こんにちは〜。
春の音がぴっちゃがま(少し)届き始めた東京です。そちらは、いかがですかー?
vol.262お楽しみくださいね〜。
宮古島珍道中
あすなろ(平良・東仲出身)
今回は、昨年の11月第三土曜日(19日)のぱなす(話)です。毎月、第三土曜日は恒例の「飲み会」。35歳になる息子達の少年野球時代から継続されている。
11月は、宮古島での開催となりました。四年前からの企画です。参加者は、最終的に8人。「のーしぬばーてー(なんで)約束の時間になりうーすが(なっているのに)たーまい(誰も)くーんがらやー(来ないんだろう)」集合時間は午前7時30分。誰一人として現れない。
ひょっとして・・・。いやな予感!「あがい!しまい!(しまった!)」私が待ち合わせ場所を間違えてしまった。急いで家へ帰り、車を走らせる。走っても走っても、その場所へ辿り着かない。何故だろう?とうとう飛行機に乗り遅れてしまった。何と言う事だ!あれほど楽しみにしていた宮古島旅行。
その時だ!目覚まし代わりの携帯電話が、突然鳴り出した。寝ぼけ眼(まなこ)で、咄嗟に時間を見る。まだ、午前5時だ!寝汗をベットリかいている。夢か!珍道中の始まり始まり。
2泊3日の旅路。ジャンボタクシーは便利この上ない。値は張るが各家庭を廻ってひろってくれる。全員揃った車内で、「夢の話」を披露すると、大ウケ。小学生の頃、同様の夢を見た記憶が・・・。「遠足」に遅刻した夢だ。
心理学的には時間に遅れまいとする強迫観念からくるのだろうと、照れ隠しに、自己分析してみる。毎年十月には帰宮しているので興奮する事は殆ど無い。今回は、何時もと違う小学生の頃の自分がいる。
19日午後3時20分。憧れの「砂山ビーチ」のある宮古島に到着。生憎の曇天。アグ(同級生)でタクシーの運転手をしているノリ坊が空港で待機している筈だ。
「東急」のホテルから女性陣の要望である「雪塩工場」を見学。意外と遠い。友人達も「宮古島がこんなに広いとは」と驚嘆している。見学もそこそこに、池間大橋へ。「池間大橋は西平安名崎からがずみ(最高)さー」とノリ坊。
途中で「宮古馬」の牧場を発見。大橋を渡り切った右側の売店でサトウキビのジュースに「あまーい」と女性陣。大橋を後にした頃、あたりは薄暗い。メインの「砂山ビーチ」は今日中に消化しないと予定が狂ってしまう。「おい!あすなろ。砂山は無理サー。」またもや、ノリ坊。この選択が、後々禍根を残す事になる。
やむなく、予約してある「あぱら樹」へとタクシーを走らせる。「そんなに食べれるの?」と思うほど注文する女性陣。始めて見るメニューに食指が働くのだろうか?呆然とする男性陣。程なくして、「神童さん」も合流する。
何時もの、「宮古時間」で遅れていると思いきや、アグ(同級生)達は、別の席で盛り上がっている。右奥の大広間に合流する。総勢18名で恐怖の「オトーリ」が始まった。宮古島独特の風習(?)だ。まさに、その時!宮国勉さんの「宮古島一周ウォーキング(くま・かまvol.259)」によると、同じ時間帯に「あぱら樹」にいたことが判明。彼も、東京の「神童さんを囲む会」で同席しているので顔見知りの筈。残念ながら、お互いに気づく事は無かった。宮国さんが女性で恋人なら、さながらメロドラマの「すれ違い」になるのだが・・・。御免なさい。得意の脱線でした。
「オトーリ」の効き目は、翌日発揮されます。最悪の体調で伊良部島へ。フェリー内を這って歩かなければならない程の大時化。二度と船には乗らないと誓いました。
2日目の夜も、外食にした。宮古そばで有名な『古謝本店』の斜め向いに、「おでん」が美味しい『たから』がある。
午後6時45分頃、入店しようとすると、「まだ、入れませんよー。」と店主の声。午後7時からと頑固にのたまう。「郷に置いては郷に従え」仕方なく、八人で並んでいると、「皆さん並んでいるのですか」と1人の青年が声をかけてきた。「このお店、美味しいんですか」「美味しいよ」。
待ち時間の間に、彼が宮城県の出身である事。二人で来る直前に彼女と大喧嘩し、傷心の一人旅になった事、等を話してくれた。
「一人飯も、寂しかろう」と同席を勧める。食も進むうちに、彼が仙台市の消防署員で、未曾有の3・11から殆どや休みを取っていない事がわかると、女性陣が自分の息子とダブルのかあれもこれもと世話をする。二次会のライブ店「郷屋(ごうや)」まで付き合ってもらった。今頃、元気にしているだろうか。
時間の都合がつかなかったとは言え、肝心な「砂山」「東平安名崎」も観光する事が出来なかった。名古屋に帰ってこの事をアグ達に報告したら「宮古島へ何しに行ったんだ」と揶揄されてしまった。
元気にしていれば「幻の砂山」も見れるだろう。今年の7月は、北海道の「函館」と決定した。健康に気を付けて七月に備える事にしよう。
下地勇10周年ベストアルバムを発売!
