こんにちは〜。
気持ちも体もぱんたーぱんたの年の瀬ですねー。今年最後のくま・かまお届けですよ〜。
ニューフェイスも登場〜。お楽しみください!
電信柱に ぱな(花)が咲く(パート1)
あすなろ(平良・東仲出身)
半世紀前の ぱなす(話)です。ぴさら(平良)には、へーいちこう(平良第一小学校)と、へーにこう(平良第二小学校、後の北小学校)がありました。
勿論、今でも120年の歴史ある両校です。しかし、この両校の仲の悪さといったら天下一品でした。両校は、現在の北小学校の南門と市立図書館に面したマクラム通いを境界線として睨みあいを続けていました。
へーいちこうの生徒が、この境界線を北側に越境することは相当の覚悟がいります。何故なら、見つかると北小学校の しーと(生徒)に どぅみられる(殴られる)。その逆も同様です。
しかし、本屋とか映画館は、すべて境界線の南側にあります。へーにこう出身の私は、ビクビクしながら敵地に侵入したものです。
♪へーに(平良第二小学校)が へーち(平良第一小学校)に勝ったなら電信柱にぱな(花)が咲く・・・・・・死んだ魚も生き返る。♪(途中の歌詞がどうしても思い出せません。ご存知の方は、教えてください。)
勿論、北小学校ではこの逆を歌います。こんな塩梅で野球、陸上競技等ことごとく対立していました。この歌詞をメロデーつきで歌える人は、私と同年代(昭和21年生)か先輩方です。「西仲のひさぼう」さんも歌えると思います。?
これを見かねた両校の先生達は、『どげんかせんといかん』(どこかで聞いたフレーズ)と連日、鳩首会議を開いたとか開かなかったとか。我々の知らない処で勝手に決められたのは、生徒会を中心とした『交流会』の開催でした。
「(へーち)が北小にくるってよー、んざ(さー大変)!」蜂の巣をつついた様な大騒ぎ!とうとう『交流会』の日がやって来ました。
ぎこちない『交流会』の始まりです。北小生徒会長(玉元 K君)。その頃、平一校では生徒会長がいなかったので6年1組級長(砂川 F君)が校旗を持って来校。式次第は順調な滑り出しです。
ところがです。なにを血迷ったのか、お互いの学校の校歌を覚えよう、というじゃあーりませんか。とんでもない提案をする奴がいたもんだ。「たーが(誰)歌うか敵の歌を!」断固として拒否しようと思った。が、多勢に無勢。
♪博愛美談 咲きかおる
太平山の 朝ぼらけ
のぼる朝日の はたかげに
げんぜんたてる 平一校♪
なんと、不覚にも「平一校」の校歌を完璧に覚えてしまった。それも3番まで!
