こんにちは〜。 がんづうかり うらまずなー(お元気ですか)?
台風5号が発生しましたね。被害がありませんように!
vol.437、お届けです。 ゆみふぃーさまちよー(読んでくださいねー)
母ちゃん何人できるかな? 〜宮古弾丸ツアーで母校を訪ねる〜
宮国優子(平良・下里出身)
私は普段、東京に住んでいますが、6月、7月と宮古に弾丸ツアーで行ってまいりました。一泊二日なので、だいず、死ぬかーと思った・・・。理由は、次女の転校。中学に入った頃から宮古で暮らしたいと言っていた。今回は、宮古の高校を受験するための準備で宮古入りした。なのでタイトルの「母ちゃん何人できるかな?」は、彼女の島のお母さんという意味だ。
県立高校は、住民票がないと高校受験できない。あたりまえだけど。月曜日の朝に、娘と二人で平良中の事務室を訪ねた。母校の門をくぐるのは、33年ぶり。門に向かう道路は、大きくなって様変わりしたけど、門柱は昔のまま。だいず、なつかしかった。
校舎もひとつも残っておらず、旧体育館そばのトイレだけが唯一。そりゃそうだよね。事務室でいろいろ聞いていると、ちょうど校長先生がいらして、なぜか校長室でお話を聞くことになった。
もちろん、知り合いの知り合い。さすが宮古さいが。校長室の窓から、生徒たちの楽しそうな様子が見える。娘がつぶやいた。「あー、みんな走ってる・・・」。校長先生は、きっと のーぬ ばーかよ(どういう意味だよ)と思ったに違いない。娘によると、自分の通う中学では校内は走らないというルールになっているらしい。確かに、せまいからかな、とも思うけど、ルールや規律が重んじられているんだろうと思う。
そして、少し思い出すことがあった。私が中学の頃といえば、昭和50年代後半だった。モヒカンの先輩もいたっけな。体罰もいわゆるジン集め(カツアゲ)もあったし、飲酒についても結構あった。先生も厳しかったし、体罰もあった。でも、それすらもいい思い出だ。先生方はというか、大人たちは案外体当たりで、いつも本気で泣いたり笑ったりしていて、自由だった。それを見て、私は早く大人になりたいと思ったものだ。
叱られても、怒鳴られても、校長室に呼び出されても、特に卑屈になることもなく、楽しい宮古高校ライフに地続きだった。青春というか、ホルモンって、活発だったんだと思う。その頃は当たり前だけどネットもなく、情報源はテレビ、ラジオ、雑誌だった。当時は、雑誌は現在の二倍以上の売上高があったそうだ。東京が発する流行を雑誌から取り入れて、島だけどそれなりにおしゃれしたりしてたことを思い出す。
話を戻すと、学校から二人で市役所までおしゃべりしながら歩いた。彼女は念願への第一歩が踏み出せて、とてもうれしそうだ。帰りに市役所に寄ったら、同級生がいっぱいいて、昼休みにご飯を食べようということになった。私の幼馴染も加わって、ワイワイとご飯を食べた。みんな、まるで自分の子どものように話かける。うちの子は、幼い頃から宮古の人がまわりにいっぱいいるし、宮古にも長期滞在ばかりしている。で、でも、やっぱり東京の子。少しクキークキー(お高くとまる)な雰囲気を醸し出していた・・・。
みんな言う。「母ちゃんみたいに思って、なんでも相談して!」と。笑顔なのだ。いや、この人の母ちゃん(すなわち私)怖いけど・・・。行く先々で、みんなに「母ちゃんみたいに思って!」と言われる娘はだんだん感覚が麻痺してきたらしく、やたらニタニタしはじめた。最後の方は、暑さなのか、いつもの刺々しいかんじではなく、本来の優しい感じになっていた。環境って恐ろしい。
唯一、残念なのが、見た目が宮古なので、内地からの転校生風にはならないだろうな、というくらい。もてるチャンスだったのに、残念。うちの娘は、城辺出身の私の母にそっくりなのだ。東京ではどこの誰かわからない、大勢の中学生の一人だったと思うが、宮古に行けば、すぐに誰の子どもか、と聞かれる濃密な日々が始まる。
みんな「心配じゃない?」と聞くが、私の子育て自体が、多分、かなり宮古的なので、状況が意味不明にはならないかもしれないけど、それにしても、いろいろ思うことがあるだろうなと思う。長い人生の中で、東京出身の子どもが宮古に進学するチャンスなどほとんどないはず。そんなバラエティのある人生を送るなんてうらやましいくらいだ。そして、私より厳しくて宮古ディープなうちの母の楽しい老後もサポートできるのだからお互い上等さいがー、とまで思っている。
