こんにちは〜。 きょうから5月ですね〜。
連休中に読んでくださっている方もいるでしょうか。
どうぞ、ぬかーぬか(ゆっくりと)お楽しみくださいね。
次は甲子園でクイチャーを
クイチャーマン(下地町那覇出身)
ばんどぅんま、くぬずがたぬ センバツ野球ぬ とぅきゃーんどぅ、甲子園球場がみ いきゅーたりばゆー。(私は、この間のセンバツ野球のとき、甲子園球場まで行っていたよ)。
ばー、くとぅす 還暦やりばどぅ、うりが記念てぃー、あんてぃまた、くんどぅ、みやーくぬ高校から、甲子園けーいでぃばーすぬ、応援ぬ下調べめー兼にどぅ うーたーばーだら。(私は、今年還暦なので、その記念にと、そしてまた、今度、宮古の高校から、甲子園に出場する場合の、応援の下調べも兼ねていたのだよ。)
実は、3年前の夏、甲子園応援ツアーに初めて参加した。その年は、宮古高校が27年ぶりに県大会でベスト4に進み、準決勝で沖尚に2対3で惜敗した。指笛王国を建国して間もない私は、奥武山球場で指笛を吹き、クイチャーを踊って応援していた。
「あがい、んぞうなむぬ」(ああ、残念だ)とつぶやきながら選手の健闘を称えているところへNHK沖縄のテレビが私にインタビュー。「こうなったら、沖縄代表の応援に甲子園まで行きます!」と言ったのが、私の顔のアップとともに放映された。後に引けなくなった私は、その年の県代表になった沖尚の初戦の応援ツアー客になった。
私にとっても甲子園で指笛を吹いて応援することは憧れであったので、ぷとぅぷとぅてぃー すかつな(興奮しながら)「チバリヨー」「ワイドー」と書いたタオルをかざし、3塁側のアルプススタンドに陣取り、必死に応援。ワイドーとも書いたのは、宮古高校の分まで応援する意気込みからであった。幸い沖尚は初戦を突破したが、2回戦で敗退した。
今年の沖縄尚学は、26歳の比嘉監督が9年前の沖縄県勢初のゼンバツ優勝のときのエースであったこと、東浜投手という優れた選手を擁していることなど、大会前から話題になっていた。
初戦の聖光学院(福島県)との試合、沖尚は1回の裏に相手投手の3塁走者けん制のボークで1点を先制。その最小得点を東浜の要所を締める好投と、野手の好守備によって勝利した。
帰りの関西空港で、西原町からツアーに参加していた夫婦に声をかけ名刺交換。二人は宮古島の出身だった。夫は、9年前の優勝のときも応援に来て、春夏連覇をめざしたその年の夏も来たそうで「きゅうーしー甲子園3連勝さい(今日で甲子園3連勝だよ)」と笑顔で話した。「ばー あら(私は、では)2連勝。決勝がみきすっかー んにゃ1回いかでぃさーい(決勝まで進んだらもう1回行くよ」と伝えた。
沖尚はその後明徳義塾(高知県)、天理(奈良県)を破りベスト4に進出。うんどぅんにゃまた、職場ぬ ゆくうぬ了解ゆとぅりってぃ、ふたきな旅行社んけー電話しー(その時点でまた、職場の休暇の了解をとり、すぐ旅行社に電話して)「沖尚が決勝まで進んだ場合は、私を優先的にツアーに入れてくださいね」てぃー たぬんたーさーい(と頼んだわけよ)。
準決勝の東洋大姫路(兵庫県)戦で、沖尚は0対2の劣勢を8回2アウトから4得点して劇的な逆転勝利。ばーんにゃ、職場ぬぴとぅぬきゃーとぅ、とぅびあがり、うばいがうばい あんしぬくとぅてぃめー あーどぅっすしぇーかてぃー ガッツポーッズぅすたーだら。(私は職場の人たちと飛び上がり、なんとすごい、こんなこともあるものだと、ガッツポーズをしたよ)
