどうたっち(太田)」 電話&FAX 03-5974-1333 |
主催者側では、たくさんのご来場を呼びかけています。
私も行きまーす。アララガマ実行委員の皆さん、出演者の皆さん、頑張ってください。楽しみにしています!
長くなりましたが、しまいぎー(最後)まで読んでくださり、たんでぃがーたんでぃ。
みなさんも今回の台風の体験談、思ったこと、感じた事など、ぜひお寄せください。お待ちしています。
次回は、10月2日の予定です。それまで皆さんお元気で。あつかー またやー。