みなさん、こんにちは〜。6月になりましたねー。のーてぃぬ ぴゃーむぬがさーい(なんと言う早さなんだ)
くま・かま vol.77 ぱずみっとー(始めますよー)
ばんたがやーぬつかふ(私達の家の近く)3」〔平良市宮原〕《や―ぬなー(家で呼ばれる方言名)前編》
アモイ(平良市出身)
私の兄貴の やーぬなー(方言名)は「マトゥ」。弟は「タル」と言う。年 下なので「タルチャン」と呼んでいる。私の やーぬなーは「カンドゥヌ」と いうのだが、どういう訳か私の方は やーぬなーではあまり呼ばれたことがな く、その代わり、学校なー(戸籍に載せる名前)からー文字もらった「〜〜坊」 というよくあるパターンで呼ばれていた。
宮古島で やーぬなーと言うのは「かんぬなー」(神の名前)とも言われ、 子供が生まれて名前をつける時に、いくつかの やーぬなーの候補を書いた紙 をバーキ(竹でできた籠)に入れて神棚の前で揺らし、落ちてきた紙に書いて ある名前をつけるというもので、落ちた名前を神が選んだものとして神前命名 式という事のようである。
「マトゥ」と言う名前はうちの部落だけでも何人かいるし、「タル」という 名前はもっと多い、宮原学区全体、いや宮古島全体でどの位いるか調査できた ら面白いかもしれない。「タル」に至っては多すぎて「タル」だけでは用を成 さず、うわたがタル(あんたんちのタル)、ばんたがタル(うちのタル)、ア モイ屋ーぬタル、というように前置きをつけないと何処の「タル」の事なの区 別がつかないほどである。
やーぬなーは神の名前ともいう通り、神社や御嶽(うたき)にゆかりのある 名前が多いのだ。そして、毎年5月に行われるプース(御嶽での祈願)には名 前にゆかりのある御嶽にお参りするのが慣わしだったようだ。母からお前の御 嶽はどこそこの御嶽だよと言われたものだった。しかし今はその慣わしも受け 継がれていないのが実情であろうか。御嶽には昔の按司(アズ)達が祀られて いる事が多いようだ。それで、この代表的な2つのやーぬなーは、いったいど こから来たのだろうか?ちょっと興味がわいたので調べてみた。
まず、やーぬなーで一番多いと思われる「タル」の御嶽は、宮原の北増原の 西北の方でサガーニ部落の北側(宮古一周道路からみて海側)にある西銘(に しめ)神社(御嶽)に由来しているそうだ。そこに祀られているのは「西銘翁」 といい、本名が「西銘嘉播親」という人で、またの名を炭焼太郎とも呼んでい る。その昔、炭を焼いて暮らしていたことから「炭焼太郎(すんやきすたる)」 と呼ばれていたそうだ。太郎と言う名前が方言でいうと「タル」になり、年寄 りにはそのまま、太郎という学校なー(名)の人も多い。
そして「マトゥ」は、飛鳥神社(とびとりじんじゃ)に由来している。場所 は南増原と西城学区の山川部落やすんばり部落との中間地点にある。幽霊屋敷 と言われている?「レストランいずみ」跡の近辺と言えばわかり易いかも知れ ない。飛鳥神社周辺は昭和52年に平良市指定文化財に指定されているそうだ。 この飛鳥神社に祀られているのは「飛鳥翁」と言う人である。彼は弓の名手で、 フルネームを「飛鳥真徳金」と言い、真徳金(マトカニ)と言う名前からは、 本名の「マトカニ」は勿論、「マトゥ」や「カニ」「マツガニ」までも繋がり、 いくつかの やーぬなーのバリエーションができたようで、本名よりも前半だ けを取った「マトゥ」の方が多くなったのであろうか。
この2つの神社(御嶽)が宮原地区にあることから、「タル」と「マトゥ」 は宮原地区で、やーぬなーとして断然多くなったようである。
宮古島の歴史に興味のある人ならもうお気づきかと思うが、藤川桂介著の『 シギラノ月』には「炭焼太郎」と「飛鳥翁」の2人とも登場する、登場すると 言っても「炭焼太郎」は系図にのみであるが、「飛鳥翁」は、弓の名人として 白川浜の決闘に登場する。後編ではその『シギラの月』と「広報みやはら、第 一巻」で得た知識から2人の宮古島の歴史とのかかわりについてちょっと触れ てみたいと思います。
