みなさん、こんにちは〜。
まずは、新潟中越地震で被災された皆様にお見舞いもうしあげます。読者の中にも新潟にお住まいの方、いらっしゃると思います。ご無事でいられることを祈っています。
きゅうまいまた(今日もまた)〜深夜から起床まで編〜
菜の花(伊良部町出身)
ういぴとぅ(年寄り)の朝は ぴゃーむぬどぅ(早い)。とにかく早いのだ。年寄りには ゆなは(深夜)と すとぅむてぃ(朝)の区別はないのかも知れないと思うことさえある。
いつがら(いつだったか)、のーすてぃー(なぜ)年寄りは寝なくなっていくのか・・・とまじめに議論したところ、ある先輩が「年寄りは くぬゆー(この世)での時間が よーたふ(少なく)なっていくからもったいなくて寝ていられない」と話すのに一同納得してしまった事がある。
夜勤の ゆー(夜)は既に起きている、あるいは寝ていないだけかもわからんおじいと過ごす。おじいはいっつも「メシまだか?食わしてもらってないけど・・・」と上目遣いに口にする。あがい、時計はまだ深夜の3時だ。職員休憩室から「メシまだか攻撃」に備えた?飴を持ってきて、ちゃー(お茶)と一緒に とぅらす(手渡す)。それから、おじいの耳元で「お米これから研ぐから待ってて下さい。おみおつけもつくりますね」と言うと「おー。そうか」とお茶をすする。飴もほおばる。「うまいなー」と笑うおじいにつられて私も笑い返す。深夜のアイコンタクトに眠気が覚める。
時計の針が4時を回り、5時近くなるとにわかにフロアーの空気がざわつく。やがて5時を過ぎると くまから、かまから(あちこち)の部屋から、連鎖反応のように一斉にナースコールが鳴る、鳴る・・・鳴る!「起こして」「おしっこ」「お財布がない。盗られた」「私はどうしてここにいるの」「ばーさんきたか」「今、何時」「リハビリ?」「バスの時間か」・・・時にはとんでもないセリフも吹っ飛んでくる。お願いだから・・・ちょっと待っててね・・・。いくら仕事に慣れたとはいえ、どぅ(体)は ぴてぃーつ(一つ)なのよ・・なんて言い訳無用!ひたすらに順番に声を掛けていく。パジャマを着替えて車椅子へ、洗面をさせ、髪の毛をとかし入れ歯を入れたら、おー!ビューチフルに決まったね。こうして、すとぅむてぃむぬ(朝食)が始まる前には んーな(全員)が食堂の定位置に着く。朝食を摂って元気になる年寄りに比べ夜勤が終わった職員は目の下にくまができ老人よりも活気がなくなっていく。
いつだったか実習にきた医学生が、老人施設はもっと暗くてジメジメしたイメージかと思ったが、明るくて楽しそうで驚いたとコメントして帰っていった。当たり前だ。年寄りのパワーを侮るなかれ!ただでさえありとあらゆる人生の苦難を乗り越えてきた人々だ。つまらないことばっかりじゃ、それこそつまらないでしょう。呆けてはいるが笑いもすれば我も通す。懐も広いが卑屈にもなる。人間らしさ丸出しで、どうかってぃ(自分勝手)に過ごす老人に暗さは、 にーん(無い)。しかし、理解度の問題を超え、人の思いやりには敏感に反応することも決して忘れたりしないのだ。
とぅす(年)を取らない人は みーん(いない)。止まらない時間は私をもあなたをも、もれなく年寄りにしてくれる事でしょう。それは人生の約束であり、誰にも抗うことのできない必然的な展開なのだ。やがて日本は3人に1人が老人という時代がくると言われている。となると、少子化が問題の日本では誰が老人をみるかさあ?今や老人施設の数が増える一方だが、そのうち五つ星ホテルのように五つ星老人施設なんか登場したりして・・・。そしたら毎月、最良老人施設の上位ランキング発表なんてこともありだったりして・・・。理想の老人施設も夢じゃない。そうなったら年寄りになるのも悪くないねー。
これを読んでいる皆さん。明るく楽しいどうかってぃ老後に備え心の準備はよろしくて?