4月4日(金)の朝、空港でツアー料金を払い、8時の便で関空経由甲子園へ。決勝の相手はセンバツ初出場の聖望学園(埼玉県)。沖尚が予想外の9対0で快勝。応援席では、見知らぬ同士がすっかり親しくなり、ハイタッチを繰り返し、カチャーシーを踊った。沖尚の優勝を称えて、相手の聖望学園の応援席を含めて内外野のスタンドを一周するウエーブが繰り返され、私も感激の参加。のーてぃーめーあずぁるん ぷからすむぬやたん(言い表せない嬉しさだった)。
初戦と決勝の応援席で、指笛を吹く青年、大学生たちとも親しくなった。彼らは、就職、進学で沖縄から関西に出て来ていた。スタンドを埋め尽くした人はもちろん、他府県で生活する沖縄県人にとっても、沖尚の全国制覇は大きな誇り、励みになっていることだろう。
決勝戦には大阪で所帯を持っている甥と、図書館で働いている私の娘も駆けつけた。45歳の甥は、宮古高校で野球部に所属し甲子園を夢見ていたこともあり、9年前の沖尚の優勝のときもこのスタンドで応援したという。指笛も上手だ。私はその甥と宮古球児の甲子園出場にも備えて、指笛王国の甲子園支部の立ち上げを だんかー(相談)している。
翌日午後、関空からの帰路、期せずして沖尚ナインと同じ便になった。比嘉監督と選手は見分けができず、名城校長とは3年ぶりに名刺交換して握手。搭乗口前で、機内で、那覇空港の出口でも、私は3度指笛を吹き鳴らして周囲の皆さんとともにナインを祝福した。
月曜日に出勤すると、決勝戦のスタンドで、私が民放テレビの取材を受けたのが放映されていたそうで、それを見たという職場のOBから電話があった。
「くんだー、必ずクイチャーゆ、甲子園うーてぃー ぶどぅりふぃるよー。まーんてぃーどー。約束どー」(今度は、必ずクイチャーを、甲子園で踊ってくれよ。本当だよ。約束だよ)。脳梗塞による言語障害が少し残っているため、話し方はたどたどしいが、強い口調で念を押した先輩の言葉に、私は胸を熱くした。
甲子園でクイチャーを踊るためには、宮古島の高校から甲子園出場を決めなければならない。私は昨年6月に発足した「宮古島球児を甲子園へ送る会」の役員もしており、期するものがある。
5年以内んな、なーっかー 3年以内ん、のーばしーやりゃーめー まーんてぃーみゃーくずまから 甲子園けー やらすぶすむぬやりばゆー。うんさーい、クイチャーゆぶどぅずあ。(5年以内には、できれば3年以内に、何としても、本当に宮古島から甲子園に行かしたいものだよ。その時だよ、クイチャーを踊るのは)
あんしぬ(そんな)夢を持った宮古島関係者たちの 取り組みぬどぅぱずまりゅー(取り組みが始まっている)。
ゆうき ちょうき
松谷初美(下地町出身)
「ゆうきちょうき」とは、夜のおやつのことだそう。最近、初めてこの言葉を聞いて知った。
さなかちょうき(朝のおやつ)や、ぴすまちょうき(昼のおやつ)は、よく聞くし、農作業の合間には、必ずといっていい程我家では食べる。でも私が子どものころは、ゆうきちょうき(夜のおやつ)を食べたことはなかったような気がするんだよね。
「ゆずちょうき」とは言わないで「ゆうきちょうき」と言うから、もしかいたら、ゆううき(夜起き(て)いる(ための))ちょうき(茶請け(おやつ))という意味かもしれない。
「ゆうきちょうき」にまつわる話を、叔父さんとおとうから聞いた。(このとき、夜の9時ぐらいだった。そもそもその時に、黒砂糖をみんなで食べていて、ゆうきちょうき(夜のおやつ)だねーとの話から、始まったのだった。)
「んきゃーんな ゆうきちょうきゆなー とぅずが いき゜たーむぬいら(昔は、夜のおやつを取りに行ったものだよね)」と叔父さん。
「まーんてぃ あんちぬ くとまいど あたーやー(本当にそういう事もあったねー)」とおとう。
なんのことだか、さっぱり分からない、私。
