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宮古島方言マガジン「くまから・かまから」
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くまから・かまから vol.386

2021 5/21
メールマガジン
2017年4月20日2021年5月21日

こんにちは〜。
宮古はさわやかな初夏の風が吹いています。 そちらは、のーしーがらやー(いかがですか)?
vol.386お届けです。お楽しみくださいね〜。

目次

センダンとクマゼミ

與那覇 淳(平良・鏡原出身)

校庭に咲く満開の桜に迎えられて入学式。日本人にとって桜咲く春の時季に入学式を迎えるのが定着していて、「入学式」のイメージには「桜」が浮かび上がります。

桜の代表格といえば淡いピンク色の「ソメイヨシノ」ですが、沖縄で楽しめる桜は桃の花のような紅い「カンヒザクラ」です。ソメイヨシノの桜前線は南から北へ北上していきますが、カンヒザクラは沖縄本島の北部から咲き始め、中部、南部、宮古、八重山と南下します。

1月から2月が見ごろで、入学式のときには残念ながら桜を見ることはできません。その代わりと言ったらなんですが、宮古では入学式の ばんず(時季)に咲き誇るのが シンダンギー(センダン)の花です。

「みどぅん うわ(女の児)が生まれたら シンダンギーを植えよ」と言われたと聞いたことがあります。シンダンギーは成長がはやく、材木として加工しやすく狂いが少ないのが特徴で家具や楽器などの素材として用いられるようです。今から20年ほど前に シンダンギーで作られたタンスを見たことがありますが、沖縄・宮古では昔は嫁入り道具としてセンダンのタンスが作られていたのでしょうね。

ところで、このシンダンギーですが、県外では古くは獄門台に用いられ「さらし首の木」と呼ばれ、縁起のよくない木と言われることもあったようです。これをくつがえすような話もあります。シンダンギーはインドで邪気を退ける霊木とされていました。それが仏教とともに日本に伝えられ、処刑された者のたたりを封じる目的で使われたという話です。つまり、シンダンギーが獄門台に使われたのは周りの人たちを守るためであって、決して縁起が悪いものではないということです。

九州の球磨地方では、宮古と同じように女の児の誕生に合わせて シンダンギーを植える習わしがあるようです。この地方では「センダンの木に登ってはならない」とか「家のまわりに植えるな」などの教えもあるようです。そのわけは、シンダギーが折れやすいので危険を避けること、成長がはやく枝張りが大きくなるから、とのことです。縁起の悪い木ということではないようです。
 
うだるような夏の日差しをいやがうえにも暑く感じさせるのが、ナビガース(クマゼミ)の大合唱。ナビガースの大好きな木といえば、シンダンギーですね。無数の ナビガースが貼りついて シンダンギーを震わさんばかりに鳴くさまには、圧倒されます。
 
子どものころ、ユウビンガース・ヌージーガース(イワサキクサゼミ)や ナカティガース(ミヤコニイニイゼミ)もよく捕って遊んだものだが、セミ捕りの醍醐味は何といっても大きな体の ナビガースとの格闘にありました。

ススキや竹の茎の先に サニン(月桃)の葉を数枚、じょうごのように丸めてゆわえつけると、セミ捕り道具の完成です。シンダンギーに群がって腹を激しく縦に振りながら「シャンシャンシャン」と、すさまじい音量で鳴くナビガースめがけて、セミ捕り道具をかぶせていきます。円錐形の口の広い方から入ったセミは細くくびれた方に落とし込まれ、「ジー」と鳴き続けてもがき、羽をばたつかせます。その音を思い浮かべるだけで、感覚だけは子どものころへ戻れる気がします。

命のかぎりを尽くして鳴くセミ。一夜のうちにはらりと散る花。はかない命に思いを寄せながら シンダンギーの花のもとでまどろむ。今年も、そんなひと時を楽しむのに絶好の季節を迎えました。暑くなく湿気もなくさわやかな風が頬になでてくれます。

◇あの話をもう一度

松谷初美(下地・高千穂出身)

「あさぎ」 vol.226 2010/8/19

昭和の頃の ばんたがやー(我家)の敷地には母屋があり、母屋の西側には、とーうわ(たきぐら(炊き倉)/トーゥ”ヴァ/)、とーうわの南側には、水を貯めるコンクリートのタンク、その南には、たつ(馬小屋)があり、母屋の東南に「あさぎ」があった。

「あさぎ」について、宮古方言研究会(通称:新里教室)の新里博(あらざと ひろし)先生に教わった。

「あさぎ」とは、足騰(あしあげ=足が高く作られた建物で穀物などを保存する倉庫のこと。『古事記』にも出てくる古い言葉だそうだ。)が「あすあぎ」→「あさぎ」に変化した言葉とのこと。