敵陣も、「北小学校」の校歌を歌っています。
♪緑にうるおう 南国の
はり水港頭 前にして
高くそびゆる いらかこそ
われら健児の 母校なれ♪
こんな事もあって、平良中10期生は、両校の校歌が完璧に歌える変わった仲間たちです。
バイクの自損事故と『宮古島まもる君』
クイチャーマン(下地・与那覇出身)
ちーんにゃ あつぁー みゃーくん けー てぃーぬ ぴかずんどぅさんぱつやーんけー ミニバイクんけーぬーりいきゅーたーゆー。
(さあ、明日は宮古へ、という日に、散髪屋へミニバイクに乗って行っていたよ)
うんな あみがまぬどぅ っふゅーたりばどぅ、さんぱつぬ おわす゜っかー さんぱつやーぬ あざー「雨降りはスリップするので、気をつけてくださいね」てぃー うーたりば、「ありがとう」てぃー あいす゜ぃってぃ、雨具ぬズボンとぅ、上着ゆー着し、ヘルメットーめーかうう”ぃ、バイクん ぬーり やーんけーいき゜たーだら。
(その日は小雨が降っていたので、散髪屋の兄さんは「雨降りはスリップするので、気をつけてくださいね」と言っていたので、「ありがとう」と答えて、雨具のズボンと上着を着て、ヘルメットもかぶって、バイクに乗って家に帰ったよ。)
あんかーどぅ、やーがみ んにゃ20メートルばかーぬ とぅかなぬゆまたんけーきしってぃ、うもー やーらがま んき゜んけー まがす゜とぅきゃーん、まいぬタイヤぬすびり、あがんにゃ てぃー うむいゆーきゃー バイクめー ばんめー んき゜んけーとーりたーだら。
(そうしたら、家まであと20メートル位の所の十字路まで来て、そこをゆっくり右に曲がるとき、前のタイヤがすべって、しまった、と思っているうち、バイクも私も右に倒れてしまった。)
うぬばーんどぅんにゃ、んき゜ぬ つぐすとう、んき゜ぬ てぃーとぅ、んき゜ぬ あぐー づーんけー ちゅーくうち、やましにゃーん。あかつめーいでゅーたーゆー。
(そのとき、右ひざと、右手と、右の顎(あご)を地面に強く打って痛めてしまった。血も出ていたよ)
あんさーめー んざめー ぷにがみゃー ぶりゃーうらんぎなり うーたりば、バイクーむたぎ うくしってぃ、やーがみ うーし いきってぃ、やますたーとぅかなぬ あかっつぅ 石鹸しーあれーってぃから、消毒ぅーめーしってぃ、うぽーぬ絆創膏(ばんそうこう)ゆめー ぱす゜たーだら。
(それでも、どこも骨だけは折れてないようだったので、バイクを持ち上げて起こし、家まで押して行き、痛めたところの血を 石鹸で洗ってから、消毒もして、大きな絆創膏も貼ったよ。)
つぐっさ 内出血ばしーどぅ ふくりきしゅーたりば、しわーしーうーっかー みどぅむぬ やーんけーきしってぃ、うりゅーばー 氷しー冷やしばどぅ ぞ−かー てぃーうりば、あんしーなてぃー 冷蔵庫ぬ氷しー3時間ばかー 冷やすっかー、まーんてぃー みーちゃ すぶみってぃ、やんめー みーちゃ ぞーふなーたーゆー。
(膝は、内出血で腫れてきていたので、心配していたら、妻が帰ってきて、それは氷で冷やしたほうが良いというので、そうなのかと冷蔵庫の氷で3時間ほど冷やしたら、ほんとに少ししぼみ、痛みも少し和らいだよ。)
あんしぬばーやたりばどぅ、うぬあつぁー ひこうきん ぬーり みゃーくがみいき、第8回クイチャーフェスティバルんけー いでぃたすぅがどぅ、つぐすぬ やみば、ジャンプぬしろーだなしー、たなす゜ぁにゃーん ぶどぅずぅすたりば、んぞーなむぬやたーだら。
(そういう訳だったので、翌日飛行機に乗って宮古まで行き、第8回クイチャーフェスティバルに参加したのだが、膝の痛みでジャンプができず、ぎこちない踊りをしてしまったので、残念だったよ。)
