くまから・かまから Vol.11

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9月になりました。お盆まいおわりぃーうむやすーうむやす(安心)している頃でしょうか。四季がないと言われる宮古でも、この頃になると夏とは違う風が肌をなでますよね。「あ!夏が終わる・・」と感じる瞬間です。

ゆく夏を惜しみつつ、vol.11 送ります。

『空気入れ物語(前編)』

アモイ/著

くぬぱなっすさ、ばが高校時代ぬぱなすやーすが、うむいだしかーしー書きみーっちゃー
(この話は私が高校時代の話ですが思い出しながら書いてみます)

高校2年ぬとけんどぅ、ゆぬ学校ぬ1ねんしぇいぬ、うだうだてぃかーしぬ、みどぅんしーとんかい、ぷりにゃーんだら。
(高校2年の時に同じ高校の1年生の少し太めの女の子に惚れてしまいました)

あすがどぅ、ウブやーたーとぅけんが、ういんかい、「うぉーどぅぬずみゅーすが、ばんとぅつきあいふぃじゃーんな」てぃやぱずかすかーば、なんとぅあすさいんばーだら。
(しかしウブだった僕は、その子に、「君がすきなんだ交際してくれ」なんて恥ずかしくてなかなか言えませんでした)

あすがどぅ、家?んうりゃーまい、学校んかいいきゃーまい、かなますぬぅなかんな、ういがみぱなぬちゃーんいでぃきしならんにゅば、やっかい、ういがどぅ恋てぃむぬなー?
(だけど家にいても学校に行っても彼女の顔ばかりが浮かんできて困った、これが恋の悩みか)

調べたところ、彼女は、兄弟姉妹は4人で、、家が上野村野原部落とのことでした。ちょうどそのころ、僕はMというひとつ先輩と野原岳に柔道の練習に行っていました。当時は野原岳の基地には、アメリカ軍が駐留しており、そこの野原ベースの中でアメリカ軍人を相手に柔道を教えているY先生がいて先輩が親しいことから、先輩もアメリカ人達に混じって門下生となり、私も先輩に誘われて一緒に柔道を教えてもらったと言うわけです。

そして、その子の家が、野原岳から見えるあの辺りらしい事まで分かりました。柔道んかい、いきすとぅけんな、ういがやーぬ かとーちゃーん、めーつきうーたー。
(柔道に行く時には、いつもその家の方ばかりを眺めていました)

そして、この恋を何とかしたくて先輩に相談しました。

「あざ、ばーやー、くまぬ、つかふぬ、家―ぬみどぅんかいどぅ、ぷりゅーすがどぅ、ぱずかすかーば、よーいんが、あすさいんゆば、あざがあっしふぃーじゃーんな、」
(先輩、僕はこの近くの女の子に惚れてしまったけど、なかなか告白できないんだ、先輩が変わりに話してくれないかなー)

先輩「ええ、あんちぬばーやーすかー、ばぬんまかしゅぅーき」
(なーんだ、そんな事だったら俺に任しておけ)と話は決まりました。

次号へつづく

『宮古のことわざ』

〔  見い足らぁすぬ美さ  〕

ミイタラァスヌ
カギィサ

他人の過去や欠点をくどくどといわずに大目にみてやることは物事をきれいにおさめる。広い寛容な人間になってほしいとの教え。

んきゃーんじゅく 佐渡山政子/編 より

『私の夏』(投稿)

山雀タヌキさん

とうきょうや あつむぬあつむぬ てぃーど あいさりういすがど
(東京は暑い暑いと言われていますが)

のうてぃあいしゃまい、 みやーくぬ てぃだぬ あつさからみいーが
(なんと言っても、宮古の太陽の暑さと比べれば)

のうだきぬ あつさやーあらんいら。
(たいした暑さではないですね)

やらびぱだ なつん ぶーぎぬぱーゆ かきういばーんにゃ まーんてぃど
(子供の頃、夏に砂糖きびの下草を刈っていた時は本当に)

あつかり うかーすかーかーたい。
(暑くて非常に疲れた)

8月んないかー、ぶーぎぬぱーゆ かきながら 甲子園ぬ放送ゆききゆたいくとうどううむいだすだら。
(8月になったら、砂糖きびの下草を刈りながら、甲子園の放送を聞いていた事想い出すんです)

くんど、9月んど みやーくんかい いきすゆが んなだあつむばーや?
(今度9月に宮古に行くんですが、まだ暑いのだろうか?)

* 山雀さん、宮古で思いっきりミャークフツで話してきてくださいね。また、何か感じることがありましたら、送りーふぃーさまち。

『ミャークフツ講座 家(やー)編』

naicyar-shima/著

  • みなか = 庭
  • やどぅふつ = 玄関
  • やどぅ = ドア
  • いちばんざー = 応接間
  • にばんざー = リビング
  • かんたな = 仏壇
  • からい = 廊下(板の間)
  • ゆかに = 床
  • とううわ = 台所
  • ぱら = 柱
  • ふい = トイレ

『お便りコーナー』

イラウピンザさんより

「vol.10」楽しく読ませていただきました。

私は、昭和33年3月に初めて東京に行きました。宮古を午後6時頃出港する宮古丸に乗って、那覇まで行き、それから沖縄丸で鹿児島へ行きました。

当時は、ジンムチャ(お金持ち)しか飛行機には乗れませんでした。でも張水港でガールフレンドと五色のテープを引いて別れを惜しんだ経験は、今の若者には味わえないロマンチシズムだったと思います。

鹿児島に着くと入国管理局のパスポート査証、税関の手荷物検査、ドルと円の交換(1ドル360円)等の入国手続きを済まさないと上陸が認められませんでした。

それから急行霧島(蒸気機関車)で東京まで26時間かかりました。東京に着いた時は、ワイシャツの襟は真っ黒、鼻はすすだらけといった状態で宮古をでてから実に5泊6日の長旅でした。

鹿児島から東京へ着くまでには、数え切れないほどのカルチャーショックを体験しましたので、今度の特集を読んで否応なしにあの頃へタイムスリップし、懐かしさと、恥ずかしさと、悔しさがこみ上げてきました。

何よりショックだったのは、お宅の話は抑揚がなくて聞き取れないと言われたことでした。それでもアララガマ スピリットでミヤーコ標準語を守り通して今日にいたっています。

次回の特集も楽しみにお待ち申し上げます。ありがとう御座いました。

『編集後記』

Hatsumi.M

イラウピンザさんのお話で、当時東京まで5泊6日かかったとのこと。たかだか40年で宮古の状況は、こんなに変ったんですね。

船の見送りは、私もかすかな記憶があります。紙のテープを何本か岸から船まで投げて(何本かは届かず海に落ちていた)送ったこと。

とーゆが、見送ずたーがら ばっしにゃーんすぅが。
(誰を見送ったか忘れてしまったが)

出港する時は、蛍の光かなんか流れていましたよね。ほんとに遠い遠い所へ行くんだという感じでした。

今では、宮古の家(やー)ゆ いでぃってから 5時間ばかーしー東京のやーんかい、つきゅーむぬー 余韻を味わう暇まい にゃーん。
(今では、宮古の家を出てから、5時間くらいで東京の家に着いているから余韻を味わう暇もない)

便利になった分、心のゆとりを失っている気がします。

さて、逆カルチャーショック編、まだまだ募集しています。下記までお送りください。お待ちしています。

次回は、9月20日(木)発行予定です。