こんにちは〜。きょうから9月! 夏の疲れはありませんかー?ビタミン補給にもぴったりのくまかまですよ。
vol.251 お届けでーす!
『宮古のあやぐ』どーかってぃ解説
マツカニ(上野・高田出身)
今回取り上げるのは「宮古のあやぐ」という唄なんですが、実は宮古民謡だか沖縄民謡だか判然としません。というのも、歌詞がほとんど ウキナーフツ(沖縄方言)なのです。3番だけが、ミャークフツ(宮古方言)です。
沖縄本島では なかなか人気のある唄でいろいろな歌い手によりうたわれエイサーでもよく取り上げられるうたです。沖縄本島では「あやぐ」というタイトルで、あの「ナークニー」と同じく元歌に「トーガニアヤグ」があると考えられ、曲調がなんとなく似ている部分があります。「新宮古節」という同じメロディーの教訓歌もあるくらい沖縄ではなじみ深い1曲です。
「宮古のあやぐ」 1.みちぬ ちゅらさや かいやぬ めー あやぐぬ ちゅらさや みゃーくぬ あやぐ イラヨーマーヌユー みゃーくぬ あやぐ エンヤラスーリ (道が きれいなのは 役場の前 唄の美しさは 宮古の唄) 2.みゃーく いなぐぬ ちむぶかさ いきまざち みぐる までぃ ただ たちどうし イラヨーマーヌユー ただ たちどうし エンヤラスーリ (宮古女性の 情け深さ 池間崎 廻るまで ただ 立ちっぱなし) 3.うきなー んみゃまば うきなーぬ しゅう うてぃんだーぬ みずや あみさまずなよー ばんた みやらび かざぬ うてぃば やりゃよ エンヤラスーリ (沖縄へ 往かれたら 沖縄の主うてぃんだかーの 水で 水浴びなさらないでね私達の匂いが 落ちてしまうかも 知れないので) 4.みゃーくから ふにんじゃち わたんじぬ めーぬ はまに しぐ はいくまち イラヨーマーヌユー しぐ はいくまち エンヤラスーリ (宮古から 船を出し 渡地の 前の浜に すぐ入って)
【解説】
宮古ではあまり馴染みがない唄だと思いますが、これだけウキナーフツ(ウチナーグチ:沖縄方言)が入っていれば無理もないかと・・・。
僕は好きな唄なのですが・・・宮古と沖縄とは若干歌詞が違い「あやぐ」では、6番までありますが(すべてウチナーグチ)ここの2番の歌詞は唄われません。
サンシンの調子は普通は3種類にわけられますが、宮古民謡のほとんどは本調子と二揚(にあぎ)の2種類です。この「宮古のあやぐ」も宮古の工工四(民謡の楽譜でクンクンシーと読む)では二揚になっていますが、「あやぐ」のほうは、一、二揚(いちにあぎ)か、三下り(さんさがり)となっています。従って後者のほうが、沖縄民謡っぽくなります。
沖縄から宮古へ派遣された役人が、宮古民謡に触発され作られた沖縄民謡というとらえ方で、僕は三下りでうたっています。
沖縄民謡の代表格「ナークニー」は「宮古根」と書くし(宮古の民謡を真似たためといわれてる)また、美しい唄は宮古のあやぐと唄われる「あやぐ」を僕は秘かに誇らしく思ったりなんかしているわけです。
ばが かあちゃん(我が母)
大和の宮古人(城辺・長南出身)
ばんたがかあちゃんは(私たちの母は)今年84才になる。一言に云って“そのまんま宮古のおばー”だ。何にでも頭を突っ込んで行く。
今でも80過ぎとは思えないくらいに元気で畑仕事も現役だ。朝は7時起床。年寄りにしたら朝寝坊だ。私が帰ると朝が早いので一緒に起きてくるが一日中眠いと愚痴っている。
のーゆが すうてぃが うがべーさ うきるがぁ ぬかーぬか うきる
(何をするのに早くから起きるか? ゆっくり起きろ)
夜7時過ぎるとたとえお客さんがいても寝にいく。12時間は寝ているだろう。其れだけではない。昼寝までしっかり取る。この元気の原動力は睡眠にあるのかもしれない。睡眠時間の取れない私にしたら羨ましくて一日でも代わって欲しいと呟いている。
朝食もチョコチョコつまむ程度で牛小屋に飛んでいく。別所帯の次男(私の弟)が養っている牛だから任せておけばいいのにそれが出来ない。少しでも手助けしたいと朝晩、牛小屋の清掃を受け持っている。息子は餌当番と勝手に決めて時間に少しでも遅れようものなら牛もお腹が空くから早く餌をやりなさいと電話で叫んでいる。
以前は父と二人で済ませていた仕事で引き継いだばかりの息子が心配なのは分かるが、子供じゃないからと説得しても聞き入れない。
「長男の事は十分面倒見てきたが次男の事は一度も手助けしたことがない。今、少しでも手伝える事ができて嬉しいよ。まだまだ若い者には負けんさー」と強気だ。この息子も息子で昔の ぼーちら(腕白坊主)は優しい。
