みなさん、こんにちは〜。三週間ぶりのくま・かまです。今回も盛り だくさんでお送りします。
しまいぎーゆみふぃーさまちー(最後まで 読んで下さいねー)。
みゃーく んなまずぶん(今ごろ)
さどやま せいこ
「ぱだーぱだ、うらまんな」(お元気ですか)。
11月ともなると、もう今年のカウントダウンが始まるような、そんな気配 をひしひしと感じ、両手両足、夫のものを借りても間に合わなくなったトシの ことを考えては恐怖におののいています。本土の方は紅葉や、そろそろ雪の話 題も出てくる頃ですが、みゃーくはまだまだ暑い。タートルマラソンやクイチ ャアフェスティバルのあった2日の日なんか春に戻ったような陽気で、朝から 汗まみれでした。因みに、この日の最高気温は29度、あとで新聞で知り、 「アンチイヤラバドゥ」(なるほど)と納得しました。
結局、仕事でどちらも見に行けなかったけど、お天気に恵まれて大盛況だっ たと、明日の新聞が教えてくれるでしょう。伝統のクイチャアは今や時代と共 に宮古の新しい芸能となりつつあります。幼稚園児からお年寄りまでみんなで 楽しめる点でこれからますます盛んにナルトイイネ。それから、衆院選があと 一週間を残すのみとなり、街の中はうぐいす嬢の黄色い声が飛び交っているこ とでしょう。(うちは海の側の僻地でたまーにしか聞こえません)
ところで、今年の鷹の飛来は例年の半分とか。結局、私もとうとう見逃して しまいました。秋の使者といわれた鷹も年々少なくなって来たように思えて寂 しいナ。昔から、童歌や諺にも登場する鷹は、はつみさんが「んみゃーち」 (宮古のガイドブック)にも書いているように島の暮らしの中に根付いていま した。それが国際保護鳥に指定されてから遠い存在になっちゃってー。私にと って唯一の慰めは、我が家の近く、ウイピャーうたき(城辺町砂川)付近に毎 年残る島番鷹です。ほとんどの仲間が東南アジアを目指して飛び去った後に今 年も何羽か残ってくれました。ピーツクピーツクと飛び回っている姿は、少し もの悲しいものがありますが、島の人たちにとってはその鳴き声が唯一の安ら ぎです。
カニシマ(昔の即興歌)の中にも島番鷹を歌った箇所があり、確か、「あの 小さい鷹でさえ残って島を守ってくれる、われわれも・・・」という内容だっ たとを思います。いつか、鷹の思い出話を特集してみるとおもしろいと思うよ。 ウスカ(おしまい)。(11月2日深夜)
池間ぬ主 どうかってぃ(自分勝手)解説
マツカニ
1. うぷてぃだ とぅ つき゜がなす あがりんみゃす゜ぁ ぴてぃつ ばんたが しゅうとぅ うやんまとぅが うむす゜ぁ ぴてぃつ (ソーニノヨイサッサイ)
2. いきま ぬ しゅうや すぬぷやく いきま みざっさ いきまぬしゅう ばが かなす むさうや や すぐみざすよ
3. いきまぬ しゅう が うやき だいんな ぴるます うやき うぷや とおうわ ふかまいすてぃ たーらや ぴだつ
4. いきまぬ しゅうが ふにがまよ だいんな にいづう ふにがまよ ふなくゆみ みいりば ななぬ ふなく
5. ばんまい いきまぬ しゅうやらば ばんまい ぱなりぬ うややらば いきま やどぅつき゜ ミガガマが にいむぬ ふぁいみいば
6. かんやん うす゜きゃぬ ミガガマよ ぱなさきいどぅ うたす゜ぅが うぷうや やんかい いき゜たりゃどぅ からぱす゜ まゆがまよ
7. からぱす゜ まゆがま やらばんつぁ からぱす゜ いんがま やらばんつぁ うぷうや しゅうが き゜むんじゃん すのおちからよ
1. 太陽とお月様は同じ一つの道を昇っていらっしゃる 私達の主と(主の)奥さんの思いも一つ
