くまから・かまから vol. 190

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 こんにちは〜。
 ぬふーぬふだったり、ぴしーぴしだったりの2月ですね〜。 がんずぅかりうらまずなー(お元気ですかー)?
 190回目のくま・かま、お楽しみくださいね〜。

環境モデル都市ってよ、宮古島市

宮国優子(平良下里出身)

 先月決まった大ニュース。宮古が環境の世界で注目を浴びればいいなぁといつも思っている私はだいずうれしかった。「100%フリーアイランド『我たが美ぎ島・みゃ〜く』エコアイランド宮古島宣言」という提案書が国に採択されたのです。 
 
 内容は主にサトウキビによる地産地消型エネルギーシステムで、バガス発電、太陽光発電、バイオエタノール等によるCO2フリー自動車社会を目標にしています。また循環型農業の実現、エコロジー活動の組織強化などももりこまれ、エコーツアによる観光客誘致も視野に入れている。
 
 言葉だけだと小難しそうだけど、結構おもしろいし、先進的な取り組みとして全国から注目をあびています
 
 国からの予算が優先的につくというのは、財政再建、雇用創出に取り組んでいる宮古島市には朗報じゃないかと思う。宮古島の人はだいず新し物好きだと思うんですが、いかがでしょう?
 
 世の中に良い流行と悪い流行があるとしたら、このエコは良い流行だと思うさー。波にのりつつ、バックトゥ昔の宮古、おじぃおばぁを見習いたい。
 
 先日の新聞には、海の向こうでオバマさんとゴアさんが環境系の雇用創出の話をしている。算出方法はよくわからんけど、アメリカだけでも何百万人という単位で増えるだろうと希望的観測をしている。
 
 宮古島にも仕事が増えるといいなぁ。東京には宮古に帰りたくても帰れない人はたくさんいる。それは仕事が探せないんじゃないかという不安からが多い。「帰ってしまえばなんとかなるだろうけど、仕事が探せなくて、年老いた親に迷惑をかけると思うと怖いさー」と言う。あがいー、だいず親孝行ゆ。
 
 ここからは個人的な妄想です。
 エコな宮古島を学びに世界中から人が集まってほしい。島は、ある意味完結している。入ってくる物の量はもちろんだけど、出て行くものの量だって、地続きの日本本土よりは明らかに計算しやすいはず。
 
 もっといろいろな意味で数値化できれば、宮古島から学ぶ自治体や国は爆発的に増えると思うんだけど、どうでしょう。いや、こっちが呼ばんとPRしないと。「俺なんかだいずすごいだろー」的な宮古島。十年後にはそうなるだろう・・・。妙な確信ばっかりってば。
 
 先日、環境省主催のイベントがあって、47都道府県から県代表として宮古総合実業高校の環境班がプレゼンテーションを行いました。見事、銅賞獲得。声を大にして言いたい。おめでとう!
 
 各県から多いところは50人近く参加の団体、お芝居あり、ダンスあり、凝ったものも多かった。内容もレベルが高かった。参加年齢もさまざまで、企業も何社も参加していた。
 
 三日間、結構どっぷり浸った私は何度か泣きそうになりました。(ま、いつも泣いているけど)。他人への思いやりや物の命をまっとうさせてあげたい、という気持ちが根底にない団体はこの舞台には立てないのだ。「一人勝ちしない」地域での取り組みばかりだった。結局、知恵は大事だけど、それをみんなで使って三方良しという近江商人的な団体が多くて、だいっず ずみ!と思ったわけです。
 
 その中で宮古の高校生は、すごく地味なプレゼンテーションでした。地道にひたむきにぽつぽつと。今の若い人達は・・・といにしえの昔から言われているけど、私は全然思わない。すごいよ、すごい。えらいさいが。
 
 内容は、サトウキビの刈り取り後の土地で日本そばを植えるという奇想天外なアイデア。それも収穫二ヶ月。完全有機、無農薬。ほっといて大丈夫。雑草よりもたくましいそばは、メキメキ成長して、またサトウキビに向いた土壌に変えてくれる。だいずワンダフルじゃない。
 
 こっちの人はそばなら信州とかイメージするらしく、みんな「なんで?宮古島で日本そば」という顔がちらほら見えた。宮古島の食料自給率をあげるために(宮古は全国的にもすごく低いらしい)日々、若者や心ある人が頑張っていると思うと、だいず涙だだだだです。
 