ミャークフツ講座 しゅうぬ(おじいの)一日編
ざうかに(平良市宮原出身)
・すぅとぅむてぃ しゃーか うき みぱなゆすみ
(朝早く起きて 顔を洗い)
・いざろお とぅぎ うすぬ ふそお かずが いく゜
(鎌を研いで牛の草を借りに行く)
・うぬ ふそおー うすん あずき
(その草を牛にあげ)
・ちゅうずがまーしー あさむぬう ふぉー
(手足を洗い 朝ごはんを 食べる)
・あたーま ゆくいってぃ から
(少しだけ 休んでから)
・っふふぁつぅ くんぎ ぱりぬ あっつお かじが
(鍬を担いで畑の端をきれいにしに)
・ぴすまんなりば あしおー ふぉー
(お昼になるので、お昼ごはんを食べる)
・ちゃーがま ぬんがつな ぴすまにゅうず っす
(お茶を飲みながら 昼寝をする)
・うきってぃからあ ぱりんき はくようゆ っすか
(起きたら 畑へ キビの手入れをしに)
・てぃだぬ うてぃつかー また うすんかい ふそおー あずき
(陽が落ちたら また牛に草をあげる)
・みっず あみってぃ かぎすぅるすぅるてぃ ゆずう ふぉー
(水浴びをして きれいさっぱりになり 夕飯を食べる)
・さんしんぬ ぴき゜がつな さきがまー ぬん
(三線を弾きながら お酒を飲む)
・あーぐぅ あっじゅーべーてぃ うむーつかー
(歌を歌っていたかと思ったら)
・ぐっふぁ ぐっふぁてぃ にーにうばしーうー
(ウトウトと居眠りをしている)
・「はーい しゅう 裏座んき にうう”ぃ」
(ねぇ おじい 裏の部屋に行って 寝なさい)
・てぃ んまが くいしー しゅうぬ きゅうぬ いちにまい しまい
(と、おばぁの声で おじいのきょうの一日も終わり)
お店紹介16《 Ber THINK 》
松谷初美(下地町出身)
ゆったりとした空間に、ほどよいボリュームの音楽。静かにお酒を楽しむの にぴったりの場所、そこが「Ber THINK」だ。
お店は、西里通りの琉球銀行斜め向かいのビル2階にある。2001年6月にオ ープンした正統派Barだ。マスターの高田俊彦さんは、静岡県の出身で、198 8年に浜松で「Ber THINK」を始めた。宮古への縁は1996年、海に魅せられ通い だしてから。毎年通っているうち、ついには2001年4月移住となる。
店内に入ってまず目につくのは、棚いっぱいにある数々のお酒だ。その種類、 300種以上。棚を眺めているだけでも楽しい。また、その周りにある数々のグ ッズも見ものだ。ウオーターピッチャーなどは、今では販売していないものば かりだそう。
モルトウイスキーが大好きな方には、垂涎ものが多数並んでいて、一度行く と、病みつきになるようである。そしてなんと言ってもお勧めは、季節のフル ーツを使ったカクテルだ。特に宮古産のマンゴーを使ったカクテルは、一押し どころか、何度も押したくなる絶品である。今年は6月下旬頃から楽しめると のこと。今現在は、ライチのカクテル。もうすぐ桃へと変わるそうだ。
マスターは、2002年に沖縄本島で行われた「第9回アワモリ カクテル コン ペティション」において、初出場、グランプリ(県知事賞)を受賞している。 泡盛に合ったカクテル作りにも熱心だ。
お店に泡盛はあるが、そこにオトーリグッズはもちろんない。Barは、静か にお酒を飲むところであり、ドンちゃん騒ぎをするところではないと、マスタ ーきっぱりと言い切る。大声を出したり、他のお客さんに迷惑をかけるような 行為をしてマスターに追い返された人、これまでに10数名。この姿勢は、宮古 に限ったことではなく、浜松時代から。
私は、宮古に帰るたびにおじゃまし、たのしいひとときを過ごしている。酒 に弱い私であるが、ここでカクテルのおいしさを知った。イチゴとゴディバの チョコレートリキュールを使ったカクテルは ばっしらいん(忘れられない!)
