こんにちは〜。師走になりましたねー。
ぱんたーぱんたの(お忙しい)日々だと思いますが、ちょっと一息、くま・かまをお楽しみくださいね。
vol.281お届けします。
鳥打帽子とインクラシャー
與那覇 淳(平良・鏡原出身)
先日、喫茶店に寄りました。カウンター席の私の隣に20代後半の あぱらぎ(美しい)女性が一人。カウンター内には2人のスタッフ。店内にいたのはこの4人だけでしたが、なんと、4人とも帽子をかぶっていました。
私は、最近よく帽子をかぶるようになりました。帽子はおしゃれもさることながらとても便利です。髪をセットしてワックスを塗りヘアースプレーで固めるという作業が省略できます。特に急いでいるときには重宝です。さらに「おしゃれだね」とか言われると、つい、きむぷからす(いい気分)になってしまいます。
帽子といえば、祖父の帽子姿を思い出します。我が国で本格的に帽子がかぶられるようになったのは、明治に入ってからのようです。大正時代には帽子の需要が着実に伸び、男子の帽子の着用率は90〜95パーセントに達したということですから、日本人のファッションの一部として定着していたことが分かります。
祖父は1890年頃の生まれで大正時代に20代から30代を過ごしていますので、帽子をかぶるのは当たり前の世代といえます。祖父の帽子姿とともに、小学校低学年の頃に買ってもらった帽子が鮮明に思い出されました。
それは、旧日本帝国海軍の航空帽をモデルにした帽子でした。いわゆる飛行帽とか戦闘帽という帽子で、帽子の両端に耳を覆う防寒用の毛皮がついていて、それを折り返すと頭の上でボタン留めできるようになっています。島を吹き抜ける冬の風は、本土の底冷えするような寒さとは異質なもので、それなりに寒さを感じます。島の寒さを防ぐのにはあつらえ向きの飛行帽なのです。
母に がんだまりて(せがんで)買ってもらったときの喜びが蘇ってきます。戦後、15〜16年経過した頃のことですが、改めてその頃まで戦時色が残っていたことを認識させられます。
もうひとつの帽子の話は鳥打帽子のことです。幼い頃の私はとても いみぎむ(気が弱く臆病者)でしたが、うとぅるすむぬぬ(怖いものの)一つがインクラシャー(犬捕獲人)でした。近所でよく見かけるインクラシャーはいつも鳥打帽子を被っていたのです。
幼い私にとって鳥打帽子は恐怖心をあおるもので、大人になっても鳥打帽子を被っている人を見かけると、悪人にしか映りませんでした。それにしても、何故、犬を捕獲していたのでしょうか。当時のことですので、保健所が委託した公衆衛生上の野犬狩りとも思えません。「犬を食べる人がいる」と、まことしやかに語られた時代のこと。と、いうことは食に供するためにインクラシャーが存在したのでしょうか。
最近、若者の間で帽子が流行っているようですね。今年、出会ったミュージシャンの友人は鳥打帽子の ぱいぱいぬ(よく似合う)若者です。
なかやまぶなりゃー と しゃーがむ
カニ(平良・西里出身)
はいよ〜 カニど〜
長年疑問に思っていたことが実は3年程前にほぼ解けたので皆さんにお伝えします。
「なかやまぶなりゃー」というア−グがあるのを皆さんはご存知ですか?もちろん宮古のアーグです。古謡に近いともいえます。また大衆的な歌ともいえます。その民謡の素晴らしさは歌えば自ずと解ってきます。心を打つほどの素晴らしい歌なのです。ちょっと紹介します。