あんてぃまーん くとぅすぬ クイチャーフェスティバルんけーや、宮古警察署ぬ警官ぬきゃーとぅ、警官から柔道ゆ なれーゆー 小・中・高生ぬきゃーぬ チームめー、初参加しーってぃ、「宮古島まもる君」てぃーあー 創作クイチャーゆ ぶどぅす゜たりばゆー。うなが事故とぅ ぴるます縁てぃー うむーがつなめー ぷからすむぬやたん。あんてぃまた、会場ぬテントんな、交通安全ぬお守りてぃーどぅ、4センチあまーぬ いみーぬ警察官ぬ人形ぬ「宮古島まもる君」ぬストラップめー う”わりゅーたりば、ふたきな うりゅーけーきしってぃ、ばがバイクぬカギん つきゅーきばゆー。
(そういえば、今年のクイチャーフェスティバルには、宮古警察署の警官たちと、警官から柔道を習っている小・中・高生たちのチームも初参加して、「宮古島まもる君」という創作クイチャーを踊ったよ。自分の事故と不思議な縁だと思いながらも 嬉しかった。そしてまた、会場のテントでは、交通安全のお守りとして、4センチあまりの小さな警察官の人形の「宮古島まもる君」のストラップも売られていたので、さっそくそれを買ってきて、自分のバイクのカギに付けてあるよ。)
いつめー うぬにんぎょーゆ みーがつな、んなまからー、んにゃぴ 安全運転ぬ すぅだかーならんてぃー にがいゆーだら。
(いつもこの人形を見ながら、これからは、もっと 安全運転をしなければならないと 念じているよ。)
うすんきゃのスピーチタイム
Motoca(平良・下里出身)
いきなりですが、私、実はだいず うすんきゃ(とても引っ込み思案)です。ホントに!この頃はだいぶましになったように思います。
でも、んきゃーんな(昔は)もう、大変よー。外に出たら絶対に口を開けない子どもでした。保育園で「いただきます」と「ごちそうさま」さえ言えずに何度泣いたことか。人に話すこと自体に恐怖を感じる子供でした。
そんな私もいつしか、立派に成長し(?)外ではどうにか普通におしゃべりができるようになりました。でも、人前に立って話すのは大人になってからも苦手のまま。あんなのーは絶対、んば(いや)よー、と、逃げまくっていました。
それなのに!その私が今年、何故かスピーチクラブに入ってしまった。特に人前で話す必要性に迫られたわけでもないのです。じつは去年の今頃に、クラブのメンバーと飲む機会があったのですが、そのときに誘われ、いきおいで「入ります!」宣言をしてしまったのであります。
んにゃ、しまい(うわぁー、しまった)と後から思ったけれど、宣言してしまったので、今年のはじめからクラブ活動に参加しています。ちょうど30歳になったタイミングでもあったので、新しい事に挑戦してみるのもいいはずね、と思い直したのでした。ついでに「うすんきゃからも完全脱出しよう」という目標も立ててみました。
さて、スピーチクラブがどんな活動をするのか、ちょっとご紹介しましょう。
活動日は月に二回、メンバーで集まって「例会」という、スピーチのための会を開きます。この「例会」は、「テーブルトピック」「準備スピーチ」「論評」という3つのコーナーで構成されています。
「テーブルトピック」は、即興スピーチのためのコーナー。司会担当者が、ある話題について話すよう、その場でメンバーを指名します。当てられた人は、その場で話す内容を考え、1〜2分の短いスピーチをします。毎回3〜4人が当てられるのですが、当てられたらどう話そうかと、いつも ぷとぅぷとぅ(どきどき)です。
「準備スピーチ」はその名の通り、あらかじめ話す内容を準備して来る長いスピーチのコーナー。毎回2〜3人がスピーチします。だいたい2〜3ヶ月に一回、順番が回ってきます。