「じょうぶんてぃ あす°さ°ばん、むぬば き°かんば、うむがーにゃん しみうゆう」(しなくていいと云っても止めないから思い通りにさせている)「誰かの役に立てることが生きがいになって元気で長生きしてくれたらいいさー」と笑っている。
弟曰く「農業の事は余り詳しくないのでかあーちゃんが俺の師さ。仕事のコツを熟思しており、何をしてもかなわない。脱帽だよ」
時々電話すると、今週はあれも手伝った、此れも手伝ったと嬉しそうに報告している。脱水にならないように気をつけてと云うと だりぬ ときゃんな(疲れたら)点滴をしてもらうからいいさーとのん気に喋っているが、通院もまた私の悩みの種である。
病院が好きで調子が悪いと直ぐに点滴しに出かけるが、帰りには調剤薬局に出向き、若い薬剤師さんを見つけては、暇そうだね、おばあを家まで連れて行ってと平気で頼む。
皆忙しいからやめるようにいっても「大丈夫よ、暇そうな人にしか頼まないさー」と、あっけらかーんと云われる。子供や孫に頼むか、タクシーにしてと話しても「皆、仕事で忙しいし、ガソリン代は払うと云っているからいいさー。取らないけどね。最近は院長婦人が送ってくれるよ」
年を重ねるごとにずうずうしくなってくるようで、聞くたびに頭を抱えている。(調剤薬局の方たちとも老若男女区別なく名前で呼び合う。心配になって痴呆症の検査をしてもらったが、主治医いわく、何処も悪くない健康だ。痴呆症もないとの事で安心している)
一つだけ手を出して貰いたくない仕事がある。洗濯だ。色物白い物の区別なく一緒くたに入れる。作業着と外出着の区別もなく回すので、最近は洗濯機を2つ用意した。
干すのも面白い。シーツやバスタオルはしわくちゃのまま物干し竿で傾いて乾いているし、洋服も皺は伸ばさず袖も丸まっている。乾いた後は苦労するので触らないように云っても「うわまい ぱんたーぱんたしているから ぷすむぬがみめー ばぬんまい しらいですたら」(あんたも忙しそうだから干す事ぐらいは私でも出来るよ)
皺を伸ばして干すように頼んだ事もあるが最近は諦めて、起きないうちに終わらせるようにしている。この嫁をもった我が祖母は大変だっただろうなと今更ながら感謝している。私でさえ姑のような気持ちになるのだから。
私たち兄弟姉妹が帰郷した時に必ず食事に連れ出すところがある。現在は中年ならぬ高年太りでややふっくらとしてきているが、元々体重が37キロくらいしかない痩せ型だ。
食事の量も少ない。(回数が多く、たえずなにかしら食べているが)この少量しか食べない母がビックリするほど食べるものがある。伊勢えびにチーズを乗せてグラタン風に焼いた物だ。定食を頼むと付いてくるのだが他の物には一切箸をつけずエビだけを3人分くらいペロリとたいらげる。
あまりの勢いに一緒にいた人全員が食べないで包んで貰って帰るようになった。最近はお店の方たちも覚えていて、また親孝行ですか?と云われる。私たちが帰れないときには敬老会や誕生日等に孫たちが連れて行くようになってきて暫く帰れなくても気をもむ事も無くなった。
先週、孫から電話を貰った。おばーのオートバイが壊れて修理が出来ない。買ってやっても良いかと。危ないから駄目だと云ったが、買い物も、畑にもオートバイで行くようで「何が危険か?県道には出ないさー裏道だけだよ、バイクだと荷物が積めるから楽だよ」と云う。転倒や事故が心配で、高齢者の乗る電動の車を買ってやるからと云ってもみたが、私はそんな年寄りではないと一喝されてしまった。(充分年寄りだけど)
働き者・マイペースで雑な所のある我がかーちゃんだが、子供や孫嫁たち皆に好かれ、幸せそうだ。
相談しているわけでは無いが全員が心配事は一切話さないようにしている。廻りまわって他所から聞く事もあって自分だけが知らなかったと怒られるが、嬉しい事だけ耳に入れたら良いと思っている。
宮古の夏の雰囲気はいつも寂しい(ぴんなぎ歌の題名みたいゆ・・・)
宮国優子(平良・下里出身)
今年の夏こそは宮古に帰れると思ったのに、帰れず。末娘の健康診断など重なったので、あきらめました。代わりに上の娘たちは子どもだけで宮古に行くことに。私個人としては、連日 んぎゃますな(さわがしい)娘たちにうんざりしていたので、やっとがま、一息つけると イーバーしていた(喜んでいた)。
娘たちは、親がいないことに不安があったようで、はじめは行きたくないとごねた。すると、宮古のおばぁは「あがぃ、つんだらーさ(かわいそうに)でもさー、おばぁが宮古のどこーにも連れて行ってあげるさぁ」と電話口で口説きはじめました。