ミャークフツ講座 たんでぃ編
ざうかに(平良市宮原出身)
今回は、「たんでぃ」という言葉について書いてみたいと思います。「たんでぃ」で代表的な言葉というと、ありがとうございます。という意味の「たんでぃがーたんでぃ」があると思いますが、「たんでぃ」は、それだけでなく「お願い」や、言葉を強調する意味もあります。今流にいうと、「超〜」ということになるかもしれないですね。
「たんでぃ」は、いろんな言葉にくっつけて使って見るとおもしろいよ。
ミャークフツ | 標準語訳 |
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あがい たんでぃ | びっくりしたね |
しまい たんでぃ | たいへんね |
すさん たんでい | 知らないね、まさかねー |
うぬすく たんでぃ | そんなにね |
あにむぬ たんでぃ | どうでもいいね |
まあんてぃ たんでぃ | 本当にね |
あすがどぅ たんでぃ | だけどね |
うとうるす たんでぃ | こわいね |
あかぞう たんでぃ | いいきみだね |
のうゆが たんでぃ | 何をそんなにね |
あたらか たんでぃ | もったいないね |
じょうぶんさい たんでい | いいんじゃないの |
たんでい っすう | あやまりなさい |
この様に「たんでい」の使い方はまだまだあります。先に付けても後に付けても使えるからおもしろいですよねまた、宮古人の優しさというか、人のよさが覗える言葉ではないかなあと思います。
宮古の図書館
松谷初美(下地町出身)
宮古に図書館は、いふつがあーがら(いくつあるだろう)。人口に比べたらたぶん、多いほうだと思う。各市町村の公立図書館、県立図書館、あと学校図書館が各学校にある。学校図書館は、私の やらびぱだ(子どもの頃)からあったので、内地でもどこでも同じようなものだと思っていた。
ところが、息子が小学校(東京)に行くようになってびっくりした。独立した図書館ではなく、一つの教室に図書をおいてあるだけの図書室だったのである。司書の先生もいない、決まった時間にしか開かないという。(最近これは改善されつつある)近所にいる友人たちに聞いてみると、独立した図書館があったのは、高校か大学くらいかなーと言う。「そうな、そうな、じゃ、宮古はもしかして先を行っていたわけ!?」
私の通っていた下地小学校には、校舎とは別に立派な建物の図書館があった。いつ頃建てられたか分からないが、まだ新しかったように思う。中学でも高校でも図書館は独立した建物で担当の先生も必ずいた。
小学生の頃、図書館から本を借りるには、本を入れる袋と木で作られた代本(ダイホンと呼んでいて、どんな字か分からなかったがたぶんこの字)が必要だった。母親が作った布袋と木で作られた三角形の代本を持って図書館に行くのは だいず(とても)楽しみなことだった。
代本の一つの辺には、自分の名前が書かれていて、借りる本を抜いたら、その場所にこの代本を置いておくしくみだ。『トムソーヤの冒険』の横に「徳○初美」や「譜○村真知子」と書かれた代本が置かれたりするのだ。返すときに分かりやすいということなのだろう。プライバシーを重視する今では考えられないことではある。プライバシーといえば、本にはカードがついていて、借りた際には、名前を記入してなーいたよねー。これまでに誰がこの本を借りたか、すっさいーっすさい(バレバレ)であった。別にそれでなんとも思わんかったけどさー。
その頃、伝記物や、『小公女』、『にんじん』などを読んでいた記憶があるが、『屋良朝苗物語』という本があったのも覚えている。県産本も結構、おいていたのかもしれない。
戦後の混乱の中でも教育関係者は、子どもたちに本のある環境をと奔走していたようだ。1954年には北小学校が、その後1962年に平良第一小学校が、1963年から1970年代にかけては下地、上野、城辺、伊良部、多良間の各小中学校が図書館を作り、担当の職員を配置した。1964年に文教局(現在の県教育委員会)が学校図書館教育モデル校を指定し図書館の重要性をアピールしたことも早々と図書館が作られていった理由のようだ。『沖縄の図書館』参照
「あはー あんちーやーばどぅ(へぇー だからかー)」と納得。
んなまぬ やらびぬきゃー(今の子ども達は)、本を読まないと言われているが、小さい子や、小学校低学年までの子はよく読んでいるように思う。お母さんたちの読み聞かせも熱心だ。小学校高学年から中学、高校となると本離れしていく。でもその頃は他のことに ぱんたーぱんた(忙しく)しているからしょうがないはずね。やらびぱだ 本に接していればまた大人になってから読むようになるんだろうと 今、活字中毒の どうゆみー あんちどぅうむうさ(自分をみて思う)。
最近、みーむっちて(見ずらくなって)きて、点がら丸がら っすさいん(点なのか丸なのか、分からない)ことも多いが、読むのだけは止められないらしい。本好きは、あの布袋と代本を持ったときに始まったのかもしれないなぁとこの頃思う。
人は自分が今いる時代を生きるしかないけれど、私の子ども時代も、当時の社会情勢の影響を受けて過ごしていたんだなーと図書館ひとつでも思うのだった。
<ぱーんとぅ>はマレー語?