話す内容は各自の自由ですが、じつはテキストがあって、「話を構成する」「ポイントを押さえる」「ボディーランゲージ(身振り・手振りで表現)」「ヴォーカル・バラエティ(声の変化で表現する)」など、一回ずつのスピーチの目標が、全部で10個設定されています。この目標に沿った話題を選んで考えるのが、実は結構楽しかったりします。話す本番よりもこっちが楽しいです。
私、これまでのスピーチではほぼ全て、宮古・沖縄関係ネタで話しました。「ジェスチャー」の時は、空のグラス片手にオトーリを紹介するスピーチをしましたし、「声で表現」のところは宮古のいろいろな感嘆詞(感動詞)を紹介しました。どこまで宮古系ネタで行けるか挑戦中です。
そして例会最後のコーナー「論評」とは、事前に割り当てられたメンバーが、それぞれの「準備スピーチ」に対してアドバイスを行うものです。これがまた素敵なシステムで、「まずはスピーチの良かったところを挙げて、それから改善点をひとつふたつ述べる」というのがポイント。褒めて伸ばす方式です。論評してもらうと嬉しくなりますが、他の人の論評をするのは結構大変です。話の内容だけに集中せず、言葉や動作、声など、スピーチの表現に関わるすべての要素をチェックするために、脳みそフル回転です。
それから、スピーチの他にも、例会の運営に関わるいろいろな役割が毎回メンバー持ち回りで割り当てられます。まずは例会全体の司会、それからテーブルトピックの司会者「テーブルトピックマスター」、スピーチ中での表現についてチェックする「文法係」、つい言ってしまう「えーと」「あのー」などの余計なものを数えてくれる「えーとカウンター」、それからスピーチには制限時間があるのでストップウォッチで時間を計る「計時係」。また、良かったスピーカー(話し手)を皆で投票し、最後に表彰するので「集計係」もいます。
例会全体が、いい意味でゲーム感覚で楽しめるようになっているのです。なんだかんだ言って、しっかり楽しんでいます。
スピーチクラブに入って良かったと思うことは3つあって、ひとつは、最近、気持ちがとても前向きでいられるようになったこと。スピーチを褒めて伸ばす方式なのが、日常生活にもいい影響を与えているのかもしれません。またそれが、ぴゃーすぱい(お調子者)Motocaさんのやる気を引き出すのに一役買っていることは確かです。
ふたつめは、学校・会社つながりでもない、宮古・沖縄つながりでもない、新しい友人がたくさんできたこと。自分の所属クラブ以外にも、近隣のスピーチクラブと交流があって、一緒に例会を開いたり、他のクラブの例会に1人で参加しに行ったりしています。
そのたびに、いろいろな出身・職業・立場の人に出会い、それぞれ生活の中から生まれたスピーチを聴く機会があります。もちろん私も、そこでスピーチを披露します。おかげでこの一年で、私の世界観がものすごく広がったように感じます。自分に意外と度胸があることにも気づきました。
それから最後に、「表現する」という作業を見直せたこと。準備スピーチのためにスピーチを組み立てたり、身振りや声での表現について学んだり、制限時間内にうまく話をまとめるために悩んだりする中で、ちょっとしたメールのやりとりや、くまから・かまからの原稿(!)や、ブログ用の文を書いたりするときにも、いろいろ考えるようになりました。
私の改善点もわかった。長くなりがちなこと。スピーチの時に、決められた時間内に話し終えることができなかったことが、たびたびありました。あと、この文章ももすでに、ながぁ〜なが(長々)ですね。すみません…。よし、来年はコンパクトに話す・書くことを目標にします!