2. 池間の主は首里大屋子 池間目差は池間の主 私の愛しい武佐親はもうすぐ目差になる
3. 池間の主は裕福です 不思議なくらい金持ちです 調理場、母家を新築しても俵が山のように残っている
4. 池間の主の舟は荷強い舟だ 船員を数えると7人いる
5. 私も池間の主だったらなぁ 池間宿付のミガガマの作る料理を食べてみたい
6. 神屋にいた時のミガガマは美しい花のようだった 池間の主の家にいってから灰にまみれた猫みたいだ
7. 灰にまみれた猫でも灰まみれの犬だろうと 池間の主のご機嫌さえとれればいいんだってさ
《解説》
宮古島には権力者を讃美する唄が数多く有り宮古民謡の特徴ともいわれてい ます。この「池間の主」も一見するとそうですが、違う角度からよく見てみる と首里王府の役人である池間の主はあまり慕われていなかったような感じがし てきます。
島一番の美人をとられたくやしさも手伝ってこの唄が生まれたような気がし ます。例えば武佐親がもうすぐ目差になるといったり不思議なくらい裕福だと いったり(その頃は腐敗役人が多かったらしい)舟とはいえ小さい、かわいい という意味のがまを使ったり、5番は嫉妬で6・7番ではミガガマをからかって いる内容となっています。以上のような事から島一番の偉い役人である池間の 主は人気がなっかたような気がします。
しかしながら民謡としてはすごく人気が高く、宮古民謡らしい哀愁を帯びた 曲調で2揚調子の三線も割と弾きやすく僕も大好きな唄の一つです。 それにしても昔の宮古の猫はトーウワ(台所)の暖かい灰が好きだったのだ?
お店紹介14《大丸パーラー》
松谷初美
下里通りにある「大丸パーラー」は、昔から大判焼きで親しまれているお店 だ。現在の店主は、二代目伊舎堂米さん。初代(下地さんという方)が経営し ていた頃に11年勤め、その後お店を引き継いだ。それから22年になる。
下里通りは平成12年に拡張工事がされ、街並みもだいぶ変わってしまったが、 「大丸パーラー」は、元あった場所に今もある。
先代が最初に始めたのは、アイスケーキとアイスクリームを売るお店で、 「大丸アイスケーキ店」という名前だったそうだ。しかし、冬場になるとアイ スケーキが売れないので、アイスケーキの材料を扱っているメーカーから大判 焼きの型を購入し、宮古で始めての大判焼きを始めた。当初は今よりも だい ばん(大きい)大判焼きだったとのこと。
私がやらびぱだ(子供の頃)も下里通りを歩いていると、あの甘い かざ( 匂い)がただよってきて、素通りすることはできなかった。あの頃、こんな作 りたての甘いのを売っているところは、他にはなかったはずよぉ。大判焼きと いったら「大丸」というくらい、宮古全島に浸透していたと思う。特に冬に食 べる大判焼きは、温かさが手にジワーっときて、ハフハフして食べるのが最高。 そしてそのおいしさは、んきゃーんから かーらん(昔から変わらない)。 味は先代からのものをしっかり守り、餡子も手作りだ。あっさりしていて、一 個食べ終わっても、すぐ次に手が伸びてしまうさーね。
「およげたい焼きくん」という歌がヒットしてからは、たい焼きも置くよう になった。大判焼き、たい焼きとも一個100円だ。小さいお子さんから、年配 の方まで、幅広く人気。それから冬場は、たこ焼きも人気。(私が やらびの ころは、たこ焼きなんてものは見たことなかったなぁ。ちなみに初めて食べた のは高校を卒業してからだった)。たこ焼きは、8個入りで300円。