 お土産にそのそば粉で作った食品をいただいたのですが、めちゃくちゃ美味しかったです。パンもあふも最高でした。いや、これは、もう宮古の空港に立ち食いそば屋をやるよ、私、と思わずにはいられなかった。誰か一緒にやりませんか。絶対はやるってば。
 
 一番衝撃を受けたのは子どもたちのこの言葉。こんなすごい賞をたくさんもらっているのに・・・「早く働きたい。親に迷惑かけたくない」だそうです。「妹も弟もいるし」だそうです。
 
 あがい、内申もいいんでしょー、あんたなんか。私なら東大入らせろとかごねるけど。彼らは将来の安定したところで働き、ちゃんと親や兄弟に恩返しをしたいと本気で思っている。これは不況だから?それともえらい子どもばかり集まっているから?といろいろ考えを巡らしたけど、最近会う宮古の子どもたちに共通なのだ。宮古のために何かしたい、という若者が多すぎる。何か、これは?
 
 こういう控えめで何をやっても どぅぐりー(気恥ずかしい)という子どもたちが毎日毎日、勉強のかたわら日本そばの実証実験をやってるかと思ったら、おばさんも頑張るよ!と励まされる。
 
 そしてこんな親思いの共感力の高い子どもたちを東京から支援できないかと、本気で思い始めている。まずはうちにホームステイしてもらおうかね。私の周りには仕事と育児を両立するのに四苦八苦している宮古島出身者もいるし、定年後部屋が余っているという宮古の先輩方も多い。お互いにプラス面はあると思う。
 
 環境モデル都市の話も同じだと思う。ピンチでも知恵と思いやりをプラスすればチャンスに変えられる。痩せた土地だからこそ日本そばなんだよ。えぇ、妄想です。でも少しだけ興味を持たれた方がいたら、じゃんじゃん連絡ください・・・。どこまでもしつこいずうずうしい性格でフォローします。
 
 あがい、今日も妄想で終わったさいが・・・。

キビ倒し

大和の宮古人(城辺長南出身)

 私は今までキビ倒しをした事がない。
 
 母が一日中畑に出ているので小学生ながら代理主婦だった。製糖時期は炊事当番となる。1950年代の話だ。
 
 昔は隣近所が一グループで取り組んでいた。倒す時は朝ゆっくりの時間だったと思うが、一番で工場に運ぶ時は朝が早い。(すべて手仕事だ。人間が持ち上げられる大きさに縄で結えたキビを道路まで運ぶ。その頃は三輪車だったと記憶しているが、一人が下から放り投げ一人が車の上で受け取って並べる。)
 
 積み終わると全員で戻って朝ごはんとなる。その為に畑に行ったことが無いのだ。すとぅむてぃ ぴゃしから(朝早くから)起こされるが眠くてグズグズしていると、おとー(父)の一言が飛んでくる。「うわたーまんてぃー すなさでぃな、ぴゃーまりうきる」(あんた達は本当に、叩き起こすか?早く起きろ)うとうるすむぬだった(怖かった)
 
 やらび(子供)の私が作るご飯は、毎日が白飯かさつま芋の蒸した物と味噌汁、おかずは畑から取ってきた野菜の炒めた物と漬物だけ。それしか作れない。蒔きで焚くのでご飯も焦がしてばかりいた。
 
 そこで、宮古に生まれ育ったからにはキビ倒しも経験したいと思い立ち、退職を機に決行した。主人も一週間休みを取って付き合ってくれた。
 
 宮古に着いたら、食事もそこそこに身支度。作業着の上にヤッケの上下。顔は目以外はタオルで覆い帽子を被る。運動靴にビニール手袋にその上に軍手と完全装備。恰好だけは一人前だ。うきうき、どきどきと畑へ。
 
 そこまでは良かった。畑に着いたが何をどうしたらいいか分からない。
 
 弟に鎌を渡されびっくりこんな上等な物見たことない。U字型の下に昔の鎌の刃まで付いている。使い方もやりも分からない。
 
 他の人は私がここまで無知とは思ってないらしく、自分の持ち場に戻っていく。仕方がないので近くにいたニイニイに聞いた。「これどうやって使うか?」そしたらこのニイニイのたもうた。
 