「あさぎ」は、もともとは穀物などを収納するところだったが、部屋としても使うようになり、隠居部屋になったり、旅人を泊める宿になったり、あるいは、ういぴと(年寄り)の作業所として使われるようになったりしたと言う。

ういぴとたちは、まご(マカヤで編んだかごなど)や あんでぃら(アダンの木根で編んだもの)、みの、ぞうりなどを作っていたそうだ。又、てぃがなず(使用人)部屋としても使われたり、農具や用具の収納所としての役割も果たしたりと用途の広いものだったということである。

さて、ばんたがやーの「あさぎ」である。うちのは、母屋がまだ かーらやー(瓦の家)だったころ、1950年代に母屋の東南にコンクリート造りで建てられた。

私は「あさぎ」とは「離れ」のことをさす言葉だとばかり思っていたので、先生の話を聞いてびっくりしたが、同時に、なるほどと合点もいった。うちの「あさぎ」も半分は倉庫として使われていたからだ。

葉タバコ農家の我家では、乾燥した葉タバコが山と積まれていたり、肥料の袋が積まれたりしていた。

その残り半分が、部屋になっていた。私が3歳くらいの頃は、両親の寝室だったようにうっすら記憶している。その後は、嫁に行く前の叔母(父の妹)が使い、叔母が結婚して家をでると兄の部屋になった。(そういえば、兄の部屋から女性が出てきてびっくりしたこともある。これも「あさぎ」ならでは?笑)

「あさぎ」は、まこと何でも利用でき、今も昔も使い勝手が良いものとして利用されてきたんだなーとつくづく思う。それにしても『古事記』に出てくるような古い言葉だったとは。大昔の先祖から私の口まで延々と繋がれてきたかと思うと感慨深い。

うちの近所はほとんどが農家で、家の造りも「たつ」があり、「あさぎ」がある家だった。

しかし、だんだんとそのような造りの家もなくなってきている。うちにはもう「あさぎ」も「たつ」もない。そのうち、「あさぎ」という言葉を話す人もいなくなり、そんな暮らしがあったことさえ、忘れられていくのだろう。

宮古で使われている言葉は、多くのことを私たちに教えてくれる。その語源を明らかにし、んきゃーん(昔)の暮らしも教えてくれる新里先生の存在は本当に大きなものだ。

自分の中にまだ生きている宮古の言葉の語源を、その意味を、その流れを少しでも咀嚼していけたらと思っている。

「あさぎ」のある風景、今度宮古に帰ったら写真に収めてこよう。

つき°ぬんつ(月の道)

ビートルズ世代のサラリーマン(平良・下里出身)

復帰前の宮古島の道路は、ナウサんつ(ナウサ道)道がほとんどだった。ナウサとは石灰岩を細かく砕いたもので、沖縄ではこのナウサを敷き固めたいわゆるナウサ道が主流だった。B.サラが小学生の頃(1960年代)はマクラム通りも未だナウサ道だった。もちろん転圧して締め固めてあるのだが、ナウサ道の脆さは如何ともしがたく、すぐでこぼこになり雨が降るとあちこちに水溜りができた。

メイン通りだったマクラム通りは、比較的頻繁に補修を行っていたのだろう、それほど酷い舗装状態だったという記憶は無い。それに比べ、ぴさら(平良)と各地を結ぶ道路の舗装状態は酷いものだった。特に城辺線は酷く、運転手はあちこちに開いた大きな穴を避けるためハンドルを右に左に切りながら走らなければならなかった。それ以上に困ったのが砂埃(すなぼこり)である。炎天下の乾いた道路は前を走る車が巻き上げるもうもうたる砂埃で真っ白になり前方が全く見えなくなる。そのため後を走る車はある程度車間距離を置いて走らなければならなかった。

父が城辺の西中出身だったので、そーがつ(正月)、じゅうるくにつ(十六日)、ぴんがん(彼岸)、お盆等、事あるごとに平良−城辺間を車で行き来した。当時の我が家の車は、なんと米軍払い下げのジープである。父はどんな悪路だって走行可能だと自慢していたが、雨の日は幌の隙間から あみかじ(雨風)が吹き込んでくるし、でこぼこ道では幌から投げ出されないようにしがみ付いていなければならなかったりで、よその普通乗用車がほんとに羨ましかった。
 
西中からの帰りは大概 ゆない(夜)になった。帰路は城辺線を左に折れ野原越を越え今の平良・新里線に出て空港を横切って平良に入る行きとは別のルートを取った。

当時、野原岳の米軍航空レーダー基地から宮古飛行場までの道路は、島内で唯一アスファルト舗装された軍道だった。(当時は飛行機が到着する度に野原岳のレーダー基地から赤い消防車が1台この軍道を通って駆けつけていた。)少々遠回りになるが、父は毎回そのアスファルト道路を通って帰った。
 