「昔は、結婚式なんかの ようず(祝い)がある場合には、前の日から、家で料理を作るさね。家の中じぁなくて、たつ(馬小屋)でなー 天ぷらとか豆腐を揚げたりしていたよー。作るのは、だいたい男の人さね」
「それを、子どもたちが ゆうきちょうき(夜のおやつ)にしようと取りに行くわけさ。(わちゃく(邪魔)をするという意味もあったかもしれんけど)たつの後ろから回って、ながーながの(長い)針金で天ぷらや豆腐を刺して取るわけ。だけど、それを作っているおじさんも、子どもたちが狙いに来ているのを知っているから、目は合わさないんだけど、刺さった天ぷらなんかを菜ばしでバシっと落とすんだよ。絶妙なタイミングでさ」
「ちょうだいと言ってもらうんじゃないんだよね。そこはかすめとらないとダメなわけ」
結婚式のときは、料理人と子どもの駆け引きが繰り広げられたそうだ。ゆうきちょうきはゲットするものだったのか!?
それから、こんないたずらもしたとのこと。
「お祝いのときには、お客さん用にタバコも準備してあるさね。これもゆうきちょうきだよ。そのタバコをきれーいに剥がして、ばらん(サトウキビの穂)の茎をタバコの長さに切って、それを巻いておくというのもやったよ」
どうやら、結婚式のときには、子どもたち(時には大人も)のイタズラが公に許されていたようである。困難を乗り越えて(両家がね)幸せになるという意味もあったのかもしれないね。
「あと、親戚の人たちを乗せるバスが通るところに、だいばん(大きな)石を転がしておいた時もあったよ。しかもその石には、すいり(肥やし)をかけておいたさね」
ひぇー、そこまでやるかー!と思いつつ、なんだか、痛快!
「でも、叱られなかったわけ?」
「いやーもうそういうことをされるというのは分かっているから、誰も叱らんさー」
へぇー、なんという大らかさ。
ゆうきちょうきやイタズラは、もしかしたら今の時代では、あまり歓迎されないものかもしれないが、そういうことが許される、ゆるーい世界が本当は必要なのかもしれないね。
「ゆうきちょうき」、何かのときにゲットしてみる?
水との奮闘
アモイ(平良市出身)
旅にでると生活環境ががらり変わったりするわけですが、その中でも水や食べ物は健康に及ぼす影響も大きく、特に水は人間が生きていく為に無くてはならないものです。どうもこの町は水が合わないなー、なんて事もいいます。水が合わないと皮膚に異常が現れたり、体調をくずしたりして、しまいには病気になることも少なくありません。
宮古島から本土に出てきて、石鹸で顔を洗って洗い流す時に、あば、うぬ石鹸な なびす゜た なびす゜たてぃー うてぃごーむぬやーば、(あれ、この石鹸はぬるぬるしておちにくいなー)と感じましたですね。石鹸が変わったのではなく水質のせいだったのですが、本土の水は宮古島の水とちょっとちがうよ、石鹸はおちにくいけど、飲んだらおいしいよ、と言う事を本土帰りの人達から聞いていたので、その違いを体験した思いでした。
宮古島の地下は珊瑚礁の岩盤でできた自然なダムになっているそうで、地下水量が豊富にあります。豊富な地下水は、水道水はもちろん、農業用水などへの利用も進んでおり、有効に活用されています。最近ではその地下水の水質汚染が危惧されており、地下水を汚染から守ろうという取り組みも盛んに行われているようで、平成16年に地下水を守るための有機肥料バイオ・リンの研究開発、として当時の宮古農林高校が「水のノーベル賞」を受賞したニュースは記憶に新しいですね。
その地下水は島の地質が石灰質であるために、降った雨が浸透して地下に到達する過程や地下に溜まっているときに石灰などの鉱質成分が溶け出し硬水へと変わってしまいます。硬水なので、そのままだと、口当たりが悪いのと、ヤカンの底に白く溜まったり、結石が溜まるの可能性が高くなるらしいとも言われていました。