松谷初美(下地・高千穂出身)
下地勇さんはデビューして今年で10年。あの「我達が生まり島」からもう10年になるんですね〜。勇さんの歌を初めて聴いた衝撃は、今でもばっしらいん(忘れられない)さー。その後の国内外での活躍はご存知の通り。
10周年を記念して初のベストアルバム“静”+“動”が今月22日に発売されるということでお話しを聞きましたよ。
デビュー10周年、おめでとうございます!
今のお気持ちお聞かせください。
気が付いたらもう10年が過ぎていたという感じですね。あっという間という感じもありますが、長かったような気もします。いろんな場所で歌い、いろんなことがありましたが、止まることなく創作し続けてきたという実感だけはありますね。本当にたくさんの方々に助けられてきました。この10年間、音楽の道一本でやってこれたのも、皆さんの応援と支えのおかげだと心から感謝しています。どうもありがとうございます。
ベストアルバム“静”+“動”発売前から話題になっていますが、
どんなアルバムになっているのでしょう?
初めてのBEST盤は2枚組みで29曲入りです。新曲も2曲入っています。これまでリリースしてきた各アルバムの代表曲に合わせて、僕自身思い入れの強い曲が中心のラインナップになっています。
「静+動」ということで、静かな曲調と躍動感のある曲調とに大きく分けられています。曲順に脈絡がなく、時系列も完全に無視されているので、意外な感じや不思議な印象を受けるかもしれません。(笑)それもけっこう面白いと思います。
これまで発表された曲はかなりの数になりますが、その中から選曲するというのは大変ではなかったですか?
悩みました〜。
自分で作った曲は、自分の子どものようにどの曲も愛おしいものですから。ラインナップから外れていく曲たちに、どれだけ割り切る覚悟を持てるかということこそが試されていたようにも思います。(笑)基本的には僕の独断で40曲ほど選んで、周囲のスタッフの客観的な意見を参考にしながら、この曲数まで絞り込んでいきました。
新曲2曲は「アンターマナ」「親父へのアーグ」というタイトルだそうですが、どんな曲かおしえてください。
「アンターマナ」も「親父へのアーグ」もシンプルなギター一本の弾き語りスタイルになっています。ただ曲調はガラリと変わります。「親父へのアーグ」は、10年前の原点に帰るような曲の世界観で、「アンターマナ」は現在の自分の立ち位置を表しているような曲の雰囲気になっていると思います。
音楽の道に進むキッカケが、親父への曲のプレゼントだったので、10年経ってあらためて父に感謝の気持ちを込めて歌っているのがこの「親父へのアーグ」です。
「アンターマナ」は、宮古島久松独特の言い回しで「言ったでしょ」という意味です。宮古島のお祝いの場面を歌っているのですが、前日から前祝いと言って浴びるほど酒を飲んでしまい、翌日の本番は二日酔いで朝起きられなかったりする人たちに「だから言ったでしょ」という呆れた言葉を口にする女性たちの嘆きを書いています。でもこの曲は詩の中身より、どちらかというと宮古方言の言葉遊びの面白さを感じてほしいと思って書いた曲です。
「アンターマナ」という言葉初めて知りました。久松独特の言葉なんですね。「親父へのアーグ」は、聴く前から涙がでそうです。
10周年。各地でのライブやコンサートは予定されていますか?
現在、全国ツアーを組み始めているところです。5月末ごろからスタートしていきます。沖縄本島と宮古島では秋に大きなイベントを計画中で、宮古では10月20日に久松漁港内多目的広場で行なう予定です。詳細が決まり次第発表しますので楽しみにしていてください。
うわー、楽しみですね〜。全国のファンが喜んでいると思います!