夏は、なんといっても「氷ぜんざい」。つぶあずきに白玉が入っていて、そ こにシロミツがかかり、その上にはカキ氷。これも定番だ。水と白砂糖を煮詰 て作るシロミツも手作りだそうで、これがまたおいしいんだ。私はこの夏、久 しぶりにこの「氷ぜんざい」を食べた。こめかみがツーンとなりながら食べる 「氷ざんざい」は、やっぱり宮古の夏にはぴったり。
これから季節は冬。宮古の冬も案外、ぴしむぬ(寒い)。かじまいつぅーつ ぅー(風も強く)吹き、ストーブを出すこともある。そんな時は、やっぱり、 大判焼きやたい焼きがいいねー。ちゃーぬ ちょうき(おやつ)やおみやげに 上等どー。 いきみーるよー(行ってみてね)。
《大丸パーラー》
平良市下里603
電話:0980-72-7837
店主:伊舎堂 米さん(二代目)
ミャークフツ講座 “のおていぬばあ〜りゃ〜”編
ひさぼう
野際陽子が、押し殺したような声で、このセリフ。たじろぐ仲間由紀恵。 テレビドラマ「トリック」のワンシーンである。今回は、このセリフから。
「のお」 なに(何)、どう(如何)
「ていぬ」 という
「ばあ〜」 こと
「りゃ〜」 「のお」+「りゃ〜」で、ものごとを尋ねたり、ただすとき使う。
→「一体どういうことなの?!」というのが、このセリフの意味。
「のお」
「のお」は、上の使い方の外に、単独で使うときは、呼ばれたときの返事になる。宮古の人は、ハイとは言わず、「のお」と言う。ハーイは、「のー」である。ちょっとうるさいな、という意味をこめるときは、「が」をつけて、「のおが」、「のお〜が」と言う。語尾を上げて、「のおーおー」は喧嘩ごし、「なにおー!!」。目上と年寄りには語尾をさげて、ソフトに「おう」と返事する。
「のおりゃー くりゃー」
「のおりゃー うりゃー」
「のおりゃー かりゃー」
→順に、これ、それ、あれ は ナニ ?という問いかけになる。
「のおしーりゃー」→ ごきげん如何?に相当。元気?生活はどう?具合はどう?など。
「のおゆが しーゆー りゃー」
→何をしているか?という意味。この「しーゆー」の所に、相手の動作を入れると、何を○○しているか? になる。
「のおゆが みいゆう(見ている) りゃー」
「のおゆが ふぁいゆう(食べている) りゃー」
「のおゆが ゆみゅう(読んでいる) りゃー」
「のおてい がらやー」
「のお がらやー」
「のおまい あらん」
「のおまい にゃあん」
→順に、何でだろう、何だろう、何でもない、何にもない
「のおしぬ」
「のおしいまい」
「のおしいがみまい」
→上から、どういう、どうしても、何としてでも
「のおがらくうがら」 →何が何だか
「のおまいしらいん」 →お手上げだ
宮古の歴史的建築物
神童
現在、宮古島にどれほどの建造物があるのだろうか。
隣の石垣島の場合、宮良殿内(ミヤラドゥンチ)や唐人墓、桃林寺(仁王像が ある)が現在も残っており、フクギの邸囲いや石垣が多く残っている。宮古島 の塀はそのほとんどがブロック造となっているのは何故なんだろう。
その昔、宮古には現在の漲水御獄に隣接して蔵元があった。今はその面影の かけらもなく、ホテル共和が近代的な建物としてそびえ立っているだけだ。蔵 元は一部商人と行政の手により、平良港の桟橋としてその石が使われ、歴史的 建造物の認識もないまま、取り壊された。大正10年頃の話しだ。久米島には 現在でも蔵元跡が残っており、石積みの技術の高さをうかがわせる。
また、宮古神社は大戦後建て替ええられたものの復帰前の台風により倒壊し た。跡地には市民会館が建設され、宮古神社は市有地との交換で現在の位置に 建設された。市民会館はその当時、市民の浄財で建設されたものの、マティダ 市民劇場の建設によりその役目を終えようとしている。