宮古が大好きなマスターだが、残念なことがあるという。それは、スーパー やお店などの品切れが多いということだ。これまで同じ商品で何回も品切れが あり、そのたびにがっかりしているとのこと。
マスターにはもうひとつの顔がある。それは亀仙人である。なんのこっちゃ とお思いでしょうが、そうなのである。(どうなの?)。憧れは、漫画のドラ ゴンボールの亀仙人(ほらあの、エロじじいさー)だそうで、その通りの?自 由人なのである。海が大好きな亀仙人は、毎日せっせと海通い、血みどろ、汗 みどろになって、釣りを続けるのだ。宮古で言うところの「いんぶりゃ(海キ チ)」ですな。その出来事は「島からの便り」として毎日ホームページで公開 している。海の好きな方とお笑いが好きな方、必見です。
高校三年生の夏、母親がやっていたスナックを手伝い、この世界を面白いと 感じたマスターは、ソフト(喫茶店やコーヒー専門店)とドライ(お酒のある お店)、両方で修行をした。本物に徹する姿勢、こだわりは相当である。好き な職業につき、好きな遊びもとことんやる生き方は、潔くて気持ちがいい。自 分を生きるとはこういうことかなーと思う。
今、「THINK」では、宮古出身の若手、与那覇亮さんが本格的なバーテンデ ーを目指して修行中だ。
お客さんが居心地よいように、良いお酒との時間を楽しめるように作られた 「Ber THINK」。ぜひ、一度その味をおためしあれ。いきみーるよー(行って みてね)。
《 Ber THINK 》
〒906-0012 沖縄県平良市西里231‐2F
店主:高田俊彦
Tel.Fax.(0980)73-6009 メルアド:mailto:barthink@iris.ocn.ne.jp
HP:http://www11.ocn.ne.jp/~barthink/
ぬつ ぬぅ つうさ(命の力)
菜の花(伊良部町出身)
くとぅす(今年)の春、長いこと仕事をした臨床の現場から老人保健施設へ と転勤になった。
今までは やん(病気)になった方を一日も早く家庭や社会に復帰できるよ うに必死で看護し、死に直面している方にはありったけの つむ(心)を込め て見取りのケアを行った。今度は様々な事情を抱えこの施設を生活の場として いる ういぴとう(年寄り)の がんずうー(健康)を守ることが主な仕事と なった。
知性や理性が脱ぎ捨てられた年寄りの みー(瞳)は無垢な やらび(幼児) の みー(瞳)によく似ている。その上、予測不可能な行動をとる年寄りと、 幼児の行動もどこか似ている。
ベッドに にうわだ(寝ないで)わざわざベッドの すたーらんかい(下に) もぐりこんで寝たり、ぴとう(他人)の部屋に入っては つん(衣類)を引っ 張りだしていたり、シャツのボタンをちぎっては すてぃ(放り)、靴はテー ブルの わーらんかい(上に)ぬーしーみーてぃ(置いたりと)、かつてやら び(子ども)が いみーみ(小さい)頃の思い出と重なる出来事が毎日のよう に起こる。「老いて童に返る」とはよく言ったものだ。
どぅしーや(自力では)さじ(スプーン)をふつ(口)に運ぶことができな い寝たきりのおばあもいる。病院であれば、点滴も栄養を入れる管もあるが、 施設には いんしーぬむのーにーん(そんなものはない)。スプーン一杯一杯 の離乳食のようなミキサー食や水がおばあの ぬつ(命)の綱であり生きる くんつ(力)なのだと思うと、人間の生命力の強さに感動もする。年寄りと接 する日々は笑いと感動の連続である。年寄りがひき起こす事件の数々にハラハ ラドキドキしながら働くのも結構楽しいものである。愛しくてたまらなくなる こともあると言ったら失礼だろうか?