アスファルト道路に入ると今までの車体の揺れがぴたりと収まり、まるで鏡の上を走っているようで ずみ(素敵)だった。当時の米軍の軍道仕様ということでアスファルト舗装の規格のグレードが高かったのかも知れない。今のアスファルト舗装に比べてもかなり質が良かったように思う。
 
ジープの幌の隙間から覗く満天の星を みーがつなー(眺めながら)月の光に照らされて白く輝く一本道を走っていると、なんだかそのまま月へ行ってしまいそうな気がしたものでした。(小学生の頃は純真だったんですね)

B.サラが中学、高校生になる頃には、道路の整備も進み徐々にアスファルト道路が増えていった。本土復帰を境に一気に道路整備が加速されほとんどがアスファルト道路となった。50年経った今でも、時々あの月の光で輝いていたアスファルト道路(つき°ぬんつ)を懐かしく思い浮かべることがある。
 
※当時のルートは、国土地理院の1963年の航空写真を参考に記憶を辿って表記しました。城辺線から左に折れ野原岳を超えるルートは記憶が曖昧です。

お知らせ

◆ようこそ森の教室へー大野山林自然散策ー

日 時2017年4月22日(土)午前9時30分〜11時30分
場 所宮古島市中央公民館内琉球大学サテライト宮古キャンパス
内 容初心者向けの自然散策プログラム。
大野山林内の野鳥や植物を観察しながら自然にしたしむ。
対象は親子・一般。野外活動にふさわしい服装で参加してください。
定 員30名(間もなく締め切りだそう)
申 込宮古青少年の家 0980-72-8883

◆第33回全日本トライアスロン宮古島大会

開催日時:2017年4月23日(日)午前7時〜午後8時30分

◎宮古テレビ 
午前6時30分から USTREAMで動画配信
「USTREAM 宮古島 トライ 2017」で検索するとページが出てきます。
当日は、宮古テレビのホームページから入ることも可能。
島外にいてもその醍醐味が味わえます。ぜひ、ご覧ください。

◎エフエムみやこ
午前6時30分〜午後9時まで実況中継。フェイスブックやツイッターで動画配信。
小回りの利いた情報がたくさん流れますので、応援をしている人にとってもとても役に立ちます。ぜひエフエムみやこもご活用を。

◆第3回とうがにあやぐ大会

開催日時:2017年4月30日(日)午後5時
場 所:カママ嶺公園多目的広場

申込は締め切りました。27名ほどが申込。予選を行い20名が決勝に出場予定。
多くの皆様のご来場をお待ちしています。

編集後記

松谷初美(下地・高千穂出身)

4月ももう下旬に入ろうとしていますね。相変わらずの忙しさで毎日バタバタしていますが、職場は与那覇湾のすぐそばにあり、その美しさに毎日癒されています。

4月7日は、スリーハンサムズ(NSPの二人とふきのとうの一人)のコンサートがマティダであり、行ってきました!まーつき(一緒に)行く予定をしていた友人が急に行けなくなり、一人で行ったのですが、隣に座ったお姉さんがいろいろと話しかけてくれて、一緒にも盛り上がりました。懐かしい歌がいっぱいで、トークもまた うむっしで(面白くて)、会場が一体となったような楽しさでした。ぜひ、また来てほしいです。

さて、今回のくま・かまぁ のーしが やたーがらやー?

センダンの紫の色の花が今咲いていますね〜。昔はよく見かけましたが、最近は少なくなりましたね。「センダンとナビガース」はの関係は切っても切れない縁がある気がしますね。嫁入り道具の話しは知りませんでした。今年もナビガースがたくさん止まり鳴くことでしょう。夏はすぐそこまで来ていますね。

「あさぎ」の話を書いた頃は東京に住んでいました。宮古の家屋敷の配置などが気になり、写真を取ったりしていたのですが、宮古に帰ってきてから3年。その間にも近所の古くからの家は壊され、あさぎも水タンクも無くなってしまいました。こうやって変わっていくのかと。「あさぎ」の風景を忘れたくなく再掲載となりました。

私が子どもの頃も、なうさ道が多かったですねー。平良から城辺までの道のり、凸凹道はさぞ大変だったと思いますが、(右に左に揺れるのがリアルに想像できますね)お父さんとのいい想い出ですね。そう、アスファルトの最初の道は上野線だったんですよね。白く輝く一本道の話は、まるで物語の世界のよう。思い出は永遠ですね。

貴方はどんな感想を持たれましたかー?ぜひ、感想をお寄せくださいね。
掲示板投稿も どんないお待ちしています!

きゅうまい しまいがみ ゆみふぃーさまい すでぃがふー!
(きょうも 最後まで  読んでくださり ありがとうございました!)

次号は5月4日(木)発行予定です。
きょうも、上等な一日でありますように。 あつかー、またいら!

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