四国出身、滋賀県在住 湯本貴和さんより
一昨年の冬、宮古空港で「読めば宮古」をみつけて、それ以来すっかり宮古ワールドにハマッテしまいました。
この夏も宮古島に出かけて平良市総合博物館を見学したところ、「ぱーんとぅ」の展示をみつけました。わたしは仕事でマレーシア、とくにボルネオ島に3年ばかり滞在していましたが、マレー語では、おばけのことを「はーんとぅhantu」といいます。マレー語の「はーんとぅ」は、はっきりと誰かが特定できる死霊(たまに生霊のこともある)を指す「幽霊」も、土地やモノに憑いている「妖怪」も含めた、「あやかし」の総称です。大樹の「はーんとぅ」とか、沼の「はーんとぅ」とか、虎の「はーんとぅ」とか、蛇の「はーんとぅ」とか、各種あります。あらゆるものは「はーんとぅ」になり得る、これはマレー半島に住む先住民系の人々や、ボルネオ島のマレー系・イバン系の人々に共通する見解で、「はーんとぅ」といえば文字通り、泣く子も黙る、ぱごーぱごーな存在なのです。
「妖怪は零落した神である」というのは有名な柳田国男の説です。マレー人 は、建前としては土着の神様やおばけを含むあらゆる偶像崇拝を否定している はずのイスラム教徒です。しかし、アラブ諸国の生粋のイスラム教徒とは異な って、依然としてアニミズム的な心情を残しているようで、体面上は「はーん とぅ」を信じていないふりをしていますが、内心は本気でこわがっていて、 「はーんとぅ」が家にでたとなると街でコーランの一節を書いた御札をたくさ ん買ってきて、家中に張りまくります。
平良市総合博物館の「ぱーんとぅ」の展示をみて、即座にわたしは「ぱーんとぅ」は「はーんとぅ」であると確信しました。「ぱーんとぅ」の起源は砂浜に流れ着いた仮面であり、現在使われている仮面はそのレプリカであるとされていますが、その仮面がまたイバンの人々の仮面とそっくりです。
もし、わたしの仮説「ぱーんとぅはマレー語である」が正しいならば、流れ着いた仮面が「自分は、ぱーんとぅである」と名乗ったのか、それとも生身のひとがもたらしたのか、興味あるところです。
※おっごえー、マレー語に「はーんとぅ」という言葉があるなんてびっくり!しかも意味もお化けのこととは。これはもしかしたら!ですね。そうすると湯本さんが書かれているように、お面とはーんとぅの言葉は、どうやって結びついたのでしょう。人も一緒に流れ着いた?考えるとワクワクしますー。いろいろなことが考えられそうですね。貴重なお話、たんでぃがーたんでぃでした。
編集後記
松谷初美(下地町出身)
vol.87や のうしがやたーがらー(いかがでしたかー)。
菜の花の ぱなすまい(話も)、ざうかにのみゃーくふつ講座もそれぞれにだすーだす あずーあずで(味があって)お楽しみいただけかと思います〜。菜の花の「きゅうまいまた」の続編、まだまだありそうですよ。お楽しみに!そして、「たんでぃ」は、よーく使うさねー。ウチの息子が最初に覚えたみゃーくふつは、「あっがいたんでぃー」だったさー。
お便りコーナーで紹介した湯本さんからのメールは、前号の神童の「ぱーんとぅ」に続き、大変興味深いものでした。みなさんからのお便りは、本当にぷからすむぬ(うれしい)です。今後ともよろしくお願いいたしますデス。
さて、新潟中越地震では、多くの犠牲者、被害がでて、のーてぃあっじばがぞーかーがら(何て言えばいいのか)言葉になりません。一刻も早く日常が戻る事を、心身ともに安まる日が早くることをお祈りしています。
宮古の人が新潟と聞いたときに、まっさきに思い出すのは、中村十作や あらんびゃー(ではないだろうか)。人頭税(にんとうぜい)で苦しむ宮古の人たちのために廃止に立ち上がった人物である。なんのゆかりもない、たまたま事業(真珠養殖)起こそうと立ち寄った宮古の為に彼がしたことは、私達の心をゆさぶらずにはいられない。また去年の台風14号の際には、新潟からたくさんの善意が届けられたと聞いています。
そんな新潟と宮古との関わりもあり、私達にも ぴっちゃがまやらばん(少しだけでも)何かできることはないかと思い「チャリティ三線ライブ」を開くことにしました。その収益金を被災地に送ろうと思います。三線の名手、くまかまのライター、マツカニ、ざうかにが頑張ります。ご賛同いただけましたら、ぜひとも、んみゃーちよー(お越しください)。お待ちしています。
<チャリティ三線ライブ>
出 演 | 棚原芳和(マツカニ)、下里晄晴(ざうかに) |
日 時 | 11月27日(土)午後6時開場、7時開演 |
場 所 | ちむ屋(東京中野)HP http://chimuya.hp.infoseek.co.jp/ |
料 金 | 2000円(飲食代は個々で別途になります) |
申 込 | ちむ屋(03-3387-5855)電話で受付け 午後4時〜午後11時 |
※定員(47名)になり次第、締め切りとさせていただきますので、よろしくお願いします。
あんちーかんちーぬ(そんなこんなの)11月です。これから ぴしふまいなりきす(寒くもなってきます)。みなさん、感冒しないように気をつけましょうね〜。新潟のみなさん、がんばってください!
みなさんからの感想、投稿、お待ちしていまーす。どんない受付中です。宛先は、くまーどー(こちら)↓↓
しまいぎー(最後まで)おつきあいいただき、たんでぃがーたんでぃ〜。前号から登録者が8名も増えているゆ。何があったんだ!?でも、にんまり、ピース!お薦めしてくれた方、ありがとうねぇー。 次号は、11月18日(木)発行予定です。あつかー、またいらー。