私との約束は、宮古高校に入って、郷土史サークルを作ること、毎日ブログを書くこと、島内の郷土史関係の勉強会に行って、私に資料を横流しすること、自分の遊ぶお金はバイトすること、くらいだろうか。島の青春をエンジョイしてほしい。あーいいな、いいなーと、母である私のほうが一番うらやましがっているってばよ。次女にかこつけて、私も足繁く通うことになると思う。
というわけで、ちょこちょこ場違いな子どもがいろんなところに顔を出すようになるとは思いますが、どうぞよろしくお願いします。ただのミニ優子です・・・。失礼なことがあったら、昭和的に本気で叱ってくださいませ。
あんぱず(蜘蛛の巣)
宮国勉(城辺・西城出身)
蜘蛛の巣のことを宮古島城辺西城あたりでは あんぱず(蜘蛛の巣)と呼ぶ。
子供の頃、卓球のラケットより一回り小さい針金の輪を だてぃふ(暖竹)などの先に付け、それに何重にも あんぱずを巻き付けて がーす(ニイニイゼミ)を捕った。
樹に留まっているところに網を押しつけるように羽をくっつけ捕るので、粘着力のある蜘蛛の巣が選ばれる。蜘蛛の種類は乳房棘蜘蛛(チブサトゲグモ)と呼ばれる種類で、今ではあまり見かけなくなった。
現在はジョロウグモに占領されたかと思えるぐらい、黄色と黒の横縞模様の蜘蛛が目に付く。乳房棘蜘蛛の あんぱずはジョロウグモの巣と比べて粘着力が勝り“蜘蛛”も幼い子供の遊び相手にも最適だった。
沖縄方言ではクーバーと呼ぶそうで、背中を拡大して眺めると、どこかシーサーに似て見えるそうである。
蜘蛛は昆虫の仲間のようだが“蜘蛛網クモ目”に分類され脚が8本あり、昆虫は6本なので区分される。知恵のある虫と漢字では書く蜘蛛、知恵を巡らし巣を作るところを選び、通りすがる虫たちを網を張って待ち伏せて食事にありつく生活をしている。
蜘蛛は日本では約1500種いるらしいが約6割が網を張り、残りは網を張らない種類らしい。あんぱず(蜘蛛の巣)は巣と呼ばれるが、家ではなく、夕方には片付ける種類もいるそうである。
宮古島には徘徊性で網を張らない やーばん(アシダカグモ)が居り、いきなり白いものを抱えて、どこからともなく出てくるが、その抱えていた卵を横取りした時は、家を護ってくれる者をいじめた罪悪感を味わった。
ゆさらびがたん まーに と うぎゃすぎー または まんじゅうぎーぬきゃーと つなぎー あんぱずゆ ぱりゅー とぅくるど うむいだしゅう (夕方クロツグと木橘、又はパパイヤの樹などと繋ぎ、網を張る様子を思い出す)
乳房棘蜘蛛(チブサトゲグモ)の あんぱずは中央から放射状に張られた糸に、同心円状に細かく糸を張る構造で円網(えんもう)と呼ばれる。以下に蜘蛛の気持ちになって あんぱず(網)を張る手順を書いてみました。
1.畑の地境の相思樹並木の傍らに立ち がーす、びーず、かた(セミ、トンボ、バッタ)などが飛んできそうな場所を見定める。
2.かじまい てぃだまい だいず たかさをまい さんみんっすよ〜!(風と太陽は大切だ、それから高さも考慮しろよ〜!)
3.周りの樹などを結んで大きな三角形を作るよう目星をつけ糸を風に流せるような第1点に着く。
4.んーぶんかい たやーいじ(臍に力を入れて) 糸を流す。んざばーきど とびぴずば!(何処までも飛んでいくよ〜)
5.その糸を伝い目指す第2点に移動して固定し、更に糸を流す。
6.更にその糸を伝い第3点に移動して固定し、最初の点に繋ぎ三角形の枠糸が張れたことになる。
7.3カ所の頂点から網を張る中心に向けて縦糸を張り、中央点に移動し枠糸と中心をほぼ均等な間隔で割り付け縦糸を絡ませる。
8.今度は中央から外側に向けてらせん状に時計回りで足場糸を全体の半分ほど張る。
9.粘着力持たせるために ゆだず(よだれ)を混ぜて続きの横糸を張り円形に仕上げる。
10.くいしーど だいたい かんせい(是でだいたい完成)
11.あつから まんなかん びじみーでぃ(それでは真ん中に座ってみよう)
12.あば、じょうとうやーば だずま まい にゃーん(おお、最高の出来だ、余計な皺も無い)
13.お!来客だ!やぱい!むまぎ なかでぃ がーすどう。(お!来客だ!やった儲かった!美味しそうなニイニイゼミだよ)
14.かしくぅゆど やまかさ つかい やーすむぬ やーたーば!(糸を大量に出して腹ぺこだったよ!)