1.なかや ま〜ぶ とぅゆむ しゅーが (仲屋のま〜ぶさんは 仲屋という有名な主の) まぶなりゃ〜 よ〜い しゃーがむなよ (かなす娘さんだよ) ふんにんさ〜や ふんにんさ〜や (囃子) 2.いつな〜しが む〜ゆなしが (5番目に生まれたのも女の子 そうして6番目もね女の子だったんだよ その6番目の女の子がね) まぶなりゃ よ〜い しゃーがむなよ (本当に気立てのよい かなす娘さんなんだよ) ふんにんさ〜や ふんにんさ〜や (囃子)
昔は旧暦5月のハーリーの際にも舟を漕ぐときの掛け声にも使っていたそうです。そうなんです・・・力が湧き出る歌なんです。
また城辺地方では、粟の収穫の際にもこの歌を歌い、粟の脱穀用の叩く板(2つに分かれている)を叩き降ろす時の掛け声にもこの歌を歌っていたようです。
何故知っているかというと、私がこの歌を知っていることに吃驚した90歳なる翁が、ある日私を訪ねてきて昔、粟の収穫の時に、この「なかやまぶなりゃー」を親父や近所のオジサンらが歌っていたのを思い出した。それでとても嬉しくなり、明治生まれの頃の人間らが歌っていた歌を、カニさんはよくも歌ってくれた・・・と感動し伝えてきたのです。
その時はカニも嬉しくなり、宮古の古謡などを調べていて本当に良かったと思ったものです。
前置きはそれぐらいにして、いよいよ本題に入ります。
この「なかやまぶなりゃー」の歌のかけ声に「しゃーがむや〜よ」という文句が出てきます。この「しゃーがむや〜よ」のなかの「しゃーがむ」が疑問の言葉なんです。
この「しゃーがむ」は実は宮古・平良の「いーざと」と呼ばれる街並みで隠語として使用されていたのです。このことは「西里(いーざと)の民族」(羽地栄氏著)という書物に出てきます。ただし、詳しい意味のことは伏せてあります。
カニはこの「しゃーがむ」と言葉の意味合いをずっと調べたり、考えたりしていたのです。ヒントは隠語でいーざとに存在していたとのことです。
昔、いーざとには男の遊ぶ場所がありました。「さかなやー」と呼ばれていました。「さかなやー」には「じゅり」と呼ばれる男を相手する女性(遊女)が働いていました。
男らは金を出し、この「じゅり」と一夜を楽しんでいました。多分そのころのお金持ちらでしょう。また那覇から出張で来られたお役人らが多かったことでしょう。その中から結構深い恋愛に陥ることもあったようです。
男と女の関係といえば、妊娠です。昔は避妊する知識など持ち合わせていません。間違って子供ができることもしばしばあったのです。そうして「じゅり」と呼ばれる女の人らの中に妊娠したのが出てきてもおかしくはありません。何故、妊娠したかがわかったかというと下腹部のふくらみです。妊娠初期の女性の下腹部はちょっと膨らむのです。いくら隠してもだんだんと隠すことができなくなります。下腹部の膨らんだ「じゅり」らが「いーざと」の街をあるくのです。
「はい、かぬじゅりゃぁ、しゃがむしーうずさいが、あがいたんでぃ」(はい、あの女性は妊娠しているさいが)
普通ならばこういうはずです。
「はい、かぬじゅりゃぁ ぱらみうずさいが」(はい、あの女性は妊娠しているさいが)
そうしてこんな言葉をでてきたのです。
「またど あかさっふぁぬど んまりきすぱず・・・」(また私生児が生まれてくるはずだよ)
「妊娠している」=「ぱらむ」=「しゃーがむ」なんです。
何故「しゃーがむ」が「妊娠」なのでしょうか?