ところで、問題の「うすんきゃからの脱出」は達成できたのか?というと、そんなことはないです。今でも、心臓ばくばくです。話題を準備するにも「こんなこと話していいんだろうか」とぎりぎりまで悩みまくっています。
スピーチをし終えたらまた、気持ちが どぅーぐりーとして(こっ恥ずかしくて)身悶えています(論評をしてもらうと復活します)。いまのところ、クラブ活動以外に人前に出て話す機会がないから、いーばー(これ幸い)としているようなものです。でも最近は、ちょっと開き直ってもきたかな。緊張することよりも、楽しみな気持ちの方が勝るようになってきました。
これはいいはず。来年も楽しく迎えられそうな気がします。
お便りコーナー
前号(vol.209)へのお便りを紹介します。ビートルズ世代のサラリーマンさんの いみ(夢)の話に、感想が届きました。
としぼう(下地在住)
■妄想やあらんど
ばんまい(私も)、ビートルズ世代。サラリーマンあじゃ(兄)が いみや(夢は)妄想やあらんふどっならってぃうい(妄想ではなくなろうとしていますよ)。ばんたーや「宮古人による宮古人のための自救社会建設」ゆどう、ぱづみうい(始めています)。
※としぼうさん、ぷからす反応、たんでぃがーたんでぃ!ビートルズ世代のサラリーマンさんも喜んでいましたよ〜。宮古では、実際にいろいろなことが始まっているんですね。頑張ってくださいね〜。(松)
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
ここ ふつかばかーず(2日ばかり)、ぴしーぴしの東京です。今もストーブの まいんかい いきゃーきすきす(ストーブの前に行ったり、来たり)。宮古は、ぬふーぬふ びゃーいー。
さて、今年最後の、くま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
あすなろさんの ぱなす(話)、うむっしでしたね〜。境界線の話は、うわさには聞いたことがありましたが、だいずなむぬだったんですね。当時を知る人たちは、懐かしく読まれたことでしょう〜。相手校の校歌を3番まで歌えるというのには笑っていまいました。今では仲良しの同級生ぱずやー。
あすなろさんは、今年の夏にくま・かまのことを知り、今回、初投稿。そして、ライターになってくれることになりました。今後のお話もどうぞ楽しみにしてくださいね。
【あすなろ】1947年 平良東仲生まれ 愛知県在住。
どうぞ、宜しくお願いします!
今回もクイチャーマンさんの話は、オールゆなぱふつ(与那覇方言)で上がったり下がったりのイントネーションまで聞えそうでしたね。それにしても、クイチャーフェスティバルに行く前に、そんな事故にあっていたとは!あすが、大怪我をしなくて良かったですね〜。「宮古島まもる君」は、ストラップになったり、歌になったりと大人気!(『書けば宮古』の表紙になったのがきっかけだはずよ〜)しっかりと守ってくれるはずね〜。
Motocaさんのスピーチクラブでの楽しそうな様子。イキイキと伝わってきましたね〜。現在のMotocaさんから、うすんきゃだったことは、信じられない気がしますが(宮古の人には、意外と多いです。うすんきゃー)。新しいことに挑戦する姿っていいですね。来年は、どこかで、Motocaさんのスピーチを聞く機会があるかもよ〜。
あなたの感想もぜひ、聞かせてくださいね。
この1年もくま・かまを ゆみふぃーさまい たんでぃがーたんでぃでした。おかげさまで、今年も無事に発行を終えることができました。感謝申し上げます。
今年は、めでたくも元旦からの発行でした。正月にまつわる話しに始まり、2月には、砂川恵理歌さんが歌う「一粒の種」がCDリリースされるおしらせをしました。
この歌のことはNHKでも取り上げられましたね。菜の花の出演も大きな話題に。その後、合唱曲や『大切なことに気づく24の物語』の中でも紹介されたり、全国紙に載ったり、「一粒の種」の広がりを感じた1年でもありました。
そして、7月16日には、vol.200を発行〜!みゃーくふつしりとりをクイズ形式でやりました。関東のライターで うがなーり あーでもない、こうでもないと作っていったのも楽しい作業でした。そして、やまかさの読者の方から、反応、応募があり、まーだぷからすむぬやたん。それから、毎回のライターそれぞれの 個性あふれる あずーあずの文章も楽しんでいただけたと思います。
今年は、新たに3名(大和の宮古人さん、キムキムさん、あすなろさん)がライターに加わりました。
読者の方からの感想は、まーだ ぷからすむぬで、ライター一同この1年も だいず励まされました。たんでぃがーたんでぃ〜〜。
そして、登録者も800名になりましたよ!めざせ、1000名! みなさん、どうぞ、これからも うまかまで宣伝をお願しますね。
今回も しまいがみ、おつきあい、ありがとうございました。
次回は、3週間後、1月7日(木)発行予定です〜。
どうぞ、良い年をお迎えくださいね〜。あつかー、また来年いら!