15.ちびぐうゆ ふぁいってぃ あとぅばー あつぁんかい ぬくしゅーかでぃ。(お尻を食べてあとは明日に残しておこうかな)
16.うむーたー とおり ぬ がーすぬきゃーぬ んつどぅやりうきぃ。(思った通りの蝉の通り道だったようだ)
昔のお年寄り達は自然の事象、あんぱず(蜘蛛の巣)や蜂の巣の作られている処などから以下のようなことを云い、危機回避していたようである。
あらぁん あんぱずゆ ぱりーうーば かぜーふかんぱず!
(表に網を張っているから風は吹かないようだ!)
びーぬ みーんど ふまばつ ぬ すーぬ あーば くぬずや かじふきぬ だうがら っすさいん!(奥まった処にアシナガバチの巣があるので今年は台風の当たり年になるかもしれない)
などと、農作業を終え腰を伸ばしながら、周りの自然を眺め、豊作を願い心安らかに帰路に着いたようである。
今朝は庭のジョロウグモの巣に みぱな(顔)から突っ込み、久しぶりに蝉の気持ちを味わいました。小さいジョロウグモを殺虫剤で退治し十数張りほどあった あんぱず(蜘蛛の巣)を片付けました。
『おーみざか』と『うすんきゃ』
ビートルズ世代のサラリーマン(平良・下里出身)
【おーみざか】
皆さんは、「おーみざか」という宮古方言をご存知ですか。「おーみ」とは「臆病」とか「気が弱い」いう意味です。「ざか」を付けると、宮古方言では少し人を馬鹿にしたようなニュアンスになりますので「臆病な奴」とか「臆病な野郎」とかいう表現になると思います。
うう”ぁ まーんてぃ おーみざか やー
(おまえは、ほんとに臆病な奴だな)という風に使います。
「ざか」は本来「トガリネズミ亜科ジャコウネズミ種リュウキュウジャコウネズミ」(モグラの系統)の事です。この「ざか」は、ぴすま(昼間)は人目を恐れ、家の床下や石垣の隙間に潜り込んで暮らしていますが、辺りが ふっふぁーふっふぁー(暗く)なり夜中になると行動する生き物なので、「ざか」のように気が弱く臆病もののことを「おーみざか」という解釈もあります。
ところで、なぜ「臆病」「気が弱い」事を「おーみ」というのでしょうか。「おーみ」の語源はなんなのか大変興味がありますよね。すぐ思いつくのが「あおみ」(青み)です。宮古方言で「青い」は「おーおー」と言います。人は怯えると顔が青くなるから「おーみ」の「おー」はこの「あおみ」(青み)からきているのでしょうか。なにか違うような気がします。
「おーみ」の語源には、「臆病」「気が弱い」を意味するルーツになるような古い言葉(日本祖語)が存在していたのではないかと思っています。 B.サラは、日本祖語のなかに、この「おーみ」「おーみる」に該当する言葉があるのではと思い、色々調べてみました。
残念ながら、今のところ、手がかりになるような言葉は のーまい(なにも)見つかっていませんが、この宮古方言のルーツを調べる作業は、とても楽しいものです。
もし、皆さんの中に「おーみ」のルーツに手がかりとなるような事をご存知の方は、B.サラに ならーしふぃーさまちよー。(教えて下さい)
【うすんきゃ】
では、もうひとつの「うすんきゃ」に行きましょう。「うすんきゃ」も面白い言葉です。「うすんきゃ」を直訳すると「俯く人」になります。「うすんき゜」(俯く)の最後に「er」を付けて「人」を表す複合語になっています。
宮古方言では、動詞に「er」を付け「〜する人」になる用法があります。英語のようですね。(笑)(たとえば、ぶらふきゃ=ほらを吹く人(嘘つき)。ばみきゃ=大声を出す人)等。なので、他人と目を合わせられなくていつも下を向いている「恥ずかしがり屋」や「内気」な人の事を「うすんきゃ」といいます。
例えがストレートですよね。宮古方言のこのような表現力は、ほんとに素敵だと思います。年齢を重ねるごとに、宮古方言を深く考え、宮古方言に内包される日本祖語の原石を見つけることが楽しみの一つになっています。宮古方言研究会で新里博先生が常におっしゃっていた「宮古方言は日本祖語の化石である」事を今になって実感している次第です。
最後にミャークフツクイズを。
「うすんきゃ」の反対語は のー?(なんでしょうか?)