市民会館と宮古神社の間に祥雲寺がある。建物は現代風のコンクリートになったものの、寺院を囲む石垣は保存され、文化財の指定を受けて未来に渡って 保存されることとなっている。祥雲寺の石垣は、市道建設の際、取り壊されて いるが、住職らの要望で道路幅員を確保した上、復旧されたものである。
昭和の30年代、宮古の邸囲いのほとんどは琉球石灰岩で積み上げられたも のであった。しかし、コンクリート住宅の建設によりその多くが採石場に買い 取られ建設資材の砂利のなったのである。さすがに、仲宗根豊見親の墓までは 売られなかったが。
新しもの好きの宮古気質は過去の歴史的遺産の価値をよく考えないまま、行 政を進めて来た感がある。現在平良市庁舎が建っている場所は元々庁舎があっ た場所であるが、復帰前にオグデンという人の奥さんが私財を寄付して建設し たその名も「オグデン会館」という建物があった。結婚式を挙げたりするホー ルだ。新庁舎の建設の際、見事に解体撤去された。外階段の美しい建物だった のに。
現在は市立図書館(琉米文化会館)が残っている。何とかして保存できない ものだろうか。当時(1950年代初頭)の事務所建築が伺える、いい建物である。 戦争資料館として活用しながら保存できないかなあ。と思う。
お便りコーナー
伊良部在住 ア、イラブyouさんより
vol.62やまこ百貨店の紹介を読んで昔を思い出しています。そうですか、今 の建物は昭和38年でしたか。当時は生コン製造プラントは無くスラブ打設とな ると小型のミキサーにバラス、砂、セメントの順に入れ最後に水を入れてコン クリートを作りそれをバケツに入れて手渡しで屋上に上げて・・・の一連の作 業でそれはそれは大変でした。
ところが、やまこ百貨店の時はあれだけの大きな建物ですから建築屋さんが 考えたんでしょうね。何と大きなやぐらを建てて、てっぺんに滑車をつけドラ ム缶を半分に切ったものにコンクリートを入れてこれを引き上げるんですが、 これを引き上げるのが又凄い。トラックを動かないように固定してから後輪を はずし、そこにタイヤの無いドラムのみを取りつけてその回転を動力にしてロ ープを巻き上げるというやり方で、当時としては凄い画期的な事を思い出しま す。その考案者は確か司組の創業者の下地健司さんではなかったかなーと記憶 しています。下地さんは今は目が不自由ですが、今でも書の大家として有名で す。努力の人ですからあのようなアイディアも出たんでしょうね。
※「やまこ百貨店」を建物の面から見るというのも面白いですね。今ではあ たり前になっていることも、先人の努力があってこそですね。
編集後記
松谷初美
民謡「池間の主」は、ばんまい(私も)好きな歌だ。太陽や月に対して、敬 語を使うのもいかにも宮古らしいと思う。それにしても みゃーくふつがドラ マに使われる時代になった。「池間の主」が作られた時代の人が聞いたら、腰 を抜かすくらい驚くはずよ。それこそ「のおてぃぬばあーりゃー」だ!
前号で、私は宮古に歴史的建造物が少ないのは、台風のせいだと思い書いた が、神童のを読むとそればかりとはいえないようだ。言われてみると「まーん てぃやー(本当だねー)確かに宮古の人は古い建造物に対する思い入れがあま りないんだはず。自分もそうさね。常に新しいものを求め、お金が入ることが 最優先で、壊すことに手間暇をかけて、大切なものを切り捨ててきた。今、そ のことへの後悔、反省が大切なものを失わないことに繋がっていく時だと思う。
前号のお店紹介の「山小(やまこ)百貨店」は、漢字ではなく、ひらがなの「やまこ百貨店」でした。山に小は、お店のマークだそうです。大変失礼いたしました。訂正してお詫びいたします。
次回は、11月20日の予定です。あつかー またやー。