 「あがんにゃ、このネーネーは だみさいが(駄目だ)使いものにならん」ときた。それでも一応教えてくれた。ここに立って、ここに置いてと。「あすがー ネーネーは邪魔、かまんかいぴり」(だけど姉さんは邪魔あっちに行って)。弟も当てが外れたらしく皆から離れてマイペースでやるように言う。今に見ておれよと心の中で毒づく。
 
 前もってなぎ倒して並べて置いたキビの前に立つ。枯葉を払って根っこのヒゲと土を落していくだけの事だ。簡単さいが、と思った。言うは易しだ。
 
 他の人が一山終わっても20〜30本しか出来ない。馬鹿丁寧にするのとキビが長くて扱えないのだ。長さが5〜6メートル、太さにしたら直径が10センチ以上の物もあり、指の短い私などは持つのも大変だ。キビに振り回される。(エニシオ?しか知らないから種類の多さに!! 種類、畑の状態でキビの出来が大分違う。土が良いと此れがキビかと思うくらい成長する)
 
 形などは一直線の物など一本もない、S字やM字J字に曲がった物ばかりだ。だけどこれが面白い、4種類くらいにすると殆ど同じ形だ。子供のように並べて楽しむから仕事がどんどん遅くなる。
 
 あまりの遅さに主人が飛んできた。丁寧にするな、てーげーにしろ。品評会に出す訳ではないと。分かっているけど適当に出来ないこの性格。自分を恨めしく思いながらペースアップする。
 
 2,3日もすると少しは慣れてどうにか付いて行けるようになった。一つの畑を終わって一安心、少し休めると思った時、今度はスラをうつと言う。ここでも失言、「スラをうつとは何か?」と聞いてしまった。皆あきれ顔、「うわんなしらいん、あすぷぅき」(あんたには出来ん、遊んでおけ)スラうちが一番キツイからと言う。
 
 何だスラうつとは葉っぱを切るだけか、これも簡単そうだ。80のおばーがやっている、私にも出来る筈と思いながら挑戦した。
 
 鎌の弓型の方で切って行くが、上を向いて両手は挙げたまま進んでいくので足元が見えない。何度も ぶりんきて(落っこちて)は転倒する。体の重い私は立ち上がる度にキビに手をついて折ってしまった。確かに少しキツイが数人でやるのでつい競争心が出てむきになってしまう。(80歳のおばーには負けてしまった。)
 
 スラうつ事は楽しいが昼時やおやつ時、入り乱れているキビの中から這い出るのが大変だ。キビに上ったり潜ったりその度に枯れ葉に滑って尻もちをつく、又キビを折るの繰り返し。死に物狂いで出て行くと皆は涼しい顔で待っている、のーしぬ ぴゃーむぬがら(どうして早いのかね)。
 
 あと一つ、自分の不器用さに気がついたことがある。それは雨の日に起きた。突然両足の自由が利かない。不思議に思って足元を見ると濡れた枯れ葉が両足に絡まっている。仕事を中断して解いてから私の足だけにどうして巻きつくのかゆっくり再現してみた。
 
 私は一人だけ山の最後の方から始めていたが、同じ形のキビを並べるために、キビを一本左手で取り、葉を払いながら左回りに一回転して、出来上がったキビを右手側に置く事を繰り返していた。
 
 どうして左回りかと言うと、右回りだと払った葉を出来上がったキビに被せてしまうからだ。無意識のうちに体が動いていたのだろう、私は一人でグルグル回っていた。その場を動かないようにやってみたがペースが崩れて駄目だった。他の人が見たら可笑しな恰好だと思うが慣れてしまうと私にはこの方法しかない。ただ一日中歩いているようで一日の終わりにはグッタリになった。
 
 私たちのグループは多い時は10人以上にもなった。毎日イヒーがアハーと笑いながら続ける。でも夫婦二人だけの人もいる。笑っている時間などない筈。「毎年二人だから慣れたよ。あんた達は若い人が大勢で良いね、羨ましいよ」と語っていた。全然知らない人達なのに畑が隣り同士と言うだけで他人のような気がしない。朝昼夜と声を掛け合った。
 
 どうして家族単位になったのか母に聞いてみた。「若い人のいる家、年寄りだけの家とある、若い人が手伝っても返しに年寄りしか行けないと不公平になる。気にしているより自分達だけでゆっくりやるさー。気楽で良いよ。疲れて夕飯も食べたくない時もあるけどね、どこの家も同じさー。」何時までも昔のままだ。何歳まで続くかな?と
 