水の硬度の定義は数値的に決まっているそうで、水の中に溶けているカルシュウムイオンとマグネシュウムイオンの量で決まり、含有の数値がある値を超えると硬水、それ以下だ軟水と言う事のようです。宮古島の地下水にはカルシュウムイオンとマグネシュウムイオンが多く含まれていて、まさに硬水そのものであるのです。
そこで宮古島上水道企業団では、水道水の硬度を下げる軟水化事業を立ち上げ平成11年に水質の硬度低減化を実現したという事のようで、現在宮古島の水道水は地下水を軟水化して各家庭に送っているようですから、ヤカンの底にも以前ほど石灰分もたまらないのだと思います。
40数年前の小学生の頃、島に水道水が普及して以来、水道の蛇口から出てくる生水をそのまま飲む、という生活を当たり前にしてきましたが、国が変わると水事情はだいぶ変わってしまいます。
中国では水道水の事は「自来水」といい文字通り自分でやって来る水という意味で、汲みに行かずに自分でやってくる訳で、便利な水の代名詞みたいですが、その便利な自来水という水なはずなのに直接は飲めず、あまり便利でもないんです。
飲料水にできる程の処理がされてないのと、たぶん水道管の清浄度も日本程よくないのだと思います。現地の人も生水は飲まず沸かして飲みますが、最近ではミネラルウォータを販売してる店がそこらじゅうにあり、飲み水に不自由はありません。そんな水道水事情から中国では生ものを食べる習慣が根付かなかったのだと思います。
96年に中国に赴任した最初の頃、目が真っ赤に充血して痛がゆくなり、しぶしぶ医者に行って診断してもらいました。医者に、病名と原因はなんでしょうか?とききました。これは結膜炎という病気です。原因は、んんー、水が合わないからでしょう。と言って笑っていました。なんか中国の医者はやっぱりいい加減だなー、と思いましたが、1週間ほどお尻の注射に通って治りました。それ以降は現地の水に慣れたためか、免疫ができたためか、大丈夫だったので、今思えば正しい診断だったかも知れません。
その赴任先の中国江蘇省常熟市というところでは当時の水道水はちょっと臭いがありました。その為沸かして飲むのも、その水で料理をつくってもらうのもいやな感じでした。
会社の生産ラインでも水を使って硝子を綺麗に洗って仕上げる工程があり、洗浄用として使うには水道水を特別に処理して不純物の無い純水を作る必要があります。しかし、元の水質が悪い為に、その純水作りにも大変な苦労がありました。そして現地の業者と苦労して完成させた純水設備を目の前にして、まてよ、ここにいい水があるではないか、この純水を社宅で飲料水や料理用として使う事にしよう。と言う事で桶に入れてせっせと社宅に運び込み、水桶を並べて使用するようになりました。
中国の生活も水の件では心配がなくなり、結膜炎にかかって以来、病気もなく、平穏に近い生活ができていました。ところが1年位たった頃だったでしょうか、夜中になって、たまに足がつる事がありました。その周期が週に一度位から3日に一度というように、明らかに短くなってきたので、これは変だぞ、と思い、一緒にいる同僚にその話をしたところ、え!あんたも、実は俺もなんだよと言うではありませんか、あば、うわまいなー?(え、あんたもなー?)と言う事で、2人で思いあたるふしを考たりしていました。足がつるというのはどういう事かを、人にきいたり、調べたりしているうちに、もしかしたら毎日純水を飲んでいるせいではないかなー、と言う疑いを持ったのでした。