さて、今後はどのような曲作りをされていく予定でしょうか?
この10年間で、いろいろと実験的な曲作りもたくさんやってきました。そんな中で自分が本当に表現したい音楽というのが見えてきたように思います。10年目を節目に、今後はその道を究めていきたいと思いますが、歌詞の言葉には特にこだわらず、方言でも共通語でも、ときには英語でもいいかな、という感じで肩の力を抜いて活動していきたいです。
勇ワールドますます広がっていきそうですね。
最後にくま・かま読者のみなさんにメッセージをお願いできますか?
くまから・かまからの読者の皆さん、ライターの皆さん、いつも変わらない応援を本当にありがとうございます。おかげさまで10年間も曲を作り続け、歌い続けることができました。支えてくださった多くの皆さんに心から感謝申し上げます。
宮古に対する思い、宮古のつきないネタ、くま・かまの皆さんの熱い気持ちが、いつも僕の励みになっています。ずっと変わらない色で成長し続ける姿に勇気づけられています。これからも自分流で地道に歌い続けていきますので、変わらない応援をよろしくお願いします。
私たちもこの10年、勇さんの歌に励まされ、島の言葉の美しさや深さ豊かさも教えてもらいました。勇さんを通した出会いもやまかさ(たくさん)ありましたよ。感謝の気持ちでいっぱいです。すでぃがふー!アルバムもツアーもだいず楽しみにしています。ぱんたーぱんたの(お忙しい)中ありがとうございました!
ありがとうございました!
「下地勇10周年ベスト“静”+“動”」
2月22日全国発売
CD(2枚組)+DVD 初回限定盤 \3,500(税込)
CD(2枚組)通常版 \3,000(税込)
詳細は、オフィシャルサイトで!
島の景色〜思い出の入り江〜
菜の花(伊良部町仲地出身)
ゆるゆると潮を湛える入り江。
こまかた(此処方)と、かまかた(彼方)のちょうど まんなはん な(真ん中には)おぽそ(大潮・海の意)に強い海岸樹がしがみつくように生える おぽーぷ の しー(大きな岩)。その時の風の向きと つぅさ(強さ)によって、大きな岩を回るように潮が流れる。その潮の流れを対側の流れが押し戻していく。
たるまいみーん(誰もいない)入り江は静寂の世界。潮の満ち引きは、昼の陽光の下で、または夕陽の頃に、んなぐ(砂)の堤防を崩しながら入り江を出たり入ったりする。あとには蛇行して流れる潮の足跡が、見事な自然の芸術作品となって描かれ、島の入り江を縁取る。
私は たうきー(ただ一人で)静かに入り江を眺めていた。幸せな気分のまま、すうっと目が覚めた。
島に居た頃、ぷからすくと(嬉しい事)があった時、かさますくと(嫌な事)があった時、時間をもてあました時、思いつくままに向かう渡口の浜の いみ(夢)だった。
そー(潮)の満ち引きで流れに落ちる砂の音は、大海の香りを伴い、私一人しかいない ぱま(砂浜)に大きく響いた。自然の奏でる音と かざ(香り)は、見るごとに違う絵のようでもあり詩のようでもあり、私は飽きることがなかった。数え切れないくらい渡口の浜には ぱず(足)を運んだ。そこは私にとって自然と向き合う場所であり、自分と向き合える世界空間でもあった。
落ちていく夕日をぼんやりと眺めながら、満ちてくる潮の音を聞きながら、いろんなことを空想したり考えたりした。我に返ると、目の前にはいつも弧を描くように流れる入り江があった。その かぎさ(美しさ)にはやらび(童・子ども)ながら心から感動した。
渡口の浜に行くたび潮の描く弧はいつも違っていて、この入り江には時間が形を成して行き来しているのだと、ものすごい発見をしたかのように思ったりした。それほど入り江に満ち引く潮の流れは、多感な頃の私にいろんなことを思わせてくれた。
島を離れても渡口の浜の思い出は私の心を慰めてくれるひとつだった。故郷の景色のひとつひとつに励まされて、これまでを過ごしてきたと言っても言い過ぎではない。
おぽいん(大海)から下地島と伊良部島との間を、出入りする流れの音や、砂地に弧を描くようにゆるゆる流れる潮の道も、流れが変わる時ジャボジャボと音をたてて流れに落ちる砂の堤防も鮮明に思いだせた。その様子を家族や知人に話すと「もう、何度も聞いた。」と呆れられた。