【ヒント1】:内地フツの反対語が、ほぼそのままミャークフツ?
【ヒント2】:vol.294(2013.6.20)神童さんの「島尻うすんきゃ」にも出てきます。
皆さん、クイズの回答お待ちしています!
正解の方には、素敵な賞品が!・・なんと今回も!・・出ません!が、ふるってご応募ください!
編集後記
松谷初美(下地・高千穂出身)
ナビガース(クマゼミ)の大合唱が聞こえ、ぶーぎ(サトウキビ)の緑と空の青、白い雲、強い日差し・・・夏真っ盛りの宮古です。台風も発生し、台風の季節でもありますね。
7月13日(土)に開催した第26回「鳴りとぅゆんみゃ〜く方言大会」(宮古島文化協会主催)は、20代から70代の方が登壇し、それぞれの想いを発表。来場者は、あずーあずの(味わい深い)みゃーくふつを堪能していました。大会の出場資格は、これまで高校生以上で、宮古圏域出身者や在住者に限っていましたが、今回から年齢も出身者も不問としました。その結果、東京出身(東京在)の20代の ばかむぬまい(若者も)出場。会場を沸かせました。その ばかむぬ(若者)は、くま・かまにも投稿したことのあるCaptain Anuheaさん!(vol.316 2014.5.15、vol.387 2017.5.4 に投稿)新里教室のメンバーでもあります。「みゃーくふつとの出合い」と題して発表し、審査員特別賞を受賞しました。一生懸命、練習をしたことが伺える素晴らしい発表でしたよ。最優秀賞の市長賞は城辺出身の天久富雄さん、教育長賞は知念博正さん(多良間出身)、文化協会長賞は下地朝盛さん(城辺出身)がそれぞれ受賞しました。
翌14日(日)は、地元の画家、西里恵子さんの「第54回たぶろう展内閣総理大臣賞受賞祝賀会」がホテルアトールエメラルド宮古島で開催されました。会場には多くの方が うがなーり(集い)西里さんの受賞を喜び、称えました。受賞作「オーロラとマムヤ」は舞台に飾られ、お披露目。マムヤ(伝説の美女とされている)と宮古に流れる悠久の歴史が描かれているように感じました。やぐみ(素晴らしい)感性です。今後またどこかで披露されると思いますので、機会がありましたら、ぜひご覧ください。
さて、今回の くま・かまぁ のーしが やたーがらやー?
優子さんの娘さん、ついに宮古の学校に通うんですね!さすが、優子さんのお子さん。優子さんの同級生の「母ちゃんみたいに思って」の気持ちも、みやこーみやこですね。どぅまう”ぃる(戸惑う)ことも多くあるでしょうけど、きっと大丈夫。皆、応援しています!お嬢さん、ワイドー!
あの話をもう一度は、宮国勉さんの「あんぱず(蜘蛛の巣)」をお届けしました。勉少年が、ちゅーく(よく)観察していたことが分かりますね。蜘蛛の気持ちになって、巣を作っている様子も方言とともに何とも味わい深く。ばんまい、ぬかーぬか(ゆっくり)観察し みーでぃ(してみよう)
B.サラさんの「おうみざか」と「うすんきゃ」の話、うむっし(面白い)ですね〜。性格を表すのに動物やしぐさからというのも改めて、なるほどと思いました。新里先生の「宮古方言は日本祖語の化石である」の言葉、まさにですね!クイズは「でしゃばり」に んーんー(似ている)?
貴方の感想もぜひお寄せくださいね。まちうんどー(待っていますよ〜)
今回まい しまいがみ ゆみふぃーさまい たんでぃがーたんでぃ〜〜。
(今回も最後までお読みくださりありがとうございました)
次号は、8月1日(木)の発行予定です。
ぷからす ぞう(うれしく楽しい)1日を!
あつかー、またいら〜。