そこには深い洞察と知識も必要でした。カニは知人の画家がなくなり、その方から、沖縄の芸術の歴史の書を頂きました。14世紀ごろの琉球王国の話なども出てきました。その中に「泡盛甕」の話もありました。
14世紀といえば琉球王国は航海術を持って南はインドシナ半島まで交易をしていました。沖縄県知事の応接室には琉球王朝時代に貿易によって栄えた内容の話が漢詩で掲げられています。歴代の県知事らは平和の象徴として勇敢に世界と交易して栄えていた琉球王国を誇りとして心の片隅に宝のようにしのばせているのです。それが県知事の応接室にある漢詩の意味なのだと考えます。
その琉球王国時代に琉球の国は当時「しゃむ」と呼ばれた現在の「タイ」との交易もふんだんにされていました。泡盛の作り方、泡盛の保存の仕方などもそのひとつです。
その泡盛の保存に用いられたのが「タイ酒甕」なのです。つまりタイの国から持ち込まれたこの当時の南蛮甕のことを「しゃむがむ」と呼んでいたことがわかります。
「しゃむがむ」を調べてみました。まさに妊娠初期の女性の下腹部にも見えてきます。南蛮甕にもいろいろな形がありますが、妊娠初期を形を思わせるやや長めのふくらみもほどほどのものもあることがわかります。
これこそ、「しゃむがむ」→「しゃーがむ」だったのです。
平成19年の頃にこのことを調べていました。柳田國男氏の書からもヒントを得たりして、タカラガイ(子安貝)のこと。お産の意として「しら」と呼ばれる言葉があること。小石を積んだのを「しゃーら」として神聖化していること。草刈した草を重ねていくと「ふさじら」になり土を盛り上げることを方言で「しゃーがる」というなど。色々と調べてきましたが、カニの頭の中ではどうやら決着がついたようです。
そんなこんなで疑問を持ち続けることは、色々なものに対して閾値が下がり、ふとしたことが気づきに繋がるんだなぁと人間の認識の在り方などにも興味をもっているところなんです。
今日は夜中に起きて久しぶりの星の観察をした後、そういえば「しゃーがむ」のこと皆さんにも伝えないとなぁと思いこうしてくまかまにうちこみましたよ〜。
夜中の長寿星は真南に煌々と輝いていました。冬の6角形もくっきりと出ていました。春の三角形も顔を見せ始めています。北斗七星は立っています。もう少ししてくると南の方に南十字星も出てきます。冬の星座は空気が澄んでいるせいか本当にきれいにみえますよ。
ちあきなおみの歌「冬隣」を歌いながら星座観察をしました・・・。
(11月21日記)
んまががま
キムキム(平良・西里出身)
「おい、なんで俺の“んまが”を見に来ないか?」兄に「孫」が生まれた!
普段は、電話しても母のことや必要なことしか話さない兄が、おじぃになってから孫の話がしたくて長電話が多くなり、夕飯時に1時間以上もしゃべり続けることもある。
ガラガラを持たせては、「俺の孫は、リズム感がずば抜けてすごいよ〜。歌に合わせて振れるのによ〜!して、また笑っている顔が、最高にかっわいいさ〜」(あのさ〜手をバタバタさせるのが、赤ちゃんさーね)(よ〜く見ると、ガッツ石松に似てるけどね)
「なんで、まずこんなに可愛いかよ。“んまが”とはダイズ天使さ〜」
誰かが歌っていた歌のような「おじぃ」がここにもいるさいが。
私の父は、仕事人間だったこともあり、私達兄妹は、父と過ごした時間があまりない。子育ては母にまかせきりで、近所に住む父の従姉のおば・おじ達がよく面倒をみてくれた。だから、私には、父に抱っこされたり、一緒に遊んだ記憶がほとんどない。
そんな父が、孫(私の娘)が帰省するたびに、おんぶして、蝉を見せたり、シャボン玉を作っては喜ばせたり、がじゅまるの草笛で唄ったりしたから、近所のおばぁ達には、「はい、みぃみぃる!んまがぬ うーつかーあんちぃまいど かわす゜なあ〜うばいがぁーうばい」と ばーふふぃられたものだ。(「みてごらん。孫がいたら、あんなにも変わるもんだね」とからかわれた)
おじぃにとって、孫は愛しい存在だ。強面のおじぃでも孫といる時は顔がゆるみ、孫の話題になったら止まらない。「うちの孫が一番かわいい。おじぃは何でも買ってあげるよ〜」甘々のおじぃは、無心になって孫といっしょになって遊んでいた。
兄のんまがは、「たかいたかい」が大好き。天井に向かって高く投げ上げるほど喜ぶ。「もういっかーい」というのが口癖で、何度も何度もやらせる。親はその繰り返しに耐えられず「ちょっと休憩」となる。
しかし、おじぃなら大丈夫!