わかった事は、人間の血液の中にカルシウムが不足してしまうと、それを補うのに骨の中のカルシウム分が血液中に溶け出す事で足がつると言うことでした。これだ!!これは毎日カルシウム等何も含まれていない純水を飲み続けているのが原因だ、と結論づけて、飲み水もお茶も料理も自来水を使う事にしました。それからは、徐々に足のつるのは解消していき、あとは夜中の足つりから開放されました。
それからだいぶ経ってからですが、ご飯がまずく感じたので、水のせいではないかと思い、ウーロン茶でご飯をたいてみました。すると色は茶色で香ばしい匂いがして美味しかった事を覚えています。
そんな事があってから水質にちょっとだけ興味をもっていましたが、1年前に日本で純度計が手に入ったので、たまに身近なところの水の純度を測ってみたりしていました。純度計というのは水の導電率を測るもので、簡単にいえば電気を測定するテスターのような原理になっています。〔単位は マイクロシーメンス/cmと言うそうです〕(マイクロシーメンスの記号は文字化けするそうなので書きませんでした)
以下にその測定値を記します。(単位はすべてマイクロシーメンスです)
会社で作って社宅で飲んでた純水 | 約1(純度1以下を純水と呼ぶ) |
本土の水道水(神奈川07年) | 約130 |
宮古島の水道水(宮原07年) | 約400 |
市販のミネラルウォーター(天然水07年) | 約100(種類により差がある) |
市販のミネラルウォーター(RO水07年) | 約30(逆浸透膜で作る水) |
雨水(神奈川07年) | 約70 |
津久井湖のダムの水(神奈川07年) | 約70 |
中国の水道水(江蘇省常熟97年) | 約450 |
中国の水道水(大連08年) | 約300 |
中国の地下水(大連08年) | 600〜1000(季節や水量によってかなりの差がある) |
機会があれば宮古島の地下水や酒田川の水や名所の水なども測定してみたいです。
以前会社で飲んでいた会社の純水は化学記号でいう所の「H2O」の成分に近く、ほとんど不純物が入ってないのです。その為、味もなく栄養も無いわけです。もし、足のつるのを経験してみたいという変人がいたら、純水を飲み続ければ体験できると思いますけどね。
宮古島の水は純度が悪い分、ミネラル分がたっぷり溶け込んでいて栄養価が高いと言う事もいえる訳です。宮古島の男は骨太で頑丈だ、と言う事を聞いた事がありますか?私は宮古島の水の影響だと信じています。しかし、今では市販のミネラルウォーターを飲む人も多く、この言葉が当てはまるかどうかはわかりませんですね。
宮古島を出て以来、純水を飲んだり、よその水ばかり飲んでいる私は、骨が弱くなっている気がします。
ぴょーすんな、みゃーくぬ くぱーくぱがまぬ みっずぅがもーぬみ、ぷにずぅーにんぎん ならだからー ならんやー(たまには、宮古島のちょっと硬めの水を飲んで 骨の強い人間にならんと いかんなー)
※水質検査には色々な方法があり、成分分析法などでは色々な成分を検出する事ができますが、上記の測定方法は単なる純度だけです。個人的な興味本位の調査で、測定メモも日本に置いてきた為、記憶の範囲で書いたもので、測定器の精度や測定誤差等もあり、測定値を保証するものではありません。
おしらせ
◆「関東南秀同窓会総会と懇親会へのご案内」
関東南秀同窓会 会長 赤崎多喜夫
南秀同窓会は、宮古中学校・宮古高等女学校・宮古高等学校の同窓の会です。今年は、宮古高校の創立80周年を迎える佳節の年でもあり、懇親会では遠い故郷に想いを馳せ、学び舎に於ける出来事、帰らぬ青春を懐かしみながら旧交を温めていただければと思っています。出身の方、ぜひお気軽にご参加ください。
日 時 | 平成20年 5月24日(土) 受付 16時30分〜 総会 17時〜17時40分 懇親会 17時50分〜19時40分 |