 色々な事情が有って現在のやり方になったと思うが何か淋しい気がした。ただ感心した事もある。二十歳代の若者が今日はこっちのおばーの手伝い明日はあっちのおばーの家と休みのたびに走り回っていた。宮古の若者は偉いな。(必ずおばーの家と言う。おじいの家は無いのかな)
 
 30日間頑張ったがキビ倒しがこんなにも好きになるとは思いもしなかった。宮古嫁になればよかった。残念だったのは、なぎ倒しがまだ経験していない。弟の無理の一言で断念したが今度こそは。
 
(追記)
 長南公民館では10時、12時、3時にオルゴールで時間を知らせる。おやつタイムだ。必ず何かしら食べる。これもまた楽しい事の一つではあるが準備する方は、きゅうや のーゆが ふゃーでぃ と しがりていた(今日は何を食べるか悩んでいた)

兄を想って書いた詩(13)

ワタリマリ(上野宮国出身)

 この詩は、脳性マヒの あざ(兄)を想って書いたものです。

 記念写真と やーぬばん(留守番)
  
 みんな行ってしまいボクはルスバンとなった
 ボクもつれていってくれるだろうと期待していたのに
 がっかりしたまま ボクはいる
 いそいそと出かけていく家族の後を
 追っていくこともできずに
 仕方なくボクはまたルスバンだ
  
 みんなは写真館に行くとのこと
 お父の還暦記念に
 みんなで記念写真を撮ることになっていた
 家族の集合写真
 なのにボクは連れてってもらえない
 なのにボクは記念写真におさまらない
 ボクはいえでルスバンだ
 なんの日であろうとボクはただルスバン
 ボクは家にいることになっている
  
 妹はボクの気持ちに気づいてくれたのか
 にいにいはどうする?と母ちゃんに聞いている
 お父と母ちゃんは目を合わせ
 さありゃあ いかるん(連れて 行けない)
 うわあ やあんうりい やーぬばん っしゅ うき
 (あんたは家にいなさい 留守番してなさい)
 とぼくに言う
 ルスバンしておけってとためいきをつきながら
 あきらめたように妹もくつをはいていた
  
 ボクにはお父の「さありゃあ いかるん」はよく分かる
 写真館の人をびっくりさせたくないのと
 写真館の人を困らせたくないからだ
  
 こっちむいてとか 笑ってとか 顔を上げてとか
 写真館の指示にボクは時間がかかるだろう
 じっとしてなんて絶対無理
 笑いたいけれどすぐには無理
 いすに腰掛けてもすぐにずり落ちるだろう
 それによだれはだしっぱなし
  
 写真屋の迷惑を先に考えて
 うわあ やあん うり(家にいなさい)と
 お父はいったのだ
 仕方ないボクはハイジョだ
 家族みんながそう決めたんだから諦めて
 ハブカレよう
  
 だけどボクは一緒に写真を撮られたかった
 前列のお父の横に写りたかった
 ありのままのボクの姿で
 顔は上を向こうが下を向こうが
 よだれも写ろうがなんだろうが
 ありのままのこのボクで
 ありのままの家族を写してほしかった
 そうしてほしかったけれど
 ボクは記念写真には入れてもらえなかった
  
 ボクのさびしくて悲しい心が妹に読まれたのか
 妹は出来上がりの写真をボクに見せながら
 母ちゃんの還暦の時には絶対連れて行くからね
 と慰めれくれた
  
 んば ばやあ いかじゃあん(だれがいくもんか)
 すねた気持ちで大声をあげた
 妹はボクが喜んで承諾したと勘違いしているようだ
 ネクタイしておしゃれしていこうねと無邪気に笑っている
  
 あとあとになって 家族がボクにいう
 んぞうさ さありいき まあつうきい とぅらるったんが と
 (ああ つれていって いっしょに 撮ればよかった)
 みんなどこかですまない気持ちを持っていたのだろうか
  
 お父の還暦の記念写真にボクはいないけれども
 その写真を見ながら家族はボクのことを思っている
 いろんな意味でのいい記念写真かもしれない

おしらせ

松谷初美(下地町高千穂出身)

新里博先生、法政大学沖縄文化研究所で講演

 くま・かまでは、宮古方言研究所(通称:新里教室)の講師としておなじみの新里博先生ですが、このたび、法政大学の沖縄文化研究所主催で公開講演会が行われることになったそうです。ぷからすくとやー(うれしいですね)
 
 長年、日本語と宮古方言を研究している先生ならではの貴重な講演になると思います。ぜひ、ご参加ください!