島に帰ると入り江に必ず向かった。お盆の帰省で まどのにーだ(時間がなく)行けない時は、内地に帰る直前に寄ってから港へ向かった。いつも変わらない渡口の浜の入り江に「おかえり。また内地で頑張って帰っておいでね」と、励まされているようで心が満たされた。
ところが。数年前、思い出の入り江が形を変えた。流砂防止のコンクリートの壁が、下地島側の砂浜から海に向かって突き出ていた。自然の潮の流れはコンクリートに阻まれ、弧を描くことはもう無かった。入り江の砂地は深く掘られ、流れは形を変えることなく真っすぐに入り江を流れていく。
色鮮やかなプラスチック製のカヌーが何艘も並んでいた。その光景に、私は思い出の景色を、もう二度と目にすることが無いことを知った・・・。
最近は、帰省しても渡口の浜を見ずに内地に戻ってくる自分がいる。以前では在り得ないことだった。ただ遺影を抱くように想い出を偲ぶようで、寂しさを感じてしまうことが哀しいのだ。
そんな時、南の島々を巡る旅を何年もしている知人から、宮古島に行ってきたと連絡があった。島巡りの最後に行くのは宮古島と決めていて、念願叶って宮古島に行ってきたとのこと。
知人から宮古島の話しを聞いて喜びながらも、渡口の浜に弧を描く潮の流れがなくてちょっとがっかりした、との話には後ろめたさのようなものを感じた。彼女は渡口の浜の入り江の古い写真を見たことがあり、私のぱなす(話)を聞いたことでますます行ってみたいと思ったと。
「人間の手が加わらない自然の素晴らしさは感覚で感じるから。宮古島っていろんな意味で観光都市だった。」賞賛にも皮肉にも取れる彼女の言葉に苦笑いした。
自然は一度形を変えると、元の姿に戻すことが難しいことは たーるまい(誰でも)知っている。誇れる自然に恵まれた宮古島ならではの、島の自然とこれからの在り方。
今年も島を訪れる多くの人に「宮古島って素晴らしい!」と言ってもらいたいものだ。
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
今宮古ではオリックスがキャンプ中ですね。オリックスは1993年から宮古でキャンプしているとのこと。(あの頃はイチローもいましたね)もう20年近くも続いているんですね。プロ野球ニュースで宮古島という言葉を聞くと反応してしまいます。宮古の やらび(子ども)たちにもいい刺激になっていることでしょうね。
プロ野球といえば、くま・かまに登場したことがある、ばんたが(我ら)が あぐ(友人)宮國透(城辺出身)と優子(佐良浜出身)の息子さん宮國椋丞投手が一軍に抜擢されたということで話題になっていますね。(掲示板ではクイチャーマンさんやビートルズ世代のサラリーマンさんがいろいろと書き込みをしています)19日に沖縄で行なわれる阪神とのオープン戦では登板が決定したとのこと。活躍が楽しみですね〜。
さて、今回のくま・かまぁ のーしがやたーがらやー?
あすなろさんの例の飲み会のメンバー、いよいよ宮古入りとなったんですね。いみ(夢)を見るのも分かる気がします〜。それにしても同じ日、ゆぬ(同じ)時間に宮国勉さんもいたとは!素敵な出会いもあったようで気の合う仲間たちとの楽しい旅の雰囲気が伝わってきました。
下地勇さんデビュー10年。感慨深いものがありますねー。プロモーションで ぱんたーぱんたの(忙しい)ところ、インタビューに答えていただきました。勇さん、まーんてぃ すでぃがふー!長丁場のツアー、お体気をつけて頑張ってくださいね。さぁ、予定を組まなくては!(笑)
菜の花の思い出の入り江、やらびぱだ(子どものころ)見ていた風景が鮮やかに映し出されていましたね。もう見られなくなってしまったとは、まーんてぃ(本当に)残念しごく。自然はこんなにも人の心を豊かに幸せにしてくれるものだということも改めて感じました。
あなたの感想もぜひ聞かし ふぃーさまちよー(聞かせてくださいね)
今回も、しみゃーがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(今回も 最後まで お読みくださり ありがとうございました!)
次号は3月1日(木)発行予定です。
きょうも かぎぴかず(よき日)でありますように!あつかー、またいら!