おばぁラブコールは強力で、電話で話すたびに、子どもたちはおばぁ会いたさが募っていったよう・・・。出発する日が近づいてくると、いそいそと旅行の準備を始めた。おばぁと本家に着ていくワンピース、海に行ったときのショートパンツやサンダル、学校に着ていかないひらひらのノースリーブ。コーディネイトに余念がない。6歳でも8歳でも女はみんなギャルだはず。お祭りのように準備をして、出発。急に家の中がガランとして、はたと思い出した、「宮古の夏の雰囲気はいつも寂しい」。
寂しいというと語弊があるかもしれないけど。子どもの頃から夏休みは心を静かにしておかなければならないような気がしていました。弔う気持ちに近いかな〜。それはたぶん終戦記念日や慰霊の日など、戦争にまつわる記念日が夏に向かって増えていくからだはず。子どもながらに死を身近に感じる季節だったんだと思います。
子どもの頃、夏休みは宮古祭りと海が楽しみで、あとはひたすら西里通りを通って文化センターへ向かった。昭和50年代は、宮古は経済的に潤い、各家庭に豊かさが浸透してきた時期だったと思う。イベントこそなかったけど西里通りは人が ダウ(たくさん)歩いていたし、市場ではおばぁたちが野菜を売りながらおしゃべりしていました。どこもかしこもみずみずしい活気がありました。
でも、私はさびしかった。活気の裏を考えていたんだと思う。戦争という自分の知らない、とても恐ろしいことがこの宮古でもあったんだ、と子どもながらに心が粟だった。そして、そのことをつい最近、数十年後に急にリアルに思い出したというわけ。んぎゃます(騒がしい)子どもがいなくて静かなせいか、テレビや本のせいか、どっちかはわからんけど。
今年は「国難」と呼ばれる震災がありました。そして同じように国難だった戦争をとりあげた番組が多かった気がします。例年とは切り口が違うのが印象的でした。おーみまゆ(こわがり)の私も珍しく、戦争関連の本を何冊か読みました。あまりの悲惨さに読み進めることができなかった本もあるけれど。ページをめくるたび戦争で命を失った人たちの無念さに胸が詰まった。
そして、思った。ものすごく当たり前のことだけど、戦争でを生き抜いてきた人たちがいたからこそ、私も子どもたちも命の脅かされない暮らしを享受している。子どもの時、寂しいと感じた戦争の残り香のようなものを忘れるほど、平和な毎日を過ごしている。たくさんの命を土台にして。
自分の暮らしが家族の声や生活の音で満たされていることに感謝せねば、と。それがどれだけ んぎゃますでも日常の音は平和の音だはず。
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
台風12号が本州に向かっているようです。ぬかーぬか(ゆっくり)で大きい台風のようなので、気をつけましょう!
30日(火)の夕方、NHKラジオに、ばんたが菜の花こと高橋尚子が出演しました。掲示板のみでのおしらせとなりましたが、お聴きになりましたかー?「一粒の種」の詩を書いたいきさつから、歌ができてここまで広がったことへの想いなどが語られました。本人による原詩の朗読もあって、胸にせまるものがありました。放送によってまた新たな種が蒔かれ、より多くの方の心に根付いていくことでしょうね。
映画「一粒の種」の上映(8月10日の東京上映見てきました!良かったですよ〜)といい、今回のことも、まーだ ぷからす(すごくうれしい)出来事でした。
さて、今号も個性あふれる面々の登場でした。
のーしが やたーがらやー(いかがでしたか)?
マツカニさんの民謡解説、お待ちどうさまでした。「宮古のあやぐ」は、一番の部分は有名で知っていましたが、他は知らず・・・どういう歌だろうと思っていました。納得です。それにしても宮古の唄が素晴らしいと唄われるのはなんともうれしいこと。マツカニさん同様、私も誇らしく思います。
大和の宮古人さんのお母さん、いいですね〜。最高ですね。みなさんに愛される理由がよく分かりますね。「心配ごとは話さないようにしている」には、ホロリ。お母さんへの愛がいっぱいで、ぬふーぬふの(温かい)気持ちになりました。
優子さんは、子どもの頃から感受性豊かだったんですね。素晴らしい〜。私たちは、ホントに「たくさんの命を土台にして」生きているんですよね。忘れないようにしなくては。お子さんたちは、おばあちゃんの愛情をたっぷり受け、貴重な経験を やまかさ(たくさん)してきたことでしょうね。
今回も しまいがみ ゆみふぃーさまい たんでぃがーたんでぃ〜〜。
(今回も 最後まで 読んでくださり ありがとうございました〜〜)
あなたの感想もぜひお聞かせくださいね。
次回は、9月15日(木)発行予定です。どうぞお楽しみに!
季節の変わり目です。どうぞお体に気をつけて。あつかー、またやー!