演 題「国語研究のうえでの宮古方言の有用性」
講 師新里博 先生
日 時2009年3月7日(土)
午後2時〜午後4時まで
場 所法政大学 市ヶ谷キャンパス内
外濠校舎3階 S306教室

  お申込み不要、入場無料。直接会場に足をお運びください。
  それから、講演終了後には懇親会があるそうです。(会費2千円程度)
 
  沖縄文化研究所では、たくさんのご来場を呼びかけています。
  んーなしー ずぅーずぅ〜(皆で行きましょう〜)

 《お問い合わせ》
  法政大学 沖縄文化研究所
  〒102-8160 東京都千代田区富士見2-17-1
  TEL: 03(3264)9393
  FAX: 03(3264)9335
  メール: okiken@s-adm.hosei.ac.jp 

編集後記

松谷初美(下地町高千穂出身)

 「くま・かま」今回で190回目の発行となりました。おかげさまです。パチパチパチ〜。ぴゃーむぬやー(早いですねー)。まーんてぃ たんでぃがーたんでぃ〜〜。
 
 さて、vol.184(2008年11月20日発行)で、クイチャーマンさんがミュージカル「貢布織女の歌」の公演のおしらせをしましたが、先日(2月15日)その公演が浦添市のてだこホールであり、大盛況を博したそうです。会場には1100人の観客が うがなーり(集まり)、立ち見も出るほどだったとか。

 このミュージカルで、クイチャーマンさんは事務局長をされることは、前出の号で知っていましたが、なんと神童も大道具の制作者として参加したそうです。(びっくりだね)。

 「宮古の劇団が沖縄本島まで進出して公演するというのは、初めてのことじゃないかな」とクイチャーマンさん。しかも大成功で まーだ ぷからすくとやー(本当にうれしいことですね)。早くも再演の話もでているとか。内地にも来てくれるとうれしいなー。出演者、スタッフの皆さん、お疲れさまでした!
 
 さて、今回の くまかまぁ のーしがやたーがらやー?
 
 優子さんの書いたの読むと、すごく元気がでますね〜。“環境モデル都市”に決まったニュースや宮古総合実業高校が銅賞に輝いたニュースは、宮古の将来にパッと明かりがついたような ぷからすニュースですね。宮古毎日新聞の記者として、実際に取材をしている優子さんならではのより詳しいお話だったと思います。そして、いつでも宮古のことを考え、役に立ちたいと思う優子さんの宮古への熱い想い。想像だけでなく、近いうちに実現する話もあるはずよ〜。
 
 大和の宮古人さん初挑戦の「キビ倒し」は、悪戦苦闘の様子がイキイキと描かれていましたね。そして、大和の宮古人さんの人柄がにじみ出るような文章に心がほんわかになりました。さて、これまでもいろいろ書いてくださった大和の宮古人さんですが、くま・かまライターとして今後も書いてくださることになりました。遅ればせながら、大和の宮古人さんの紹介をしますね。大和の宮古人さん 1950年 城辺長南生まれ 神奈川在住です。どうぞ、これからも大和の宮古人さんのお話、楽しみにしていて下さいね。
 
 今回の「兄を想って書いた詩」について「正月に、母、お姉たち、そのこども、ひ孫で集合写真をとり、そのときふっと思い出したのが兄が写っていなかった写真です。みんなが写っているのに自分だけ写っていない・・・兄はどんな気持ちだったか書いてみました」とワタリマリ。ホントにお兄さんの気持ちがひりひりと伝わるような感じがしました。写っていないけれど、逆に存在感があるというのはすごいことですよね。
 
 新里先生の講演会は朗報ですね〜。法政大学沖縄文化研究所の方々に感謝です。宮古の人もそうじゃない人もいい機会だと思いますので、ぜひ、ご参加くださいね〜。
 
 今回あなたは、どんな感想を持ちましたかー?お便り、書き込み、ぜひお寄せくださいね。お待ちしています!
 
 次号は、3月5日(木)の予定です。
 彬花粉がやっかいな季節。彬花粉症の方(ばんまい あんちー)頑張って乗り切りましょうね〜。あつかー、またいら!