場 所 | 代々木倶楽部(新日鉄)・1階「アゼリア」 渋谷区代々木3−59−9 電話 03−3370−3141 |
交 通 | 小田急線 参宮橋駅より徒歩3分 JR線 代々木駅より徒歩10分 大江戸線 代々木駅A1出口より10分 |
会 費 | 懇親会6000円 |
連 絡 | 赤崎(03−3334−0635) 宮里(044−955−3313) |
申 込 | 5月9日までにご連絡いただければ幸いです。 |
お便りコーナー
前号(vol.170)への感想・お便りを紹介します。
見市良正さん(茅ヶ崎在住)
■楽しく拝読
お医者さんの話、台風の話、砂糖づくりの話、恐いおばあさんの話、、、どれも、楽しく(スミマセン)拝読しました。
私も子供の頃、大阪でジェーン台風(昭和25年)を体験しました、近所の町工場の厚いでっかい鉄板が畳のように空を飛んでいました、洪水にもなり、学校の運動場で鰮(イワシ)が泳いでいました、まっ、一言でいえば、懐かしい思い出です。
おばあさま、、、合掌瞑目。
いつもありがとうございます。みいち。
イラウピンザ(伊良部出身)
■生き方について考えさせられる
ご無沙汰しました。
いつものことながら郷愁を誘う読み物ばかりで、どの週刊誌を読むよりも充実した気分になる。皆さんに心から御礼を言いたい。
きょうは、菜の花さんの文章を読んで、人間の生き様とはそういうものなのかといささか寂しくなった。でも、やがてわが身と思えば怖くもなる。魂の芯が人様に迷惑をかけないようなヤパーヤパなものであって欲しい。そんな自分でこの世とお別れしたいと思いながら読ましていただいた。人間の生き方について考えさせられる素敵なリポートでした。有難うございました。
編集後記
松谷初美(下地町出身)
先日(29日)の宮古の地震(震度4、マグニチュード5.2)は、びっくりでしたねー。ばんたが母ちゃんは、揺れに驚いて起きてその後は眠れなかったようです。「怖かったよ」と何人かも話していました。人的被害はなかったようなので、本当に良かったですね。
さて、vol.171は、のーしがやたーがらやー。エッセイあり、おしらせやお便りありのラインナップ。
今回は、優勝の興奮がまだ記憶に残る沖縄尚学を甲子園まで応援しに行ったクイチャーマンさんのお話しからお届けしました。スタンドの様子が指笛とともに伝わってきましたね〜。宮古の人たちは、宮古もいつか甲子園に!という思いで見ている部分ありますよね。クイチャーが踊られる日も近いはずよ〜。
ゆうきちょうきについて、何かエピソードがある方は、ぜひおしえてくださいね。私の説明では不十分な気がしています。すみません。よろしくお願いします。
アモイさんの実体験に基づく水の話、興味深かったですねー。足がつる原因が水にあったとはびっくりでした。純度の高い水だから全てに良しというわけではないんですね。宮古、内地、中国といろいろな水を体験しているアモイさんならではのお話しでした。
赤崎さん、関東南秀同窓会のおしらせ、ありがとうございました。出身の方は、ぜひ、申し込んでくださいね。菜の花と私も参加する予定です。当日お会いしましょう〜。
お便り(メール)をくださった、見市さん、いらうぴんざさん、たんでぃがーたんでぃ〜。メルマガからいろいろなことを喚起したり、感じたりしていることが分かって ぷからすむぬです(うれしいです)。今後ともよろしくお願いしますね。
さて、あなたの感想もぜひお聞かせくださいね。どうぞ、よろしくお願いします。
次号は、5月15日(木)の発行予定です。
楽しいゴールデンウィークでありますように!あつかーまたいら〜。