施設で生活している年寄りは、何事に対しても傲慢さが無く在るがままに一 日を過ごす。単調に過ぎていく時間が日常であり、自らの力ではその日常を変 化させることもできない方が殆どである。職員やボランティアが行うささやか な催しや、風呂に入れることでさえ大きな変化なのである。
着替えも排泄も食事を摂る事も自分ではできなかったり、動作の一つ一つに 声を掛けないと動けない年寄りを介護するということは、生活の んーな(全 て)を くぬてぃー(この手)に預かるということなのだ。
きない(家族)と まーつき(一緒)にいたい、やー(家)に んぎぶすむ ぬ(帰りたい)との思いが行動になり徘徊という形で現れることもある。長い 人生を経て今、此処に居る年寄りを介護するということは、一人一人の生きて きた道のりを一緒に振り返り、その時々の思いに添い包む以外にないのだ。
かつての日本の戦争という歴史がつくりあげた、強い忍耐力を持つ年寄りは、 時間にも、決まりごとにも、人に対しても、自分の人生や今ある状況にも逆ら うことなく従順である。そして、また芯が強いのだ。やぱーやぱ(穏やか)に、 ぬかーてぃぬ(ゆったりとした)口調でありながらも、辛抱強く待ちながら自 分の要求はしっかりと通す。おじい、おばあから見れば、殻を割ったばかりの ヒヨコも同然の ばはーばはぬ(若い)職員は気がつけばその要求に応えてい るというわけだ。例え体力や知力は衰えていても長い人生経験から生み出され た うむい(意思)のつうさ(強さ)は いすぬにゃーな(石のように)くぱ ーくぱどう(堅い)。
老人大国と言われながらも、やー(家庭)にも街にも老人の姿を見かけるこ とは少ないように思う。それもそのはず。老人施設は今の時代、大手企業の枠 内でどんどん増えているし、コマーシャルにも出るようになった。私が年寄り になる頃には日本の人口の三人に一人が年寄りだという! ということは、年 寄りを見る ばはむぬ(若い人)が みーん(いない)ってことじゃない?ん ざから(どこから)探してくるべき?
私も老後に備えて、たや(強い)なおばあになっておかないとならんなーと こっそり車椅子に乗ってこぐ練習をしてみた。車椅子の目線は座って世の中を 見つめられる高さだった・・・。
お便りコーナー
宜野湾市在住 イラウピンザさんより
遊び特集を読んで、B円時代の昔にタイムスリップしました。「貧すれば鈍 す」というが、まるで逆で、貧しかった幼い頃は、お金のかからないたくさん の遊びを開発して、多くの友達と仲良く遊んだものでした。喧嘩もしたが、す ぐ仲直りして翌日はまた一緒に遊んだものだ。「いじめ」などなかった。そん な時代が懐かしい。
逆戻りすることは出来ないが、せめて昔の遊びを活字にして残すことができ れば、今の子供達に伝えることが出来るのではないかと思いながら読みました。 おじー、おばあーが手ほどきしてやれば小学生以下の子供達は喜んで遊びに乗 ってくるだろうと思います。「書けば宮古」パート2で企画してみてはいかが でしょうか。
※「遊び」特集、喜んでいただいて ぷからすむぬ(うれしいです)。まーんてぃ 遊びから学んだことって多かったですね。お便りたんでぃがーたでぃ〜。
編集後記
松谷初美(下地町出身)
vol.77、のーしがやたーがらー?(いかがでしたかー?)。
自分の住んでいる(いた)ところを紹介してみようと始まった「ばんたがや ーぬつかふ」も3回目です。やっぱり、知らないことが多いなーと実感。平良 市宮原も歴史の古い とぅくま(場所)やー。恥ずかしながら「炭焼太郎」と 「飛鳥翁」のこと、初めて知りました。宮古の歴史とどう関わっているのでし ょうか。後編は次号に続きます。
ミャークフツ講座もネタ切れのこのごろ。ざうかにさんと、ネタ探し談義。 ある しゅう(おじい)の一日を追ってみることにした。そんな中の話で、 「ぱりんかいいかだかー ぱき゜まいどぅ やん(畑に行かないと足も痛む)」 と しゅうたちは言うよーとざうかにさん。まーんてぃ んきゃーぬぴとぅお (本当に昔の人は)働くことが生きることだった。
久々の「お店紹介」です。Iターンで宮古に来て、お店を開いている人が増 えています。今回紹介したマスターもそんなひとり。ホームページも人気があ るので、知っている方も多かったかも。次回もIターンで宮古に来た方の紹介 をします。
看護婦菜の花の職場が変わってから最初の原稿です。思うがままに生きる、 ういぴとぅ(お年より)たちを見るまなざしが柔らかく温かい。この施設での 新たな物語にまたご期待ください。
みなさんからのご意見、ご感想 まちんどー(お待ちしています)。よろしくお願いいたします。
次号は、6月17日(木)発行予定です。あつかーまたいら。