何回繰り返してもなんのことはない・・・???孫が帰った翌日、家中にサロンパスの臭いがするほど「アガィがクガイ」となる。
沖縄に帰省するたびに感じることがある「おじぃ・おばぁが大事にされている」「おじぃ・おばぁが『おじぃ・おばぁ』として威張って生きている」
那覇からコザ行のバスに乗った。時間帯のためか?かなり混雑していた。でも、沖縄のおばぁは、「なんくるない!!」「エー、兄々、おばぁを座らせなさい。あんたは、まだ若いさ〜」と高校生に席を譲ってもらい、堂々と座っている。当の高校生も、「チッ!又だよ!」と舌うちしながらも席を譲る。笑顔の乗客は居ても、逆切れする奴はいない。これこれ、この雰囲気をなくさないで欲しいと思う。
・・・残念ながら「山手線の車内では使えんよ。狸寝入りが多いからね」私と同世代の人でも、おじぃ・おばぁがいて育った人は優しいなと思う。何か、やっぱり違う。おじぃ・おばぁに無条件に愛された経験は、孫に絶対的な自信を持たせる。最近では希薄になりつつある人と人とのつながりを、幼いころから体感し、のびのびと育つ孫たちに、明るい未来を感じる。
私にはまだ「んまがのかわいさ」は経験がないが、んまがと遊ぶ兄を見ていてやはり自分たちの子供より特別なんだろうなぁ・・・と思う。
来たるべき「そのとき」に備えて、体力をつけておこう・・・っと!
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
先月30日に行われた、下地勇さんのデビュー10周年記念コンサートのファイナル、浦添てだこホールに夫と菜の花と行ってきました。
10年前(2002年)の12月7日にファーストアルバム「天」が発売になり、その翌日、浦添市民会館でコンサートが開かれたんですよねー。(その時も3人一緒でした。)あれから10年。てだこホールのロビーには、たくさんのスタンド花が並び、ファンも全国からかけつけ、会場は、やまかさ(たくさん)の人でいっぱい。勇さんのこの10年の飛躍を感じました。
ステージでは、デビュー曲「我達が生まり島」から最近の曲「home」まで、たっぷり聴かせてくれました。ピアノとストリングスによる「一粒の種」も素晴らしいものでしたよ。それにしても10年前には想像だにしなかった「一粒の種」の誕生ですよね。この日聴くことができて、ぽからすもの(うれしいこと)でした。
勇さん、この10年、本当にありがとうございました。すでぃがふー!また、これからの歌や活躍、楽しみにしています!
コンサートの後はそのままオフ会へ。クイチャーマンさんの行きつけのお店にて14名(ライター6名、読者のみなさん8名)で楽しい時間を過ごしました。ご参加くださったみなさん、たんでぃがーたんでぃでした!
あ、東京でも忘年会をかねたオフ会を開きます〜。
日 時 | 2012年12月16日(日)午後5時〜 |
場 所 | とぅばらま家 |
申 込 | 松谷まで kumakama@mbp.nifty.com どうぞ、お気軽にご参加くださいね〜。 |
さて、vol. 281は のーしが やたーがらやー?
淳さんの帽子の話、懐かしいですね〜。あの耳宛のある帽子は、私の周りの びきやらび(男の子)たちもかぶっていました。それからカンカン帽はおじいもかぶっていましたねー。鳥打帽を見るとインクルシャーを思い出すというのも時代が表れていますね。
カニさんが紹介してくれた「なかやまぶなりゃー」の歌は、5年くらい前に初めて知った歌でした。古謡の中の言葉を知りたい、んきゃーん(昔)の人たちのことを知りたいというカニさんの想いが「しゃーがむ」の解明にいたったんですね。カニさんの深い洞察に感服です。
キムキムさんのお話、ほのぼのしますね〜。お兄さんのおじいちゃんぶりが見えるようです。ほんとに んまが(孫)の力は偉大ですね。おじい、おばあに無条件に愛される孫たちは・・・の部分、同感です。ばんまい、そいういうおばあになりたい!
貴方の感想も、ぜひお聞かせくださいね〜。投稿もぜひぜひ!
今回も、しまいがみ ゆみふぃーさまい ぷからすむぬやたん。
(今回も 最後まで お読みくださり、うれしい限りです)
次号は、12月20日(木)発行予定です。 うのときゃがみ がんずぅかり うらあちよ(その時までお元気で)〜。
あつかーや〜。